閑話 ※虫を潰す描写あり
夏の日差しは畳を刺すように厳しく照り、風のないこの日に開け放った窓からは、耳をつんざくほどにセミの合唱が遠慮なく入り込む。
サナギと千松は、朝の『ジューダイなハナシ』という名のデマ拡散会に腹を立てたまま、部屋でむくれていた。
夏の暑さもセミの声も全てがデマを肯定して、真実を握りしめる二人を嘲笑っているかのようにじわりじわりと二人の胸の中を締め付けていく。
サナギは千松をちらと見た。着物の下から伸びる赤黒い両脚は胡坐をかいて両腕を組み、同じように両腕も組まれ、微かに開けられた口の端からは食いしばった狼の牙がうっすらと覗いていた。
サナギは眉間にしわを寄せて厳しい目をしている千松と目が合い、胸の奥が震えるのを感じてそのまま口を結んだ。
──千松くんが本気になって人間を攻撃したら、怪我じゃどころか、殺しちゃう。
千松は妖怪として持っている能力を除けば、人間とほぼ同じだ。しかし人間より体格が違う分、体力や筋肉のつき方も違うため体力勝負では人間など相手にならない。そうやって約五年間、サナギを死なせないために悪事を働いてでも逃げ続けてきたのだ。ここに来て千松が事を起こせば、きっと千松はここの護役たちによって祓われるか、もしかしたらそれ以上の……とにかく、サナギは千松といられなくなる。それだけは何があっても避けなければならない。
「神社裏に呼び出して、逆さ吊りにでもするか」
二人の目付け役で同行した雀の妖怪アキノヒだけは「とんでもない!」と千松を窘めようとしたが、雀と同じ大きさの自分の言葉は身体の大きな狼の妖怪にとって納得させるだけの力を持っておらず、なんの抑止力にもならなかった。元から神を嫌っていた千松には何を言っても聞かなかっただろうと、サナギは壁を背に座って畳を睨みつけた。
千松に対して事実無根とは言い難いが、ありもしない話をでっちあげて言いふらされたことに対して、それを拡散させた本人になんとは痛い目に遭わせたくて仕方ない。
──それでも、悪いことはできない。千松くんといられなくなるのは嫌だ。
サナギは膝を抱えた。
社叢林を抱える神社で軽減された暑さの中、サナギは考える。
悪いことというのは、泥棒やケガをさせること。その悪いことを思い浮かべてみた。
例えば、ここに来る前に千松がやっていた金品の巻き上げ。かく言うサナギだって、それらが化けた食料を食べて生きてきた。悪党の片棒を担いだと同じだ。サナギを汚いと言って突き飛ばした人間への暴力で、相手はサナギが見ても骨が折れたという状態になっていた。自分は擦り傷程度だったのに、同じ場所がうずうずと痛んだ気がした。あの悲痛な叫びはしばらく耳に残って、眠れなくなったことがある。
あんな思いはもうしたくない。
「そなたたちはまだ幼い」
雀の妖怪は笠を被って窓辺に立ち、開けられた窓の外を窺った。朝の混雑程ではないがやはり人は多く、耳を澄ませばセミの声に紛れてラジオで──、狼の妖怪が──、新しい護役に取り憑いているのでは──、と聞こえてくる。ここの護役が二人を部屋に戻したのは必要以上に好奇の目に晒されないよう、守ってくれたことが理解できた。
俯いていたサナギの耳が、アキノヒの小さな悲鳴を拾った。顔を上げると、雀の妖怪は窓と反対方向の壁を見て目を見張っている。視線を追えば、部屋の壁に外から迷い込んできたセミが張りついていた。
ビイィィィィィィィィ!!!
鳴きだすセミの声にサナギは耳を塞ぎ、千松は厳しい目つきで立ち上がってセミに握った拳を叩きつけた。ビッ! という断末魔を最後に、部屋の中は音量を取り戻す。
「なんということを」
アキノヒはその残骸を殴った手に包んで窓から捨てる千松を、憐みの目で見つめた。
「セミの命は人間より短いのだ。追い払うことだってできただろう!」
アキノヒは続ける。立ち向かわず、受け流すことだってできる。短絡的に考えるなと。
サナギはハッとする。
殺してはいけないが、この怒りの元凶をぎゃふんと言わせたい。
それなら、暴力以外なら?
「千松くん、いいこと思いついたかも!」
汚れた手を着物の裾で拭く千松に、サナギは目を爛々と輝かせて予想以上に大きな声を出した。




