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鳥居の島  作者: 青竹煤
護役サナギ
44/81

千松

 サナギは正式に潜竜島せんりょうじま護役もりやくとなった次の日から、大忙しの日々になった。毎日朝早くからやしろ、自分の部屋及び家の中の掃除に加えて駐在所への顔出し。深い知識もなく護役になったため、覚えることが多すぎたのだ。食事以外の時間は本を読み、ツガの仕事について行って仕事を見て覚えるついでに島民の顔を覚えなくてはならない。更に困ったのは、千松のことだ。


 千松はこの島で受け入れられてから、サナギも知らなかった面を見せるようになっていた。

 まず、早くに眠って朝起きない。

 夜にサナギが勉強しようと部屋に本を持って来ても、眠りたい千松は電灯の紐に手を伸ばしてしまう。何度言い合いになった事か。放っておいたら昼まで寝ていることもあった。これはさすがにツガが怒って札を貼りつけ、多少改善されている。

 次に、食欲。

 千松は妖怪で、?人間と同じものを食べなくてもいい。千松が必要とする食べ物は人間の食物と違い、いつでも口に入れられる状態にはない。しかし身体は食物を欲し、目の前に食べていいものがあればあるだけ食べてしまう。これもツガによって改善された。本当に改善されたわけではないだろうが。

 最後に、異性への欲求。

 千松は性別をただの個性と捉えている妖怪たちと違い、男としての機能をある程度そなえていた。人間の男の多くと同じように異性への興味を持ち、島の適齢期の女性には必ず声をかけている。これはいくらツガでも抑えようがなく、サナギが怒ることで一時的に大人しくなる。

 睡眠欲、食欲、性欲。生き物としての欲求が強い千松は妖怪としても異質であり、正式な守護霊でも、もちろん人間でもない半端な存在になっていた。

 サナギは自分が知っていた守護霊が変わってしまった、いやもしかしたら本当の姿をさらけ出したことに驚きはしたが、自分に対する千松の態度には何も変わったところなどなかったので、千松が二人いるような気持になってしまうことが時々あった。


 夏の暑さもまだ変わらぬ昼間。庭に面した障子を開けて風を通しながらサナギは向かいの書庫から持って来た本を読みふけっていて、千松は暑さを受け入れるように畳に寝転がっていた。どちらも静かで、外の社叢林しゃそうりんから響くセミの声と風に揺らされる木々のざわめきだけが部屋の空気を揺らす。

 ふいに、サナギが動いた。文机ふづくえの上で本から顔を上げ、向かいでへたばっている千松を見ながら何やら呟き、違うとこぼしてはまた本に目を落とす。

 「何やってんだ」

 怠そうに聞く千松に、サナギは「うん」と身のない返事だけを返してまた千松を見て何か呟く。

 「おい」

 暑さで苛立ちながらきつめに訊いてみれば、サナギは平然と「名前をね」と答えた。

 「名前?俺には千松って名があるだろ」


 半身を起こして座り、うちわで自分を扇ぎながら体を傾けてサナギの読んでいた本を覗き込む。そこには何かの単語が連なっていた。

 「何だその本」

 「この島の守護霊の記録書だって」

 本を閉じると、厚さがおよそ四センチはあろうかというページ数。つまりはそのくらいたくさん守護霊がいたのだろうか。

 「これ大昔の本なんだけど、すごいよね。守護霊憑きの人の名前と守護霊の名前が書かれてるの。この島にも守護霊憑きはいたんだね」

 「守護霊なんて、大昔にはどこにでもいたらしいぞ。珍しくもねえ」

 千松は吐き捨ててまた横になったので、サナギは少し脹れた。

 「千松くんみたいな、動物の守護霊のことを言ってるんだよ」

 この華表かひょう諸島しょとうの守護霊は、この国にしてみれば珍しいものだと言われている。


 華表諸島以外の土地では守護霊になり得るものは先祖霊だが、それに対し華表諸島では縁もゆかりもない、動物の姿をした妖怪が守護霊に成るのである。

 そもそもこの世界の妖怪とは、自然から発生する魍魎もうりょうが自我を持ち成長した姿とされる。人間の姿をした妖怪というものは数が少なく、大抵はこの世で死んだ動物の姿を借りて妖怪として存在し、やがて元の動物とかけ離れた姿になるという。千松は今でこそ赤黒いという自然界にいない色の狼の姿をしているが、昔は茶色い色の狼だった。長い年月をかけて色が変わったのだ。


 華表諸島の守護霊は、親が生まれたばかりの子に降ろす。正確に言えば護役に頼んで降ろしてもらうもので、親は子に降ろすそれに、守護霊としての名を捧げる。これを字名あざなと呼び、守護霊が元から持っていた名を本名ほんみょう、字名と本名を合わせたものを括名くくりなとして、正式な場で名乗るための名になる。

 守護霊は普段は誰の目にも見えないが、対象を目に見えないわざわいから護る役割を持つ。

 以上が本来の華表諸島における守護霊であり、サナギが習った内容だ。


 「動物そのものが守護霊になる国もあるんだって。千松くんみたいな二本脚で歩く人間みたいな動物じゃなくて、鳥だったり四本脚の動物だったりね。それで、その動物が持っている力を分けてもらうんだって。場所が違うと、関係も違うんだね」

 すごいね、とサナギは笑った。

 「俺はこっちの方がいいや」

 千松は寝ころんだまま、団扇を持ち上げてヒラヒラさせた。

 「で、お前は何でこの島の守護霊の名前見てたんだよ」

 その質問を待ってましたと言わんばかりに、サナギは勢いよく本を閉じた。そこで生まれる風がサナギの汗ばんだ顔に、緩く当たって空気に溶ける。


 「千松くんの名前!字名を考えてたの!」

 「んぁ?」

 畳に肘をついて半身を起こしかけながら千松は眉間に皺を寄せて、うれしそうなサナギを見る。なんだか、嫌な予感がした。

 「千松くんは私が呼び出したんでしょ?だったら、千松くんには字名がないよね。呼び出した私がつけてあげる!」

 「いらねえ」

 余計なお世話だとこぼして千松はまた寝転がろうとするが、サナギは記録に残されている名前を読み上げてあれでもないこれでもないと評価を下していく。

 「どれもその守護霊さんの名前だから、丸ごとはもらわないよ。いい響きのものがあったら、それをちょこっと変えて使わせてもらおうと思うんだ。

 この『枝垂しだれ櫻花丸おうかまる』なんて、すごくきれいだよね。でも千松くんには絶対に似合わないし」

 赤黒いボサボサの毛をした千松に、櫻花などおこがましいにも程がある。

 「え、おこがましいほど?そんなにダメ?」

 「さくらの字は千松くんに合わないでしょ。千松くんには『松』が入ってるもん。その上で『櫻』はしつこいと思う」

 自分のためにサナギが頭を悩ませている。その事実に、千松の頬が緩んできた。

 「なあ、松ってどんなイメージだ?」

 隣に座り込んだ大きな狼に、サナギはやっと興味を示してくれたようだと思って笑顔で答える。

 「お皿!」

 想像もしなかった答えに、千松は言葉を失った。枝ぶりが力強いという答えはなかったのか。まさかそう来るとは思っていなかったぞ。

 呆気に取られていると、サナギは自分の手を例にして説明した。

 「松って、こう……手の平を上にしたままちょっとだけ指を立てるよ。この指の表面に葉っぱが生えてるように見えるの。手の甲の方には、葉っぱ生えないよね。だから、お皿」

 「はー、お前面白い言い方すんなあ」

 感心して、千松は慣れた手つきでサナギの頭をぐりぐり撫でる。松が皿なら、その上には自分が護るべきサナギが載っていて当然だ。

 「で、千松に合う名前は見つけたのか?」

 「まだ。守護霊の名前って、昔の物の名前だったり自然から取ったりで、人間とは違うみたい」

 「妖怪自身の名前もいい加減だからな」

 千松はそれを認めてサナギに寄りかかる。毛むくじゃらの熱の塊に寄りかかられてサナギはそれを押しやろうとすると、千松は軽く笑い声をあげて座り直した。


 千松はこの国の古典芸能の登場人物である女性名が由来で、自分で名乗ったわけでもなく当時周りがそう呼んでそのまま名前になったものだ。自分では気に入っていなかったのに、サナギに呼ばれるたびに悪くないと思えてしまったのが、今でも不思議だ。

 「守り神様にも、話を聞いてみたいな」

 「やめとけ」

 サナギの言葉のその興味に蓋をするような真面目な声に、やしろの方向に顔を向けていたサナギは声の主に向き直す。

 神という存在が嫌いな千松は吐き捨て、ヘビどもも暇じゃないんだろともっともらしい理由を付け加えた。不機嫌そうな千松から距離をとろうとしてこの島の守り神の資料を取りに行こうと立ち上がりかけるサナギを止めるように、文机と立ち上がろうとするサナギの間に耳のピンと立った赤黒い頭を強引にねじ込むと、サナギの膝の上に載せる。自分に向かう狼の突き出たマズルを、サナギはムッとしながらも右手で撫でた。

 「いい枕だ」

 「膝が熱いよー」

夏の昼、ツガが昼食の準備ができたと呼びに来るまで二十分。千松にお仕置きの札を貼りつけるまで、あと二十分。


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