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鳥居の島  作者: 青竹煤
サナギと千松
8/81

巣降の村 2

 門から村に入り、サナギは久しぶりに舗装された道を踏みしめた。以前千松がゴミ捨て場から拾って来た、サイズの合わないぶかぶかのぼろ靴が嫌でも目に入る。

 ──千松くんが拾ってきてくれた靴。まだ履けるけど、これも替えなきゃダメだよね。お風呂に入って、服を買って、髪の毛を切るのか。やることいっぱいだなぁ。

 正直、ほっとした。早くこの靴を捨てて、新しい靴を履きたくて仕方がない。人間には通れないような場所も千松に抱えられて通るため、ぼろ靴がさらにボロボロになる程には歩いていないが、成人男性用の靴はぶかぶかでとても歩きにくく、何度か脱げたことがある。それに苛立ちを覚えた二人は靴と足の間にぼろ切れを突っ込んで調整していたのだが、これが不満だったのだ。歩くと中の空気が噴き出される感覚も面白くない。


 暢気にこれからやることを考えていたサナギとは反対に、村の住人たちは見慣れない長髪の汚い女を遠巻きにひそひそやり始めた。

 「何、あれ」

 「うわ、汚い……!」

 「駐在さん呼んでこようか?」

 村人がサナギを警戒するが当のサナギはまったく気にした風でもなく、ヒソヒソしている主婦らしい二人に近寄って、

 「あのぅ、銭湯はどこですか?」

 と訊き始めた。

 「あ、あなた」

 漂ってくる濃縮された人間の臭いに顔をしかめながら、一人が話しかける。駐在さんが来るまで逃がすわけにはいかない。

 「ずいぶん汚れているのね。どこから来たの?」

 「えっと、ずっと向こうからです」

 サナギは露骨に嫌そうな顔をする女に気にせず、門の向こうを指して答えた。女たちは険しい顔をして、鋭い声をサナギに投げる。

 「どこの町から来たのって聞いているのよ」

 「町?忘れちゃいました」

 ますます怪しい。近くにいた小さい子を連れていた親が急いで家に帰るのを、主婦二人は怯えながら確認した。

 「荷物はないの?」

 「ないです」

 「誰かと来たの?」

 「千松くんです」

 「そうなの。その人は、どこにいるの?」

 「ここの外で待ってます。私はここでお風呂に入って、服を買って、靴を買って、髪の毛を切るんです」

 「つまり、この町で悪いことをしようとは思っていないのね?」

 詰問する口調に、サナギは困った顔で首を傾げる。

 「お風呂に入ってきれいになりたいです。悪いことはしません」

 詰問する女が次の質問を用意しようと黙ったところで、駐在を呼びに行っていた村人が戻ってきた。険しい顔をした中年の駐在も、他の村人と同じようにサナギを見た途端顔をしかめた。

 「どこから来たんだね?」

 先程と同じ質問を、サナギは同じように返していく。

 一方何を訊いてもほとんどが「風呂に入って身なりを整えたい」しか返さない不審な女に、駐在もますます嫌そうな顔をする。しかし駐在所で身柄を預かるにも、不潔な状態では置いておけない。仕方なく、彼女の目的である銭湯に連れて行くことにした。



 「そなたは悪い狼だな」

 雌の雉の姿をした妖怪は小屋の外の川に釣り糸を垂らして、近くで豪快に水浴びをする狼を横目で見る。釣れるかどうかは実のところどうでもいい。こうして川で暴れる妖怪を気にせず、尚且つ餌のない釣り針に食らいつく酔狂な魚でもいればそれがごちそうになる。日はもう落ちかけていて、寒さを含まない涼しい風が木々をそよがせた。

 「そうか? ま、そうか」

 「あの村について、なぜ娘に嘘を吐いた」

 千松は川から上がり、ついでに洗った自分の着物を近くの木の枝に掛け、思い切り身を震わせた。体から滴っていた川の水が勢いよく弾き出されるので、雉は顔を背ける。


 サナギを一人で村に行かせたのには理由が2つあった。1つは言い訳だったが、もう1つには正当な理由がある。

 「たまにゃあ、一人で行動させないとな。本当は俺も一緒にいたいけど、鳥居があるんじゃな」

 鳥居の先には神様がいる。今までがそうだった。


 千松は神が嫌いだ。だから鳥居には極力近付かないようにしていた。その事を言うと、雉は軽く千松に憐みの目を向ける。

 「矛盾している。神様のいないあの村に入ろうとせず、なぜ海を越えて華表(かひょう)諸島に行こうとする?」

 華表とは鳥居のことだ。そして鳥居のある土地には神様がいる。神様が嫌いだというなら、なぜそのような土地に行こうとするのか。

 「俺もよくわかんねえ。ただ、逃げてる最中に聞いたことがあるんだ。守護霊を降ろす儀式が行われていた土地があって」

 空が黄昏れる。千松はまだ水滴の垂れる所々破れた着物を掴んで絞り、袖を通して川に向いて胡坐をかいた。浮きにはまだ動きがない。

 「乾かせ」

 千松は答えずに続ける。

 「その土地は沈んじまって、今はいくつかの島になってるんだと。その島には今でも守護霊がついている人間がいるってな。だったら、あいつは俺みたいなのがいてもあんまり困らねえと思ってさ」


 千松は一所に落ち着くことができなかったが、そのことについてサナギに対してすまないという思いを抱いた事も一度や二度ではない。確かに何度か住めそうな場所を拠点にして生活らしきことをしたこともあったが、二人で暮らすには限界があった。いや、初めからかなり危うかった。

 物心つく前から施設でぬくぬく育ってきたサナギは、自分で生活していくだけの知恵がなかったのだ。それに拠点は決まって人目につきにくい空き家や細い路地。そんな状態で人付き合いもまともにできるはずもなく、サナギが誰かと話をしようとしても、ろくに風呂にも入っていないサナギの状態を見れば大抵の人間は顔を顰めるし、千松を見ると委縮して逃げていってしまう。酷い時にはその土地の祓い屋を呼ばれた。そのたびにサナギは千松に背を向け、肩を震わせて嗚咽を漏らしていたし、千松は使命を全うしようと気を急かす。千松は、サナギが安心して笑っていられる場所を欲していたのだ。

 「村の鳥居を潜れぬくせに、何を言う」

 「何かあったら飛んでいくさ」

 そう言って千松は、まだ水が滴る長髪に片手を突っ込み、豪快に頭を掻き始めた。体を震わせただけでは飛ばなかった水があちこちに飛び散るので、雉は低くやめろと言うが、千松はその制止を無視した。

 「髪を切ったらどうだ。あの娘にもそう言い含めたのだから、そなたも同じようにせねば示しがつかぬぞ」

 「あいつはあいつ、俺は俺だ。大体あいつの身なりがしっかりしてりゃ、守護霊の俺は関係ねえだろ」

 それを聞いた雉は目を伏せて手近の転がっている石を掴んで立ち上がり、千松のだらりと垂れる髪の毛を引っ掴んで石を当てた。

 「何してんだよ」

 「いいから切れ。鬱陶しくてかなわぬ!」

 雉の言葉が終わった瞬間、石はその姿を変えた。川の水の流れの中で丸くなった表面が鋭い刃になり、千松の髪の束に立てられる。

 「ふざけんなよ俺の髪だぞ! 俺のもんなんだから勝手に切んな!」

 雉の手から自分に髪を奪い取るが、雉は強硬手段に出る気配がない。

 ただ、あの娘と別れた後の狼の様子から察して、こう言っただけである。

 「娘はきれいになったのに、そなただけだらしのない姿か。あの娘、そなたに幻滅せねば良いがな」

 「切ってくれ。バッサリと」

 千松の後ろに回った雉は肩を震わせながら、手にした刃物を千松の黒い髪に入れていく。

 ──まるで子供のようだな。

 そして、千松の頭の向こうにいる存在に目を投げて微笑んだ。

 ──お前のことは、この狼には見えておらぬようだな。なぜこの狼に付きまとう?


 雉には、初めから見えていた。今日出会った旅人は3人。千松とサナギと、見えないサナギは元より、妖怪である千松にも見えていないもう一人。それは目に捕らえ難く、ともすれば空気に溶けていきそうな輪郭で、それがどんな姿をしているのか特定できない。雉の目にはふわりと千松の周りで揺らめいているのだけが見えていた。まるで、何かの残滓のように。



 銭湯では駐在に頼まれた主婦が、それ以外は駐在の監視の下でサナギは入浴して理髪店で髪を切ってもらい、服も靴も新調した。鏡を見ると、施設にいた頃よりも顔が変わっていたので驚いたし、腰まで伸びていた髪を肩まで短くしたら頭が軽くて違和感を抱いた。久しぶりの新しい下着にサナギはニヤニヤしながら、服の上からそこをなぞっては、困った顔をした駐在に注意されていた。新品の靴はどれだけ足踏みをしてもガッポガッポと情けない音を立てることもなくぴったりと足についており、まるで足の一部のようで足の上げ下げが楽で、意識しないと靴を履いていることを忘れてしまいそうだ。

 駐在は不潔なサナギがそれらを利用できるほどの大金を持っていたことを不思議がったが、問いただす前にぴたりと質問しようと開けかけた口を止め、自分の横を見て何かを納得したように頷いた。サナギはそれを見て首を傾げる。そこには誰もいないのに。


 一通りのやることが終わってから、駐在はサナギを駐在所に連れて行き、長椅子を指す。

 「今日はここに泊まりなさい。お金はいらないよ」

 「ありがとうございます!」

  なにも疑うことなく、サナギは素直にお礼を一つ。

 「その前に、君についてちょっと訊きたいんだけど、いいかな?」

 駐在はそう言いながら椅子に座り、制帽を脱いで机に置いた。

 「その、君は見える人なのかな?」

 「駐在さんは見えます」

 「そうじゃなくてね、ここに、私以外にいるんだけど、わかる?」

 そう言われてサナギは部屋の中を見回してみるが、何も見えない。それを伝えると、駐在は「そうか」と一言。間を置いて駐在は話し始めた。

 「私には守護霊がいるんだ。守護霊というのは、わかるかい?」

 サナギは顔をぱっと輝かせて答える。

 「護ってくれる妖怪さんです! 私にもいます!」

 すると駐在は自分の横斜め上を見上げてすぐに顔を戻した。

 「いや、妖怪とも少し違うんだけどね」

 「違うんですか? 千松くんは、妖怪だって言ってます」

 駐在は頷いた。サナギがしきりに千松という名を口にするので、もしかしてと思ったのだ。守護霊がいるなら、詳しく話が聞けるだろう。しかし、この答えはもう一つの疑問を浮かび上がらせた。

 「千松くんか。何度か聞いたね。それが君の守護霊かな?」

 「はい! 千松くんは狼なんです! すごく大きくて力持ちです!」

 サナギは嬉しそうに語るが、駐在は険しい顔をしている。

 「私の守護霊は、君の狼が見えないと言っているんだ。私にも見えない。きみは嘘をついているな」

 サナギの表情が凍った。今まで一緒に行動していた狼の存在を否定されて、胸の奥に切り裂かれたような冷たい痛みが走る。

 「嘘じゃないです。千松くんは妖怪で、私の守護霊で、今は村の外にいて……」

 しかし駐在は、サナギを更に不安に突き落とす言葉を口にした。

 「守護霊というのはね、特殊な人だけが見えるし、他の守護霊からするとはっきりと見えるんだよ。君の周りに、その狼は見えないんだ」

 「でも、千松くんは明日の朝、迎えに来るって!」

 二人は暫し見つめ合う。そして、駐在は大きく息を吐いた。

 「分かった、今は信じよう。ただし明日の朝、私も会いに行っていいかな?君の言うことが本当でなかったら、私は君を逮捕しなくてはいけないからね」

 「逮捕?何もしてな……」

 サナギの言葉が尻すぼみになって目が泳ぐのを、駐在は見逃さなかった。何もしていないと言い切れればよかったのだが、サナギには心当たりがいくつもある。それらがすぐに頭に浮かんでしまったのだ。


 例えば、千松の食料調達。サナギはただ指示された通りに待っているだけで、千松はお金を持って来た。それを握り締めて二人分の食料と呼ぶにも少ない食べ物を買うが、それはサナギの役目で千松は来ない。稼ぐのが俺の役目、買うのがお前の役目と割り振られたため、単純に了解して買い物をしたのだが、次第にそのお金の出所が気になり、赤色灯を屋根に乗せた車を見て慌てて逃げていた千松を見るに、そういうことだったとすぐに理解した。あるいはいつまでも逃げている理由。千松は何度か落ち着けそうな寂れた場所を見つけても、何泊かしていると不審者がいると通報されて警察官が来、警官に怪我をさせたことも一度や二度ではない。


 「君は怪しいんだ。遠くから来たと言っているけど、その割に軽装だし、あの格好でたくさんお金を持っていたこともそうだね。君がどこかの都市伝説や妖怪である疑いも捨てきれないからね。中には巧妙に化けて、たくさんの人に見えるようになる者もいるから。場合によっては逮捕して、祓ってもらわなくてはいけない」

 「え?」

 「千松くんとやらが君に悪い影響を与えているなら、その千松くんを祓ってあげよう」

 千松といられなくなる。それだけでサナギの頭は、そこで弾けたかのように考えることを拒否した。駐在の制止も振り払い、村の入り口に向かって夜の風を切った──。

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