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鳥居の島  作者: 青竹煤
サナギと千松
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逃亡

 光輝(こうき)八年 秋三月十九日。

 「星戸(ほしど)地方(まく)町の施設から、入所者一名が行方不明になった。名前はユウ、性別は女。歳は十七歳。茶色の髪で、目は垂れている。見かけた方は最寄りの交番、警察署にご一報ください」


 人間たちの間でサナギが……いやユウがいなくなった報せはテレビを始めとする人間のネットワークで世間を駆け巡るが、千松はその事については何の心配もしていなかった。人間は自分に関係がなければ何もしないということはわかっていたし、ユウを血眼になって探しているわけではないことも把握していたからだ。親戚はおろか親すら()()()この少女には、帰る場所はもとより行く所も受け入れ先もない。


 サナギが施設にいた間、千松は何もしなかったわけではない。彼女を見守り、また町に出ては彼女がこの先生きていく場所の環境を把握しなければならなかったので、人間の技術についても多少は知ることができた。

 それはあの施設に対しても例外ではなかった。何しろ大事なサナギのいる所で、一番知らなければならないことだった。


 あの施設は居場所のない人間たちが行きつくところだ。それは確かにそうだし、どこも間違っていない。しかしその中身は、いつまでもいていい場所ではなかったのだ。


 あそこは心が弱りきった人間たちの避難場所。そこで暫しの休息をとり、自身を回復させて社会復帰するための場所なのだ。利用に該当する人間に年齢制限はなく、子供から大人までの数十人が常にいて、中には大人でも子供のように振る舞うことが許された者もいる。職員たちは利用者の先生や友人、時には文字通りの親となり、彼らを生徒として友人として、そして我が子として関わることで施設から巣立たせる役割を持っていた。


 なぜ千松がそれを知り得たかというと、町に行っている間に情報を溜めたからである。在り方が変わってしまった千松は、見える人には見えるという存在ではなくなったため、どこに行っても注目の的だった。しかしどこに行っても精巧にできた着ぐるみだと思われていたようで、特別困ったこともなく情報を集めることができたのだ。


 あの施設で社会復帰を果たした人間はいるようだが、しかしサナギの場合は様子が違ったらしいというのは、ある時に道で落ちていた新聞から知った。

 町の方針だか新しい試みだかで、施設で動物を飼い、利用者や職員に癒しを与える計画が持ち上がったと。

 実際にそれは、行き場を失い施設に飼われることになったペットたちの役割になっていたが、千松の頭には真っ先にサナギが浮かんでしまった。サナギに対する職員の可愛がり方に、人間以外に向けるようなものを感じてしまったのだ。施設側では分け隔てなく同じように対応していたのだが、千松はそうは思わない。だからサナギがいつまでも出てこないのだと。サナギをペットのようにして施設から一生出さないつもりなのだと、千松は危機感を抱いたのだ。


 千松はサナギを担いだ状態で、人間では及ばないほどの身体能力を駆使してビルの屋上から別の屋上へと渡り、すぐに幕町を出た。ビル群の中に民家が混ざり始めた頃には日も暮れかかっており、民家も通りも歩く人々もみな平等にオレンジの光を浴びて長い影を落とす。サナギを担いだままの狼は狭い路地を見つけるとそこに彼女を押し込み、辺りに誰もいないことを確認してから不安そうに見上げるサナギの頭に軽く手を置いた。

 「俺が戻ってくるまで、そこにいろよ」

 「どうして?千松くん、どこかに行っちゃうの?」

 「食いものを探してくる」

 「私も行く!」

 サナギは路地から出ようとするが、千松の手はそれを許さない。路地から出てこようとする頭を押し戻し、そこにいるようにと念を押す。

「お前はここにいろ。必ず戻って来るからな」

 サナギの返事も聞かず、千松は風を巻き起こしてどこかに駆けて行ってしまった。


 置いていかれたサナギは、立っていることしかできない狭い路地の影の中で、オレンジ色の通りに顔を向けながら千松の帰りを待ち、それに飽きると先程まで自分がいた場所のことを考え始めた。

 ──みんな心配してるよね……。

 自分の部屋には、仲良くなったお兄さんがくれたぬいぐるみがあった。まだそれに名前を付けていない。職員のお姉さんに読んでもらうはずだった絵本。職員のおじさんに、黒いクレヨンが欲しいとお願いしていた。一緒に遊んで友だちになった、痣だらけだった女の子。今日の配膳当番は自分だった。

 ──千松くん、早く帰って来ないかな。お願いして、家に帰してもらわなきゃ。

 夕の時間は短い。気がつけば日はすっかり沈んでおり、施設の制服から秋の夜の寒さがサナギを包む。

 ──今、何時だろう。もうご飯が終わって、お風呂の時間かな。

 ──早く帰りたいなぁ。お腹空いたし、お風呂もまだだし。

 そしてサナギは突然気付く。今、自分は一人なのだと。周りに誰もいない、完全に独りだと。辺りを見回してもやはり誰もいない。その事実が急に胸の中に突き刺さり、体の中に焦りが生まれた。

 「帰らなきゃ!」

 ここにいたくない。みんなの所に帰りたい。その思いがサナギの中で肥大していく。一人になった恐怖に支配される。誰でもいいから助けてほしい!


 堪らなくなってサナギは路地を出た。アスファルトの道の両側に塀が延々と続いていて、一定の間隔を空けて街灯が頼りなさそうにぼんやりとした光を放ち、夜の道に滲みを作っている。慌てて辺りを見回すが、誰も歩いていない。塀の向こうの家からは温かな明かりが漏れていて、微かにおいしそうな匂いが漂い始め、サナギの空腹感を刺激した。

 「あ、あ……!」

 目の前に張られていく涙の膜さえも孤独感を煽り立てるので、サナギは必死に袖で拭うが涙は収まらず、しかしもうここにいたくなかったので泣きながら歩き出す。

 ──帰りたい。帰りたい!

 涙に濡れる目で辺りを見回し、千松の肩の上から見た景色を思い出しながら塀の切れ目まで歩く。しかし、そこまでだった。千松は屋根の上を跳び回って移動している。サナギでは絶対に来た道を辿ることができない。

 「わかんない……わかんないー!!」

 ついにサナギはしゃがみこんで小さく泣き出してしまった。しばらく泣いていると、どこからか声がする。

 「迷い子、迷い子。迎えに来たよぅ。迷い子はおらんかねぇ」

 その声はサナギが歩いてきた方向から、ゆっくりゆっくりと近付いてくる。泣くことに夢中だったサナギがそれに気付いたのは、自分のすぐ後ろにそれが来た時だった。

 「迷い子はおらんかねぇ」

 高くもなく低くもなく、ねっとりと不気味な声。しかしサナギは構っていられずに立ち上がって振り返った。目深に帽子を被りコートを着た男が、サナギに裂けた口元を見せる。

 「誰?」

 泣き過ぎて赤くなった顔でサナギは見上げるのだが、顔は全く見えない。帽子の陰から除く、鼻から下の灰色の肌だけが人間ではないことを表していた。

 「迎えに来たよぉう」

 男は白い手袋を嵌めた手を差し出す。サナギはそれを見て、助けてくれるなら誰でもいいと手を出した。男の手を握ろうとしたその時……。

 「出てくんなって言っただろ!」

 怒りを含んだ声とともにサナギの体は後ろへと引かれ、固いものにぶつかった。同時に黒い腕がその体に回される。

 「迎えに来たんだよぉう」

 なおもサナギを捕まえようと男は己の手を差し出すが、サナギの手はもう下りてしまっていた。

 「てめぇ、この辺の都市伝説だな?」

 サナギの頭の上から発せられる恐ろしく低い声が、男に咬みつく。サナギはただ男を見ていた。男もサナギを見ていたように思える。

 「迷い子かぇ?」

 男は訊く。そしてサナギの頭の上からすぐに「違う」と声が降ってきた。

 「よく聞け都市伝説。こいつは俺のもんだ。俺だけのもんだ。てめぇには髪の毛一本だってくれてやるわけにはいかねえ。わかったら去れ」

 男はサナギの上を見る。そして、ゆっくりと踵を返し、迷い子はおらんかねぇと、か細い声を上げながら夜の道に消えていった……。


 あれからその場にいると危険だと判断した千松は、サナギを抱えて民家も疎らな場所に移動し、屋根のあるバス停の下に入るとそこで溜まっていた怒りをサナギにぶつけた。

 「耳がねぇのかてめぇは!」

 怒鳴られてサナギの肩が竦んだ。千松は怒りに任せてベンチにドスンと腰を下ろして脚を組む。

 「動くなっつったろ?言ったよな俺!?なんで動いた!」

 「だ、だって、だっで……」

 孤独感からではない涙がサナギの言葉をつかえさせる。話をすることは不可能だと判断した千松は、サナギを睨みながら持っていた袋をその足元に投げつけた。

 「食え。食ったら寝ろ」

 それだけ言うと、千松はベンチに寝そべりサナギに背を向けた。

 サナギは泣きながら袋を拾い上げて、バス停の前の通りの電灯の下に行きそれを見た。ビニールに入った菓子パンだ。切り込みにしたがって袋を開け、いざ食べようと口を開けるが──口を閉じて半分に分けた。

 「せんまづ、ぐん……」

 「食ったら寝ろっつっただろ。そんな言葉もわかんねえのか」

 「ごっち、みで……ぐすっ」

 「あ?足りねえってのか!」

 半身を起こしてサナギをもう一度怒鳴りつけようとした千松は、目に飛び込んできた物に言葉を失くした。

 「何のつもりだ」

 子供のような泣き方をするサナギの手に、分けられたパン。それが自分に向けられているのだ。

 「半分こ……」

 「い……」


 いらねぇ、と言いたかった。言えなかった。自分が空腹である。千松もそうだろうと思ったのだろう。実際千松はサナギに食べ物を与えるために奔走して、自分は何も食べていなかった。しかし自分の口から「貰う」という言葉が出た時、信じられない気持ちだった。今まで誰かに食べ物を恵んでもらおうと思わなかったのに。

 千松は座り直し、サナギを隣に座らせた。

 「いただぎます」

 泣きながらなのでまともに喋れず、涙も鼻水もダラダラ流してパンに嚙り付くサナギを横目で見ながら、千松は何も言わず貰ったパンを口に放り込んだ。


 次の日も千松はサナギを担いで移動する。今までいた町が遠く、空気の青の向こうからうすぼんやりと見える頃には太陽は高く昇っており、景色も畑が広がってその向こうには山が見えるようになる。

 「千松くん」

 肩の上でサナギが声を出すので、千松も走りながらなんだと応えた。

 「お願いがあるの」

 「なんだ?」

 「あのね、帰りたいの」

 まさか出てくるとは思わなかったその言葉に、千松はバランスを崩して脇の畑にサナギを担いでいない方の肩から突っ込んだ。

 「痛い」

 サナギはすぐに起き上がったが、千松はそのまま顔を覗き込んできたサナギをぽかんとした顔で見返した。

 「お前、何言ってんの?」

 「え?」

 今度はサナギがぽかんとした顔になった。千松はやっと体を起こして、そのまま畑に座り込む。サナギは土の上にあぐらをかく千松に向き合うようにして正座した。

 「あのな?お前はあの場所にいちゃいけねえの。だから俺が連れだしたんだよ」

 「なんで?」

 「お前はあそこから出られねえから」

 「どうして?」

 「お前が出る頃には、婆さんになっただったろうからだよ!」

 「わかんないよ」

 千松は深くため息を吐き、きっぱりと言い放つ。

 「お前がバカだからだ!質問おわり!」

 「私、バカなのか……」

 考え込むようにして呟くサナギに吹き出しそうになるが、千松は耐える。サナギを担ごうとするが断られてしまった。

 「歩けるもん」

 「だめだ」

 強引にサナギを担ぐと、肩の上で暴れ出した。

 「歩くー!」

 「だめだっつってんだろ!」

 「なんでー!」

 「うるせぇ!黙って運ばれろ!」

 いちいち説明はしていられないのだ。千松は一刻も早くサナギを安全な場所に連れて行かなければならないと思っていた。できればもっとずっと遠く、サナギがいなくなったという報せ自体が届かない土地へ行かなければならない。

 サナギが安心して暮らせる土地を探さなくては。

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