克己11
進也は差し入れの残骸を片付けている生徒たちに話を聞き、問題の汚水の詰められていたペットボトルと、入っていた袋を見せてもらった。
ペットボトルは既に汚水が抜かれて空っぽだ。袋の方は、内側に焦げた跡がくっきりと残っていた。
「火薬か?」
「多分。でもそれだけであんなに飛ぶかあ?」
匂いは誤魔化せるとしても、袋の痕跡からしてあそこまでペットボトルが飛散するとも考えにくい。
飛び方を詳細に思い出す。汚水はもっと噴出するように勢いがあった。
「ペットボトルロケットでも併用したんじゃねえの?」
「あー。昔やったなあ、そういうの」
「え、何それ」
「まさか知らん? 空気圧でペットボトル飛ばすやつ」
「……危ないからウチの小学校だと禁止されてた気がする」
生徒たちが思い思いに話している。実際にその手法が正解かは進也にも分からない。
ただ、火薬を調達してペットボトルが飛ぶように仕掛けたということは間違いなさそうだ。
「フタが開きさえすればあとは勝手に飛ぶからな……火薬の量も大していらない。タイミングもけっこう適当でいいはずだ。とにかく自分たちが自爆しなきゃそれでいいように作ったんだろ」
「嫌すぎる。最低な犯人だよ」
恐らくどこかで実験していた可能性もある。痕跡を探す手もあるが、今はひとまず保留する。
「あとは誰が持ってきたか、か」
「知らずに持ってきた線もあるんじゃない?」
「ええ、どうかなー。匂いや中身でさすがに分かるって」
「……そうだな。仕掛けを施した実行犯かはともかく、そいつらも協力者だろ」
火薬を使うにしろ、運ぶ前に火を点けたとは考えにくい。持ち運んだ者が行なったと見るのが自然だ。
「あとはもう聞いて回るしかねえか」
「まったくひっでえよ。片づけるしかないからみんなやってるけど、こんなの嫌々だよ。犯人が同じことやれって思うね」
「そこに関しちゃ同意見だ」
話を切り上げ、進也も校舎へと向かう。
進也は病棟代わりに使われている教室を巡っていく。
人気の多い場所は既に聞き取りが行なわれている最中だ。自分もそちらへ交じるより、休んでいる生徒たちが何か見聞きしていないかと当たることにした。
もっとも半分は建前で、今は熊崎たちと顔を合わせづらいというのもあった。
(我ながらアホくさいな)
進也は自分自身に呆れるが、とはいえわざわざ気まずさを増して、捜査に集中しづらくするつもりもなかった。
「さあ。こっちは静かなもんだったし。外の騒ぎは聞こえたけど、正直別に変わったことはなかったなあ」
「そうか」
やはりというか、休んでいた生徒たちから大した話は出てこない。事件に対して表面的に憤慨する者や忌避する者もいるが、なまじ被害に遭ってないせいもあって他人事に捉える向きもある。こればかりは仕方のない所だろう。
「……精が出るね」
進也はぎょっとした。
呼びかけてきたのは、痛々しげに顔を腫らした檎台相司だった。
「…………」
いるのは当たり前だった。事件や熊崎のことに気を取られ、失念していた。
進也はこの男にも話を聞くかどうか逡巡するが、理性より感情の方を優先させ、立ち去ろうとする。
「いたずらの場所、知ってるよ」
その言葉だけで進也は動きを止め、振り返る。
檎台のにやにやとした笑みが突き刺さる。腫れた顔にもかかわらずうまく表情を作っている。
「ちょっと移動しようか。ここじゃ話しづらいだろう?」
「おい、どこまで行く気だ」
進也は、のろのろと先導する檎台に苛立ちながら声を掛けた。
「人気のない所なら屋上と相場が決まっているだろう?」
「……さっき自殺騒ぎがあったから見張りがいるぞ」
「おや、そうなのかい? まあ適当に誤魔化せば大丈夫さ」
呑気なことを言いながら檎台は階段を上がっていく。
やがて屋上への階段に差し掛かると、しかし見張りがいないことに気付く。
「……何で開いてんだ」
「トイレにでも行ってるんじゃないかい? もう一人置いておくとか、そういうケアが出来ないうっかり具合は学生だね。ま、丁度いいさ。上がろう」
「…………」
都合のいい状況を訝しみながらも、進也は檎台と共に屋上へと出る。
檎台はふらついた足取りで片隅へと移動すると、ゆっくりと腰を下ろした。
「ふー……いや、しんどいね。しゃべるのもそうだが、階段上がるのもなかなか重労働だよ。誰かさんのおかげで。はははは」
檎台が冗談めかして言う。表面上は挑発的に聞こえるが、どうにもあからさますぎて、進也には悪意としては伝わってこない。
奇妙だった。痛めつけてきた相手を前にして、何故この男はこうまで平静でいられるのか。
好奇心が芽を出そうとするが、進也はかぶりを振ってその思考を追い払った。早く本題を済ませようと口を開く。
「やったのはどいつだ。さっさと教えろ」
「せっかちだな。少しは会話を楽しむ余裕が欲しいもんだ」
「お前相手におしゃべりする趣味はねえ」
「そうかい? 聞きたいことは色々ありそうだけど。僕が話好きなのもあるが」
「……立場分かってんのか、テメエ?」
進也はすごんで見せるが、殴りかかったあの夜と同じく、檎台は少しの恐怖も浮かべない。
「それが脅しにならないと分かってるのに言うものじゃないよ、天杉。だいいち立場のことを言うなら、僕は答えてあげる側だ」
「いちいち癪に障ることを言ってんじゃねえ」
「やれやれ、分かった分かった。……いたずらの練習現場を見てね。一年生だ。名前も調べてある」
「……ちょっと待て。それを知ってるってことは、放置したのかテメエ」
「人のやりたがっていることを止めるのはあまり趣味じゃなくてね。あそこまで無差別とは思わなかったが」
「面倒な真似しやがって……」
「そう怒るなよ。僕らのような人間からすれば、あの程度は可愛い物だろう?」
同意を求めるように檎台が進也を見た。
「……一緒にするな」
進也はかろうじて否定の言葉を口にするも、それが無意味な嘘であることは分かっていた。同種の人間なら、こんな戯言は簡単に見抜ける。
「お互い自覚はしているんだ。誤魔化しはよそう。僕はともかく、君がどうしてそうなったのかは気になるところだがね」
「テメエの知ったことか」
「言うと思った。じゃあ代わりに僕の昔話をしようか」
「いらん。黙れ」
「まあそういうなよ。別に理解は求めていない。ただ君には聞いてもらいたくてね。クズ同士の再確認というやつだ」
「クソのなすり合いならひとりでやってろ」
「よくそこまで口が悪くなるものだ。僕の所は意外と躾が厳しくてね。兄たちに比べればそれでもマシだったが、よく父親に怒鳴られていたよ」
「勝手に続けるな。しかも使えねえ親だな。いっそ殺しとけば世の中が少し綺麗になったろうよ」
進也が半ば本気で言うと、さしもの檎台も苦笑してみせた。
「確かにね。とにかくそんな環境だったから、けっこう息苦しさというか窮屈さというか、そういうものを感じていた」
どこか遠くを見るような目になって、檎台はいったん言葉を区切る。
「……ある日のことだ。父がひとりの女の子を連れて来た。確か三つ下だった。『お前の妹だ』って言ってね」
「……妹?」
「正直、最初は訳が分からなかったよ。ただ、段々とどういう子なのかは見当が付いた。何しろその頃、父と母の仲は冷え切っていたから」
「腹違いか」
「その通り。一応種違いも疑ったが、父が家に置いたんだから、まあそういうことだったんだろう。とにかくいきなり妹が出来上がって面倒を見ることになった。兄たちはその頃既に独り立ちしてたからね、必然的に僕の役目になった」
「テメエの世話になったんじゃ、碌なことにはなってねえだろうな」
「ひどい言い草だ。ま、合ってるが」
檎台は進也の言葉を笑いながら肯定した。
「他に信頼できる相手も家人もいないし、妹はずいぶん心細かったと思う。だから僕もなるべく気にかけてやった。彼女はいい子だったよ。世間的に言えば手のかからない、従順な性格だった」
言葉の端々に哀愁のようなものを漂わせながら檎台は語る。
「……そう、従順で――素直すぎた。僕はある時ふと思ってしまった。彼女はどこまでこちらの言うことを聞くのかと」
「……テメエ、まさか」
「抑圧された環境のせいか、彼女の聞き分けが良すぎたからか、それとも最初から僕が壊れていたのか。まあ後からなら何とでも言える。とにかく僕は、妹を好きなようにした。そして彼女は……抵抗しなかった」
いつの間にか檎台は笑みを消している。壊れた言動を取りながら後悔をにじませている。
「妹は誰にもこのことを話さなかった。おかげで両親にも他の人間にも奇跡的にバレはしなかった。もっとも、割とすぐに決着はついた。……彼女が死を選んだからだ」
檎台の口振りは端的だった。極力、余計な感情を込めないように苦心しているようにもうかがえる。
「正直なところ、どうして妹が死へ逃げ込んだのか、いまだによく分からない。僕を糾弾しようと思えばいくらでもできたはずなのに。そもそも始めから抵抗だってできたはずなのに。だが彼女は僕とのことは死んでも語らなかったし、その上で死ぬことを決めてしまった。何故だったんだろう?」
「……こっちに聞くな。んなこと、俺が知るか」
「うん、僕も分からない。兄妹愛? 家族愛? 異性愛? どこかに愛情はあったんだろうが、同時に妹はそのせいで命を投げ捨てることになった」
檎台は腫れた頬を撫でながら話を続ける。
「父は大いに嘆いていた。冷たい話だが、僕は妹の死にそこまで悲しまなかった。疑問の方が大きかったのか、泣くことすらなかった。……振り返ってみれば、そこからかな。よく『遊ぶ』ようになったのは」
表情を微笑に戻しながら檎台が言った。無論、遊びが何を示唆しているかは、聞くまでもない。
「それで? だから鹿沼や他の学生にも手を出したって? 言い訳にもなりゃしねえな」
「ああ、そうだな。でも……何故立ち向かえなかったんだろう。他の子たちもそうだ。今時、写真や動画ひとつが脅しになるかい? どこかでネットに告白するだけで捕まえることはできるし、悪知恵が働くなら逆に僕を脅し返すことだって簡単だ」
檎台が口にした言葉はもっともらしくもあった。実際、進也はそうした行為を売りにしている学生やチンピラがいることも見知っている。
「……単に思いつかない低能だったってだけだろ」
「本当にそうかな? ……鹿沼は少なくとも跳ねのけてみせた。天杉、君が手助けしたからとかそういうことじゃない。一体何が違ったんだろう?」
本気で疑問に囚われているのか、檎台は進也をまじまじと見つめてくる。だが結局のところ、それは人によるとしか言いようのない話だった。
「……どうだっていい。俺には関係ない。それよりさっさと生徒の名前を教えろ」
「共感してくれると思ったんだが。僕と同じクズの君なら。……まあいいか。じゃ、教えよう」
檎台が学生たちの名前を口頭で伝えてくる。
(……?)
言い連ねられた名前に進也はどこか既視感があった。だがうまく思い出せない。
「どうかしたかい?」
「……何でもねえよ」
言い捨てて進也はさっと踵を返す。
「おいおい、怪我人にひとりで下りろって言うのかい。薄情な」
背中越しに檎台の声が聞こえるが、進也は無視した。
「そうだ。これを聞いておくけど――天杉、君は元の世界に帰るつもり、無いだろう?」
進也は足を止めた。
勝手な推測に苛ついて止まったわけではない。考えを見透かされたから止まった。
「――――」
進也は振り返った。
自分と同じ人間が、こちらの驚愕を微笑で受け止めていた。