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愚か

作者: MIQ

私は神である。そして人の生活を見ている。長年人を見てきた、数え切れないほどの人を見てきた。生まれては死に行く多いなる生命体を、一片の葉をずっと見てきた。そしていつもつい考えてしまうことは人間ほど愚か者で互いを配慮出来ぬものはないということだ。無論、それは思考に出来る種族であるから生じるものであろう。だが、それでも愚かだ。これには多くの理由があるが、所詮聞いたって一生役に立たないのが多いであろうと思った故に少数に絞って理由を語ろう。最初は、努力って言葉の使い方だ。これについて物語るためには才能、天才、凡人という言葉が用いられる。努力と才能、天才と凡人。対極な関係。本題に入る前にちょっとだけ言えば、そもそも何故こんな空しく悲しく恐ろしい言葉を作ったかまさに疑問である。なぜだ、わからん。時々このものたちがなかったらすこし、人の世界は良いものになれたはずなのにと思ってしまう。さぁ、はじめるにしようか。まず、努力。いい思いのある言葉なのだ。意味を強いて言うなら何かを達成しようと時間と精神と身体をかけて自分なりの方法を実践することって言えるだろうかな。そして才能。これはある分野に優れた能力を持つってことで言えるかな。はじまりから悲しく、多くの人はこの単語たちに初印象から偏見を抱いてしまう。愚かな。。。努力より才能が凄いとつい人は見做すのだ。努力なしとして才能あるはずないのに、醜い。努力って言葉は主に相手に希望をもたらすためによく言われる。愚かな。なぜ裏を見ることが出来ぬ。努力すれば出来ると言うのは誰しも言える。この言葉はならば、本当に希望だけを伝えてくれる、極めて善の言葉か。違う。意図がどうあったろうとその言葉により相手は成功できるという無条件的希望、努力をする必要性を感じさせる。同時に失敗と言う悪い未来の可能性に苦しむことを防ぐのである。もし成功できたらたぶんいいだろう。だがわしがずっと見るこの世の中ってものはそうではない。周辺の環境、運によっていくらでも未来が変わり、率直に言ったら、失敗に向かう人がよっぽど多い。なら失敗の場合、なにが起こり得るのか。もし疲れ果ててしまって自己嫌悪に陥るかもしれない。、努力をしても出ない結果、強制的に経験せられた失敗、過ぎて行く時間が生む焦燥。実に言うとこれらに立ち迎えるほどの強い精神力が必要なのだ。それほどの精神力がなく、それなのに運悪く失敗をずっとしてきたり、出ない結果に向き合うことになれば、その人はそこまでの以上に焦りを感じ、何故出来ないのかを心でずっと叫び、精一杯苦しみ、答えを見つけなかったら結局自分の能力の不足って言う思いと繋がり、踏み足を少し違くすれば行動の意志を失うことになりかねない状態になる。無論、疲れて周りに助けを乞うのもある、実を言うと本当に問題はここにあるのかもしれない。その助けに大体は、努力の不足だろと言い、もっと努力すれば出来るって言うのである。違うのだ。まさに。それは暴力に等しい。疲れてる人に何故もっと疲れてしまうことを要求する。その時に必要なのはその人のつかれた心を慰めることであるのに。成功。この時多くの者は出来るって言っただろうと意気揚々にげらげら笑いながら祝福するが。失敗の場合、努力して出来ないと苦しむ人にもっと努力してといったことに誰も何も感じない。最初のはじまりでの、一歩のために言ってくれる努力をすれば出来るって言う言葉はいいものだ。だが、疲れてる人にさえそれを言うのは暴力だ。殴ったのだ。だが謝ることはない。愚か。

才能は実に当たり前に存在するのである。あれだけの人間の数。比較が起こるのも当然だろう。皆が違うことをするわけじゃないから。才能があったら。。と人はよく愚痴る。愚かな。綺麗な皿があるとしてそこに自動的にそこに相応しい飲み物が満たされるもんか。違う。皿が綺麗だってそれに相応しいものが、飲み物が、注ごうとする人に自動的に見えるはずあるか。ない。必要なものがそろってないから当然だ。材料が必要なのだ。たとえ才能があっても。いや、あるから尚更かもしれない。

愚かな人間らよ、才能のあるものの苦しさは、想像してみたことがあるか。羨んで嫉妬ばっかりしたんだろう。彼らにも苦しい事があるはずなのにそれは見えない。だからその目の使い方さえ悟っていないのであるだろうな。才能。あってなにが悪いか。君らはそれが荷物になりえるってことはわかりきってないようだ。まぁ、よこしまな心。どれがわからなくて当然か。才能がある。偶然、その種を見せた。他人に期待をさせた。そこから薔薇の棘だらけである花畑を歩くことになる。何故か。多くの場合は期待というものが人を縛りがちであるからである。その期待に応じなきゃいけないという強迫観念は人を惨めにするものだ。自分の意志によった人生じゃない。期待によって作られた、いわば期待の人生に陥ることになりかねない。その息苦しさがわからなくば口を動かすな、愚か者。

わしは今も見ておる。この世を。

そして思い、絶望する。

浅はかさに鬱陶しさを覚える。

一瞬のことで人をあまりにやすく蹴る君らのその足のように走る口を、蜘蛛のごとく動くその指を、携帯やらなんやら越しの誰かを見てみないふりするその目を

わしは今日も見ておる。明日も見るはずであろう

何故かと言うのならば、この一時の思いは君らに届くはずあるまいからである。

わしは全知全能でありながらまたして無能でもあるものだ。

この思いが、届いたらわかるだとうが。これもまたとどかないだろう。

愚か


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