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鳥居の島  作者: 青竹煤
潜竜島
37/81

掃除と裁縫とご飯

 ツガがお披露目を予定した日の一日前に装束が完成したので、ツガはもう二組の白衣びゃくえ差袴さしこの覆いに刺繍をするようにとサナギに伝え、それまで止めていた大仕事に手を付けることにした。家の掃除である。サナギの守護霊である千松せんまつはそれを聞いて露骨に嫌だと言う顔をしたが、札を見せつけて脅して言うことを聞かせた。

 「せめて自分の家くらいは綺麗にしなさい。それとこの家に世話になるんだから、集会場と屋根裏の掃除も手伝ってもらわないと」

 「俺の家だけじゃないのかよ。仕事を増やすな!」

 「私はずっと一人でその範囲を掃除してきたんだよ。お前たちが来てくれて、これからは掃除も楽になるなぁ!」

 昨夜から何も食べていない腹を抱えて歯を食いしばり、千松は黙ってツガに倣い洗面所の棚から雑巾を取り出した。ツガは千松が握る灰色になった雑巾を見て、その目の前に真っ白な布巾を差し出す。

 「新しい家を、使い古して汚れた雑巾で拭く奴があるか。千松の家には、こっちの新品のものを使いなさい。乾拭きでいい。終わったら声をかけてくれ」


 昨日完成した装束を着て作業をする自分の隣で、がっしりした体型の狼がしゃがみこんで自分用の家を拭いている。その光景を横目で見たサナギは思わす裁縫の手を止めて、まじまじと見て小さく笑ってしまった。

 「千松くんが掃除してる」

 「おう、自分の家だからな。終わったらおっさんの手伝いだと」

 人使いが荒いねぇとこぼすが、サナギは「えー」と不満そうな声で千松の不満をとどめようとした。

 「自分が住むんなら、掃除は大事だよ。施設でも毎日掃除したもん」

 それを聞き、自分に味方はいないとこぼした千松は、ふくれて家の屋根を拭く。


 「こんなもんか」

 「お疲れさまー」

 「おっさんが言ってたけどな、お前も明日からこの部屋を掃除するんだと」

 千松はそう言いながら、家具の少ない部屋を見渡した。特に埃が溜まっているようには見えないが、汚れているというのだろうか。

 「はーい」

 サナギは千松の思うような疑問は抱かず、返事と共に作業に戻った。既に一組分の縫い物を終えているので作業の仕方が分かってきたらしく、完成まで前回ほどの時間はかからなさそうだ。

 「千松くん、お腹空かない?」

 部屋の中に響くコロコロ~という小さな音を聞き、千松はサナギの横に腰を下ろす。

 「俺は特に……」

 言い終わる前に、低く何かを引きずるような音が先程の音よりも大きく響いて、サナギはまた作業の手を止めて千松を見上げた。千松はその視線から逃げるように、鼻先をサナギと逆の方向に向ける。

 「千松くんもハラヘリでしょ」

 「屁でもねえ」

 「ツガさんもお腹減ってるって言ってたよね」

 昨日のやり取りが思い出される。人間とも神様とも違う立場とされている護役もりやくは金銭のやり取りから外れており、島民の厚意によって生活を支えられている。食べる物が無くなっても、欲しいものを指定して求めてはいけない。つまり厚意は要求するものではないのだと教えられた。

 「ツガさんはそう言ってたけど、餓死しちゃったらどうするんだろうね」

 「お前、すげえこと言うのな」

 千松は呆れた顔で、サナギの頭に左手をポンと置いた。

 「今までにも何回かこういうことがあったって言ってたおっさんが生きてんだ。何とかなるだろ」

 グリグリと頭を撫でれば、サナギは嬉しそうに「わー」と声を上げてその手の動きに従って頭を揺らす。本気で心配しているわけではなく、好奇心からの質問だったようだ。


 「千松、終わったか?」

 そこにツガが襖を開け、サナギと遊んでいる千松を見つけて注意する。

 「終わったならすぐに来なさい。サナギは、今日はいいけど装束が全部できたら部屋の掃除をするんだよ」

 「はーい。千松くん、行ってらっしゃーい」

 「んー」

 のっそりと立ち上がり、ツガについて行く千松をサナギは手を振って見送ってからまた針を持って白衣に目を落としたが、突然聞き慣れないチャイムの音に身が竦んで辺りをきょろきょろした。

 島の守り神から授かった魍魎もうりょうや妖怪を見る目で辺りを見回すが、部屋の中には何もいない。しかし食堂の方からツガの足音が玄関に急ぐ音が聞こえる。がらりと玄関の引き戸が空く音。ツガが誰かと話す声。お客さんだ。


 何を話しているのだろうとサナギは手を止めて、そろそろと襖ににじり寄り、手を伸ばして引手ひきてに手をかけようとしたが、反対側から聞こえる犬の鳴き声に慌てて振り向いた。雪見障子ゆきみしょうじの向こうに、丸まった尻尾を振る茶色い犬が見える。そのままサナギが犬を見ていると、飼い主にしては頼りない小さな少年が犬を連れ戻そうとやって来て、犬の吠える方を見るとあっという顔をした。しまった、という表情だったが、そこから動こうとしない少年に向かってサナギは障子を開け、こんにちはと声をかけた。

 尻尾を振りっぱなしの犬を宥めながら、麦わら帽子に白いシャツを着て短パンを穿いた少年はサナギをじっと見る。ツガで見慣れた白衣に色違いの差袴、それを飾る色違いの鱗の模様に、少年は恐る恐る尋ねてみた。

 「姉ちゃん、新しい|護役?」

 サナギは「そうだよー」と笑って答える。

 「きみは、この島の子?」

 少年はよそから来た大人から目を離さないままで頷いた。

 「名前は?なんていうの?」

 子供のように好奇心に満ちた笑顔の大人に、少年は警戒することなくゲンジュロウと自分の名を告げた。

 「じゃあ、ゲンちゃんだ!」

 新しい護役が嬉しそうに手を鳴らすその仕草に、ゲンジュロウは頭の中にざらつきを感じた。自分が知る大人たちの仕草に、こんなものはない。かつて世話になった保育園の先生のように大きい身振り手振りで動作や感情を伝えているのかとも思ったが、どことなく違う。正体の分からない違和感はそのまま気持ち悪さになり、ゲンジュロウは犬を呼んで玄関の方へ駆けて行ってしまった。


 「変なの」

 ほんの少し話しただけなのに、まるで逃げるように立ち去られてしまった。残されたサナギにはわけが分からずに首を傾げて少年が行ってしまった方に顔を向けるが、再びその姿を見ることはなく、犬の鳴き声が遠くに一度聞こえたことで、少年たちはもうここにいないということが分かってしまい、ぽかんと開いていた口がきゅっと引き締まる。

 「友達になれると思ったのになぁ」

 そんな独り言を少年の消えた方向に漏らし、雪見障子をパタンと閉める。思いの外大きな音で閉まった障子に小さく声を上げて作業を続ける。その耳に、ツガの声が流れ込んできた。

 「米と野菜を貰ったよ。昼になったら食べよう」

 途端にサナギの手が止まる。持っていた針を針山に差し、白衣を横に置いて立ち上がり、襖を勢いよく開けてツガの声を追った。

 「今食べたいです!お腹すいたー!」


 腹を減らした状態で夜と朝を過ごした三人は、テーブルの上の白米と梅干しと焼いた鮭を前に、いただきますと手を合わせる。時計は昼食にちょうどいい午前十一時を指していた。白米は扇風機が風を送る夏の気温の中でもおいしそうな湯気を立て、鮭は赤い身の上に微かに茶色い焦げ目をつけて食欲をそそっていた。

 「少ねえな」

 文句を言いながらも千松は鮭を箸で切り分け、米を一緒に口に運び、ぎゅっと目を閉じて俯き、言葉を絞り出した。

 「少ないけどうめえ」

 「頂いたものに文句を言うんじゃない」

 ツガが窘めると、頂いた分に比べて食卓に上る量が少ないと言っている千松はあからさまに不満そうな顔をして、冷蔵庫の前に積まれた二つの木箱に目をやる。人数が増えたことに対してのお祝いを兼ねて、差し入れを増量してくれたらしい。新鮮な野菜類や肉などは冷蔵庫に入ったが、缶詰や瓶詰めや味噌などは今も木箱の中で床下に入れられるのを待っている。

 「次にいつ食べる物がなくなるかわからないだろう。それに二食分食べなかったんだから、少しでいいんだ。晩はもう少し増やすから、黙って食べなさい」

 答えに納得したのか、千松は頷いて無言で食卓に箸を伸ばしていく。その沈黙に耐えられないのか、サナギがツガに話し始めた。

 「千松くんは、長い間ご飯が食べられなかったんです。だから、ご飯については結構、ね」

 ね、とサナギは向かいに座る千松をちらりと見上げて再び米を口に運んだ。

 「食べられなかった?」

 少しでも二人に関することが知りたかったツガは、その話に乗る。


 サナギについては千松と二人で話した時に、不治の病に侵された少女であったことと()()()()()記憶が消えてしまったことを聞いた。記憶がなくなる前のサナギを知っている千松の過去を探った守り神も、おおむね間違ってはいないと太鼓判を押したので信じることにするが、千松そのものについては本人も話さないし守り神も話さないので、同居するにあたって接し方にはいまだ疑問が残る。サナギの口から何かが聞ければ、少しは安心できるだろう。


 サナギが言うには、千松はサナギに会うまで長い時間を空腹で過ごしてきたらしい。

 「初めて聞いたぞ」

 「千松くんは、普通の食べ物を食べても満腹にならないそうです。人間がたまに持つものが千松くんの食べ物で、それだけがお腹に溜まるって言ってました」

 再び「ね」、と千松を見上げると、千松は「まぁな」と呟いて空の茶碗に向かって一礼し、自分のことを言われるのは居心地が悪いから部屋に行ってるわと目も合わさずに言い放つと、さっさと自分の食器を流しに持っていき、食堂の暖簾を潜って部屋に戻ってしまった。

 千松の食べる物について、ツガには既に見当がついていた。

 高熱を出していたサナギが一晩にして回復したこと、目を患っていたタゲさんが治ったこと。その直後の千松の食事という言葉。つまりは、そういうことなのだ。

 「千松くんは、たくさん食べます。でも一度お腹いっぱいになったら、しばらく何も食べなくていいみたいです」

ツガは頷いた。

 妖怪は人間の想像を超えるようなものも食べるし、人間とは体のつくりが違うために人間の理屈が通用しない者もいる。千松はその類なのだ。

 「千松の食べる物は、サナギはわかっているのか?」

 世話になる人に嘘は付けないし、今まで何度も助けてもらった事実を、なかったことになどしたくなかったサナギは、箸を咥えたまま一度だけ頭を下げた。

 「言いたくはないが、千松の食べ物は私では用意できない。この島のお医者さんにも迷惑はかけられない。だから、私たちと同じものを食べてもらうしかないよ」

 ツガが言うと、サナギははい、と小さく答える。


 千松は、昔と比べれば今はずっと幸せだと言っていた。だから自分たちが住める場所が見つかったら、それ以上は望んでいない。そう告げると、サナギは鮭の最後の一口を口に入れ、じっくりと噛んで飲み込んだ。

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