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鳥居の島  作者: 青竹煤
護役サナギ
64/81

開戦前

 今まで何度も実力行使で起こしてきたツガがいない。つまりは寝坊し放題だ。

 サナギを護りながら、好きにやらせてもらおう。

 そんな甘いことを考えていたのに、眠っている間に何人もの護役もりやくたちに部屋に押し入られて耳元で大声を出され、毛を引っ張られ。やり返すくらいならと無理やり睡眠を続行しようとしたら部屋の外に引きずり出されて、そのまま外に出された上に手水ちょうずをバケツ四杯分は掛けられた。いや、感覚として「掛けられた」と優しく言うより、乱暴に「ぶっかけられた」と言った方が適切な表現だったろう。

 そうやってツガにされるよりも雑に起こされた千松は、タオルももらえず水が滴るまま、食いしばる歯を隠しもせずに、人数はまばらだが遠巻きに見ている参拝客に八つ当たりの視線を投げ続けて促されるまま、拝殿前に立つ護役の集団の中に入っていった。


 千松はぽたぽたと水を滴らせるままに、自分の守護対象である、龍の鱗を示す装束に身を包んだサナギの隣に立つ。その様子に恨めしさを感じてしまい、赤い差袴さしこの護役は自分の守護霊と顔を合わせることができずにいる。

 「サナギ」

 背を丸くして目だけで自分を見上げているサナギを、怒りを腹に押し込んだ低い声で呼べば、その肩がびくりと震えるのが見えてしまう。

 「なんであいつら止めなかった?」

 「私も、私だけがここにいればいいって言ったんだけどね? ……守り神様が連れて来いって」

 サナギのおどおどした答えを聞き、千松は狼の唸り声を漏らす。

 「ここの守り神も、ロクなもんじゃねえ」

 「そこで『糞』と言わないだけ、褒めてやる」

 背後から突然降ってきた暢気な声に、サナギは今度こそ悲鳴を上げる。

 「俺だ。この島の守り神の禊月けいげつヅナだ」

 そのずんぐりとした熊の下半身に着物の袖から熊の手を覗かせるが、衿から見えているのはおそらく人間の上半身。頭は人間のものだが、鼻だけが熊のそれ。名乗らなくとも、前の日に挨拶と話しをした禊月ヅナだ。

 「わざわざ起こすってことは、俺がいなきゃ始まらねえもんでもあるんだろうな!」

 千松は右手で勢いよく濡れた頭を掻いて、のほほんと笑顔を浮かべる熊の神様に水を飛ばす。水は禊月ヅナにも掛かるが、周りにいた何人かにも跳んだ。

 「やめなよ千松くーん!」

 「よい、よい。気持ちよく眠っているところをあのように起こされれば、誰でも怒りは湧くというものだ」

 はっはっはと笑い飛ばす守り神だったが、そのままはっきりと言い放つ。

 「お前が眠っている間にこの娘に何かあったら、守護霊の名折れだな?」

 豪快に濡れた部分を掻いていた千松の手が止まった。


 サナギに何かあったら。そう考えるとセミの声もまとわりつく夏の湿気も、千松の背を冷たくさせる。

 ほんの少しだけ、眠っていたいだけだ。サナギから離れたいと思うこともある。しかし、それの間に何かあったら?

 考えられないことではない。それでも、少しくらいいいだろうと思ってしまう。

 「事故というものは、どこにでも転がっているぞ。目を離したことを悔やむ日も、遠くないだろうな?」

 右手を下ろし、濡れている左手でサナギの手を握る。その目はヅナにとって、怯えているように見えた。失うことが怖いなら、なぜ自分の欲望を優先するのだろう。れっきとした守護霊なら、優先させる欲などない筈だが。

 ──妖怪上がりとはいえ、ここまで人間に近いとは。やはり、この存在は異質だ。

 「千松くん、手ぇベチョベチョ」

 「うるせえ。すぐに乾くだろ」

 心境に変化のないサナギと打って変わって、千松の表情はこわばっていた。



 参拝客がちらほらと見え始めた午前八時少し前。施設からはランドセルを背負った子供たちが暑くなり始めた気温の中、「行ってきます」の声と共に参道を元気よく走っていく。何人かは千松とサナギに手を振って、鳥居の外に駆けて行った。セミの声が、子供に負けじと大きく響いてくる。

 サナギは、昨日と同じおみくじ係を言い渡された。

参拝客が引いたおみくじ棒の番号と合ったおみくじを渡すというのが仕事だ。

 二日目となると慣れたもので、動作にも余裕が出てきた。千松は休憩室でごろ寝とはいかず、濡れた体を乾かすために社務所の横の日なたで汗をかきながら乾くのを待っているため、注目を集めた。


 「ほら、あれじゃない?」

 「新しい置物じゃないか?」

 「あんな悪趣味な置物、マサナリさんが許さんだろう」

 「妖怪だ」

 「本当に妖怪なの? 私が見えてるんだけど」

 自分に注がれる視線を遮断するように目を閉じ、しかし耳だけは人間の音を拾っていく中、千松は違和感を覚えた。

 ──昨日より、人間が多い。

 そう。多いのだ。昨日ここに来た時と比べて、やってくる人間が多すぎる。

 ──俺のせいか。

 見慣れない妖怪が珍しいのだ。千松は軽く考えてしまった。ほんの一か月前までは全てに警戒していたのに、守護対象であるサナギが安心して住める場所を見つけ、受け入れられたことに安堵したのだろう。サナギだけでなく自分のことも大事にしないといけなかったのに、千松はすっかり油断してしまっていた。


 境内が参拝客でいっぱいになろうかという午前九時。

 いつもと違う様子に、それまでは隅でじっとしていた魍魎もうりょうたちがせわしなく走り回ったり人間たちの方に突っ込んでいったりしているのを、サナギたち護役の目が捉える。

 「昨日、こんなに人来たっけ?」

 社務所の外でひしめく人たちに恐れをなしたサナギがおみくじの筒を持ったまま呟く。ここから見える人たちは皆、こちらではなくその隣──千松を見てなにか囁き合っていた。

 「ああ、護役長が、大事な話があるってラジオでみんなに呼び掛けたんだよ」

 この島の護役が立ち上がり、サナギの肩を叩いた。

 「いいかい、これから嫌な気分になるだろうけど、この島から逃げちゃだめだよ。

 サナギさんには理解できないことかもしれないけど、必要なことだから。

 守護霊をしっかり守ってやってな」

 このおじさんは、何を言っているのだろう。

 サナギはそんな、理解していない顔で頷いた。

 ──守護霊を守るって何だろう。千松くんは私より……人間よりずっと強い。私で守れるの?

 サナギは本当に理解していなかった。

 誰の目にも映る妖怪がいることで他の人間がどう思うかも、周囲に及ぼす影響も、なにもかも。


ジリリリリン!

ジリリリリン!

ジリリリリン!


 社務所内の電話が、三度鳴って止まった。

 その合図を聞いた護役三人が、すっと立ち上がる。

 一人がサナギを促し、四人で外へ出る。社務所横の千松を回収し、社務所と宿舎の裏を通って拝殿前に立ち、他の護役たちと同じように参拝客たちに向かう。


 青い差袴さしこの中に、赤いそれが一人。しかもよその島の守り神を表しているのだから、視線は集中した。それは千松も同じだ。護役の一団の中に紛れることができない背の高い狼の姿の妖怪は、集まった参拝客たちのどよめきを呼ぶ。

 誰にでも見ることができる妖怪。妖怪を見ることができなかった人たちが、口をあんぐり開け、または目を見開いている。

 大勢の人間が、こちらを見ている。なぜこんなことになっているのかわからないサナギが抱えた緊張感は、潜竜島せんりょうじまのお披露目の時の比ではない。

 「大きな、妖怪です……。大きな犬、いや狼でしょうか、身長が二メートルはありそうです。着物を着崩した妖怪です。身体は大きく、赤黒いとでもいうのでしょうか。そういう色をしています」

 どこかで聞いた声が千松を表している。サナギにはすぐに分かった。潜竜島で聞いていたニュースの声だ。


 やがて、護役の宿舎からマサナリがやって来た。胸を張り、肩で風を切って歩幅も大きく進むその様は、見ているサナギもシャンと背筋が伸びるような、引き締まったものを感じさせる。

 護役たちと参拝客たちの間に立ち、横に目配せをしたマサナリ。それを合図と受けた二人組が、その護役長の隣にやってくる。

 一人はマイクを持った女。茶色の短髪を顔の輪郭に沿うように軽く巻いていて、白い袖のないシャツにひざ下までの丈のオレンジ色のスカートを穿いていた。

 サナギから顔は見えなかったが、マサナリと挨拶をしているのを聞くと、やっぱりニュースの声だと確信した。聞き取りやすく張りのある声は、まさしく朝にラジオから流れていたものだ。

 もう一人は固太りした男で、肩から大きめのカバンのようなものを下げていたが、よく見れば女のマイクにコードが繋がっている。録音の機械だろうか。


 「取材かな」

 千松に囁くと、「シラネ」とそっけない返事。

 「それより、あの姉ちゃん。イイねぇ。ここに来てる人間の中にも、イイ感じの女が」

 「やめて。取材かもしれないから、千松くん変なことしないでね」

 肘で小突いて注意するサナギと気楽な千松は、この後のことでマサナリへの評価が大きく変わることになる。


 思いもしなかったのだ。

 まさか、護役長であるマサナリが二人に──主に千松に対して、堂々と喧嘩を売ってくるなど。

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