我が身の裡に炎をともせ11
その戦いの様相は、さながら創世の神話と称しても差し支えなかった。
天地が裂け、迅雷が走り、嵐が吹き荒れ、流水が穿ち、瞬光が爆ぜ、重力が押し潰し、猛炎が飲み込む。
多頭の蛇が放つ砲魔によって大地は常に割れ、神剣使いたちは蹂躙されていく。
腕がちぎれ、足が吹き飛ぶ者もいた。体の半分を焼き焦がされる者もいた。
それでもなお、諦めずに立ち向かう。女神の力がいかに圧倒的であっても、死だけを回避し、巨体に挑み続ける。
皐月は、いまだ遠くに飛ばされたままの神剣を求めて走りながら、女神の変貌した肉体へ目を向けた。
『あの形態は、過剰な魔力を消費するための、いわば武装器官だ』
辺りの生徒に、神剣を通じてトウダイの念話が伝わる。皐月の耳にも届いた。
『武器であると同時に鎧にもなる。あの肉体をいくら斬り刻んでも無駄だ。核となる彼女の魂魄か、神剣へ一撃を加えなければならない』
「どうやって!?」
誰かが叫ぶ。言うのは簡単だが、行なうのは容易くない。当たるだけで致命傷の質量の上、天変地異のような砲撃にさらされながら、女神の魂魄や神剣を、巨体の中から探り当てて攻撃するなど、およそ現実的ではない。
『うむ……絶賛アイデアを募集中だ。場所が分かれば送り込むことは出来るから、何とか考えてくれ』
「なんだそれええええ!?」
「もうヤダー!」
限界寸前といった様子で生徒たちが喚き散らす。
そこへ無慈悲にも蛇の鎌首が一本、牙を剥く。皐月の時とは比べ物にならないほどの魔力が集まり、撃ち出されようとする。
危難を前にした皐月の手に、神剣が自ら舞い戻った。
考えるよりも先に切っ先を構えた。魔王の残り香、脆弱だが自分が打てる数少ない一手。
小さく、頼りない皐月の魔力はしかし、最大限威力を高めようと充填するダフニより早く放たれ着弾、蛇の首に衝撃を与える。
角度の変わった魔力が、生徒たちから逸れて爆散し、大地を揺らす。
ほっとする間もない。邪魔をされた女神が、ぎろりと皐月を睨んだ。
「小娘ぇ……! 魔王にまで成り果てたくせに、元に戻るなぞ、そんなデタラメが通用していいと思っているのか!? 貴様の行動に取り返しがつくと思っているのか!?」
「っ……」
「一度道を踏み外したのなら、最後まで堕ちろ! 弱者にはその結末こそが相応しい!」
精神的に揺さぶられ、逃れる隙を見失った皐月に、ダフニが首を伸ばして激突する。
鎌首ひとつであっても質量は遥かに皐月を上回る。かろうじて神剣を盾にすることは出来たものの、全身が砕けたかと錯覚するほどの衝撃を受ける。
「死ねっ!」
殺意と共に、するりと蛇が追突しにくる。
だがその首を、風が切り裂き、水の槍が縫い止める。
「させない!」
「お前の方こそ、こんな運命を押し付けるのが神のやることだと、本気で思っているのか!?」
円花と熊崎が吼えた。
起き上がれない皐月を、紅峰が迅速に拾い上げ、首から遠ざける。
「黙れ! 虫けらが神に逆らうな!」
蛇が蠢き、傷付いた端から復元する。そして円花と熊崎を薙ぎ払う。
更に止めと言わんばかりに、魔力を収束、砲撃を浴びせようとする。
熱が吹き荒れる。ダフニの首へ進也が攻撃を加え、食い止める。女神の巨大な肉体などものともせず、ありとあらゆる箇所を燃やし尽くそうと炎が走った。
「神ですらなかったテメエが! 人の生き方を決めるんじゃねえ!」
火が入る。
皐月は全力で神剣の能力を解き放った。
もっとも魔力のある場所、すなわち女神から魔力を奪い集め、それを全ての生徒へ分け与える。
傷付き、倒れていた者が再び立ち上がる。立ち向かい、戦う者たちが、さらなる力を上げて女神へ抵抗する。
そして、神剣が一斉に共鳴した。
どくん、とダフニの肉体の中心から、鳴動が伝わる。
そこには、最初に目の当たりにしたダフニの女性体と、更にその身の内に収まった神剣があった。あれが核だ。
『飛ば――』
「させるかっ!」
トウダイが道を作る前にダフニが全ての頭から砲魔を放つ。
星さえ割りかねないほどの威力と衝撃が、生徒たちを襲った。
自滅覚悟の砲撃は、既に皐月に奪われた分と合わせ、ダフニにも大幅な消耗を強いていたが、本体が無事であれば問題ではなかった。
爆煙の晴れていく中、ダフニは神剣使いたちの生死を確かめる。
生徒たちはしぶとくも健在だった。皐月の施した魔力譲渡の影響が大きい。
だがほとんどは、すぐには再生し切れない手傷を負っており、またそこにはトウダイも含まれていた。
ダフニはほくそ笑んだ。鼻持ちならない正義感の塊のような青年を、こうして自分の手で苦しめている。いい気味だ。
場違いな心の緩み、その間に、既に進也たちの行動は終わっていた。
「……重たっ……」
傷付いた桂木が、空へ構えていた神剣を、腕ごと下げた。
彼女の能力は、小さな物質を撃ち出す。ただそれだけだ。発展はない能力だと、彼女自身も思い込んでいた。
だが皐月の渡した魔力を受けて、今まで飛ばせなかった限界を超えた。
直感的にダフニが上空を見る。
同時、神速の槍と化して落下してきた紅峰が、ダフニの首のひとつを深々と抉った。
「なあっ!?」
ダフニの驚愕を余所に、紅峰が本体を目指し、肉体を掘り進む。
到達させてはならない。ダフニは魔力を傷の修復に傾けると共に、紅峰を逆に取り込もうとする。
だがそこへ追撃が来る。轟雷が再生する傷口へ突き刺さった。
悶絶するダフニが知覚したのは、同じく上空から降ってきた梅里だった。
梅里はそのまま紅峰とは別の首へ取りつき、神剣を突き刺して追加の雷撃を浴びせる。
加速することで先陣を切った紅峰。それに続いて落下突撃する梅里。恐らく梅里の雷は紅峰を巻き込んでいるはずだが、どちらも全く構わずにダフニの肉体を切り開く。これが死力を尽くす場面だと悟っているから、躊躇いなど微塵もなかった。
第三の矢が降る。梅里からワンテンポ遅れて飛んだ進也が、全てを融かし尽くす熱と勢いで降ってくる。
さすがにこれはダフニも予見していた。今いる神剣使いの中で、最も凶悪な一撃を持つ相手を、おめおめ見逃すはずがない。だがそれでも、戦慄せずにはいられなかった。
何故、この場、この状況で、こうまで力を合わせられるのか。極限の戦いで追い詰められていながら、どうして全員が倒すための一手を打ち込んでくるのか。
「ぐううううう!」
首を二本潰され、雷に阻害されつつも、ダフニは砲魔によって進也を迎撃に走る。
この際、威力は必要ない。狙いもおおざっぱでいい。何しろ向こうは落下するだけで動けないのだ。
無論、トウダイを始めとした横槍を警戒し、複数の首がタイミングをずらして砲撃を行なう。
――が、進也はその攻撃をすり抜けた。
「……ば」
馬鹿な、とダフニが目を疑っていると、進也が叫ぶ。
「梨子! 俺の攻撃だけ徹せ!」
「うん!」
進也の背後、一緒に飛んでいた梨子が、同化による透過を行なっていた。
まずい。このままでは本体まで素通りしてくる。
耐え切る自信はある。進也は神剣を折れないからだ。それでも、万が一を考えると、回避するしかなかった。
そこへ、風が、水流が、植物が、重力が絡みつき、押さえ込む。
「逃がさ――!」
「――ない!」
「こ、のっ……虫けらどもが!」
激しくわななくダフニへ目掛け、進也が切り込んだ。
「おおおおおおああああああっ!」
灼熱が暴威を振るい、周囲の肉体を全て食い荒らしながら、本体へ辿り着く。
ダフニは、目が合った。一切を無に帰す炎熱の化身、その苛烈な瞳に、かつて出会った上位者たちと同じ脅威を感じ取る。
瞬間、本能が生きることに全力を注ぎ、後退ってしまった。
逃走という手が、打つべき時に出した一手ならば問題なかった。だが既に限界の先まで疾走していた者を前にして、成功するはずもない。
進也が剣を振るう。炎刃が体を斬り裂き、ダフニの内部にある神剣と激しく打ち合う。
折れるはずがない。自分は死にはしない。
悲鳴すら上げられぬほどの焦熱地獄の中にあっても、ダフニはあがく。
進也はその儚い希望を打ち崩すように、さらなる熱をもって、魂さえも燃やしにかかる。
神剣が持ち主の心を反映する武器であるというのなら、壊すためにはその内面ごと焼き尽くせばいい。
ダフニが絶叫を迸らせる。自分が消えていく。抗いようのない滅びが蝕んでいく。
進也は自らの神剣を振り抜く。融け崩れるダフニの神剣ごと、魂を完全に断ち切った。