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鳥居の島  作者: 青竹煤
護役サナギ
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着物

 湿気を含んだぬるい風が、タゲさんの家の軒先に吊るされた風鈴を撫でて通り過ぎ、ぜつが煽られて涼しげな音を鳴らさせる。

 玄関の前に立ったツガは汗の浮いた額にハンカチをポンと当ててから、「連絡をいただきました」と声を上げ「千松です」と続けたので、千松は驚いた様子でツガを見下ろして同じように声を上げた。

 「バーさん、着物もらいに来たぞ……イテッ」

 千松の脇腹にツガの肘が食い込んで、千松は声を漏らす。

 「お願いして、作ってもらって、それを受け取りに来たんだ。言い方を考えなさい」

 「千松くん、身体ガッチガチに固いのに、今の効いたの?」

 サナギの問いに、千松は脇腹をさすって「油断した」と答える。

 「へぇ、痛いんだ」

 知らなかった。自分も今度、千松くんの隙をついてみよう。好奇心のままにサナギがそれを決めていると、縁側からのんびりとした声が三人を出迎えた。タゲさんの娘さんだ。

 「いらっしゃい。今、玄関を開けますね」



 三人は玄関から入り、客間に通された。今、母を呼んできますねと娘さんは麦茶を出してくれて、すぐに家の奥へと消えていく。

 出された麦茶と緩やかに流れ込んでくる風に鳴らされる風鈴の音と庭のはきはきした緑の色に、今が夏であることを深く印象付けられる。サナギにとって何年振りかの、千松にとっては初めてののんびりした夏の時間だ。


 「静かだね」

 何年振りかののんびりした時間を感じるサナギがそう口に出せば、千松は居間の中をきょろきょろと見回して落ち着かねえと答えた。千松にとって、何もせずに待つだけの時間は初めてで、居心地が悪いらしい。

 「のんびりしていればいいのに」

 「そうは言ってもよぉ」

 客商売の家らしく、この部屋にも商品が飾ってある。青鈍色あおにびいろの地に、同系色でわかりにくい鋼色はがねいろの糸で二体の龍が襟に刺繍された男物の着物。淡黄色たんこうしょくの生地でできた着物の裾から、下に向かってほんのりと一重梅ひとえうめの柔らかいピンク色が混ざっていく女物の着物、他にもいくつか飾ってあり、それらの色の名前はわからなくとも、一枚一枚が刺繍や色でサナギの目を引いた。


 千松が落ち着きなく薄汚れた薄い青の着物の衿を直し始めた頃に、やっとタゲさんが現れた。小さなお婆さんが、薄くて大きい紙箱を持ってニコニコしながら入ってくる。後ろからは七十を過ぎた娘さんが同じように、紙の箱を持ってきた。

 緊張して表情も変えられずに自分の着物の衿を持ったままの千松に、タゲさんは優しく声をかける。

 「よく来たね、千くん」

 「千!?くん?」

 自分の呼び名だと理解した瞬間に、千松は口を大きく開けて言葉にならない声を何度も漏らす。それを見てサナギは少し笑ってしまった。ツガも、千松を横目に口の端をにやりと上げ、ごまかすように麦茶のコップを口に持っていく。

 「そうだよぉ、千松だから、千くんでしょ」

 からかうようにタゲさんは千松の顔を覗き込み、娘の助けを借りて三人の向かいの小さな籐椅子に座る。

 「護役さんたちも、今日はよくお越しくださいました」

 「いいえ。こちらこそ、無理を言いまして」

 ツガは慣れたもので、タゲさんと互いに会釈をして挨拶する。サナギもそれを真似して、タゲさんに軽く頭を下げた。


 「千くんの着物はね、ツガさんから余ってる生地でと頼まれたんだ」

 タゲさんの話しを聞きながら、娘さんの手で紙の箱が開けられる。千松は目を見開いてそれを覗き込んだ。まず目に入ったのは、保存のために着物を包む帖紙たとうがみ。それをひらりと開けると、辛子色からしいろの生地が見えた。

 「お、おぅ……」

 感想を口にせず、この色に釘づけになっている千松はただ口を開けたまま頷いた。

 「おうって、他に言うことがあるだろう」

 ツガが窘めるが、千松の目は着物に注がれたままで反応はない。

 「千松くん、よかったね。千松くんの体の色に合ってると思うよ。目立つよ」

 サナギが赤黒い毛に覆われた千松の顔を見上げて肩を叩いてみたが、それでも千松は動かない。やっと動いたと思ったら、目の前のお婆さんに硬い表情を向けただけ。

 サナギはムッと口を曲げた。今までこんなことはなかったはずだ。何があっても自分の呼びかけに答えた千松が、自分だけのものではなくなる気がした。それはサナギにとって歓迎すべきことなのに、どういうわけか面白くない。好きにすれば、と思って縁側に目をやると、巻いた尾の茶色い犬がこの日差しが降り注ぐ庭を駆け回っているのが飛び込んできた。ここの飼い犬だろうか。


 「これ、本当に貰っていいのか?」

 千松がやっと絞り出した言葉に、にこにこしていたお婆さんは笑い声をあげた。

 「貰っていいも何も、千くんのために拵えたんだ。ツガさんだってサナギちゃんだって、きちんとしたものを着てほしいはずさ」

 思いもよらないところで自分の名前が出たので、サナギは庭から部屋の中に目を戻した。目の前のタゲさんはやはりニコニコしていて、自分を見ている。

 「ねぇ、サナギちゃんも、千くんには新しい服を着てほしいよね」

 話しを聞いていなかっただけでなく、このお婆さんに苛立ちを感じていたサナギは急に居心地が悪くなり、一度だけ頷いて見せた。するとツガの、きちんと答えなさいという注意が飛んできた。サナギは渋々、千松くんのためにありがとうございますともう一度頭を下げるのだが、当の千松は手を伸ばして着物をつついたり指先で撫でたり。まるで施設にいた、未知の物に初めて触れた子供だ。今度は千松に苛立つ。

 「千松く」

 「千松さんに、母はもう一枚用意しているんですよ」

 サナギが千松の名を呼んだその時、娘さんの言葉が重なりサナギの声は遮られた。サナギはますますムッとして、再び庭に目を向ける。

 やはり、庭には犬がいる。こちらを見て尻尾を振り、遊べと吠えている。この家の犬なら千松の用事が終わるまで遊んでいようかとも思うのだが、自分の守護霊の用事には自分は不可欠だ。待つしかない。


 「寝巻!?俺の?」

 千松の大声にサナギの意識が戻される。タゲさんは千松の普段の着物と寝巻を作ってくれたようで、千松は座りながらでも尻尾を左右に激しく振って畳を擦る音をザリザリと響かせている。

 「ばぁちゃん、あ、ありがとな!おっさんの家の寝巻は合わなくてよ!」

 ──そういえば人間サイズの寝るとき用の着物みたいなのは、千松くんが着たらパッツンパッツンだったっけ。朝見たら帯しか残ってなかったし。

 サナギは白地に波の柄が入った千松の寝巻と、これからそれを着る千松を交互に見てまた庭に目をやった。


 暑さに参っているようには見えない犬は、相変わらず夏の庭で元気に遊んでいる。何かを咥えて、振り回しているように見えた。

 ──何かを齧ってる?餌をあげたところなんて見てないけど、大丈夫かな。

 「あの、庭の犬が何か食べてるみたいなんですけど」

 全員がサナギの指す方に目をやるが、反応したのはツガと試しに寝巻を羽織ってニヤニヤしていた千松だけで、タゲさんとその娘さんは庭に何かいるのかとサナギに訊くだけ。説明する間もなく庭を見ていたツガが「大変だ」と庭に出て、宝物をとられまいと嫌がる犬を押えて咥えていたモノを取り外そうとするのが見えた。犬は暴れていて、ツガは苦戦しているようだ。

 「あわわ、私も行きます!」

 サナギもすぐに玄関に行って草履を履き、ツガの加勢に入る。サナギが犬の体を、ツガが頭を押さえてようやく加えていたモノを外すことに成功し、サナギはツガが持つそれを見てあっと口を開けた。

 犬が咥えられるほどの大きさで、着物を着たすずめだったのだ。

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