校庭の噂 ※虫が出ます
──校庭の隅のカラーコーンの噂、知ってる?
──校庭の隅って、立ち入り禁止になってるあれ?
──そうそう。ほら、あの時って何もない校庭で怪我人がたくさん出てさぁ。
──何もなくねぇよ。あの時は……。
他の護役との交流は思ったようなものではなく、仲良くなれた気がしないままに終わってしまい、サナギとしてはすっきりしないものを抱えて昼休みを終えてしまった。
しかし、その他にもサナギの興味を引くものは多く、いつまでも引っかかったことを反芻して考える余裕などない。できるだけすべてを全身で感じたくて仕方ない。
今サナギが興味を引かれているのは黙っていても耳に入ってくるうわさ話だ。
教室で黙っていても聞こえてくる、校庭の隅、カラーコーン。そして立ち入り禁止。
きれいなシュシュを手首にまいた女子たちは、あの意地悪な子を筆頭に、護役のくせにそんなことも知らないのかといやらしいニヤニヤ笑いを浮かべて教えてくれず、先輩護役のウズモは知らなくていいとそっぽを向く始末。他の子が話しかけてくれたと思ったら、振り鐘を鳴らした先生が入ってきてしまい、結局うわさを直に聞くことがないまま五時間目に突入してしまった。
「五時間目は理科ですね。今日は、校庭でアサガオの観察です」
ユキヒロ先生は夏のせいではない汗を拭きながら、教室の後ろで態度が悪いままの狼の妖怪に目をやり、ぐいと汗を拭うと震える声で注意をした。
「千松君、その態度は、い、いけませんよ」
「千松くん、脚を下ろして」
隣のサナギの囁きは無視した千松は怖がるユキヒロ先生を一瞥し、静かに脚を下ろした。ほっと息を吐き、先生は子供たちに帽子を被るように言う。子供たちはすぐに、筆記用具と観察用のノートを持って廊下に出、サナギたちもそれに倣った。
校庭のちょうど真ん中には簡単に球技用の柵が直線に並べられており、向こう側では中学生男子が体育の授業だろう、バレーボールの試合をしていた。生徒たちがばらばらに集まって玄関に入っていく朝と違い、校庭は登校してきた時よりも広く感じられる。
小学生たちは小学生側の校舎に沿うように並べられたプランターから自分の分を持ち、昼休みの間に設置された職員用のテントの下で観察を始める。
サナギたちにはアサガオがないので、ウズモのを見せてもらうように言われたが、当のウズモにあからさまに嫌そうな顔をされて、サナギは何も言えなくなってしまう。
そこに声をかけてきたのは、あのいやな女子だった。
「ねー、アンタ護役なのに、校庭のうわさ知らないんだよね。あっちにあるんだけど、行ってみなよ」
そう言って、女子は派手なシュシュを三つ嵌めた右手で校舎の陰になっている方を指す。
「あれ、さっき教えてくれなかったのに、なんで?」
サナギが疑問を口に出すと、女子はいたずらっぽく甘えた声を出す。
「だってぇ、護役と一緒なら安全に身に行けるかなーと、思って」
護役だから知って当然。そう言っているのだろうか。だったら自分はそれを知らなければいけないだろう。仮にも護役なのだからと、サナギは行く気満々だ。
「立ち入り禁止だと聞いたぞ?」
千松が意地悪な女子に影を落とすと、さっと恐怖の色を見た。しかし女子はすぐに調子を取り戻し、ピッと伸びた爪を再びその場所に向ける。
「立ち入り禁止にしたの、護役だよ。同じ護役なら入っても平気っしょ。あたしも見てみたい」
女子に背を押され、サナギと千松は立ち入り禁止と言われる場所に押されていく。
校舎の陰の奥、生徒もあまり立ち入らない所に正方形に立つ八本のカラーコーンがそれのようだ。
いや、カラーコーンだけではない。
セミの鳴き声の中、サナギと千松ははっきりと見た。千松よりも大きい生き物が、二人を見下ろしている。
「ここのカラーコーンが、動くんだって。なんか見える?」
女子の声に構っていられない。サナギはその小さな四角に閉じ込められて微かにしか動くことができない生き物を見上げ、身体のパーツ一つ一つをじっくり見た。逆三角形の顔の頂点二つが緑色に膨らみ、その間に長く伸びる触覚。胴は長く、四本の脚は枝より細い。手の代わりに、折り畳まった鎌。それは──。
「カマキリだ! 千松くん、おっきいカマキリ!」
「わかってる。見えてるって」
まるで欲しかったおもちゃを見つけた子供のように、サナギは千松の袖を握ってカマキリを指さす。
「すごいね! こんなに大きいの、初めて見た!」
はしゃぐサナギに、状況に置き去りにされた女子は二人の視線の先に目をやるのだがやはり何もおらず、校舎の陰の向こうの輝かんばかりの青い空と輪郭のはっきりした白い雲だけしか目に入らない。
「ちょっと、何か見えるんでしょ? カマキリなの? あたし、虫嫌いなんだけど!」
女子が嫌悪の声を張り上げると、サナギはなんでそんなに嫌がるの? と不満そうに答える。
「カマキリだよ! 千松くんより、背が高いよ。かっこいいのに」
「マジで!? うわー、うわー! せんせー!」
厳しい夏の日差しの中へと悲鳴を上げながら飛び出していく意地悪な女子を見送り、サナギと千松は再びカマキリに視線を戻した。
カマキリは脚を動かしたわけでもないのに、足元のカラーコーンが外に向かって微かにずれる。サナギはもう一度カラーコーンの作る囲いを目視してみた。カラーコーン自体はどこででも見かける、一般的な赤い三角だ。コーンとコーンの間はバーや紐で繋がれているわけでもない。動こうと思えば、簡単に動けるのではないだろうか?
「どうしてそこにいるの?」
ただの興味から、サナギは尋ねる。しかし返ってきたのは、返答になっていなかった。
「嫁か?」
身体の大きさに反して、幼い声が発せられたことがサナギの頭に残った。一方、嫁と聞くや千松はすぐさまサナギの身体を自分に寄せる。
「お前のじゃねえ。俺のだ」
「嫁じゃないのか。そうだ、おれの嫁は護役ではない。龍の神の島の人間でもない……」
サナギをよく見たカマキリは、自分の嫁ではないと確認すると頭を下に向け、がっかりしたような仕草を見せる。
「こんなところに、嫁取りに来たのか」
呆れた千松が言うと、カマキリは答えた。
「嫁はここに来るんだ。あの時も、おれは嫁についてここに来た。一緒に帰ろうと言ったのに、嫁は俺を迎えに来ない。だから、嫁を出せと言った。でもおれを見た人間は逃げた。逃げるなと追いかけたら、赤い水を噴いて倒れたのだ」
そして、騒ぎを聞きつけた護役がおれをここに閉じ込めたのだとカマキリは涙をこぼした。
嫁と学校に来た。嫁は迎えに来ない。それはもしかしなくても……。
「お前、そりゃ騙されたんだ。お前の嫁さんは、もうここにゃあ来ないだろ」
妖怪に気に入られた人間がなんとか逃げ切るという話は、腐るほどある。カマキリの嫁もそうなのだろう。
「おれは騙されたのか!? それならばここにいる意味はない!」
カマキリは両の鎌を高く振り上げ、羽を広げて脚を大きく前に出そうとするが、カラーコーンの結解のせいでほんの少ししか進めないようだ。
「おれをだますとは、嫁もやるな……」
カマキリは羽ばたいてみるが、砂埃を巻き上げるだけで象のように大きな体は一向に浮く気配がない。
「しかし、帰らねば! 嫁は今頃、あのカエル野郎に追われているやもしれん。怖がって、おれの名を呼んでいるやもしれん! あのカエル野郎に抜け駆けはさせん!」
ここから抜け出そうとするカマキリに背を向け、サナギは千松に囁く。
「こんな大きな妖怪を学校において行くって、酷くない?」
「カマキリにカエルの旦那か。二股とは大した嫁さんだなぁ」
俺も相手してくれるかな、などと呟いたのを聞き、サナギは千松の頬の毛を引っ張った。
「護役がここに捕まえてるって言ってたよね。私なら放してあげられるかな」
「帰してやるのか? 危険な奴らしいぞ。やめとけ」
言うこと聞いてくれそうに見えるけどなぁ。サナギがこぼすと、目の前に青い顔をしたユキヒロ先生と自分たちをここに連れてきた女子、そしてウズモがこちらを見て表情を凍り付かせているのが目に飛び込んできた。
「ほら、先生! あたし、止めたんです! それなのに、勝手にここに入っちゃって」
サナギはやはり、この子は何を言っているんだろうという以上の感想を持てずに黙ってその子供を見下ろし、サナギの視界の外でウズモも同じように女子を睨みつけていた。




