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鳥居の島  作者: 青竹煤
サナギと千松
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名無しの少女と名乗らぬ妖怪

 病院の208号室にいた少女が守護霊を呼び出したその翌日。朝の掃除に入った清掃員が、空き病室に倒れている女の子を見つけた。

 歳は10代前半だろうか。清掃員からの連絡を受け、看護師が飛んできた。

 「どこから来たんだい? 病室はどこ?」

 起き上がらせられて床にぺったり座り込み、ぱっちり開いた大きな目で看護師を見返す少女に、清掃員のおばさんも話しかけてみる。

 「お嬢ちゃん、お名前言える?」

 今度は清掃員の方を見て、女の子は首を傾げた。そのまま女の子は清掃員の首に掛かっているネームタグに気付き、右手を伸ばして引っぱった。

 「こらこら、やめなさい!」

 「あー、あああう」


 言葉を喋らない少女に、二人は顔を見合わせた。看護師は院内用のインカムでナースステーションと連絡を取る。

 「208号室の女の子、まだわかりませんか?」

 しかし返ってくる言葉に、看護師は眉根を寄せて繰り返した。

 「2()0()8()()()()()()()()? それでは言葉を喋らない女の子は?茶色の長髪の……いない? でも、うちの病院の寝巻を着ているんですよ」

 何を言っても向こうからは記録はないの一点張り。らちが明かないので看護師は少女を連れて行こうとしたが、少女は動かなかった。いや、言葉が通じず、立たせようとしても立つことができなかったのだ。両脇の下に手を入れて持ち上げて立つよう促しても少女の脚は力なくぐんにゃりと曲がってしまうので、仕方なく看護師は少女を抱き上げてナースステーションに急いだ。


 「だから、記録にないんですよ!」

 「そんなはずないでしょう!」

 噛みつく男性看護師に、夜勤だった女性看護師がファイルを差し出した。

 「この病院の患者さんの入院記録です。2()0()8()()、ほら、()()()()()?」

 「ひょっとして、妖怪かな?」

 他の看護師が呟くと、男性看護師は今度こそ怒りを顕わにする。

 「ふざけるなよ。昔はこの辺りにもいたかもしれないけど、今どき妖怪なんて」 

 しかし女性看護師はふざけてなどいない。


 この世界には、妖怪や精霊のようなものが存在する。その事に関しては世界規模で存在が証明されているし、地域によっては交流さえしている。土地柄、まったくいない場所もある。

 同じ地域にいても見える人、見えない人はおり、見えない人たちはそれを気味悪がっている。この女性看護師は見える人で、少女を連れてきた男性看護師は見えない人。恐怖心から見えない人は見える人に噛み付くことは多々あるのだ。


 「まだいますよ、この辺りにも。昨日も首に目が付いた患者さんに会いましたし。この病院、見える人には見える妖怪病棟もありますし」

 「ケッタさん!」

 看護師長が鋭く声を出すが、ケッタ看護師は口を閉じない。

 「見えない人って、頑なに否定しますよね。大丈夫ですよ、この辺には危険な妖怪なんていませんから」

 ケッタ看護師は床に寝そべる少女に向かってしゃがみ込み、目を合わせた。

 「妖怪病棟から来たの?」

 「うー、うー、むうぅぅ」

 ケッタ看護師は握った手を自分の口に持っていく少女の頭を撫でてやった。

 「師長、どうしましょうか?」

 「どうしようもこうしようも、どうしようもないじゃない。この子に関する記録がない以上、出て行ってもらうしかないわよ。ケッタさん、事務員さんに施設に連絡するように言って」

 大人たちがため息をつく中、当の本人は指をしゃぶりながらずっと白い天井を見ていた。


 服のなかった少女は寝巻を脱がされおむつを履かされ、真っ白い検査着を着せられて病院の裏口から車に乗せられた。車は特別な様子のないワゴン車で、運転手の男と少女の介助として来たらしい男の二人がいた。介助係は立つことができない少女を抱き抱えて車に乗せる。

 「妖怪病棟のある病院て、薄気味悪いんだよなぁ……」

 車の中で、介助係が窓から建物を見上げた。少女が出てきた病棟の反対側に、ぼんやりと病棟が見える。その病室だろう窓の一つには、目がびっしり貼りついており、ギョロギョロと動きながらも目の前の人間用病棟の壁を眺めていた。

 「おいやめろ」

 運転手が上ずった声を上げた。

 「俺見えないんだよ! ビビらせてくんな!」

 「ああ、すんません」

 大きく息を吐き、運転手が車のドアを勢いよく閉める。介助係は少女にシートベルトをかけてやった。エンジンがかかる。車はゆっくりと前進した。


 「ああう」

 「安全運転でも、危ないことはあるからな。こうやってより安全にするんだぞ」

 しかし身体が締め付けられる感覚を抱いたのか、自由に動けない少女はシートベルトに手を掛けてどかそうとするので、介助係はそれを止める。

 「ほら、だめだって。大人しくしててくれよ」 

 「んー、んー」

 「はいはい、いい子だねー」

 介助係は撫でるが、少女はシートベルトを取り払おうとすることに一生懸命で、反応はない。次第に少女の顔が自由にならない苛立ちと思うようにいかない悲しさで歪んできた。

 「あ、やばい、泣く」

 「うわ、やめてくれよな。ここから施設までどんだけあると思ってんだよ!」

 シートベルトは外せない為、運転手は気休めに車の窓を開ける。エンジンで車体が小さく震え、少女を乗せた車はゆっくりと進み始めた。流れる景色とともに窓から風が入ってくるが、それが不快だったのもあって少女は泣き出した。身体が10代の少女は生まれたての赤ん坊のように弱い声ではなく、年相応に大きな声で泣くので車内の空気が揺れてそれは窓の外へと放たれる。

 「だあぁ! うるせぇ!」

 信号で止まると、運転手は耳栓を取り出して耳に詰めた。少女の声がいくらか軽減される。これで安心して運転ができると安心した時、車が一際大きく揺れた。

 「揺れたぞ! 何かしたのか?」

 詰めていた耳栓を片方抜き、運転手が振り返る。少女が体全体を使って暴れていた。

 「ああ、それか」

 少女を乗せた車が青信号で発進する。その屋根の上を、気付いた人たちはぎょっとして見上げたが、中の人間たちは泣き出した少女の対応と運転でそれどころではなく、気付かなかった。

 まさか、車の上に体格のいい狼の姿の妖怪が飛び乗ったなんて、想像もできなかっただろう。



 ──ここが施設とやらか。

 車が止まったのは町から遠く離れた郊外。

 狼は車からそっと降りて、泣き腫らした顔で介助係に抱えられたまま建物に消えていくのを見送る。

 その建物を見上げるが、重苦しい雰囲気ではない。建物から距離をとって立てられている塀も敷地だという主張のみのようで、施設というより旅館のように感じられた。

 ──どうしたもんかねぇ……。

 塀の外側で、その狼の姿の妖怪は腕を組んで口を突き出す。


 まさか、こんなことになるとは思わなかった。それは自分が一番驚いていた。少し前まで常に腹を空かせた存在だった自分は、人間の呼ぶところの「妖怪」に近かったはずだ。いや、正確に言えば「神様に近い」。周りから卑しいなどと後ろ指を指され嘲笑されはしても、神格はあったのだ。そのままでいたら、「神様」と呼ばれるものになったかもしれない。それが、空腹になりふり構わず自分を呼び出した少女の()()()()()()()()、存在そのものが変わってしまった。

 まず、神格が消えた。「もう少しで神様になれる」ほどの力を持っていたはずだったが、今の自分は確実に「妖怪」だ。どうやら、人間のものを口にしたことが原因らしい。


 妖怪のような「ヒトとは異なる存在」は、人間には理解しがたい概念のようなものまで口にすることができる。この妖怪は、呼び出された時に少女から食べられるものの匂いを感じた。本能が、これを食らえと叫んでいた。だからそれを食らったのだ。告げられた「綿枝(わたえ)ノドカ」という名前、少女が生まれてからの少女自身の記憶──親から受けたであろう愛情や記憶、学んだ知識。少女を取り巻くすべての人々の記憶に記録──学校や病院、役所での記録。そして、少女を蝕み、ついには守護霊を呼び出す儀式を行ってまで消し去りたかった病までも。


 結果、少女は自分の名前どころか何も憶えていない、いや()()()()状態で、かつて自分がいた病室で発見された。先日まで毎日顔を合わせて他愛ない話で笑い合っていた病院の職員たちも、少女のことを()()()()。当然少女のことを調べるが、少女の記録は食べてしまったため、どこにも情報はない。

 少女の両親でさえ、生んだ記憶、記録がないために病院には来ない。全てを無くした少女はしかし、健康な体を手に入れたことになる。つまり、生命活動に対する不安がなくなったということ。それはこの妖怪としても同じだった。

 神格を失い妖怪に身を落としはしても、常に空腹だった身体は少女の記憶や記録を腹に収めたことによって、何百年と続いていた腹の虫がついに黙ったのである。加えて骨の浮き出ていた身体もそれらを腹に入れたことにより、肉が付いた。それどころか鍛えてもいないのに筋肉が付き、背筋も伸びて視点が高い。貧相だった尻尾もふさふさだ。走行中の車の後を走ってついて行き、上に乗るなど、今までやってみようとも思わなかった。


 ──神様ってのは、何を考えてんのかね?

 狼は鼻を鳴らし、空を見上げて目を閉じ、もう一度鼻を鳴らした。

 空腹に負けたい、消えたいと何度願ってもそれを許さず、それでも生きよと消滅を許さなかった神を狼は憎んでいたが、過去はどうであれ、守護霊として呼び出された現状を鑑みれば、やるべきことは一つしかない。

 ──ま、それが俺のやることってんなら、なぁ。

 かつては本能的に目指していた神なんて、どうでもいい。これからは自分のために生きるのだ。

 狼は施設に目をやり、近くを飛ぶ鳥にあることを頼んだ。



 この施設は行き場のない人たちが行き着く場で、そこには職員がいるが基本的には何をしても構わない。ここで社会復帰を目指す者もおり、そういう利用者には専用のプログラムもある。

 連れて来られた少女は一切の記録がないため、一からすべてを検査することになっが、言葉を理解しない少女にとってそれは苦痛だった。体のいたる部分を乱暴に引っ張られ、動こうとすればまた乱暴に同じポーズをとらされる。結局少女は両手両足を固定されての検査となった。癇癪を起して泣き出せば作業は中止。結局少女は両手両足を固定されての検査となった。終わった頃には外はもう薄暗くなっていて、当の少女も所員もぐったりしていた。


 食事は年相応のものが出されたが、少女は何も知らない状態でそれが食べるものだとも解らず、手でぐちゃぐちゃにして遊び始める。所員が注意をするのだが、当の少女には何を言っているのか理解できず、掴んでいたハンバーグをテーブルにこすりつけた。その瞬間に職員の手が飛んできた。少女はまた顔を真っ赤にして火のついたように泣き出す。

 見かねて手を差し伸べてくれたのは、ここの利用者である女性だった。彼女は少女を抱き寄せ、赤ん坊にするようにあやしてくれた。そして職員に、赤ん坊用のミルクを頼む。哺乳瓶からミルクを飲む少女にその場にいた何人かが不快感を示すが、少女はやっとの食事で全部飲み干した。

 その女性はすぐに少女の教育係に任命された。



 昼間に偵察を頼んだ小鳥が頭に留まって、耳のそばで報告をする。狼は一通り聞くと、

 「……うん、うん。わかった。悪いな、とっくに巣に帰ってなきゃいけなかっただろうに」

 と謝った。小鳥は当然だと言わんばかりに狼の耳を力いっぱいついばみ、怒ったまま夜の空へ勢いよく飛んで行ってしまった。

 「いってぇ。悪かったってんだろ」

 痛む耳を擦り、狼は未だ違和感残る自分の体に思考を巡らせる。何をするにもまず、自分を知らなくては何もできない。


 まず、神格がない。そのせいだとは思えないが、人間には簡単に姿を見られてしまうし、以前は使えた能力もいくつか使えなくなっている。代わりに筋力があるため、体力的な部分ではできることがたくさんありそうだ。

 何とかしてあの少女に会わなくてはならないのだが、敷地の囲いがある以上は招かれなくては少女に会いに行けない。狼は教育係に任命されたという女性を呼んでみることにした。声は出さず、その女性に言葉を直接飛ばすことにする。まず、聞こえたら窓を開けるように言ってみた。狼が施設をじっと見ると、明かりの点いていた窓の中で3階の部屋のそれが開く。続いてこちらに手を振るように言うと、とりあえず手を振っていた。間違いないようだ。ここで指令を出した。明日、自由な時間にあの少女をここに連れてくるようにと。


 翌日、女性は車椅子の少女を連れてやってきた。その女性は、少し疲れているような目以外はまともに見える。

 「あー、あううぅ」

 不思議そうに赤黒い体の妖怪を見上げ、少女は手を伸ばす。女性は何も言わず、少女のやりたいことを阻止せずに見守っていた。狼はしゃがみこんで、少女に手を伸ばす。少女の手が、狼の人差し指と中指を一緒に掴む。驚いて少女を見ると、少女はにぱーっと笑った。

 「きゃー!」

 それは出会った時と全く違う反応だ。それどころか、自分を見て笑顔を向けた。少女がもう一方の手で頭をわしわしと撫でる感覚で狼は我に返り、少女にあることを告げた。

 「お前の名前だ。よく覚えて帰れよ。お前の名前は、   だ。いいか、   」

 一緒にいた女はかすかに首をひねった。狼の言葉は聞こえる。しかし告げる少女の名前だけが聞こえなかったのだ。

 「あうう」

 「 ー ー 」

 一音一音を伸ばしてゆっくりと狼は言うが、やはり聞き取れない。

 少女に伝わったと思ったのか、狼は少女の手を優しく解き、立ち上がって女と向かい合う。 

 「今、こいつに名を付けた。けどあんたたちには教えねぇ。好きなように呼んでいい」

 「あなたも、名乗らないのですか」

 「こいつに優しくしてくれるのはありがたいが、あんたがどういう女か、俺は知らないからな。容易には教えてやれない」


 妖怪などヒトと違う者は、ヒトとは違う(ことわり)の中に身を置いている。名前に関しては最重要で、それに関しては皆慎重になっているのだ。女は「そうですね」とだけ答え、そろそろ戻らなければと言うと狼に一礼してから車椅子を押して戻っていった。

 その女はどういう人か、聞いたことがないから知らない。しかし少女に対してはきちんと接してくれていて、そのおかげか少女は捻くれることなく順調に成長していったらしい。


 今のようになる前の少女がどんな名前だったか、狼は忘れた。そしてどういう経歴だったか、家族がどんなものだったか……知らない。食べてしまったものには興味がなかった。ただ、それを食べてしまってから芽生えた大きなものの存在は、確かに感じていた。

 ──ヒトに近くなっちまったが、悪くはない。

 狼はそのまま少女の前に姿を現さず、しかしその部屋を見守ることにした。


 門からあの女が一人で出てくるのを見たのは、見守りを始めて何年経った頃だったろう。出で立ちは施設内のそれではなく、まるで旅にでも出るかのように小さな車輪のついた大きな鞄を引いていた。

 女は狼に気付き、近寄った。

 「出所することになりました。あの子のおかげです」

 女は晴れやかとはいかないが、微笑みを狼に向ける。女には子供がいたらしい。やっと帰れる、娘の墓参りに行けると声を震わせていた。少女はその穴を埋める役割にでもなっていたのだろう。


 肝心の少女はというと、女がいろいろ教えたために喋るようになり、できることの幅も広がったと言う。そして実年齢に見合った体の変化も出てきたらしい。どういうことかと訊いたが、女は口を濁す。ただ、子供から大人の体になりつつあるとだけしか言わなかった。本来ならもっと早い段階でそうなるだろうにと施設の職員が頭を捻っていたという。

 「ところで、あいつはここから出られないのか?」

 「あの子は成長していますが、社会復帰はまだ先のようですよ。奔放で、勉強にもついて行けませんし」

 「勉強して、どうするんだ?」

 「世間一般では、子供は学校に行って勉強をします。友達を作って人と関わり、どうすれば円滑に関係を結べるかも学びます。

 学校を卒業したら働きに出ます。お金を稼いで生活をし、やがて結婚をして家族を作ります。

 あの子は今17歳だそうで、これは高校2年生か3年生になります。でもあの子は学力は小学校高学年くらいだそうですよ。精神年齢はもっと幼いそうで、施設を出るにはまだまだ先になると」

 なんだか味気ないなと狼は思った。それに生まれたばかりの状態だったあの少女が、たった数年で実年齢に見合った成長ができると思えない。それに、ろくに外に出してももらえないこんな所に閉じ込められるくらいなら、と思い至る。


 女は挨拶もそこそこに家路を急いだが、狼にはどうでもいいことだった。もう少女の傍にいないのなら、用はない。

 このままあの施設にいることが果たして、あいつのためになるだろうか。狼は疑問を抱きつつ、見守りを続けることにした。



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