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自縛の檻

 三日が過ぎた。

 空き教室に幾人かの生徒が寝かされている。怪我や持病、精神的疲労などで運ばれてきた者たちだ。

 怪我人の方は軽症者が多い。初日の襲撃で、逃げる途中に転んで足を捻ったり、ガラスで肌を切った者などが経過を診られている。自力で動くこともできるため、具合を診終わったあとは、他の生徒の助けを得て退出している。

 持病の者や精神的疲労の大きい者たちは、布を敷いただけの床に寝そべり、あるいはうずくまって過ごしている。喋れる者もいるが、ほとんどは無気力に顔を伏せ、動かないままだ。

 鹿沼皐月は、教師の小手毬優子と共に病人たちの世話をしていた。

もっとも、積極的に動いているのは小手毬の方だ。彼女は生徒たちの怪我や病状、メンタルの具合を直接診ている。

 皐月の役割は主に小手毬の手伝いで、水や食事の配給、包帯や当て布の交換、痛み止めの配布など、言われたことだけを現状なんとかこなしている。

 本来、皐月にこのような役割はない。熊崎の班を始めとして、神剣使いにここまでの雑事が回って来ることはない。

 同じ学校の生徒が、自力で起き上がることすら困難な状態に陥っているのを目の当たりにし、何かしなくては、という思いは皐月にも生まれていた。だが同時に、自分に一体何の力になれるのだろう、と躊躇する気持ちもあった。

 そんな中、学友同士ではうまく触れられない悩みや病状へ介入し解決する小手毬の姿を見た。皐月にとってその姿は、すごいな、という感動はあったものの、手伝いに志願する勇気などはとてもなかった。

 そのはずが、いつの間にかこうして入り浸るようになった。病状の悪化した生徒を助けるために、たまたま居合わせていた皐月も手伝いに巻き込まれたのだ。

 あまりにも目まぐるしかったため、何が起きていたのかはよく覚えていない。たくさん失敗をした気もする。迷惑をかけた気もする。だが生徒は何とか持ち直し、小手毬にこう言われた。


「ありがとう、おかげで助かりました」


 気が付いた時、皐月はまたここに来ていた。持ち直した生徒の経過が気になったというのもあるし、小手毬や他の学友たちに、こうした裏方の仕事を押し付けているのがいたたまれなくなったから、というのもある。

 無論、もともと要領の悪い皐月にとって、細かな気配りと注意力が必要な医療行為というのは不得意な分野に当てはまる。結果としてミスを起こし、かえって仕事を増やすこともあった。

 だがその度に、小手毬は皐月へ丁寧に改善の仕方を教えてくれる。患者を診るだけでも大変なはずなのに、どこから気力が湧いてくるのか不思議だった。彼女の姿を目にするごとに、また自分もこの場所へ引き寄せられていた。

 皐月の剣の能力も、多少の役には立った。怪我や病気に直接影響があるわけではないが、身体の強化がそのまま抵抗力の向上に繋がる。ちなみにどうも肉体強化を施すわけではなく、魔力を譲渡する効果であり、結果として身体が強化する、という工程のようだ。

 患者たちへ食事を配り終えたところで小手毬が声をかけてくる。


「鹿沼さん、あなたももう休憩してきていいですよ」

「え? でも、まだ他の教室の人が」


 皐月は思わず聞き返した。病棟として使っているのはこの教室だけではない。感染症の危険や集団ヒステリーを起こす可能性もあるし、何と言っても異世界の未知の病原菌がいないとも限らない。ひとつの場所にだけ患者を集めておくわけにはいかないと、いくつかの教室を使用している。


「そちらは私だけで大丈夫ですよ。あなたたちは、遠征の方があるでしょう? ここへの手伝いは嬉しいけど、そろそろ訓練の方に本腰を入れないと」

「は、はい……」


 指摘され、皐月はうつむきがちに答えた。遠征というのは怪物の巣の討伐のことである。紅峰から事前に通達があり、熊崎の部隊は討伐に加わることが決定していた。

 皐月も当然怪物との戦闘に赴くこととなる。小手毬としては、患者たちのことに関わらせるより、遠征の準備を怠らないようにしてもらいたいのだろう。


「不安ですか?」

「…………」


 素直に頷くことができず、皐月は唇をぎゅっと閉じる。


「大丈夫。無事に生きて帰る、そのためにみんなは訓練をしているんですから。鹿沼さんも、自分のことを一番に考えてください」

「……は、はい」

「……なんて、子供たちに色んなことを任せてしまっている私たち大人が言えた話じゃないですけど」


 小手毬が困ったようにはにかんだ。皐月は慌てて首を振る。


「そ、そんなことはないです。小手毬先生は、立派な先生です。他の先生たちと違って……」

「ありがとうございます。……でも他の先生たちを悪く言うのはやめてあげてくださいね。あの人たちも、死にたくなかっただけで、悪い人はいないと思うから」

「……は、い」


 優しく諭してくる小手毬に、違う、と口にしたかった。だがそれはできなかった。小手毬は皐月の事情など知らないのだ。


「失礼します」


 深く頭を下げて教室を出る。

 患者たちの食事と共に自分の夕食は取ってきた。どこで食べるか、ひとりで食べるか、と歩きながら考えたところで、親友のことを気にかける。


(円花ちゃん、帰ってきてるかな?)


 夜まで探索するのは自殺行為だと厳命されているため、探索部隊は今のところ日暮れまでには戻ってきている。皐月の方が小手毬の手伝いで時間が遅れることはあるが、異世界に来てからも円花と二人で食事をとるのは変わっていない。

 最近では、新しく友達になったという姫口の話題が多い。イールドに来た直後、天杉と共に自分たちを助けてくれたひとりだ。姫口のことを楽しそうに話す円花を見て、自分も友達になれたらいいなと密かに思っている。

 円花の元を目指し、茜色に染まる廊下を若干早足に通り過ぎようとして――


「――やあ。ひとりかい、鹿沼」


 全身が凍り付いたように動かなくなった。小手毬とはまた違う、いかにも優しげな声で近付いてくる人物がいた。


「久しぶり、というほどでもないか。……ああ、今から食事に向かう所かい。いつも通り七海と一緒にかな? 仲が良くて何よりだよ」


 檎台相司は皐月の手に持つ食事を眺めながら、世間話のように語った。夕暮れに照らされる檎台の顔は、どこにも敵意がうかがえず、ただの冴えない青年にしか見えない。

 震えが止まらない。手足が縫い付けられたように固まっている。息を吸うのにさえ苦しみを伴う。


「そう喜ばなくてもいいとも。別に君に会いに来たわけじゃなくて、通りがかっただけだ」


 いかにも無垢な振りをしながら、だが歪んだ感覚の混じった言葉で檎台は話しかけてくる。


「……嘘」


 皐月には信じられない。この人の言うことには真実など感じない。文字通り煙に巻くようにつかみどころがない。心には響いてこない。


「そんな言い方をされるのは悲しいな。僕らの間にはあんなに愛し合った深い絆があるというのに」


 檎台が一歩近づく。嫌悪感というものを、そのまま塗りたくられたような感覚が皐月を襲う。自分の身体をかばうように抱き、皐月は一歩後ずさる。


「怯えなくてもいい。君にひとつ伝えておこうと思ってね。残念なんだが……しばらく君との時間は取らないことにする」

「……え?」


 予想外の言葉だった。檎台は、皐月にとってはおぞましさしかない内容の話を、やはり何でもないかのように振る舞いながら告げてくる。


「この状況だろう? 僕も無駄飯食らいをしているわけにはいかないし、場所にしろ時間にしろ、なかなか自由が利かない。ただでさえ先生たちの肩身は狭いし……非常に残念だが、落ち着くまでなしに決めた」


 皐月は驚いたが、同時にわずかに緊張がほどける。酷い目に遭うことはなくなる。それがこの男から明言された。


「……そう、ですか」

「いやあ、本当に残念だよ。僕が見て来た中では、君が一番愛らしいのに。ちょうど異世界風に例えるなら、そう、妖精のように素晴らしい」


 愛情が通い合う間柄なら多少は耳触りの良さそうな言葉も、ひたすら忌避感だけを呼び起こす。皐月は一刻も早く檎台に立ち去ってもらいたかった。


「……ところで話は変わるけど、鹿沼。君、最近誰かお友達を増やしたかい?」

「……え?」


 またも予想にない言葉をかけられ、皐月は戸惑った。


「こっちの世界に来る直前から、写真への話題の振り方が変わっていた。『返して欲しい』じゃなくて、『どこにあるか』って」


 心臓が跳ね上がる。背筋を冷たいものが伝った。

 否定を、しなければ。震える唇で言葉を紡ごうとし、しかしそれより早く檎台が口を開く。


「ああ、やっぱり誰か知っているのか。……七海じゃないな。もっと接点のない誰か……同性でもない、男子か」

「っ、なんで……っ!」


 言ってから、皐月はしまったと思った。これでは白状したようなものだ。

 檎台はまるで動揺せずに皐月を見て、口を開く。


「何でって、他人のことなんて見れば分かるよ」


 檎台は、それがごく当たり前のことだという風に、むしろわからないのかと皐月に尋ねるようですらあった。

 戦慄するしかなかった。何故そんな真似ができるのか分からなかった。皐月からすれば檎台の存在は正体不明の怪人でしかないのに、檎台からすれば皐月は意図さえ見透かされる哀れな獲物に過ぎない。


「何人か心当たりはあるが……まあいいや。僕は事を荒立てる気もないし、わざわざ追及するのはよそう。……そうだ、鹿沼」

「な……なん、ですか」

「君からも言っておいてくれないかな。お互い、今は時間を使うなら有効なところに使おう、って。君をしばらく自由にするんだから、条件としては問題ないだろう」


 何とも身勝手な言い分だった。皐月の意志などどこにも介在していない。

 もし承諾しても立場が変わるわけではない。皐月は返事などせずにやり過ごそうとし――


「親友にはバレたくないだろう?」


 甘い毒のような囁き。頷く。頷かざるを得ない。


「……はい」


 皐月の反応を見て檎台も満足げに頷いてみせる。


「うん、向こうもこの状況じゃ、君のことに時間を使っている場合じゃないだろう。わざわざ君の話を聞いてくれるような相手だ。きっと他の皆のためになることもしているはずだし、邪魔をしてはいけないよ」


 ぎくりとする。その言葉は、ある意味皐月の核心を突いていた。

 皐月は天杉がどうして自分を助けてくれるのか、全く知らないのだ。

 あの人の手を、自分へ煩わさせるべきだろうか。誰もが困窮しているこの状態の中で、そんなことが許されるのだろうか。ここから抜け出す勇気さえない自分なんかのために。


「皐月ー……あ、またこっちにいたの? 先生も?」


 円花の姿が廊下の向こうからやってきた。


「! 円花、ちゃ――」

「お、七海か。鹿沼を呼びに来たのかい?」


 親友へ何と声をかけていいかもわからず、皐月はただ円花の名を呼ぶ。檎台はそんな皐月を尻目に、円花へ気さくに話しかけていた。


「ええ、そうです。先生は?」

「静かなところで食事をしようと思ったら鹿沼に会ってね。どこか知らないか聞いていたところだよ」


 取ってつけたような理由だが、内容はそれらしい。円花は不審とも思わず頷いている。


「そうなんですか。確かに皐月なら知ってそうですもんね。でもおひとりで食事ですか?」

「うん、ほら。あの一件でどうも肩身が狭いからね」

「まだそんなことを言っている人がいるんですか? 檎台先生は一番先に生徒の味方をしてくれたし、そんなに悪い点はないと思うんですけど」

「ありがたいことを言ってくれるけど、全員がそう思うわけじゃないからね。きちんと仕事をこなしてみんなの評価を改めるようにするよ」

「そうですか。きっとすぐに変わりますよ。……そうだ先生、どうせなら一緒に食べません? おひとりじゃ寂しいでしょう」

「っ!?」


 突拍子もない円花の発言に、皐月は天地がひっくり返ったような気分になる。さしもの引っ込み思案でも、何としてでも親友を止めなければという衝動に駆られる。


「あ、あの、ま」

「いやいや、いいよ。仲のいい席に割り込むのも気が引ける。せっかく静かなスポットも教えてもらったし、今日はそっちで食べるよ」

「……そうですか? 別に構わないのに。ねえ皐月?」


 こちらに振らないで欲しい。うんとも言えずに皐月は顔を逸らした。


「皐月? どうかした?」

「……ううん、大丈夫」

「きっと仕事疲れじゃないかな。二人とも無理はしないようにね。じゃあ僕は行くよ」

「あ、はい。それじゃ」


 檎台は終始調子の変わらぬまま、歩き去っていった。

 円花が振り向き声をかけてくる。


「じゃ、私たちも行こっか。どこで食べる?」

「えっと……どこでも」


 気のない返事になってしまったが、円花は嫌な顔ひとつ見せない。


「じゃあ体育館の方にしよう。私この後に訓練だし」

「う、うん」


 頷いて、二人で体育館へと歩いていく。

 思い出したくはないと思っても、檎台との会話を振り返ってしまう。恐ろしさと気色悪さで溶け崩れてしまいそうだった。




「他人のことなんざ見れば分かる」


 同じ台詞でも、全く違う意味を皐月にもたらしていた。

 天杉と出会った時のことを思い出す。

 話があると持ちかけられた。ただでさえ檎台とのことで他者に忌避感を持っていた時に、ひとりで会う気になどなれず、円花を呼ぼうとした。だが「檎台のことについて」と口にされ、従うしかなかった。

 どうしてわかったのか。そして言い返された。

 あとは、流れのまま事情を話した。何故、檎台と関係を持つようになったのか。

 夜の校舎。一足先に帰った円花。明日の課題を持ち帰り忘れて教室に戻る。偶然。声が聞こえ。行為にふける男女。顔見知りではない生徒と、教師。我を忘れて逃げる。見つかっていない。そのつもりだった。数日後、あの時の教師。目線が合う。


「――ああ、君か」


 次の日から呼び出しが始まった。檎台にとっては、絡めとるのは容易だったであろう。

 全て話したところで、天杉は興味なさげに「あっそ」と返した。

 どうするつもりなのか、天杉に問いかけた。彼は、全部ぶちまけて壊すつもりだと答えた。

 懇願した。すがりついた。お願いですからやめてくださいと、みっともなくまとわりついた。円花にだけはバレたくないから。


 自分は目立つようなことが苦手な子供だった。他人が欲しがるなら自分は手を挙げず、席を譲り、後ろに控える。自分自身を出そうとすることに、楽しみを見出すことができない人間だった。

 その気質がかえって目を付けられることもある。自己主張もできない暗い女がどうしてクラスの輪にいるのか。思い返せば無茶な理屈だが、加害したいだけの側にとっては、深い理由があるかないかなど関係ない。

 嫌がらせが始まる。だが長くは続かなかった。円花が自分を助けてくれたからだ。皐月はお前たちに何もしていないのに、どうして悪者になるのかと、クラスメイトたちに激しく詰め寄った。

 そんなことをして標的が変わるだけ――だが円花は常に真っ向から立ち向かい、ついには全員を説き伏せた。

 円花のおかげで自分は救われた。今の自分のままでいていいのだと、背中を支えてもらった。自分にとっては他に代わりのいない、最高の友達だ。


 だから円花にバレるのだけは耐えられない。絶対に嫌だ。

 天杉は目に見えて苛立ちを増し、皐月の愚かさを片っ端から指摘してきた。

 最後には皐月は顔をはたかれて引き剥がされ、その場に押し留めることも許されなくなった。それでも懇願した。お願いします、と。

 やがて天杉は、ひたすらに嫌悪のこもった目でこちらを見ながらも、皐月の頼みを聞いてくれた。どうにかすると、約束をしてくれた。


「……皐月?」


 円花が心配そうにこちらの顔をのぞき込んできていた。


「え、円花ちゃん、どうかした?」

「いや、何か様子がおかしいから」

「……ううん、大丈夫。少し疲れただけ」

「そう? あまり無理しないでね。怪我した子たちのことは気になるけど、あなたが倒れたら元も子もないんだから」

「うん、ありがとう」


 気を使ってくれる円花の優しさに、胸が痛む。

 体育館が見えてくる。あの人はいるだろうか。檎台の言葉は伝えるべきなのだろうか。どうすればいいのかわからないことばかりだ。

 こんな自分が、助けてもらえる理由などあるのだろうか。今も昔も、結局自分は、誰のためにもならないまま生きているというのに。

 だけど自力では抜け出せない。独りではどうにもならない。

 だから助けを期待してしまう。情けないただの幼子のように、自らの卑しさを嫌悪しながら、それでもわずかな希望を託し続けている。

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