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鳥居の島  作者: 青竹煤
サナギと千松
9/81

巣降の村 3

 誰かの髪を切るなどという慣れないことをしたせいで、千松の頭は好き勝手にぴんぴんと跳ねている。(きじ)の妖怪はこれから会う神様たちに失礼のないようにという気配りから千松の散髪をしたのだが、どうにも格好がつかない。却って失礼になるのではなかろうかと心配になったが、それ以上手を入れると取り返しのつかないことになることを恐れて、黙っていることにした。文句を言われたら、「髪が早く乾くようになっただろう」とでも返しておくことにする。そしてそのことを指摘されないように、雉は全く関係のない話題を振った。

 「千松殿、初めて見た時から変わった方だと思っていたが、そなたはヒトに近いな」

 釣り餌もなく川に垂らしただけの糸に食いついた酔狂な魚にがつがつと食らいつく千松に、雉は好奇の目を向ける。

 「妖怪とも守護霊とも違う。強いて言うなれば」

 千松はそれを止める。

 「自分でも解ってら。けど、あいつにとって俺は存在し続けねえとダメなんだ。何があっても、俺はあいつの傍にいなきゃなんねえ。何があってもな」

 魚の骨にかぶりつこうとした千松の動きが止まった。雉も異変に気付いて、壁の向こうに目をやる。簡易式の囲炉裏から上る火の音に混じって、外から悲鳴のような声が聞こえた。

 「サナギだ!」

 千松は弾かれたように外に飛び出した。


 「千松くん! 千松くん!!」

 「どうした! 何やってんだ!!」

 暗くなった木々の中で、千松は匂いでサナギを探し出して腕を掴み、取り乱しているサナギを抱きしめる。ふわりと香る石鹼の匂いの感想を押しやり、千松はサナギを守ろうとした。

 「千松くんだ! よかった!!」

 「何やってんだよ。明日迎えに行くっつっただろ」

 しかしその声は優しく、自分にしがみついて震えるサナギの頭を撫でてやると、その震えが治まってきたのを感じた。

 「待て! こっちか!?」

 サナギを追って来たのだろうか、10を超える懐中電灯の光が近くで散らばり、ついにサナギと千松を見つけてしまった。その駐在は散っていた全員を集めると、全員でサナギと千松を取り囲んだ。懐中電灯の光が千松たちの足元を照らし、何人かは直接千松の顔に光を当てる。片手で影を作って光の元を睨みつけるが奴らは千松に対して恐怖心を持っていないようで、千松に向かって……いや、千松の腕の中で小さく震えているサナギに対して大声で脅すように話しかける。

 「ほら、もう逃げられないぞ!」

 目を吊り上げる駐在たちを見回し、千松は未だ自分にしがみつくサナギに向かって「お前何したんだよ」と訊くが、サナギは「何もしてない!」と声を張り上げるだけ。ざわざわと周りの男たちから「狼なのか?」「殺すか?」などと聞こえてきて千松も内心穏やかではなく、いつでも周りに襲い掛かれるようにゆっくりとサナギを引き離そうとしたのだが、サナギの手はしっかりと千松の着物の衿を握っていて離れない。せめてサナギに危害が及ばないようにと千松はサナギの頭と体を守るように腕を回した。


 男たちの中で制帽を被った一人、駐在が一歩前に進み出て多少は丸みのある声で千松に話しかけてきた。

 「私はこの村の駐在だ。君が千松くんだね?」

 「そうだけど、こいつがなんかしたのか?」

 駐在に訊くが、駐在は自分の横に顔を向けてそのまま顔で何かを追う。千松もそれに気付き、駐在の横から移動して来るものをじっと見た。

 千松には、丸々と太っている鳩の守護霊の姿が見えていた。それが自分の前に来ると、くちばしを開けた。

 「貴様は何者だ」

 丁寧な雉とは大違いだと思いながらも、千松はサナギを見下ろしながら答える。

 「こいつの守護霊だ」

 「では、どこから来た?」

 「あ? どこから来たかって? 忘れたよ、んなもん」

 「その女はみすぼらしい見た目に反して大金を持っていた。どこで手に入れた?」

 「金の出所?」

 千松が訊き返したところで、駐在が自分の守護霊を呼んだ。

 「山奈(さんな)、なんだって!?」

 「急くな、今訊いている!」

 「金なら、ここにいる親切な奴がくれたんだ。盗んじゃいねえ」

 千松は吐き出してその妖怪のいる方を向くと、山奈と呼ばれた鳩と駐在がそれに倣って……息を呑むのが聞こえた。

 「駐在さん、どうしたんだ?」

 周りの男たちが駐在に声をかけるが、駐在は応えずに雉の妖怪に視線を奪われたまま。そして懐中電灯の光が小刻みに揺れ出し……地面に落ちた。


 「雪月夜(ゆきづきよ)……幽香(ゆうこう)様……」


 鳩がその名を呟く。その視線の先には雉の姿の妖怪が、薄ら笑っているような目で山奈と呼ばれた鳩の姿の守護霊と、次いでその向こうの群衆を見やる。


 「何が起こっているんだ?」

 「わからない」

 「何が見えている?」

 「俺に訊くな」

 群衆が口々に次の行動への戸惑いを吐き、やがてその視線は守護霊に護られている駐在に注がれる。

 「駐在さん、あの化物をやっちまっていいのか?」

 「だめだ!」

 詰まっていた息を、駐在は言葉と一緒に吐き出した。

 見えていたのだ。かつて村を護っていた、雉の姿の守り神である雪月夜幽香の、凛とした姿が。

 「駐在さん、うっすらとだけど、もう一匹鳥の妖怪が見えるんだが」

 「他にも妖怪がいるのか?」

 「狼の仲間かもしれねぇな! やっちまおう!」

 「やめろ! あのお方は6年前にこの村を去られた守り神様だぞ!」

 今度こそ駐在は声を張り上げた。男衆は一瞬静まり返ったが、すぐにそれぞれが囁き合う、

 「その神様が、なんでこんな所にいるんだ」

 「ああ、村を守ってくれなかったあの……」

 「なんだ、仲間を連れて復讐に来たってのか? 冗談じゃない!」

 駐在は再び大声で全員の口を止めさせ、自らが進み出る。かつての守り神様に近付く一歩一歩に重みを感じながら、背中に冷たいものを感じながら、しかし確実に距離を縮めていく。


 駐在は遂にかつての女神と対面した。駐在よりも背が低いにもかかわらず、幽香と呼ばれたかつての女神は威圧感を放つ目で駐在を見下す表情をしている。

 「千松くん?」

 千松の腕の中で、サナギは何があったのかと訊くが千松も幽香の纏う力強さ───怒りに圧されて何も言えない。

 「幽香様、貴女様の去られたこの巣降(すふり)の村を、私は……」

 駐在の言葉を、幽香は遮った。

 「久しいな、ガサギ。ぐるりと見回せば、村長がおらぬようだが?」

 「村長は、村に残っております。我々に万が一のことがあった場合、残された女子供をまとめる為です」

 しかし、その答えを幽香は聞き流した。

 「この娘の持つ銭は、かつて私にお前たちが投げた物だ。お前たちが一年の節目節目に、どうかこの村をお守りくださいと投げた銭だ。私に無用な物だった故に、この娘に譲った。それだけのこと!」

 「しかし幽香様、私には村を守るという職務がありまして」

 「ああ、そうだな今しがたの言葉は詫びよう」

 詫びると口では言いつつも、幽香の声の鋭さは全く収まる気配がなく、それは駐在のみならず村人たちにも張りつめた雰囲気が伝わった。

 「幽香様、ガサギは職務を全うしただけのことでございます。村にみすぼらしい身なりにもかかわらず大金を持った不審者が現れた故に、身元の確認をいたしました。しかしその者は要領を得ぬ言葉を繰り返すばかり。しまいには村の外に守護霊を待たせていると嘘をつきました。その事を指摘し、明日に確認をすると伝えたところ、駐在所を逃げ出したのでこうして追って来たのでございます」

 山奈が自分の守護する対象の名を混ぜながら口を挟むと、幽香はすぐに答えた。

 「なるほど、ならば駐在が追いかけるのも頷ける。しかしなぜ、お前の後ろには村の男どもが揃っている? 貴様、私の去った6年間何をしていた? 私がなぜ巣降の村を見限ったか、伝えなかったのか!」

 駐在は答えない、いや答えられなかった。駐在の守護霊である山奈は、自分が守護する対象の男の青い顔をはっきりと見てしまい、再び口を開く。

 「ガサギは何度も村人と話し合いの場を設けました。しかし村人はよそ者のたわごとと聞く耳を持たず、幽香様がガサギに託されたお言葉を信じぬ者ばかりでございました」

 夏だというのに、空気が微かに冷える。それは妖怪を見ることができないサナギでも感じることができた。何やらただならぬことが起きているかのようだと。


 「千松殿、サナギ殿。申し訳ない」

 幽香は二人に向かって頭を下げた。その様子に、山奈とガサギは「おやめください!」と叫ぶが、幽香の一喝で口を閉ざした。頭を上げた幽香は、村人たちに声を張り上げる。

 「貴様たちの、村に不審者がいたとの話は聞いた。村を守ろうとしているガサギの話も聞いた。しかし、誰一人として私の話は聞かぬ! 訊こうともせぬ!」

 幽香は続ける。かつて自分がこの村の守り神として存在していた時のこと。村人を護っていた。それが村人たちの願いだったからだ。村人たちに情を持っていたからこそ、だからこそこの土地を護っていたのに、次第に信仰が薄れ、護役(もりやく)がいなくなり、古くなった拝殿を取り壊してもう新しくすることはないことを知った。そしてそれに多くの村人が賛同したことに、雪月夜幽香の心は冷え切ってしまったのだ。

 「恩恵がなかった。村人どもはそう言った! では恩恵とは何だ? 無病息災を、村人どもの先祖は願ったのだ。子孫がずっと平穏な一生を迎えられるようにと、そやつらの先祖が願ったのだ、この私に! だから私はそれをできうる限り叶えた。先祖の心を、ささやかな願いを踏みにじりあまつさえこの私を侮辱した! そんな恩知らずどもに愛想を尽かして、私は神の座を降りたのだ!!」


 千松の腕の中で、サナギが震えている。見えないながら、聞こえないながらにも感じるものはあったのだろうか。

 「千松殿、サナギ殿。まことに申し訳がない。明日の朝にでもお二人を華表(かひょう)諸島にお連れする手立てを整えたかったのだが、私がもうここに居たくなくなった」

 幽香は先程の怒気を含んだ声と反対に、不気味なほどに平坦な声で、すいと右手を上げて夕方に千松が水浴びをした川を指す。

 「この川を下れば海に出る。そこで暫し待たれよ。私は遅れて参る」

 「あんた、何をするつもりだ」

 ただならぬ雰囲気に千松は訊ねるが、幽香は答えず、早く行けと手を払う。その仕草、目を見て千松はサナギを抱き上げ、しかし決して後ろの景色を見せないように走り出した。

 「千松くん、どうしたの?」

 状況がわからなかったサナギは心配そうな声を出すが、千松は口を開かなかった。サナギが何を言っても、絶対に。


 サナギは知らない方がいいのだ。背後から聞こえた男たちの悲鳴について聞かれても、答えるつもりなどなかった。


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