接触11
逆走した先で皐月の目に映ったのは桂木とノアの姿だ。
二人は光の衣と狙撃を駆使して巨人の注意を一心に引き続けている。
遠くからでも響いてくる振動は、近付くほどこちらに影響を与えるようになり、立っていることさえ難しい。そんな状況の中でも、桂木とノアは器用に立ち回り、戦線を維持している。
一方で何度も転びかける皐月は、自分を叱咤しながら、さらに巨人へ――正確にはその先に倒れている天杉の元へと接近する。
『っ、バカモノ! 下がれ!』
こちらに気付いたノアが、激怒の表情で叱責する。
分かっている。しかし止まらない。止まれない。
普段の皐月ならば怯んでためらった。だがことここに至って自分を遮れる者など、巨人でさえも能わない。
桂木の方は前と同じ冷めた目だ。皐月に何か期待など、きっと懸けていない。それでも妨害や罵倒は飛んで来ず、変わらぬ立ち回りで戦闘を続けている。
走る皐月の身体に淡い光が覆う。ノアの剣の能力だ。土砂の一撃で剥がされた鎧が再び皐月の身にもまとわれる。
感謝で振り向きたい衝動を、ぎゅっと堪えて走り続ける。今成すべきことは、節度を発揮することではない。礼など後でいくらでも述べればいい。
一心不乱に駆け続ける。まだ足りない。衝動だけでは届かない。
目前には、先の巨体二体と巨人の作った破壊の跡が無数に存在する。それらを迂回し、どこに天杉がいるか、正確に見つけなければならない。遠目でおおよその位置が分かっているとはいえ、間近に迫ればまるで印象が違う。一体どこに埋まっているか、迷いなく探し出さねばならない。
走る走る。知恵を駆使し、閃きに頼るような真似はできなかった。地形さえ刻一刻と変わる戦場で、足を止めて考える暇などない。愚直に天杉がいるはずの壊れた地面を探していく。
唐突に、地面へ大きな影が下りる。皐月は空を仰ぐ。巨人の拳がこちらを向いている。
偶々なのか、こちらの狙いに気付いたのか。どちらであっても同じことだった。皐月は咄嗟に壊れた地面とは逆の方、巨人のいる側へと駆け出す。
もしもこのまま殴らせた場合、天杉がどれかの場所に埋まっていれば、もう一度彼の元へ拳を振り下ろさせかねない。自分が危険であってもこれが最良と信じ、皐月は恐怖を踏み越えるように巨人の方へ走り行く。
拳が放たれる。皐月の予想よりも遥かに速い。当たる直前に身を投げ出してかわそうとする。だが届かない。かすっただけで肉塊になりそうな巨拳が皐月に当たる――直前、軌道が逸れた。
地面が爆散する。衝撃と風圧で皐月の軽い身体は投げ出された。
ぜえぜえと息を吐いて地面に手を付く。鎧のおかげで傷はない。だが一度足を止めてしまったせいで疲労がどっと来る。
皐月は唇を噛み切る勢いで歯を食いしばり、即座に立つ。止まっていれば死ぬ。二撃目に捕まる前に、意地だけで皐月はもう一度走り出す。
拳が逸れたのは多分、桂木の仕業だ。また助けられている。何度も何度も、自分ひとりでは無理だと思い知らされる。その度に、だからこそ止まっていられないと、自分の足を突き動かす。
いた。見つけた。地面奥深くまで撃ち込まれたはずの場所に、なおまだあがこうとするように、突き出された腕がある。
ここから引っ張り出しても、無残な死骸があるだけかもしれない。悪い予感が皐月を迷わせるように囁く。だが皐月は誘惑を振り捨てて天杉の手をつかむ。
引っ張り出そうと力を込めたその瞬間、冷然と巨大な影が差す。
皐月は振り向いてしまう。腕を構える巨人が見えた。
死ぬ。自分が避けても天杉が死ぬ。回避しようのない絶望が迫る。
頭が悟っていても皐月は剣を握り締める。ほんのわずかでも生き延びさせられるのなら、天杉の身を守る。悲愴な決意を打ち砕くように拳が飛来し。
「皐月――!」
叫ぶ声が割り込んだ。皐月のもっとも見知った人物の声だ。
横合いから飛び出した円花が、巨人の腕へと神剣を叩きつける。ただの刃ではない。嵐のような豪風をまとっており、熊崎の水流に勝るとも劣らぬ威力で巨腕を弾き返す。パリングのように思い切り腕を逸らされ、巨人は自分の質量によって大きくバランスを崩した。
「円花、ちゃ」
「早く! 引っ張り出して!」
頷いて天杉の手を引っ張る。感情がぐしゃぐしゃになりそうだった。この気持ちを何と言い表したらいいか、もはや皐月には分からなかった。
力を込めて引き上げる。しかし埋まった身体は簡単には出てこない。神剣で向上している筋力でも、一筋縄ではいかない。
焦る。早くしなければもう一度攻撃が来る。そうなったら全滅だ。だが気持ちとは裏腹に、天杉の身体はまだ持ち上がらない。
不意に手応えが軽くなる。もうひとつ、手を引っ張り上げる手がある。
「進也……!」
姫口が横にいた。いつから――考えを振り捨てる。とにかく天杉を助けるのが先決だった。
二人分の力が加わり、上半身が抜け出る。円花も剣を油断なく構えながら片手を伸ばし、さらに力が加わった。
そして遂に地面から引き抜くことに成功する。天杉の身体はどこもボロボロで、片足に至っては完全に潰れている。にもかかわらず片手には神剣を握り締め続けており、わずかに胸が上下していた。生きている。
「進也、進也……!」
「泣いてる場合じゃない! 早く――」
涙を流しながら天杉に縋り付く姫口へ、円花が叱咤する。
だがそこへ三度影が下りる。
全員が息を呑む。担いで走る、横へ飛ぶ、拳だけならそれでいい。だが構えているのは土砂だ。避けようもない広範囲の攻撃である。
土と岩と砂が降り注ぐ。円花が風で拡散したものの、熊崎の時と同様、完全には相殺し切れない。皐月たちはあえなく吹き飛ばされる。
もうもうと砂煙が上がる中、皐月は地面に手を付いて身を起こし、他の皆の無事を確かめる。
全員生きてはいる。円花は剣を杖に立ち上がろうとしている。自分と円花はノアの鎧が届いていたからか、無傷で済んでいる。
天杉も無事だ。あの土砂の中をどうやって、と思うが、答えはすぐわかった。姫口がかばっていた。彼女は天杉のすぐそばに倒れていた。
剣の能力で隠密していた姫口には、恐らくノアの鎧が届いていなかったのだ。背中がべったりと血に染まっていた。
足が動かない。疲労の極みだ。
巨人がこちらを向く。打倒できない敵、越えられない絶望、その象徴。
だからと言って諦めてたまるか。最初の襲撃の時、学友たちは機会さえ与えられずにこの世を去った。それに比べれば自分はまだ動く。指一本でも瞼一枚でも、この震える心でさえも動いている。最後の最後まで諦めない。
神剣を握り締め、巨人をきっと睨みつける。役に立たなくてもいい。何の意味も無くても構わない。だからどうか。
祈りにも似た思いで皐月は剣の魔力を解き放つ。