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鳥居の島  作者: 青竹煤
サナギと千松
7/81

巣降の村 1

 サナギから目を離すと何をしでかすかわからないことを学んだ千松は、よほどのことがない限りサナギから離れずに過ごした。食べ物ならサナギの目を盗んで調達する。人間の法を犯す方法をとることになったが、人間ではない千松は歯牙にもかけずサナギのために進んでそれをした。その代わり、人間として生きるサナギを汚すわけにはいかないという確固たる決意から、サナギには決して汚れたことをさせなかった。

 衣服はどこかの家から干されていた洗濯物を頂戴し、サナギに着せる。お礼を言おうとその家に行こうとしたサナギを千松は止め、それまで着ていた制服を近くの茂みに隠してその場を去った。サナギは何度か都市伝説や見ることができない妖怪に狙われるが、千松はそれらを追い払ってまたその場を去る。そんな生活が三年続いた。その間にサナギの内面はほんの少しだが成長し、千松が今までどうやって食料を調達していたか、サナギのために何をしたかを漠然と理解し始めていたが、それでもサナギは幼く、千松に抱き付いて眠ることはやめなかった。千松もそれを拒否することなく自然に受け入れている。


 「千松くん」

 満天の星が瞬く空の下の、とある町の中の遊歩道の特別大きな木の上の枝に腰掛ける千松に抱かれて、サナギはぽつりと呼ぶ。

 「ん?」

 サナギの顔にかかる髪を撫で、千松は応えた。

 「千松くんは、どうして私のためにいろいろしてくれるの?」

 「今更それを訊くのかお前は」

 優しさの籠る音声で千松は突っ込む。今までにも聞く機会はいくつもあっただろうがと笑った。サナギはそれを聞きながら、だんだんと眠りに落ちていく。

 「俺はな、お前に呼び出されたんだよ。お前が……おい、聞いてんのか」

 返らない反応に見下ろせば、サナギの瞼はもうすっかり下りていて、寝息だけが返ってくる。

 「お前なぁ」

 そう言ってはみるも、やはりその音声には怒りなどない。サナギの茶色く長い髪にそっと口を付け、千松は満足そうに目を閉じた。


 二人に旅の終着が見えたのは、サナギを施設から連れ出して五年が経った光輝(こうき)十三年の、夏の季節に入ったばかりの日のことだ。

 常に清潔にしていたわけではないため、千松は元よりサナギも髪の毛は伸び放題で人間臭が酷く、近寄っただけで人間たちは顔をしかめ、サナギには見えない妖怪たちは、みんなして正面から指を差して笑った。警察官から逃げるようになったのもこの辺りだ。何しろその頃には千松もサナギも逃亡に疲れを感じていたために千松の盗みも足がつきやすくなり、共に逃げるサナギの脚ももつれるようになっていたからだ。見るからに怪しい二人組がいると通報されれば警察は動かざるを得ず、更に盗みまで働いたとあっては放っておくわけにもいかない。


 警察から逃げ回り、遠く離れた村の入り口に立った途端に千松は顔をしかめた。

 「入りたくねぇな」

 千松は入りたくないと言うが、この村は他の都市から隔離されたかのように、森林の中に存在していた。つまり、ここに入れなければ休める土地はない。千松は野生の物をそのまま食べても平気だが、サナギは調理しないものを食べると腹を壊して逃亡の足枷になる。それを考えると村に入るしかない。苦々しい声を出す千松をサナギは見上げ、千松が見上げる町の門らしいものを見上げた。

 大きな柱が二本、大きく間隔を空けて立っており、大きな門となっている。上にはそれよりは細い棒が二本、柱を繋ぐように固定されていて、柱の足元は黒、それ以外は光沢のある朱に塗られていて、夏の日差しを受けて木々の影と木漏れ日で模様を作っていた。門の横には道路が通っていて、時折車が出入りするがそちらには門がない。それに門とは言っても町が囲われているわけではなく、まるで村という区切りのようにそこに建っていた。

 「他の町にもあったね、これ」

 千松は応えずに門を睨みつけていて、入ろうとはしなかった。

 これが何なのか、サナギは忘れてしまった。逃亡生活に入る前に大事なものだと教わった気がするが、この生活に頭を追いつかせるのに必死でこの門のことを記憶の隅に追いやってしまっていたのだ。ただ、今までにも町の中でこれを見かけたことがある。とは言っても、これほど大きくはなかったが。千松はそれに対して「ケッ」と息を吐くばかりで、あれが何なのか教えてくれなかった。

 町の中で見かけた門をよく見れば、その向こうには小さな家のようなものがあって、たまにお菓子が置いてあった。近寄ってはいけないものなのかとサナギは思ったのだが、そこに食べる物が置いてあると千松はズカズカと門を潜って食べ物をむんずと掴んで、お前が食えと渡してくれた。その後はたまに門の向こうに向かってうるせぇだの生きてるやつ最優先だバカ野郎だのと悪態をついた。サナギには見えないが、誰かに何かを言われたのだろうと思い、貰った食べ物を食べる前にそこに向かってお辞儀をし、それから頂くことにしていたことを思い出し、サナギはまた千松に目を戻す。

 「ここは、入っちゃだめ?」

 この門の向こうには建物があり、人がいる。潜っていけないものではないはずだ。

 「いや……待て」

 千松はサナギと自分の間の空間に向かって誰かを呼び止めた。

 「悪いんだけど、ここにはその……いるのか?」

 また自分の目に見えない誰かがいたんだな、サナギはそう思った。話を遮らないように千松から少し離れ、会話をしやすいように間を空ける。

 「ああ、気配はあんまり。けど……ふん。んー……」

 会話の最中、千松の目がサナギに向いた。サナギが首を傾げて見返すと、千松はまた相手に目を戻す。

 「……じゃぁ、ここの先は海か。道理で潮の匂いが……やべぇな。でも……ああ、訳ありだ。ちょっとやらかして、人間に追われてんだ。……え?はぁ!?この先に!?いやでも……」

 また千松の目がこちらを向く。今度はサナギの頭からつま先までをじろじろと観察しているようだ。 

 「仕方ねぇな。そこへはどうやって行けばいい?

 ……いいのか!?けど俺ら、返すもんなんてねえしなぁ。あ?そいつ?やらねえよ俺のだ!」

 急に声を荒げる千松に、サナギの肩が竦んだ。自分に向けられた言葉ではないとわかっていても、やはり恐い。

 ──千松くん、私のことをよく俺のって言うけど、なんでだろう。

 「あ?うーん……それくらいならいいけど……サナギ、腕出せ」

 急に呼ばれたので、サナギは小さく声を上げてしまった。言われた通りに薄汚れたワンピースの袖を捲って、黒く汚れた腕を出す。そこに、二つの何かが置かれる感覚がした。まるで爪を立てられているようだ。不安になって千松を見上げるが、千松はそのまま、としか言わない。そしてすぐに、腕の外側に向かって深く引っ掻かれたような痛みが走った。

 「いたっ!」

 「まだ動くな」

 千松に言われ、サナギはそのまま引っ掻かれた腕を見る。傷にはなっていないが、元の肌の色が二筋見えていてなんだか恥ずかしい。そこに今度は優しく擦られたような摩擦を感じた。

 「いいってよ」

 袖を直すと、サナギはそれのいるだろう方に向かって「ありがとう」と頭を下げた

 「もうそこにはいねえぞ」

 「えっ!」 

 「ここで待ってろと。人間が落とした金の使い道に困ってたらしくて、俺らにくれるってよ」

 その言葉を信じて待ってみるが、何も来ないようで千松は座り込んだまま動かない。サナギも同じようにしたが、千松が隣に座るので暑苦しくて間隔を空けた。

 「離れんな」

 「やだ。暑い」

 「言うようになったなぁ、おい」

 「ふふん」

 千松の言葉を褒められたと受け取って、サナギは笑顔で胸を張る。

 「ねぇ、さっきは何の話してたの?」

 「あぁ、この町が陸の端らしいんだ。その向こうにはいくつかの島があって、追われにくくなるだろうとさ」

 「じゃあ、そこで逃げるの終わりにするの?」

 「あ……あぁ~、どうだろうな……」

 歯切れの悪い返事に、サナギは詰め寄る。

 「もう逃げるの疲れた!千松くんだって疲れてるんでしょ?それにさ」

 言いかけて、サナギははっとして口を閉じ、千松の腕に背中を寄りかからせる。

 「なんだよ、言えよ」

 「言わない」

 「言えって……あ、呼んでるから俺行くわ。待ってろよ」

 サナギが寄りかかったままだというのに千松は構わずに立ち上がるので、サナギはころりと転がって背中から倒れてしまった。

 「待ってます」 

 夏の青く澄んだ空を見上げたままで応えるサナギ。起き上がり道路に目をやって、つくづく不思議なものを見ているという気になる。自分がいるのは舗装された道路ではなく、草が生えている土。対して道路や門の向こうは舗装されている。

 「変なのー」

 そのままじっと見ていると、視界に赤黒い狼の足が割り込んできた。

 「起きろ」

 顔を上げればずいぶん高い場所に千松の頭がある。逆光で影になっているのでどんな顔をしているのかは見えないが、声の調子からして呆れているのだろう。

 立ち上がって千松の突き出す麻の袋を受け取る。開けてみると硬貨や紙幣がたくさん入っていた。

 「えっ!なにこれたくさん入ってる!千松くんでもこんなにたくさんは、あ……」

 言ってしまってからしまったという顔をし、サナギはおそるおそる千松を見上げる。千松の口は笑っているが、目は無表情だった。

 「悪かったな。貧乏狼でよ」

 「ごめんなさい!」

 しかしサナギの謝罪には反応せず、千松はサナギの体を誰もいない方に向けた。

 「今、目の前にいる。少し前まではあの村の中にいたそうだ。その間に人間は金をこいつに置いていったが、使う当てもないからお前にやるってよ」

 それを聞くと、サナギは視線を少し落として目の前に大きく頭を下げた。千松がその辺りを見ながら話をしていたのを憶えていてよかったと思う。

 「ありがとうございます。このお金は大事に使います」

 姿勢を戻すと同時に、初夏の爽やかな風が通り過ぎていく。

 「サナギ、村には銭湯があるらしい。風呂に入ってから服を買っておけ。これから行く所には、今みたいな格好だとだめらしい。できれば髪の毛も切っとけ」

 千松は長い髪の毛をつまみ上げてサナギ本人に見せる。体の汚れと同じように髪の毛も汚れて、縺れ絡まりベトベトになっている。

 千松の言葉に、え、とサナギは声に出して千松を見上げる。その言い方はまるで……。

 「一緒に行かないの?」

 すると千松はまた「あ~、うん」と言葉を濁した。

 「この村な、今までの町とは違って俺は入れねえ。人間が俺っていうか妖怪を拒んでるらしい。だからこいつも」

 と千松はサナギがお辞儀をした場所を指す。

 「今は村に入れねえんだと。俺はこいつの世話になるから、お前は人間の世話になれ。明日この場所で待ってろ。迎えに行く」

 「えー!?千松くんがいないの困る!」

 木々の枝が風に煽られてさらさらと笑い声をあげた。千松は千松で、俯いて目を覆って震えている。

 「お前、お前なぁ……!」

 「千松くんと一緒がいい」

 「今日だけだから。言うこと聞け」

 「ほんと?ほんとに明日迎えに来てくれる?」

 「ああ。必ずだ」

 「いつかみたいに長い間ほっとかれたら、千松くん捜しに行っちゃうからね」

 「俺が信じらんねえか」

 ムッとサナギの口が曲がり、上目遣いで千松を見上げる。ややあってサナギは呟いた。

 「信じる。千松くん好きだもん」

 その言葉に、狼は呻いた。


 巣降(すふり)と書かれたその門を潜る時は端を行くことと教わり、サナギがその通りに村に一歩足を踏み入れるのを見届けてから、その(きじ)のような姿の妖怪は隣でだらしなく口の端を緩めてふっ、くっ、と何かを堪えるように息を吐く筋骨隆々とした狼から少し距離をとる。

 「随分と慕われておいでのようだな」

 「あー……!かわいいだろ!俺のだからな!?絶対にやらねえぞ」

 「なんとだらしのない顔をしておられるのだ。顔が土砂崩れを起こしているとはこのようなものを云うのか」

 サナギといるときはきりりとして微かに擦れたような目をしていたが、今の千松の顔は本当にだらしない。サナギがこの顔を見たらなんと言うだろう。


 「人間に恋をする妖怪には今までにも何度も見てきたが、そなたのような反応をする者には会ったことがない。私は人間の垢が手に入っただけ良しとし、それ以上はつつかぬようにしよう。千松殿、私の家はそこだ。そなたも風呂に入り、明日まで休んで行かれよ」

 「おう!なんか手伝うぜ!」

 千松は幸せそうに、雉の妖怪の後について行った。

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