誰がために悪は生まれる3
緩やかな傾斜を下って、進也は族長と共に遺跡の深部へ到達する。
この辺りは、大きな通路が一本伸び、その両脇にいくつも小部屋が設けられていた。
壁面は、風雨にさらされていない分、地上より端然としている。
蛍光を発することもあって、松明や神剣の様な光源がなくとも多少見通しが利くのは、夜目のない進也にとって幸いだった。
部屋をのぞくと、周囲の石材と同じ物で作られた卓や椅子が置かれている。
恐らくは居住区だろう。近くに竈らしき物もある。
「こんな地下で火ぃ焚いたら死なねえのか?」
進也が思い付きをそのまま口にすると、族長が真面目な顔つきで部屋を眺める。
『そういう造りにはなっておらんのだろう。だいいち、そのような神剣を持っているお主の言う台詞かね?』
「うるせえな。単なる感想だ。別に真面目に答えんでいいわ」
肩をすくめて他の部屋も巡っていく。
だが特に違いはなく、手掛かりを得られそうなものも見つからない。
子供の覚え書きくらいはありそうなものだが、その痕跡すらない。
奇妙に思いながら更に奥へ進もうとしたところで、進也は族長にたずねた。
「そろそろ追い返した方がいいか?」
族長は一瞬意味が分からなかったようだが、すぐに鼻をひくつかせて後ろを振り向いた
『うん? プラム、お前か』
通路の陰に、子獣人がいた。進也が神剣から解放したあの子供だ。
プラムは見つかったことに一瞬びくりとするが、すぐに屈託のない笑顔で近寄ってきた。
『プラム、もう大丈夫なのか?』
『うん、ヘーキ!』
溌溂と答えるプラムに、族長は目を細めて小さな頭をなでる。
プラムはそのまま進也の方を見る。
『ねえ、お兄ちゃんが助けてくれたんだよね!?』
急に水を向けられ、進也は返答に窮する。
一方でプラムはこちらの困惑にも全く構わず、まくし立てる。
『ありがとー! ねえねえ、お兄ちゃんどこの人? 名前は? プラムはプラムでねー、木登りとかくれんぼが得意!』
あの場での記憶が残っているのか、それとも皐月かモア辺りから事情を聞いてきたのか。
どちらにしろ進也を助けてくれた相手と認識しているらしい。
プラムは好奇心に満ちた目を向け、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
進也はうろたえ、プラムを無視して通路の先へ進んだ。
『あ、待って!』
当然のように後をついてくる。族長も、特に追い返すような真似はせず、それに続く。
『ねえ、今何してるの? 探検? お宝さがし?』
頭の痛くなるような質問に、やかましいと叫びたくなる進也だが、かろうじてこらえる。
代わりに、邪魔だから帰れというつもりで視線を送るが、プラムは何故か目が合ったことに喜んで、すがりついて来ようとしてきた。慌てて逃げる。
子供は苦手だった。
もっとも嫌悪する者を想起させると同時に、自分のような目に遭わせたくないという思いが同居して、どう接していいか分からなくなる。
かといって無視し続けるのは、父の所業をなぞることになる。
進也は仕方なしに、少し離れてはプラムを振り向き、追われる、という行動を繰り返した。
(……そういや、何でこいつが正気に戻ったかもまだ分かってねえんだよな)
はしゃぐ様子を見る限り、後遺症などもなさそうである。
神剣に精神を完全に呑まれていた割に、そこまでの復帰を果たしたというのは不可解だ。
まして、自分の剣の能力で成し得たとは到底思えない。
そうなると、やはり皐月の力が要因だろうか。
ただ、それは明確に違う気がする。
皐月の能力が例えば、進也の熱の視界のように、発展や応用として精神に影響を与えた、という理屈は考えられなくもない。
しかしそれなら、進也自身に影響が真っ先に及んでいるべきだ。
これまでの生活で自分が何か変わったかと言われれば、別に何も違いはない。
女神が気に食わないのはイールドへ来た時からで。
周りが気に食わないのは両親を灰にした時からで。
自分自身が気に食わないのは最初からだ。
だからひとりでやろうとしている。
他人を当てになどしないし、自分自身もいつか壊れて止まってしまえばいいから。
そう、思っているのに。
『待ってよ!』
どうして周囲は放っておかないのだろう。
遺跡を奥へ奥へと進んでいく。
途中でいくつか文字の刻まれている箇所を見つける。
「……あ?」
違和感を覚えて速度を緩める。
それは明らかにこの世界にはないはずの物だった。
見覚えがある。
「……英語?」
現代の様式とは若干異なる記述もあるが、進也には読み解けた。
つまりはイールドの人間の記したものではないということだ。
「千……二年、我々は航海していた……号からこの世界へ……」
かすれて読めない部分も多い。
だがこれは大きな情報だった。
女神がその気になれば何度でも転移は行える、というのはあくまで推論に過ぎなかったが、裏付けが取れた。
『どうしたの?』
いつの間にか追いついていたプラムが、進也の顔を見上げている。
「……ちょっと手伝え。周りに、同じように文字がないか、探してくれ」
『うん、いいよ』
プラムは快諾し、すぐに周辺を動き回る。進也も同様に探していく。
結果として、他にも似た内容の記述が見つかった。
言語は大半が英語だった。時折、別の国の言語も交じっていたが、さすがにそちらまでは解読できず、また年代もバラバラなため、現代語訳だけでは読み切れなかった。
内容はどれも、この世界へ突然飛ばされたということに対する備忘録のようなものだ。
それだけなら役に立つ部分は少ない。
だがこうした記述があることで、進也は大きな矛盾に思い当たる。
「何で文化が発展していない?」
『? どうかしたの?』
「これだけ人間が何度も移されてきて、その度に神剣を渡されてイールドをうろついたんだとしたら、何で技術が伝わっていない? 何故ここの文字しか残っていない? そもそも――移り住んだはずのこいつらはどこへ消えた?」
もし来訪者の存在が人々の間に知られているのなら、もっと分かりやすく伝承が残っているはずだ。
だが今までそんな素振りはこの世界の住民は誰も、あのカメーリアでさえ見せなかった。
まるで来訪者など初めからいなかったかのように。
進也はたまらず、もう一度周囲を調べていく。
しかし先ほどの記述以上の手掛かりは見つからず、ただ徒労に終わった。
『ねえ……大丈夫? 何か怖い顔してるよ?』
心配そうにプラムが声をかけてくる。
思わず当たり散らしそうになるが、進也はぐっとこらえた。
事情を飲み込めていないプラムにとっては今の進也の情況がどのようなものか、分かるはずもない。
忌々しげに文字に手を触れ、進也はふと気づく。
(いや、待て。これは逆なのか? 遺跡の入り口には痕跡なんてなかった。こっちだけが用意したように残っている?)
その理由を思い浮かべると同時に、ひやりと背後から異質な気配が漂った。
肌が粟立つ。全身の細胞が余すところなく警戒を発する。能天気に振る舞っていたプラムも恐怖に凍り付いていた。
進也はこれまでで最も素早く剣を構えて前に出た。
通路の先から族長の姿がゆっくりと現れ――その体がぐらりと傾ぎ、倒れ込んだ。
鮮血が伝う。進也もプラムも、声も上げられずに族長に目を向ける。
かつり、と。遮るように、足音が響いた。
蛍光の届かぬ闇の先から、漆黒の鎧をまとった剣士が、無言で姿を現した。




