接触25
既に残党もいないオークの巣を素通りし、部隊は一路ストレーミア王国を目指す。
峰を越え、梨子は足取り軽く山道を下りていく。
「♪」
「……ずいぶん、機嫌がいいのね?」
隣を歩く円花が意外そうな声を上げる。
「え、別にそんなことはないよ?」
「いや、さっきまでと明らかに違うでしょ。天杉のことで怒ってたって話はどこ行ったの?」
出立までの間、梨子は自分に起きた出来事を円花にも話している。もちろん細部までではなく、愚痴を零していただけだが。
「怒ってるよ? だって、何で怒ってるのか知らん、とか言われたから」
「その割には、話してから楽しそうにしてるじゃない」
「まあ謝られたからね。謝ってくるの遅いし、怒った理由くらい分かってて欲しいけど。それはそれとして、ってことで」
梨子は、言わなくても進也には察して欲しいと、本当なら思う。ただ、あまり分かられ過ぎても、今は困る。
少なくとも、自分のためと言いながらでも、梨子を気遣って謝ったのは事実だ。ならば、その気持ちくらいは汲む。
「……何か、あれね。家庭内暴力振るう夫についてく妻みたい」
「い? いやいやいや、何でそうなるのさ?」
円花の言い草に、いくらなんでもそれはない、と梨子は慌てて否定する。
「ボクと進也はただの友達だから違います」
「まあそれは知っているし、どっちもそのつもりなんだろうけど」
「つもりじゃなくてそうだって。ボクと進也は、そう、円花と鹿沼さんの関係みたいなものなんだよ」
「……私、男女の間に友情成立するって思わないのよね。男子はほら、そういう目でしか女子のことを見ないから」
「性的な対象ってこと?」
反射的に梨子が言葉にした瞬間、部隊の何人かが動揺し、げほげほとむせ返った。
円花が顔を赤らめつつ、梨子にきつく迫る。
「声が大きい!」
「ご、ごめん……」
梨子は、円花の性質が進也に似ている、と意識したせいなのか、つい明け透けに物を言ってしまった。
注意して、声を潜めながら話を続ける。
「まあその……進也は周りをそういう目で見ない、というか見れないから」
「は? どういうこと?」
「恋とか愛とか好きとか、そういうのが嫌いらしい」
「はあ……はあ?」
一言では意味が通じにくい話だ。案の定、円花はただ困惑している。
「いや、本人が言ってるだけでしょう? それを信用してるの?」
「そうだよ? 実際、その手の話になると、露骨に不機嫌になるから。まあそれが面白いから、時々わざと言うんだけどね」
「……あなたもいい性格してるわね」
皮肉を口にする円花に、梨子はけらけらと笑い返す。
「嫌うっていう感情は、よくそういう目で見られるから分かるらしいけど、愛情は『理解できない』って。おかげで進也はおばさまとよく喧嘩してたね」
「……そんなの普通じゃないの? 私たち子供なんだし、大人みたいな愛情とかは分かったりできないわよ」
「うーん、そういうのとは違うみたいなんだけどなあ」
ドラマや映画のような物語を見せた時、男女の恋愛模様に関して心の機微など問わず「要するに金か体目当てか」と極端な解釈をしたり、親子の情愛などを題材した時には、完全に見る気を無くしてテレビまで破壊していった。
進也の反応は、愛情というものから、自ら遠ざかるような姿勢ばかりだった。単に苦手だったり嫌ったりしている以上の心持ちだったように思う。
「恋愛をしたことないから、幼稚だってだけじゃないの?」
「どうなのかな? 子供だっていう点は確かにそうだけど」
進也の周りに女っ気があったかどうかを考えると、梨子の記憶にはあまりない。
それでも時々、物好きな女子が怖いもの見たさに進也と付き合おうとするのを目撃したことはある。最長でも一日も保たないのだが。
「遊びに連れ回されると大抵幻滅するみたいだね。まあ自分勝手に楽しもうとするから当たり前だけど。ちなみに進也の感想は『あいつつまんねえ』で終わってる」
「ただの最低な奴じゃないの」
「やだなあ、始めからそうだって知ってるだろう?」
円花の言葉に、梨子は全面的に同意する。梨子からすれば、その最低な奴に、色々と付属の感想がくっついているだけの話でもある。
「ちなみに円花は恋の経験って?」
「な、何、急に?」
「いや、流れで。嫌なら無理には聞かないさ」
「う、うーん……そうね」
ためらいつつも、円花は律儀に考え込んでいる。断らない辺りが、何とも彼女らしい。
「子供の頃は、年上の男性に憧れとか、恋心みたいなものは持ったわね」
「ほほう。では初恋は?」
「……小学校の時の体育の先生ね。運動できる姿が格好良くてなんとなく、ってくらいだったけど」
「ふむふむ。告白とかはしなかったの?」
「ぐいぐい来るわね……本気だとは受け取ってもらえなかったわよ。まあ小学生だしね」
「成功はしなかったんだ?」
「それはそうよ。成功したら先生が逮捕されちゃうわよ」
「……ああ、うん。ソウダネ」
梨子は鹿沼の問題が頭をよぎり、微妙な返事をする。
「じゃあ、今は?」
「今は……大して考えてないかしら。自分のやりたいことや皐月のことを優先してるし。……ああ、ただ」
「ただ?」
「クラスの女の子の友達や、後輩の女の子からは好きと言われることが増えたわね……」
若干複雑な様子で円花は言った。
「うん? いいじゃないか。実際、円花はモテると思うし。何ともうらやましい」
「正直、対応に困るんだけどね。好意はありがたいけど、付き合えるわけじゃないから」
「え、どうして? 付き合えばいいじゃないか?」
「……いや、同性なんだから無理でしょう」
「え? ……あ、あー……うん、そうか」
梨子はついうっかり自分の感覚で話していたことに気が付く。
どうやら円花の中で恋愛は異性同士のものと認識されているようだ。
(いやまあ、それが普通。普通なんだろうけどね)
面と向かって自分が否定されたわけでもないのだが、梨子としてはどことなく腑に落ちない感覚が付きまとう。
とはいえ、言及したくもされたくもないので、誤魔化して話を続ける。
「ええと、じゃあ円花も恋愛事にはあまり興味ないってこと?」
「そうね……天杉と同じとは言い難いけど。時間を作りづらいってのが大きいし。好きな男性が出来たら変わるのかもしれないけどね」
「好きな人が出来たら、そっちを優先するってこと?」
「だと思う。私からはあんまり言えないけど、恋愛って相手のことばかり考えるものでしょう?」
「ふむ……確かにね」
梨子は昔のことや両親のことを思い返す。自分が患った好きという感情も、両親の好きという感情も、常に相手の方へベクトルが向いていた。相手が視界に存在すれば必ず収め、心の内では考え続ける。
人によってどの程度差があるのかは分からないが、好きになる、恋をする、とはそういうことだ。
「で、梨子は?」
「え?」
「聞いてきたんだから、私も同じだけ梨子から聞く権利があるでしょう」
「え、あー、いや」
曖昧に笑って逃れようとするが、円花に手をつかまれる。
「あのあのあの、円花さん?」
梨子は非常に悩ましい気持ちにさせられる。状況が状況だけに、変にどぎまぎしてしまう。
「いーから、白状しなさい。こっちだけ言わせるとかダメよ」
「やー……ははは、一応告白したことはあるよ、うん。……振られたけど」
円花の動きが止まる。気遣うように見ながら梨子から手を離す。
「ごめん、あんまり聞いちゃいけないことだった?」
「そこまで気にしないよ。昔のことだし」
「そう? ……相手は誰だったの? 多分、天杉じゃないわよね?」
「幼馴染だよ。今はもう別の学校だけど」
疎遠になって以降は、幼馴染と連絡を取っていない。あれほど好きだと思っていたのは事実なのに、今はもう、そういうこともあったと記憶の上でしか見られなくなっている。
「そう、月並みだけど、梨子を振るなんて見る目がな……見る目……うーん」
円花は梨子を慮るように見るが、なぜか歯切れが悪い。
「……円花、その反応はどういう意味さ? さすがに怒るよ?」
「いやその、ごめん。だって梨子と付き合うのって大変そうなんだもの」
ずけりと言い放たれた言葉に、梨子はそこそこショックを受ける。
「円花まで進也みたいなこと言わないでくれ。ボクは面倒な女じゃないよ」
「そう……? 私が見た限りじゃ、あなただいぶ変わり者よ?」
「うぐっ」
ついに恐れていた一言が突き刺さった。面倒だとかそんな話より何層倍もする衝撃を梨子は受ける。
「そ、そうだよね……ボク、変わり者だよね……ははは」
「あー、いや……本当に面倒な」
虚ろになりそうなほど落ち込む梨子の肩を、円花が叩いてくる。
「別に私は構わないから。あなたから見たら、私だって変わっているかもしれないし、そんなに気にしないわよ」
「ほ、本当に? ボクは変わってない?」
「ええ、大丈夫。……面倒だとは思うけど」
「そ、そう、良かった……」
梨子はほっとする。ひどいことを言われている気もするが、些細な話だ。昔ほどショックの大きさはないが、それでも奇異に見られる視線は耐え難い。
「……こう見るとあいつ、意外と付き合いがいいのね」
「え? 何か言った?」
「いえ、別に。ずっとそういう感じだったのなら、あなたが天杉と友達だって言うのも、まあ分からなくはないわね」
「うんうん、そうだろう、そうだろう」
「……何でそこで自慢げなのかしら」
呆れ果てた様子で円花がぼやいているが、梨子は気にしなかった。
(……やっぱり進也へのこの気持ちは、間違ってる、はずだ)
改めて梨子は自分の感情を見つめ直す。
良くも悪くも『姫口梨子』としてしか、進也は梨子を見てこない。梨子自身も、同じ目線で進也を見てきたつもりだ。
(ボクが進也を好きだと感じてるのは、神剣のせいだ。ボクは、進也の隣に立ちたいわけじゃない。そこに、ボク以外の誰かが立っていても、きっと構わない)
考える度に胸のどこかがちくちくと痛む気がする。だがこれは正しいからであって、受けて当然の痛みのはずだ。
(だからボクはこの思いを否定する。変わる必要なんてない。今まで通りでいい)
梨子は自分を納得させようとする。
一方で脳裏によぎるのは、巨人との戦いの時の光景だ。
地面からぼろぼろのまま助け出され、それでもなおひとりで立つ進也。近くにいたにもかかわらず、何も成せなかった無力感。自分だけが置いていかれたような気持ち。
あれをもう一度味わいたくはない。
力の差が分かっているのなら、せめて覚悟と決意だけでは友と同じでありたい。
(周りをうまく使え、か。立場的に、梅里先輩に使われる側なわけだけど)
具体的に知恵や力を絞るとなると得意分野ではない。梨子は自分の平凡さをよく知っている。
となると、頼れる相手を探すしかないわけだが、今の部隊の中では誰がいるだろうか。梨子は視線を巡らす。
(円花は当然として、梅里先輩に、柊先輩。部隊に含めていいのか分からないけど、今はノアさんと、戦いはともかくカメーリアさんも?)
梨子は部隊を眺めながら検討する。
無論、神剣を持つ生徒たちも戦力で言えば含まれるが、梨子が頼れる相手、特に精神的にとなると、候補から外れる。
ひとりでどうにかしたいという思いとは裏腹に、誰かを頼りにしなければ戦えない、というのは情けない話でもある。それでも。
(頑張ろう)
立ち向かう勇気を持つ。進也のように、円花のように、あの時の鹿沼のように。梨子は胸中で静かに決意を固めた。