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人という名の怪物1

 屋上の空気に冷たさが混じる。日が傾き出していた。


「この世界には家族や身近な人間がいない。娯楽もほとんどない。不便も危険も多い。今は生活上、プライベートも尊重されない。だから大半の生徒は、元の世界へ帰りたがっているし、その方法を探している」


 檎台が進也の顔を眺めながら流暢に語る。


「だが天杉、君は帰還方法は探していても、帰るつもりでは戦ってきていない。生徒たちが帰還のために結束しているから、一緒に探す方が士気の面で合理的だと判断したに過ぎない」


「……何を」


 言っているのか、と進也は続けようとするも、舌が回らない。図星を刺されているからだ。


「何故なら君には帰る理由がない。……いや、これは正確じゃないな。自分が異物であると自覚しているから、帰る必要性を感じていない。僕と同じで」


 檎台が確信を持って言ってきた。進也の背中を冷たい物が滑り落ちた。


「僕は愛情、君は憎悪。衝動がいつも渦巻いている。これをいかに理性的に解放してやるかを考えている。普通の人間なら抑えつける物を、だ」


 檎台は自分の胸に手を当てた。

 倣うように、進也は自分の胸元に視線を落とす。


「僕らはそういう風に出来ていて、この衝動を決して止められない。普通の人間のそばに普通の振りをして立とうとしてもいつか必ず破綻する、それを知っている。だからいつか離れようとする」


「……勝手なことを抜かすなっ!」


 進也は檎台へ詰め寄り、胸ぐらをつかみ上げる。

 だが檎台は動じずに続ける。


「ここが異世界であるかどうか、神剣を持っているかどうかなんて関係ない。耐えられないのさ。人の振りが。だからちょっとした誘惑に苛まれている」


「その薄汚い口を閉じろ――」


「『この世界になら自分を廃棄しても構わないんじゃないか』とね」


「……!」


 つかみ上げている手が震える。進也の全身から力が抜け、やがて動きが止まる。

 否定が出来ない。ただのさえずりだと罵ることも出来ない。


「……やめておけよ」


 檎台の呟きに、進也はピクリと反応する。


「つまらないだろう、そんな真似は」


「……っ」


 何気なく言い渡された一言は、盛大な皮肉となって進也に突き刺さった。それは自分の言葉でもあったからだ。


「……何でだ」


「うん?」


「何故そんなことを俺に聞かせる。何でわざわざ言う必要がある」


「おいおい。分からないのか? 本当に?」


 進也が素直に頷くと、檎台は困ったように視線を巡らせる。


「そうだな……天杉、僕は君と同じだと言っただろう? その上で、若干年を重ねて君より先の所にいる。だから君がどういう方向へ行こうとしているのか、少しばかり気になっているのさ」


「…………」


「あとはそう、一応教師と生徒だろう? 物事を教え導くってのは、やってあげるべきだろう」


「そっちは嘘だな」


「あれえ? バレたあ? はははは」


 檎台が気の抜ける笑い声を上げる。進也はつかんでいた手を離した。


「……僕は自分が悪やクズだと自覚してから、ずっとどこかへ行きたかった」


 檎台はその場へ座り直しながらぽつりと告げた。


「普通の人間がいる場所も楽しいんだがね。それでも『ここでないどこか』へ行きたいと、いつも考えていた。……その願いはある意味叶ったわけだが、まあやっぱり元の世界と大して変わらないもんだ」


 そうかもしれない。進也は胸中で同意した。

 異世界であろうと元の世界であろうと、そこに人間がいる限り、いずれ弾かれる異物であることに変わりはない。


「そのうち学校を出る予定だ。文字は習得したし、仕事は何かしらあるだろう。君はどうするんだ、天杉?」


「……俺は」


「好きに決めたらいい。だが残るにしろ出て行くにしろ、自分の衝動を抑える物なんて投げ捨てた方がいい。面白くないだろう?」


 進也は自分の手を見つめる。

 燻っている。その思いが確かにずっとある。両親と決別したあの日から。

 神剣を握っている間は気にしなかった。好き勝手暴れ続けて誤魔化しの効いていた物が、ここに来てはっきりと浮き上がってきていた。


(……ここには面白い奴らがいた)


 誇りを守るため上に立つ者がいた。他者との繋がりをひたすら大事にする者がいた。命を懸けて周囲を守ろうとする者がいた。そして自分自身の在り方さえ変えてみせる者がいた。

 彼らがいかに人間らしく歩んでいるか、また肩を並べていることがいかに面白かったか。そのことは実感として進也に残っている。


 だがそれでも足りない。ここに残る理由として積み上がらない。


 進也が顔を上げると、檎台は笑みを引きつらせて進也の後方を見ていた。


「……女神というのはどうにも意地が悪いらしい。向こうも君がどうするのか気にしてるみたいだ」


 言われて振り向く。

 そこには神剣が突き立っていた。無論、他の生徒の剣ではない。進也自身の剣だ。

 紅峰に渡したはずだったが、何故か当然のように主の元へ舞い戻ってきていた。


「……どうする? 個人的に、そいつを使うのはやめといた方がいい気がするがね」


 檎台が動揺を含んだ声で告げた。神剣の詳細は知らないはずだが、勘で察しているらしい。


「分かっている」


 神剣は精神を増幅する。もう一度手にすれば、どれほどうまく制御できたとしても、もはや影響は避けられない。

 逆に言えば手放している今の状態は、何者にも指図されずに進むべき道を決められる、最後のチャンスでもある。


 選べ。自分の意志で。


(このままここに、いることは出来ない。俺は、確かめなければならない。どこへ行き着くのか。試さなければならない。自分自身を)


 檎台の言う通り、異世界であるかどうかは関係なかった。例え元の世界であっても、そのために自分は戦わなければならない。立ち向かわなければならない。ここでないどこかへと。


 誰かのためでなく、自分だけの理由に従う。


 進也は神剣の方へ歩む。その途中、ふと呼び起こされる言葉があった。


『なんだか進也だけがこのまま何もかも全部置き去りにして、ひとりで遠くに行っちゃいそうな気がして……』


(……悪い、梨子)


 もっと事前に相談するべきだったかもしれない。だがそれでも意志は覆らなかっただろう。既に決めたのだから。こうなることを、最初から悟っていたのだから。


(俺はここを出る)


 剣をつかむ。ほんのわずかな期間を離れていただけの神剣だが、当たり前のように進也の手に馴染んだ。


「……気分はどう?」


 背後の檎台が尋ねた。進也は剣を軽くその場で一振りして答える。


「変わりゃしねえよ」


「そうか。まあそうだろうね」


 進也は檎台の方を振り向くと、喉元へぴたりと剣先を突きつけた。


「あー……やっぱりそうなる?」


 驚きもせずに檎台が言った。既に予想はしていたのだろう。同じ相手なのだ。考えはお互い見通している。


「感謝はしてるぜ」


「なら見逃して欲しいんだけどなあ?」


「クズはいなくなった方が世の中のためだろう?」


 進也は一ミリも切っ先を揺らすことなく告げる。


「確かに。……でもその論ならぜひ君にも舌噛んで死んでもらいたいね」


「死ぬだろうさ。誰かが殺せればな」


「ずるくないかい?」


「だからクズなんだろう」


「……やれやれ」


 檎台は諦めたようにため息を吐くと、その場に座り込んだ。そしてくるりと背を向けた。


「……何の真似だ?」


「顔を見ながらじゃやりにくいだろう?」


「……妙な気を使うんじゃねえよ」


「僕は思い通りにやってきた。ほんの少しばかり運がいいおかげで、今までバレずにどうにかなってきた。これで終わりと思うとまあ良くはないんだが。終わり方としては悪くない」


「……そうか」


「ああ。強いて言えば君がこの先どうなるのか気にはなるが……ま、仕方ないな」


「好きにやるさ」


「そうだね。それがいい」


 檎台はひとつ伸びをして、天を仰いだ。


「あー……楽しかったなあ」


 進也は剣を振り下ろした。

 自分と同じ相手へ、何のためらいもなく、真っ直ぐに。




 灰が風に吹き散らされていく。

 燃え尽きるのは一瞬だった。檎台が痛みさえなく逝けたのかは分からない。それを知る術はもはやこの世のどこにもない。


「……行くか」


 進也は誰ともなく呟き、屋上を後にする。

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