接触18
尻の痛みに顔をしかめながら、進也は廊下をモップで磨く。
桂木の狙撃からようやく解放され、掃除を再開しているところである。
「あの女、全く加減しやがらねえ。鬼かよ」
「桂木先輩も、進也に言われたくはないと思うけど」
窓を雑巾で拭いている梨子が言う。
熊崎の方は逃げる最中に別方向へ分かれたため、この場にはいない。
「はっ、お前はいいよな。いち早く逃げやがって。お前らしい卑劣な能力だこと」
剣の能力で隠れてひとり被害から逃れた梨子へ、進也は恨み言をぶつける。
「そういう言い方はやめてよ。ボクだって好きでこんな能力になったわけじゃないよ」
不満げに反論する梨子に対し、進也は軽い調子で言葉を重ねる。
「いや、俺の推測じゃ多分、剣の能力は本人と関連がある。熊崎が水ってのはイメージと合うし、鹿沼の方も他人に奉仕するような能力とか、そのまんまだ。つまり梨子の能力が卑劣なのも、本人が悪い」
適当に思い付いただけの話を並べ立て、強引に梨子が悪い結論へと持って行こうとする。
要は痛む尻の愚痴である。
「何それ。前提が推測な時点で破綻してるよ。証明になってない。ボクは卑劣じゃありません」
「知らぬは本人ばかりなり、ってやつだろ。日頃、散々俺の陰に隠れて悪事働いてる一面が出たってことだ、ははは」
ここ最近、こちらをいじり倒してくる梨子への意趣返しも兼ねて、進也は笑い飛ばした。
「……ボクは進也の陰に隠れてなんかないよ。大体イメージがどうのって言ったら、進也の能力なんか、周りに迷惑かけている姿そのものじゃないか」
梨子の言葉はおとなしかった。
いつもの飄々とした軽薄さはなく、しかし反論だけはしっかりとする。
「そりゃ火なんて扱い方間違えりゃ、大事故になるのは当たり前だろ。代わりに最前線で、最大限に敵をぶっ潰してるんだ。貢献度で言えば、余裕でおつりが来る。つまり問題ない」
「勝手だね。それじゃみんなから嫌われるよ」
「今さらだぜ。向こうの世界だろうとこっちの世界だろうと、俺が今までやってきたのは、全部俺のため、俺が好きにやっただけ。それで誰がどう思おうが、知ったこっちゃねえな」
肩をすくめて進也は嘯く。
周りに深い関心を抱いていないのは事実だ。
自分にとって面白い相手か、利益のある相手か。
他人を見る基準など、せいぜいその程度のものだ。
進也の話を聞いて、梨子がため息を大きく吐いた。
「そう。じゃあボクが心配したのも無駄だったってことだね」
「心配? お前が? 誰を?」
進也は梨子の方を見る。
窓を拭いている梨子は、こちらへ背中を向けたままだ。
「別に。誰だっていいだろう」
無関心な振りをして梨子は言う。
だがあの場で梨子が心配をする対象など、進也以外にいない。
「何だ、つまり俺が死にかけたのを見てビビったのか」
「進也だなんて言ってない。円花とか、熊崎くんとか、他の人とか」
「何で今の言い方でそいつらの話になるんだ。誤魔化し方が下手すぎるだろ。……さてはあれか。ひとりだけ活躍せずに眺めてたのが気に入らねえんだろ」
図星を差されたのか、梨子が勢いよく振り向いた。
「っ、ボクだってちゃんとやってたよ。熊崎くんを起こしに行ったし……あとは、進也の」
「言われたことやってるだけじゃねーか。まあ、お前はしょせん小市民ってことだ。俺みたいな『本物』には敵わないってことだな、うははは」
進也はひと通り言い渡してから、わざと背中を見せ、掃除に戻ったふりをする。
梨子のことだから雑巾を投げつけでもして、また喧嘩、とも言い難いいつもの応酬が始まるだろうと思った。
ぽとりと梨子が雑巾を落としたのが気配で伝わった。
違和感を覚えて、進也は振り向いた。
「……あ?」
進也は呆気に取られた。
梨子の目には涙がたまっている。
だが顔が見られたのは一瞬だった。
梨子はふいと顔を逸らして走り去ってしまう。
「おい!」
呼び止めるも、間に合わずに梨子はどこかへ行ってしまった。
「……なんだ、ありゃ」
突然の出来事に進也も戸惑う。
とはいえ珍しいことではない。
今までの付き合いでもたまに梨子が機嫌を損ねることはあった。完全にへそを曲げて進也と距離を取ったこともある。
最終的には今の立ち位置に戻っているのだが。
また梨子に限らず、女性というものが周期的に不機嫌になるものだと、進也は学んでいる。
(まあいいか)
進也は放っておくことにした。
構うのが面倒でもあるし、今回もどうせそのうち元に戻るだろうと楽観していた。
なまじ理解しているつもりでいることと、他人の抱く好悪の感情への無関心さが生んだすれ違いだった。