定期船にて
ジリリリリリン
ジリリリリリン
ガチャ
「はい、時鐘島禊月神社です」
「おはようございます。潜竜島玲瓏神社、護役長のツガです」
「ツガ君ですか。新しい護役を迎えたということで、そろそろ連絡が来ると思っていましたよ」
「はい。そちらに向かっていますサナギは未熟なものでして、何かあったら守護霊もろとも叱ってやっていただけると」
「守護霊。ああ、そちらの新人は以前こちらで騒ぎを起こした女性と妖怪でしたね。
久しぶりに護役が増えたわけですし、色々疲れることもあったでしょう。
こちらで見ておきますので、ツガ君は少し休んでください」
ツガは大きく息を吐いて受話器を置き、再び持ち上げて思いダイヤルを回し始めた。
正直なところ、不安でたまらない。
サナギは守り神に対して畏怖と敬意を持った接し方ではなく、まるで友達のような気軽さで男神玲瓏ヒに絡んだ。それは護役としてやってはいけないことだ。注意したらへそを曲げて、黙って家を出てしまった。夕飯の時間に帰ってきたが、自分が悪いということを理解していなかったようで「ごめんなさい」の「ご」の字も出ないまま今日という日を迎えてしまった。
こんな態度をよそに取ったらと考えると、気が休まらない。
やはり早すぎたのだ。
ツガは頭を振ってもう一度受話器を置き、ダイヤルを回しなおす。
どれだけ不安を溜め込んでも、サナギの挨拶回りの件は女神である玲瓏スイの気遣いである。
今回のことは当事者であるサナギはもちろん、玲瓏ヒに対してもこの島の守り神にも護役であるツガにも、頭を冷やす必要があった。
それぞれ離れて、冷静にならなくては。
──この島に来られたお客様が手伝いを申し出てくれてよかった。
ツガはサナギたちと一緒に家を出た雀を思い、ゆっくりと深呼吸をした。
おそらくは千松という珍しい存在に興味を引かれたが故の申し出だろうが、ツガはそれに甘えた。自分がいない状況で、サナギたちの手綱を引き導いてくれること信じて待とう。
子のない自分だが、サナギが帰って来た時に温かく迎えてやれるように。
冷静に話を聞いてやれるように。
自分も頭を冷やさなければ。
「船って揺れるねー!」
護役の装束と肩までの髪、そこに結わえ付けたピンクのリボンを海風にはためかせたサナギとは逆に、サナギの守護霊である千松は定期船の長いシートに寝転がって大きく寝息を立てていた。
午前六時半の夏の空は寝ぼけたように薄い雲で覆われていて、悠々と空を飛ぶカモメとそれに紛れた植物の塊を背負った鳥のような姿がよく見え、甲板から身を乗り出せばずっと低い位置に海面が白い線を引いて後方に広がっていく。船の起こした波に、確認はできなかったが海の生物とも違う何か大きなものも見えた。
サナギには揺れる船も広すぎる空もすべてが珍しくてはしゃいでいるが、毎日通勤や通学でこの船に乗っている潜竜島の住人たちはサナギに苦笑する者半分、千松を遠巻きにする者半分だ。
「この者は、あなたを護る気がないように見える。やはり妖怪が守護霊など、務まるものではないのだ」
千松が眠るシートの背もたれ立つ雀の姿の妖怪アキノヒは、眼下に眠る妖怪をからかってやろうと自分の羽根を一枚抜いて、ぱっかりと開けられた狼の口に落としてみた。犬歯に当たった羽根はするりと舞い降り、舌に当たったように見えた瞬間口がバクンと閉じられてアキノヒの体が小さく跳ねた。再び開けられたときには、羽根は影も形も消えている。
「朝は起きない、眠りながら口に入った物を喰う。サナギ殿、あなたはこの妖怪が守護霊でいいのか?」
サナギは千松の後ろのシートに腰掛けて荷物を膝に載せて、アキノヒの質問ににっこり笑う答えを返した。
「他の守り神様、ヒ様やスイ様みたいによくわからないことで怒らないといいなぁ」
わからないのはそなたの頭だ。アキノヒはそう言いたいのを堪え、代わりに「他の神様も、同じように厳しく優しいだろう。心するといい」と返して甲板の手すりに飛んだ。
「おお、あれがかの有名な、│海河童の土俵か!」
それが聞こえたサナギと何人かの乗客は、なんだそれはと言わんばかりに手すりに駆け出した。
「海のカッパ?」
サナギが夢中になって海を見つけているアキノヒに尋ねると、手すりの下から視線を投げている小学生の少女が「見えた!あれかぁ」と少しがっかりした声を出てサナギに場所を教えてくれた。暗い青の中にあってそこだけが盛り上がり、澄んだ水の色をしているそれは、土俵と言われればそうなのかもしれないと思わせる。
「学校で教わったよ」
少女はランドセルから一冊の本を出して、読んでくれた。かいつまむと、海に挑みに行った河童が土俵を作って挑戦者を待ち受け、鯨の妖怪に負けたという話だ。
「挑戦する気持ちは大事ってことと、ジカクすることの重要さのお話なんだって先生が言ってた。よくわかんない」
少女は首を傾げながら、本をランドセルにしまった。
「毎日見てるものに説明がつくとスッキリするけど、ちょっと残念だよね」
腰の曲がった小さなお婆さんが少女の頭を撫で、サナギに一礼してシートに座るのを見届けてからまた海に視線を投げ、悲鳴を上げて慌てて千松の眠るシートに逃げた。
大きな魚の形をとった無数の骨の集合体が跳ねる様は酷く哀しく、そして胸に詰まるほどの嫌悪感を抱き、大きな波が来る前にサナギは千松の手を強く握りしめるのだった。
今の波は大きかったなと口々に話し合う乗客たちの中、海に恐れを抱いたサナギは震えて千松の手を握りながら、アキノヒに今見たものの説明を求めた。しかしアキノヒには見えなかったらしい。
「あんなに大きいのに、見えないの!?」
まじまじと困った様子のアキノヒを見つめるが、やはり困った様子の答えしか返ってこない。
「妖怪にも、見えるもの見えぬものはある。すべてを見ることができるのは、神と呼ばれる方々くらいだ」
サナギはすっかり弱気になって、おそるおそる先程の巨大な妖怪のいた海に視線を投げるが、それはもう見えなくなっていた。他の乗客たちがざわめくが、サナギの手は千松につないだまま離さない。
「あなたは潜竜の護役なのだ。それらに対してあからさまに怖がれば、見る者に不安を与える」
「ええ……」
「『ええ~』ではない。肩書に恥じぬ力を身につけさえすれば、それでよいのだ」
アキノヒは察する。このまま時鐘に着いても、今見たものに恐れを抱いている限りは何も身に着かない。お目付け役として付いて来た側面もある以上、多少は気を逸らしてやるか。




