転移前学校3
進也は校舎裏へとやってきた。
日頃、誰も目を向けないような敷地の隅に並ぶ花壇。鹿沼皐月はその場所で、静かにうつむいて立ち尽くしていた。
嫌悪感をあらわにしながら、進也は鹿沼のそばに近づく。
「……あ。天杉、くん」
こちらに気付いた鹿沼が怯えたような目で見てきた。鹿沼は自分自身をかばうように、片手で首元を押さえ、もう片手でその手首をつかんでいる。
周りに他の人間はいない。ちっ、と盛大に舌打ちしながら進也は鹿沼を睨みつける。
「何の用だ?」
「……その、ごめんなさい。また今夜……」
苛立ちが募る。そもそもここに来る前から呼び出しの意味は分かっている。問いかけは形式だけの物で、腹立たしさをぶつけるための代わりでもある。
進也は校舎の壁に拳を叩きつける。鈍い音を立てて壁面にひびが入った。鹿沼の怯えが増した。
「場所は?」
端的に問う。手間を省きたいから、というのもあるが、鹿沼と必要以上の会話をする気になれなかった。チャットアプリで済ませれば顔も合わせずに済むが、ログに残ってしまう。それは避けたい。
「前と同じ、です……」
か細い声で鹿沼が答えた。「ああ、そうかよ」と、進也は吐き捨てるように言った。
進也は踵を返す。たったこれだけのために足を運ばされたかと思うとまた腹が立つ。だが会話はそれで終わらなかった
「あ、の……天杉君」
追いすがるように鹿沼が声をかけてきた。
「ああ?」
虫の居所が悪いせいで、今時チンピラでも滅多にしないような意気がった声を出して、進也は振り向いた。
「その……写真は……」
その言葉を口にされ、進也は苛立ちが最高潮に達した。鹿沼に近づいてその襟首を思い切りつかみ上げる。
「っ!」
「……お前、いい加減にしろよ? 立場分かってんのか?」
ぎりぎりと制服の布が握りしめられて悲鳴を上げる。立ち昇る進也の怒気に当てられて、鹿沼は怯え交じりに喘いだ。
「ご、ごめ、なさ……っ!」
謝罪を口にされたところで腹の虫は収まらなかったが、進也は手を離して解放した。鹿沼はその場に座り込み、苦しげに咳き込んだ。
「ごめん……なさい……」
鹿沼は肩を小刻みに振るわせてもう一度謝ってきた。
華奢で、儚げで、一人では立てないのではないか、と思うほどの弱弱しさ。それが進也にはこの上なく腹立たしい。自分が最も気に食わないものを、まざまざと見せつけられているようで。
「何してるの!」
背後から女の声がかかる。梨子の声ではなかった。
こちらが振り向くより先に、鹿沼のそばへと声の人物が割り込んできた。長い髪を後ろで団子にくくった女生徒。見覚えはない、気がする。
「皐月、大丈夫?」
「あ、円花ちゃん……」
女生徒が鹿沼へ気遣うように声をかける。
鹿沼が呼び返した名前から、進也はかろうじて女生徒のことに思い当たった。
(確か鹿沼とべったりの女か。ええっと……七海、だっけ?)
七海は、鹿沼の首元――先ほど進也が襟首を締めた辺り――が赤くなっているのに気付き、こちらをきつく睨みつけてくる。
「あんた、天杉……皐月に何したのよ!」
「……何で俺の名前知ってんだ?」
七海とは接点が無い。進也は返答より先に、思わずその疑問を口にした。
「学校一のクズ男の名前なんか知ってるに決まってるでしょ!」
「あー、そりゃそうか。……にしても学校一? そんな暴れてたか、俺?」
「どうだっていいでしょ、そんなこと! それより、皐月に何したかって聞いてるのよ!」
七海がギラギラと怒りを込めた目付きでこちらを見てくる。先ほど自分が鹿沼に向けて睨んでいた時の焼き直しのようだ。こちらを知ってなお突っかかってくる度胸といい、進也はつい愉快になって吹き出しそうになった。
「何笑ってんのよ、ふざけないで!」
「ふざけてねえよ。何したかって、そりゃ――」
「やめて!」
鹿沼が唐突に叫んだ。七海は戸惑った様子で鹿沼を見る。
「円花ちゃん、やめて、お願い……天杉くんは、何も」
「皐月。平気よ。天杉が何か脅してても、私が守ってあげるから」
「ち、が、円花ちゃ――」
鹿沼が言い切る前に七海がこちらを見据えてくる。
進也は二人に冷ややかな目線を送る。
(こいつも、鹿沼と同じただのバカか)
進也はさっさと帰ろうとした。七海の気概と義侠心は面白くはあるが、それだけだ。相手にする必要性を感じない。
「どこ行くのよ、この卑怯者!」
七海が罵倒して引き止めようとしてくるが、進也は無視した。
校舎裏から抜けようと歩いていく。だがこちらへ歩み寄ってくる者を見つけ、足を止めた。
「おーい、進也。……あれ?」
やってきたのは梨子だった。進也の後方に視線を向けて、少し戸惑ったように言う。
「なんだい、修羅場かい?」
「寝ぼけたこと言ってると、その口縫い合わすぞ」
「ひどいね。人が心配して見に来てあげたのに」
「野次馬しに来た、の間違いだろ」
いつもの調子で応酬すると、梨子は進也の横を通り過ぎて七海たちへ近づく。
「大丈夫? メンタルブレイクしたとか、トラウマになったりしてないかい?」
あまりに雰囲気の違う呼びかけに、七海たちは一瞬ぽかんとした表情を浮かべる。だがすぐ七海が反論する。
「っ、大丈夫なわけないでしょ! ひどい目に遭わされたのよ、皐月は!」
「そうなのか。それはすまなかったね、迷惑をかけた。ほら、進也。君も謝りなよ」
梨子が慣れた様子で受け答え、進也の方を向く。
「アホらし。帰るわ」
梨子ごと置き去りにして進也は再び歩き出す。
「シーンヤ、ちょっと――」
「待ちなさいよ! 何勝手なこと言ってるの! このまま帰っていいわけないでしょ!?」
「あ、進也はそういうのいいって思うタイプだから言っても無駄だよ」
七海の言葉に、梨子の場違いな指摘がなされる。
当の進也はそのやり取りを雑音として受け流し、すたすたと歩みを進める。
「あなたあいつの友達なんでしょ!? だったら止めなさいよ!」
「そうしたいところだけど、彼女を慰める方が先だと思うし」
校舎の角まで来たところで、進也は横目に女子たちを見る。七海と、何故か梨子が一緒に鹿沼を気遣っている。肝心の鹿沼は、相変わらずうつむいたまま、弁明もできない。
(くだらねえ)
胸中で吐き捨てるように呟く。問題を解決する姿勢が何ひとつ見出せない。鹿沼には自分から関わったわけだが、そのきっかけとなった出来事よりも、鹿沼自体の方が気に食わなくなりそうだった。
「――と」
目眩がする。頭に血でも昇りすぎたかと一瞬思うが、違う。影がやたらと伸び、動いている。差し込む日の光が、白に近いほど強くなっている。
「え、何?」
「空が――」
女子たちの声。進也も空を仰ぐ。
大きな光体が空に浮かんでいる。太陽ではない。巨大すぎるし、距離が近すぎる。
光体は幾何学的な文様の形をした光の帯を長く伸ばし、学校の周りを取り囲んでいる。光が光を呼び、更に明滅して辺りを染め上げていく。
進也の勘が告げている。あれは何かやばいものだ、全力で避けるべきだ。
思うと同時に足が反射的に光帯の輪の外へと向かう。だが目前を金網のフェンスが邪魔をしている。飛び越えて脱出を――。
横目に、空を眺める三人の姿が映った。進也と違って、状況に混乱したまま動けないでいる。
置いていく? 見捨てる?
答えを出し切るより先に、進也たちは校舎ごと光に包まれ、その場から消失した。