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転移直後1

 瞼の裏が明滅する。重く、水の底からゆっくりと浮上するような感覚に襲われる。

 覚えがある。気を失った後はたいがいこういう場面を見る。進也はまだ上下の感覚もおぼつかない状態で身をよじり、起き上がろうとする。覚醒する直前のことに慣れている人間というのは世の中にそう多くはいないだろう。


「くっ……」


 目を開ける。地面と、金網のフェンスが視界に映る。


(立ち眩み? 貧血? 違う)


 大きく息を吐く。なぜ倒れていたのか、理由を当てようとして、しかしそのどちらも否定する。

 気絶する前に見た光景。爆発的な光に包まれたあの瞬間、どこかに引きずり込まれるような、押し流されるような身体の浮遊感があった。絶叫マシンどころではない高速の移送に耐え切れず、意識を手放したのだ。


「……どこだよ、ここは」


 立ち上がって辺りを見回す。正面には、渇きひびの入った大地が広がっている。左方には同じような土が峰となって続き、山岳を形成している。

 まったく見覚えのない場所だ。学区の面影など存在しない。一体どうなっているのか。

 右側はかすかな緑が遠方に見える。森だろうか。だがそれを確かめる前に、別の物が目に入った。

 花壇のそばの地面に、横たわる梨子と鹿沼と七海がいた。三人共、気絶してまだ目を覚ましていなかった。

 正直言って、進也は混乱していた。だが眼前の寝ている連中を見て、何も考えずにできること――とにかく起こす、という選択に走った。


「おい梨子、起きろ」


 近付いて、真っ先に梨子の肩を揺らす。


「う……ん?」


 梨子は気怠げに呻きを漏らす。どうやら幸い死んではいないようだ。


「……進也?」

「起きたか。じゃあ七海を起こせ」

「ふえ? え、え? 待って、何?」


 起きたての梨子には現状、困惑必至だろうが、進也は強引に言い聞かせる。


「いいから起こせ」

「う、うん」


 梨子は素直にうなずき七海へ呼びかける。

 進也も鹿沼を起こしにかかる。華奢な鹿沼にとって進也の腕力で揺さぶられるのは若干乱暴だろうが、構ってはいられない。


「……う、ん」


 ぼんやりと浮ついた表情で鹿沼が目を覚ます。


「……天杉、くん……?」


 進也はすぐに手を離し、立ち上がる。


「何……何が起きたの……?」


 七海も頭を押さえながら起き上がる。ひとまず全員無事のようだ。


「ちょっと、何よここ……」

「え? 山?」

「ね、ねえ、進也?」

「聞くな」


 梨子が恐る恐るといった様子で尋ねてくるが、進也は冷たく切り捨てた。


「ちょっと、どうなってるの!? 天杉、あんた一体何したわけ!?」

「聞くなっつってんだろ、バカ女。俺が知るか」

「学校の周りじゃない……どこなの、ここ?」

「外国? いや、ひょっとして立体映像、とかだったりしない?」


 鹿沼と梨子が必死に思い当たる可能性を探ろうとする。だが進也はどちらも違うと確信していた。勘だけではない。空気の匂い。風がさらってくる砂ぼこり。起き上がるときにつかんだ地面の感触。ただのハリボテや映像では差など出ない。空だけは変わり映えしておらず、一面の青の中に太陽と雲の姿がある。気絶する前に見たはずの光の痕跡はどこにもなかった。


「あ、そうだ、スマホ!」


 梨子が叫んで端末を起動する。だがすぐにその表情が愕然としたものへ変わる。


「嘘……通じない?」

「こっちもよ」

「わ、私も……」


 進也も念のため取り出す。電源は入るが、電波は圏外だ。どうやら本格的に妙な事態へ陥っているらしい。


「おい、とにかく中へ戻るぞ」

「で、でも」

「ここで考えてたってしょうがねえだろ。多分、校舎に誰かいるはずだ。そいつらにも話聞きゃわかる」

「う、うん」

「……まあ、そうね。皐月、行こう――」

「……円花ちゃん」


 鹿沼が遠くを見つめながら呟いた。


「あれ、何?」


 震える指先がそれを差し示す。四人はもう一度、呆気に取られる羽目になった。

 視界に映ったのは、二足で立っている、緑色の肌の生き物だった。人型に近いが、網目模様のようなまだらな節が身体全体に浮き出ており、ゲームに出てくる化け物さながらの醜悪さを見せつけている。

 怪物は四人のことをじっと見てくる。その目は白一色で、どこか昆虫めいた無機質さを感じさせた。

 あれは一体なんだ。疑問だけが頭を支配し、身体を凍り付かせる。

 その硬直は、怪物がこちらへ向け駆け出してくることで破られた。


「――走れっ!」


 進也は女子たちへ言い放つ。あれが何かは分からない。分からないが、近付かせてはいけない脅威だということだけは分かる。

 すぐさま梨子が駆け出し、七海が鹿沼の手を引いて走り始める。だが鹿沼は思考が追い付いていないのか、足をもつれさせ転ぶ。七海が支えようとするが、その間にも怪物がどんどん距離を詰めてくる。

 梨子が足を止め、鹿沼たちを助けようと戻る。進也も鹿沼たちをかばうように前へ立つ。

 ガシャン、と音を立てて怪物が金網のフェンスに取り付く。頑丈なはずの金属の線材がいとも簡単にその手で千切れ破られていく。


「ガアアアアッ!」

「ひっ」

「皐月、立って、早く!」


 怪物に威嚇され、鹿沼はいよいよ恐慌しそうになる。七海がそれを必死に叱咤する。

 進也は、花壇の近くに転がっていた石を拾い、金網のスキマを狙って思い切り投げつける。直接蹴りを入れるのと迷ったが、それだとフェンスごと倒れかねなかった。

 石は過たずに怪物の頭を穿った。一瞬怯んで、怪物がフェンスから離れる。


「ボサっとすんな!」


 進也が息巻くと、梨子が七海と反対側から鹿沼を支えに入る。

 三人が走り出す。同じくして怪物が持ち直す。今度は完全にフェンスを破り中へ入ってきた。

 瞬間、進也は遠慮なく拳を怪物の顔面に叩き込む。ぬるついた皮膚の感触が伝わってきた。インパクトが弱い。滑るせいでベストの位置から逸れた。

 だが石をぶつけた時と同様、押し返すのには十分だったのか、怪物はよろめいて背中をフェンスにぶつける。


(弱い……のか?)


 手応えは良くないが、進也の力でも怯ませるには足りている。未知の生き物であるから、脅威と恐怖を割り増しに感じているだけということだろうか。

 再び怪物が向かってくる。進也は胴を狙って蹴りを入れた。拳と同じように真芯からはズレるが、顔より当て所が大きいため、威力を殺し切られずにめり込んだ。

 怪物が地面へ倒れる。時間稼ぎとしては問題ない。女子たちが校舎へ戻ればひとまず――


「進也!」


 梨子の切迫した声が届く。


「こっちにも!」


 進也は振り向いた。梨子たちの進行方向にもう一匹、同じ怪物の姿があった。フェンスの向こう側にいるのも同じだが、それが無意味な防壁であることは既に分かっていた。

 舌打ちして進也は梨子たちの元へ向かおうとする。


「ガアアッ!」

(! ヤベッ――)


 目を離した隙を突いて、蹴り倒した方の怪物が起き上がり、ラリアットのように怪腕を振るってきた。

 進也はガードしようとする。だがここでなまじ喧嘩慣れしていることが裏目に出た。肘を構えて相手の腕への防御とダメージを両立させようとする。しかし怪物の力はそんな進也の思惑をあっさり越えてきた。

 衝撃。進也の身体は横に吹き飛ばされ、校舎の壁へと叩きつけられた。


「がっ――!?」


 背中、肩、腰に、一瞬遅れてやってくる激痛と鈍痛。ガードしたはずなのに、無意味に感じるほどの怪力だ。先ほどまでとまるで違う。

 見れば怪物の体つきが一回り盛り上がっている。そしてその体の周りを、淡い光が覆っている。

 さっきまでのは、遊びか様子見か。だが考える余裕はない。


(立っ――)


 そこで進也は愕然とする。地面に手を突こうとした瞬間、感触の違和感に気付いて腕を見る。左腕が折れている。肘から先が、ねじくれたおもちゃのように曲がっている。怪物の攻撃をガードした部分だ。明らかに使い物にならなくなっている。


「ガアアアッ!」


 右手で立ち上がろうとするよりも早く、怪物の無慈悲な追撃が来た。今度は腹部に拳がめり込んだ。背後は壁で、どこにも衝撃を逃がしようがない。


「ごっ!」


 自分でも聞いたことのないような声が口から漏れた。腹の中で何かが破裂する感触があった。胃から喉元へ、鉄錆びの味と嘔吐感がせり上がる。進也はこらえ切れずに吐き出す。口も鼻も問わずにあふれた血が、びちゃびちゃと音を立てて地面へと零れた。

 痛みはとっくに臨界を突破している。頭に伝わっているのは、命の危機を警告する、金属の弾けるような甲高い音だけ。指先ひとつさえ動かすのがままならない。


(死、ぬ――)


 怪物が進也に止めを刺そうと振りかぶる。もう一発もらえば確実に息絶えることは分かっている。それでいながらどこか他人事のように怪物の動きを見ている自分がいる。

 女子たちの叫び声が遠鳴りのように響いた気がした。だがどうにもならない。何もできない。動けない。命の火が消える。

 怪物の大きな手が、進也の視界を覆うように差し迫り――


「愛しているのよ」


 いつかの光景。

 不快な記憶。

 心の隅にさえ仕舞い置くことができなかった憎悪の根源。


「どうして見てくれないの?」


 手が迫る。

 母親が覆いかぶさる。

 裸のまま、幼い自分を包み捕らえようとする。


「クズめ」


 父の罵倒。

 濁った無機質な眼。

 関心さえ持たずに去っていく後ろ姿。


 何もできない自分。

 ただの子供だから。

 両親を繋ぎ止めることも、初めから壊れていることさえ悟ることができず、ただ必死に二人の思い通りになろうとして――


(――っざっけんな!)


 消えかけた意識に火がともる。命の底から、感情がふつふつとマグマのように沸き上がってくる。

 誰が思い通りになどなってやるか。何もできない弱い自分でいてたまるか。

 どいつもこいつも気に食わない。お前たちが自分を思い通りにしようとするのなら、それをすべて壊して、食い破って、叩き潰してやる。

 急速に意識が引き戻される。走馬灯のような光景から一転、怪物の攻撃が迫る現実へと立ち返る。


(ぶっ――潰す!)


 激情が熱となり、拳を突き動かす。瀕死の今の状態では恐らく何の抵抗にもならない。だがそんなことは関係ない。進也は絶望的な死へ向けて全力で抗う。怪物の手と進也の拳がぶつかり合う。

 手応えがあった。手の平に固い金属の感触。いつの間にか、見覚えのない 白い剣が進也の手に握られていた。

 向けた拳は怪物と拮抗している。先ほどまでの怪力と同じとは思えないほど押してくる力が軽い。否、こちらの力が増している。

 状況は分からない。だがやることはひとつだ。灯った意志の火が進也を立ち上がらせ、呼応した剣が主の熱を刀身に伝えて一層白く輝き始める。


「ど――けえっ!」


 熱気が吹き荒れる。直接進也に触れている怪物へ太陽にも等しい熱量が注ぎ込まれる。逃れる隙さえ与えず一瞬で怪物を消し炭にした。

 煙が上がる。怪物の身体は、彫刻のように立った姿勢をしばらく保っていたが、やがてバランスを崩し、どさりと倒れ伏した。


(勝った? 倒した?)


 はあはあ、と大きく息を吐く。あまりの出来事に現実感が湧かない。ひょっとしてまだ動くのではないかと警戒する。

 剣先で死体をつつく。焼き尽くされた身体はただの灰と化しており、触れた個所がさらりと粉になって崩れた。それと共に剣が淡く輝く。進也の目には、怪物の灰が発光し、その光が剣に取り込まれたように映った。


(なんなんだ……この怪物も、この剣も)


 助かりはしたが、疑問は尽きない。そもそも自分たちがどこにいるのかということも含めて。自分たちが――


「!」


 状況を思い出し、慌てて振り向く。まだもう一匹怪物はいる。梨子たちはどうなったのか。

 見れば女子たちの姿は三人とも健在だった。そして、驚くことに彼女たちの手にも、進也と同じような白い剣が握られている。

 怪物の攻撃が迫る。狙われたのは鹿沼だ。進也の位置から見ても分かるくらい鹿沼は震え、攻撃も防御も、何の対応もできそうにない。

 七海が割り込んで鹿沼の攻撃を剣で受ける。軽い衝撃はあったようだが、剣を持つ前の進也のように吹き飛ばされることは無かった。

 七海が受けている間に側面から梨子が斬りかかる。梨子は確か政に日本刀の扱い方を教わっていたことがあった。持っているのは西洋剣で、平静を欠いているのも合わせてか、多少不格好な斬りつけ方になったが、怪物の身体はバッサリと袈裟掛けに断ち斬られた。


「うええ……」


 梨子が気色悪そうに呻く。進也は目を離さないように呼び掛けようと考えるが、既に怪物は絶命したらしく、前のめりに倒れて動かなくなった。そして先ほど進也が倒した時と同様、怪物から出た淡い光が梨子の剣に吸収された。


「し、死んでる……よね、うん」

「助かったの……? 皐月、大丈夫?」

「う、うん」


 死体を確認する三人の方へ進也は近付く。


「無事みてーだな」

「あ、進――ぎゃあ! 何!? ちょ、ちょっとどうしたの!?」


 振り向いた梨子があまり乙女らしくない叫びを上げて驚く。進也は自分が血塗れになっていることを思い出した。


「ああ、おもくそぶん殴られた」


 言いながら進也は腹部を軽く叩く。


「な、殴られたって……」


 七海も目を丸くする。鹿沼に至っては言葉すら出ずに青い顔をしている。フェンスを千切る段階でも、およそ常識外れの腕力だ。それに殴られたことを想像すれば驚くのも無理はない。


「大丈夫なの!? ていうか、安静にしなよ!? なんで立ってるの!」

「いや、別に痛くねーし」

「バカなこと言ってないで座る! 怪我見せて!」


 いつになく心配した様子で梨子がまくし立てる。さらに断る間もなく勝手に制服のシャツをまくり上げる。


「……あ、あれ? 怪我は?」


 ぺたぺたと無遠慮に触ってくる梨子だが、怪我の跡はどこにもない。へこみどころか腫れすらなく、触れた個所に激痛が走ることもない。

 進也がつと左腕を見ると、そちらも元の正常な形に戻っている。ねじくれていた関節は真っ直ぐに伸び、拳を握りこむこともできる。


「治ってんな」

「ど、どうなってるの……?」

「なんなの……まるでゲームか何かみたい……」


 七海が感想を零すが、それが正解であるとは彼女自身も思っていないだろう。少なくとも、内臓を破裂させるまで殴ってくるアトラクションなど、現代には存在しない。


「うわあああ!?」

「何アレ!?」

「ぎゃああああ!?」


 考え込みかけた四人の耳に、悲鳴交じりの声が届く。校内からだ。


「ちょ、ちょっとまさか」


 七海が校舎を仰ぐ。想像したくも無いが、何が起きているのか、この状況では否が応でも察せられる。


「もしかして、中にも……?」

「そ、そんな……!?」


 梨子と鹿沼が悲嘆して震える。自分たちは偶々助かったが、校内の生徒までそうだとは限らない。


「助けに――っ」


 七海が駆け出そうとするが、そうなると鹿沼も必然的に連れて行くことになる。七海の顔に逡巡がよぎり、足が止まる。

 進也は剣を校舎の窓に突き刺した。普通なら多少叩いた程度ではびくともしないが、熱の通った刀身はあっさりとガラスを砕き割る。穴の空いた箇所から手を入れ鍵を解錠すると、進也は窓を開けて中へ入り込んだ。怪物の入り込む余地も増えてしまうが、どのみちあの力では窓を破られるのは目に見えている。


「進也、どうするの?」


 梨子が呼びかけてくる。どうするか。そんなことは簡単だ。


「決まってんだろ」


 まだ火は収まっていない。燃え続けている。怪物たちは校内の生徒を蹂躙しようと騒ぎ出している。こちらを思い通りにしようと蠢いている。ならばやることはひとつだけだ。


「ぶっ潰す」

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