異世界生活9
進也は配給の食事を持って、人の居ない教室へと入る。
「まったくお前は何考えてるんだ」
適当な席に着きながら、進也は梨子へ言った。机をテーブル代わりにして、食事を置いていく。
「うん? どの話かな? 君の後頭部を殴ったこと? 訓練を覗いていたこと? みんなに君の評価を聞いたこと?」
対面に座りながら梨子が聞き返してきた。そのままこちらと同じ机に配給の食事を置いていく。
「全部だ全部。まだ痛えし。てゆーか狭い」
「美少女を眺めながらの夕食なんて贅沢だねえ。嬉しいだろう?」
頬杖を突きながら梨子が堂々と言い放った。進也は人の居ないところを選んで良かったと心底思った。誰かに見られたら非常に面倒臭いことこの上ない。
「いい加減見飽きてんだよ」
「そうかい? でも美少女も嬉しいのも否定はしないね。そういう所は好きだよ」
「そりゃありがたくって涙が出るね。ついでに、静かに食事をさせてもらえると助かるんだがな」
「もちろん楽しい食事になるよう協力するとも。なんなら食べさせ合いでもする?」
「し・ず・か・に・し・ろ」
「つれないなあ。あ、サラダはもらうよ」
「やるって言ってねえよ!」
進也は文句を言いはしたが、結局サラダは取られた。
「ったく。……で?」
「うん? なんだい?」
「話はなんだよ」
「何のことだい? ボクは単に進也と食事をしに来ただけだよ?」
「わざわざ怒らせて引きずられるように仕向けただろ」
「……うーん。どうしてそうすぐ分かるのかな」
梨子が苦笑する。食事に誘うだけなら隠れて来る必要はない。誘い出すタイミングと口実を考えた結果、ああいう挑発になった。無論、梨子のことだから半分は本気で遊んでいたのだろうが。
「他人のことなんざ見りゃ分かる。大体、お前のことは見飽きてるって言ってんだろ」
「なるほど。それはつまり、あ」
「下らんこと言ったら裸にひん剥いて屋上から吊るすからな」
「ひどいことを考えるねえ。さすがにそんな目に遭うのは嫌だからやめておこう」
進也の物騒な脅迫にも、梨子は飄々とした態度を崩さずにいる。
サラダの具材をプラスチックのフォークでつつきながら梨子が告げてくる。
「円花――七海さんと友達になったよ」
進也は一瞬、誰のことか、となったが、すぐに思い出した。
「ああ、あのバカ女か」
「その呼び方はやめてあげなよ。彼女は友達思いだよ、本当に」
「へえ、そうかい。しかしよく近づけたな」
進也に悪印象を抱いている七海が、進也の友人を公言している梨子のことを快く受け入れるとは想像しがたい。
「いや、友達になる代わりに、ひとつ条件を飲んでね」
「条件? 毎月金払えとでも言われたのか?」
「友達料じゃないよ。進也が鹿沼さんを脅すのをやめさせてくれって頼まれた」
ありがちな条件ではある。進也は嘆息する。
「やっぱバカじゃねーか」
「それは仕方ないよ。円花から見たら進也が悪者なんだもの」
「どこから見ようが良いモンになった覚えはないが。それで律儀にわざわざやめさせに来たってのか」
「うん、そう。どう、やめない?」
「お断りだ」
進也は素っ気なく答えた。梨子にとっては予想通りの返答だろう。案の定、苦笑して見せている。
「ま、だろうと思った。でも一応伝えておかないとね」
「何言われようがやめる気はねえよ。そもそもお前も俺に賛成はしただろう」
「……まあね。少なくとも、あの先生を野放しにしておくべきだとは思わない。でも、実際どうなんだい? 解決できそうなのかい?」
梨子の問いかけに、進也は黙り込む。そのまま梨子が話を続ける。
「異世界まで来ちゃったからね。データを保管してる端末は元の世界の方だろうし、どう頑張っても、もう写真を奪うなんてできない。詰みじゃない?」
「……持ってるスマホかなんかにいくつかは入っているだろ。手軽に取り出せる状態じゃなきゃ、脅しのネタには使いづらい」
「でもそれも一部だろう? 全部取り上げられるわけじゃない。いや、最初からそうだろう? 少しでもどこかに複製するなりアップロードしてたら、取り戻しようなんてないよ」
「うるせえな。本当にそうかは確かめなきゃ分からんだろう」
「だから、どうやって?」
進也は再び黙り込む。答えなどない。上手くできる方法など、思い付いていない。元の世界にいたままなら、相手の家に忍び込む、あるいは遠隔から 端末にアクセスするなどして該当のデータを抜き出す、といった試みは可能だったかもしれない。だがそれももはやできない。
「鹿沼さんが先生に犯されている写真を、円花にバレずに取り戻すなんて無理だよ」
「黙ってろ!」
進也が怒号をぶつけると、梨子は無表情で押し黙った。
「……どこで聞かれるか分からんだろうが」
「……ごめん」
沈黙が下りる。無言の食事が続く。
前提からして無茶な話だ。梨子の指摘した通り、この問題は既に詰んでいる。今さらどう取り戻そうとしたところで、解決すれば周囲には確実にバレる。
それでも試みなければならない。鹿沼が要求しているからだ、円花にはバレたくないと。発覚すれば無二の親友を傷つけることになる。一番側にいたにも関わらず、この問題にずっと気付かず過ごしてきたと、七海に思い知らせることになる。
どこからどう見てもバカな考えだ。自分では何もできないくせに、都合のいい未来だけを欲して、ましてそれを人任せにするなど。
梨子が進也を見てくる。いたわるような視線だ。
「ねえ、進也――別にやめても」
「黙ってろ」
「……でも」
「お前、七海の奴とダチになったんじゃないのか? それで放っておいていいって? どの口が言うんだ」
「分かってるよ……ボクだってうまく解決できるならその方がいいに決まってる。円花は、ボクを変な目で見ない。本当に友達思いだ。今だって、また鹿沼さんの様子を見に行っている。心配だからって」
既に食べ終わり、空になった容器をいじりながら梨子は言った。
「でも進也が助ける必要は――」
「お前はいまだに俺のこと分かってねえのか? 俺は助けるつもりで動いてるわけじゃない。気に食わないから壊しに行くんだ。鹿沼がどうのってのは、ただのついでだ」
梨子はしばらく何か言いたげにじっと進也のことを見ていたが、ひとつため息を大きく吐くと、普段の表情に戻った。
「……知ってるよ。ああもう、何だろうね。普段、他人のことバカにしてるけど、やっぱり進也もバカなんだなあ」
悪い気分を払拭するように、梨子が笑いかけてくる。進也も、できるだけいつもの軽口に戻す。
「あんだとコラ。じゃ、お前はなんだよ。クソバカか」
「口が悪いなあ。ボクはほらあれ。途中で主人公チームを助ける、敵でも味方でもない謎の美形キャラ」
「どんだけ自己評価高いんだよ、おめーは」
「それはもう、百二十点くらい?」
「ああ、そうですか。まあ男受けはするな。出るとこも出てるし」
何の気なしに進也は言ったが、梨子はやたら過剰に反応して自分の胸をかばう。
「セクハラ! セクハラ罪! 賠償を請求します!」
「……急に何だよ。というか、セクハラ罪なんてものはない」
「五千万出すまでボクは口を利きません。そして毎日隠れて進也の髪を三センチずつ切ります。右側だけ」
「能力悪用した嫌がらせすんな! つか、金なんか要求しても使い道ねーだろ! あと地味に高えな!」
「じゃあ五千万相当の待遇を要求」
「待遇って、微妙に分かりづらいな。というか昔、『金積まれても股なんか開きません』とか言ってなかったか? いつからそんなに性悪になったんだ」
「間違いなく進也の影響だと思うけど。あとボクは股なんて言い方はしてないからね」
「細かいな。それと口を利かないって話はどこ行った」
「本日の受付は終了しました」
「勝手に終業するな。全員労働時間内だ」
梨子がわざとらしく顔を背ける。口の端が笑っているのにはこの際、突っ込まず、進也は言う。
「……どうせこっちは好きにやるだけだ。結果として誰に恨まれようが、俺にとってはどうでもいい」
「「気に食わないから潰すだけだ」」
声が重なる。してやったりという顔で、梨子がこちらを見ている。
「ま、それならボクは進也の力になるだけだよ」
「そりゃどーも。……と言ってもこの状況だ。向こうも、女遊びかましてる余裕はねーだろ。どこに誰の目があるか分かんねーしな」
「鹿沼さんはしばらく安全ってこと?」
「多分な。今は熊崎の部隊の一員でもあるし、下手に手出しすりゃ返り討ちに遭う」
「それはいいけど。その分、別の子が標的になるんじゃない?」
「そこまでは知らねえよ。いちいち全部面倒見切れるか」
「ふーん」
妙な間を置いて、梨子が尋ねてくる。
「……でも鹿沼さんのことは心配するんだね。何か彼女に、そんなにこだわりがあるの?」
「言っただろ。気に食わないからだと。他に理由なんかねえよ」
「ふーん」
梨子が空になった容器をまとめ始める。
解決策を増やすなら、協力してくれる相手を増やすのが一番いい。熊崎を始め、他の部隊のリーダーたちは、話を聞いてくれそうではある。
だがその場合、七海にバレるリスクも増してしまう。
それに進也も鹿沼の問題にばかりかまけているわけにはいかない。現状の生活をどう切り抜けていくか。そちらの方がよほど優先度は高い。
「にしても、面倒ばっか増えてる気がするな」
「そりゃそうだろう。だって進也だし」
「意味が分からん。あと言っとくが、お前が面倒事の代表だからな?」
進也は立ち上がり、食べ終わった後のゴミを抱えると、梨子と共に教室を後にした。




