接触20
檎台が昼食を取る場所を探して校内をうろついていると、珍しい顔を見かけた。
「おや、兜川先生」
「ご、檎台……!?」
憔悴しきった兜川光の姿だった。
初日に生徒を囮にして逃げたという話を暴露され、完全に学生たちの信用を失った教師である。
「貴様あ、檎台……! よくのこのこと……貴様のせいで私は」
「大変そうですね。無理もないか。生徒からは、ずいぶん不評を買ってるみたいですし」
「何で私だけが! お前だって同じ目に遭うべきだろうが!」
詰め寄る兜川へ、檎台はまあまあと抑えにかかる。
「あ、そうだ兜川先生。生徒からもらったんですけど、良かったらこれ、差し上げましょうか」
言って檎台は兜川へパンを差し出す。生徒が隠し持っていたものを、一緒に労働していた時に運よく譲り受けたものだ。
「いるか! 嫌味のつもりか!?」
「あれ、いいんですか? 遠慮しないでいいのに。僕、うぐいすパン苦手なんで。まあ、いらないなら捨てちゃうか」
「っ、よこせっ!」
追い詰められている様子の兜川は、檎台が捨てる素振りを見せるとあっさり意見を覆してパンを奪い取り、その場でむさぼり始める。
ほとんど強盗だが、檎台は気にもせず話を続ける。
「いやあ、良かった。兜川先生、あまり食事も喉を通っていないでしょう? お役に立てて幸いでした」
「こんなもので買収したつもりか」
「とんでもない。心配しているだけですよ。今の立場はお辛いでしょうし」
「貴様が余計なことを言わなければこんな目に遭わずに済んでいるんだぞ!」
「どうですかね。今までの生活を見ても分かる通り、生徒たちが指揮を取ったのは正しい判断ですよ。神剣ってのはすさまじい力だし、僕らの手に無い以上、こうして下につくことは変わらなかったと思いますけど」
檎台は冷静に現状を見極めた感想を、兜川へと伝える。
仮に誰か教師の手に神剣が渡っていれば話は別だったが、恐らくそれでも生徒たちの立場を重視しない形にはならなかっただろう。何しろ人数は生徒の方がずっと上なのだ。
「それで子供に尻尾を振って飼われているわけか。お前みたいな半端な教師にとってはさぞ気分がいいだろうな!」
「……前から思っていたんですけど、皆さん教師なのに子供のことを嫌いすぎじゃないですか? 彼らがひどい事をしている場面なんて、こっちの世界でもあっちの世界でも、そんなにありました?」
「知らんだけだ! こっちが何か言えばすぐ揚げ足を取る、失態を犯せばクラス中、学校中に広める。それどころか、今じゃネットを使って学校外にまで言い触らす! 文句を付ければまたそれを逆手にとってこっちを悪者扱い、親まで使ってクレームだ! まともにこっちを敬う気もないくせに、言うことだけは一丁前! 挙句の果てに、授業がつまんないのは先生の能力が足りないから? 邪魔をしているのはお前たちだろうが!」
檎台もこれには閉口する。
兜川は四十代で、檎台よりも教師を務めてきた期間は長い。ならばひどい生徒というのも、あながち架空のものではないのだろう。兜川本人の人格がこじれているので、どこまで信じていいのかは分からないが。
「お前も何年も続ければ分かるようになる。物の道理の分からん子供ばかりいるんだ。そんなものいちいち全部面倒を見ていられるか」
「はあ。そうですか。僕にとっては子供って、愛らしいものですけどねえ」
檎台の言葉は、普通の人間の言う愛らしいとは違う意味合いではあるが、当然兜川には通じるはずもなく、忌々しげに鼻を鳴らされた。
「そうだ、兜川先生。そんなに困っておいでなら、他の人に相談されてみてはどうですか?」
「相談だと? バカバカしい。何の意味がある。大体、誰が私の話を聞くというんだ」
「そうですねえ。同じ教師の小手毬先生とか」
「あんな新米に何ができる。お前と同じで、単なる役立たずだ」
「生徒に人気があるし、味方になってもらう方がいいと思うんですが。まあそれなら、生徒会長の紅峰さんはどうですか」
「はあ? 貴様はバカか? よりにもよって生徒たちを仕切ってる親玉だろうが!? ふざけているのか!?」
「問題ないと思いますよ。生徒に白い目で見られてたまらないから何とかしてくれって言えば、無碍にはしないでしょう。彼女、何せ全員助けてくれるつもりなわけですから」
「結局頭を下げろってことだろうが! そんな真似ができるか!」
「うーん、そうですか」
ここまでワガママだとさすがに檎台も手を焼く。
別段、目的があって兜川の相談に乗っているわけでもないので、放置してもいいのだが、せっかくなので面白いことになって欲しいと思い、案を出す。
「そうですねえ、なら後は新しく来たあのノアって女の子に聞いてみるのは?」
「ノア? 誰だ、それは?」
「あれ、ご存じありませんでした? 初めてこの世界の人間に会ったって話」
「……ああ、あれか。名前まで聞いてはおらん」
「そうでしたか。今、生徒たちの話題はそればっかりです。うまく取り入ることが出来れば、立場を変えられるかもしれませんよ?」
檎台が言うと、兜川は懐疑的に見ては来るものの、興味は湧いたようだ。充血した目にわずかに光が宿っている。
「……何故私にそんな話をする? 何のつもりなんだ?」
憔悴して判断が鈍っているとはいえ、兜川も一足飛びには食い付いてこない。
檎台は中身のない笑顔を浮かべたまま、兜川へ告げる。
「同僚として、後輩教師として、兜川先生の立場を心配しているからですよ。まあ打算もありますけどね」
「ふん、やっぱりか。お前の話など信用ならん」
「別に大それたことを考えているわけじゃありませんよ? 立場が面倒だ、っていうのは僕も同じなので。何とかしようと思っているんです」
「お前もだと?」
「いやあ、ほら。この世界へ来てからまだ短いですけど、ここって娯楽がないでしょう? けっこう息が詰まってきてまして」
檎台は半ば本音を交えながら言った。
遊び相手はいくらでもいるのだが、なかなか状況がそれを許してくれない。
檎台の真意を理解していない兜川は、再び鼻を鳴らす。
「ふん、それこそ生徒に相談すればいいだろう。私の知ったことじゃない」
「ええ、でも周りの目もありますから。大人で教師、そういう人間が率先して遊びたい、と言っても許される環境ではないですし」
「……確かにそうだが」
「せっかくこの世界の、しかも別の土地の人間が来たのなら、うまくその国に行けないものかと考えまして。どうです、面白そうでしょう?」
檎台の前で、兜川が考え込み始める。
無理もない。上手くいけば、生徒たちにあれこれ煩わされることのない生活へと辿り着ける。
「……悪い話ではないな」
「でしょう? とはいえ、肝心のノアさんに近づくのは僕らには無理でしょうけどね。生徒がみんな群がってますから」
「だったら意味がないじゃないか!」
「だから赤峰さんに相談するんですよ。どうせ彼ら、ノアさんの国の視察に向かうはずですから。さっきの肩身が狭い話も一緒にすれば、同行させてもらえるかもしれませんよ?」
兜川はもう一度思案し始める。
檎台は頃合いだと思い、話を打ち切る。
「まあ考えに入れておいてください。それじゃ」
兜川の肩を叩いて通り過ぎる。疑問や結論を出す暇は与えなかった。
もし兜川がどうしても立場を変えたいなら紅峰に相談するだろうし、そうでないなら現状のままだ。あるいは、この話を檎台の企みとして言い触らす可能性もあった。
どれでも面白そうだと檎台は思っている。上手くいけばそれでいいし、言い触らされても大した痛手はない。
懸念としては、他の土地に辿り着いたとして生活していけるのかどうかだが、これもノアたちを利用すれば不自由はしないだろう。基盤を築くまでの間、厄介になれば済む話だ。
「せんせえー」
「うん?」
わざとらしく甘えたような声がかかる。
檎台が遊び相手にしている女子生徒のひとりが手招きしていた。
「ああ、君か。調子はどう?」
「んー、まあまあかな。でも最近、男子がうるさいんだあ」
「うるさいって? 何かあったの?」
「何つーか、飢えてるってゆーか、やたらカレシ面してくんの、多いんだよね。単に仕事褒めてるだけなのに」
「なるほど。でも君みたいに可愛い子に応援されたらそりゃ、男はみんな惚れるさ。僕だってそうだし」
「やだあ、先生悪い大人だあ」
「そりゃそうさ。大人の方が悪い遊びを色々覚えているからね。ちゃんと教えているだろう?」
「あははは、せんせえ下品、やらしー」
大して実りのない雑談に檎台は愛想よく答える。
この手の少女は、あっさり他人に関係をバラす程度には明け透けだったりもするが、檎台は気に留めていない。
今までバレたことはないし、これからもそうだろうし、もしバレても気にはしない。遊びとはそういうものだ。
「ねえ、それよりさあ、今日はどう?」
「うん? んー……」
珍しく女子生徒の方から誘われる。先の雑談と合わせて考えれば、周りの男子への応対が相当ストレスになっているのだろう。
あまり邪険にもしたくないが、さすがに他の人間の目に付く可能性が高すぎる。
「いや、やめといた方がいいだろう。この間も、他の生徒のカップルが見つかって罰を与えられたって言うし」
「ええー」
「怖い子が多いからね。なんなら風穴開けられるか、肌を焼かれるか……君をそんな目に遭わせたくないし」
「ちぇ、うっざいなあ、あいつら。すぐルールがどうのって言ってくるし。こないだまで一緒だったくせに、あんな剣一本でやたらイキって来るようになったしさ。こっちの気持ちが全然分かってないんだよね」
「彼らも彼らで頑張っているのさ。悪く言うものじゃないよ。生活が落ち着けばまた遊べるようになるさ」
「……なるのかなあ」
女子生徒の呟きは、この学校の人間が抱えている核心を突く物でもあった。
ここが平穏になるかどうか、元の世界に帰る手掛かりがつかめるかどうか、どちらも見通しの立たない展望だ。
「大丈夫だよ。僕らが何とかしなくても、彼らがやってくれるさ」
「ふうん。せんせえは?」
「僕はほどほどに頑張るよ。何せ一般人だから、荒事は他に任せる」
「うわあ、ダメ人間だ」
「生きていただけでも運がいいと思わないといけないからね。さ、君も仕事に戻った方がいい。サボるとまた文句を言われるよ」
「はあーい……」
渋々といった様子で女子生徒が離れていく。
その後ろ姿を見届けながら、檎台は考え込む。
神剣使いの生徒たちに期待しているのは確かだ。
実際、この何もない荒野だった場所を、生徒全員が生きていけるような拠点へと作り変えていっている。
(しかし、女神ダフニとやらは、何をやらせたいのかな。いまいち見えてこない)
檎台は歩きながら女神の考察を試みる。
スタートからして女神の行動には疑問が多い。
まず人数が多い。多すぎる。
配られた神剣に対して、生徒たちの数はその何倍にもなる。はっきり言ってもっと絞った方がいいはずだ。
神剣についてもおかしい。強大な効果がある一方で、ほとんど異能を発揮しないものもある。そのくせ、貴重品でもないのか、七十七本も配っている。 どうせ配るなら、生徒全員でもいいはずだ。使い手が複数いて問題ないなら、全員を使い手にする方が理に適う。
そして転移した場所も問題だ。神剣の能力で上手く行く見込みがあったとしても、下手をすれば全滅しかねない土地である。もしそうなっていれば、せっかく異世界から人間を呼び込んだ意味がなくなってしまう。
何よりここには魔王とやらに関しての手掛かりがない。目的が魔王を倒させることなら、せめて導きになるようなものが必要だ。人間がいるとか資料があるとかの備えが無ければ、生徒たちは目的そのものを喪失しかねない。
考えれば考えるほど、大雑把に過ぎるし、あるいは一貫性がなかった。
(……ひょっとして、ただ遊んでいるだけだったりして)
檎台は、女神の行動を、つい自分と同じように捉えてしまう。
子供相手に性的に遊んでいる檎台と、神剣を与えて子供を弄んでいる女神。構図としては似ていなくもない。
とはいえ、行動原理も何も分からない相手のことを推測だけで量るのは無理がある。実物が目の前に現れれば別だが、まずない話だろう。
「おや?」
ぶらぶらと巡り歩いていると、檎台は気になる人物を見つけた。
無論、女神ではない。校舎の裏手の方に、一年の生徒が数名、何やら集まっていた。檎台は知らないが、護をいじめていたグループの生徒達だ。
彼らがいる場所は特に仕事場というわけでもないエリアである。サボりにでも来たのだろうかと思い、檎台は窓から顔を出して声をかける。
「君たち、何してるの?」
「へっ? うわ、先生っ!?」
「いや、別に、何でもっ」
「息抜きかい?」
「あ、それはその、違うって」
「そうか、ならいいけど。見つからないうちに戻りなよ。内緒にしておくから」
「あ、は、はい。どうも」
挨拶もそこそこに、生徒たちは校舎裏から去っていく。
檎台は彼らがいた場所に目を向ける。妙な物が残っているのを見つけた。
「……ははあ。イタズラの相談か」
この状況下でなかなかえげつないことを画策しているようだ。
確かに兜川の言うことが少し分かる気がした。もっとも、自分が標的ではなさそうなのでどうでもいいが。
人間というのは何とも逞しい。こんな環境でも足を引っ張り合うことを考えられるのだから。
檎台は自分のことを棚に上げて感心しつつ、その場を後にした。