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鳥居の島  作者: 青竹煤
潜竜島
38/81

お披露目の日

 光輝こうき十三年 夏一月三十八日。

 この日は鮮やかに青い空で朝から蒸し暑く、セミがいつもより早く鳴き始めていた。

 サナギが目を覚ましたのは午前五時。例によって千松に抱き付かれての目覚めで、なんとか千松の腕から抜け出して文机の上のスタンドを点け、千松の家の隣の押し入れを分けたようにして備え付けられている衣装箪笥から完成した装束を取り出し、千松を起こさないように着替えて顔を洗いに行く。

 部屋から暗い廊下に出ると、隣の床が照らされているのが目に飛び込んできた。それを追うようにちらりとツガの部屋の襖を見れば、案の定灯りが漏れていて、部屋の主がもう起きていることが分かる。

 顔を洗って洗面所を出たところで廊下全体に明かりが点き、食堂の暖簾の向こうから包丁がまな板を叩く音が聞こえてくる。ツガが朝食の準備をしているのだろう。


 「ツガさん、おはようございます」

 暖簾をかきわけて小さな声で挨拶をすると、振り返ったツガも挨拶を返してくれた。

 サナギはツガの横につき、手元を覗き込む。青々としたホウレンソウを切っていたようだ。コンロの上では鍋が火にかけられているし、炊飯器のスイッチは入れられていた。

 「今日は少し早いね。よく眠れたかな?」

 「はい。でも、今はドキドキしてます」

 わくわくした気持ちとはやる気持ちがサナギの中で混ざり合って、笑っているのか不快なのかよくわからない表情を作り出す。それをツガは深く頷いて肯定した。

 「今日は特別な日だからね。でも、何かをするわけじゃない。心配はいらないよ」


 特別な日と聞いて、サナギの身が竦む。確かに今日は特別な日。サナギがこの潜竜島せんりょうじまに新しく護役もりやくとして迎えられる日。島民たちにお披露目される日なのである。緊張をほぐすために言い換えれば、サナギにとってこの家に来てからやっと外に出られる日だ。

 サナギは今までの生活を思い出し、気を落ち着けようと改めて食堂を見回した。

 十人にも満たない大人が利用することを想定された食堂の端には、使われなくなって長いだろうテーブルと椅子が寄せられてひっそりと使う者を待っているようだ。廊下と暖簾で仕切られた食堂の出入り口にはダイヤル式の電話が、食器棚とは別に置かれた茶箪笥の棚には古めかしいラジオが載っている。


 落ち着きなくキョロキョロしているサナギを見かねたのか、ツガはサナギがこの家に来てから使用している席にコーヒーを注いだカップを置いて、サナギに座るように手招きをする。

 「飲んで落ち着きなさい」

 ツガの柔らかな音声とコーヒーの香りは優しくサナギを誘う。言われるままに座ってカップを持って立ち上る湯気を吹き、ちびりと口に含んで目を見開いた。

 「苦いのに、おいしい!」

 ほんの少しだけだが香りと共に口の中に流れた黒い液体は、苦みを苦とも感じずに喉を通る。甘いものが好きだと思っていたサナギは、自分の味覚に驚いて目を丸くしたまま持っていたカップを見下ろした。ツガはその様子を見届けると、何も言わずに再びまな板に向かって手を動かし始めた。

 会話もなく、ただ包丁が食材を切り、鍋を火にかける音だけが響く午前五時の食堂で、サナギは初めて美味しさを感じるコーヒーをゆっくりと飲む。緊張は薄れてしまっていて、何気なくスイッチを捻ったラジオから流れる新しい護役のお披露目のニュースに再び体を強張らせるのを背で感じたツガは、サナギに悟られないように笑いを堪えたために危うく包丁で指を切ってしまうそうになるのだった。



 陽がすっかり昇った午前九時。

 お披露目まであと三十分。刻一刻と近付くその時はまるで、見つかりたくないかくれんぼに似ている。逃げ切りたいが早く終わらせてしまいたい気持ちと混ざり合い、サナギは自分の部屋で正座したままこの家の資料室で借りた本を開くのだが、内容もわからないままいたずらにページをめくるだけの時間を過ごしていた。

 「そんなに硬くなるなよ」

 呑気にからかう口調で千松は言うが、サナギはそんな千松を見もせずに攻撃的な口調で返す。

 「朝食後のひと眠りを終えた千松くんにはわかんないよ」

 大欠伸と共に着物の合わせに手を突っ込んで胸をボリボリと掻いた千松は、それでも暢気に「おはようさん」とからかいの言葉を入れた。しかしそれがサナギにとって、肩の力を抜けさせるやり取りになった。


 サナギに危険が及ぶような事態になりさえしなければ、千松が声を荒げて怒りを露わにすることはほとんどない。大抵のことはいつも通りの姿勢で臨む。それがサナギにとって、どれだけ安心するか。

 「私も千松くんみたいだったらよかったなぁ」

 すると千松は、慣れた手つきでサナギの頭に手を置いて頭を撫でる。サナギもいつものように、千松の手に合わせて頭を揺らした。

 「お披露目って、何すんだっけ?」

 サナギの緊張を解してやろうとは全く思っていない千松があからさまにそのことについて言及すると、サナギは慣れた相手だからかいつも通り答える。


 「この家から、島を一周するんだって。島の人たちに顔を見せるっていうのと、すぐに駆け付けられるように島の地図を頭に入れるためっていうのと、その場所を離れられない妖怪さんたちに顔を見せるためだって。島を一周って言っても広いから、車の荷台に乗っていくんだよ。途中何カ所か休憩を挟んで……お昼ごろに終わるだろうって」

 部屋の時計は九時十一分。それを確認すると、サナギは自分の守護霊である赤黒い狼に向かって右手を差し出し、青白い顔を向けた。

 「心細いから、手握ってて」

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