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鳥居の島  作者: 青竹煤
潜竜島
35/81

ツガの思い出

 「そちらの準備は……はい、はい。こちらは明後日の完成を見ています」

 食堂に置かれた黒電話でツガはどこかと話しているので、千松はそろりと歩幅を小さくしてその横に立ち、電話が終わるのを待つ。やがて受話器が置かれ、ツガは迷惑そうな顔で千松を見上げた。

 「何かな」

 「おっさん、ちょっと頼みたいんだけどさ」

 「私にできることならやるけど、できないことは断るよ」

 「俺の着物、新調できるか?」

 両のえりを持ち、千松は目を輝かせてツガを見下ろした。しかしツガは腕を組んで天井を見上げ、数分置く。


 「千松の体格に合う着物はないよ。ただ、替えがないのは考え物だよなぁ。新しい護役もりやくは装束ができるまで姿を隠していなければならないが、お前は特殊な事情があるし。タゲさんに頼むか」

 言うが早いか、ツガは再び黒電話の受話器を上げ、ダイヤルを回し始めた。

 サナギを見られないようにと千松はツガの家のすぐ横の集会所に通された。

 結婚式や神事後の打ち上げなどに使われる集会所は広く、一人でいると大声で騒ぎたくなってくる。

 タゲさんとやらがやって来たのは、それから一時間後のことだ。

 腰は曲がっているが元気な九十代のおばあちゃんで、寸法を測る道具一式を背負った七十代の娘さんを連れてきていた。タゲさんは妖怪の類が見える人だが、その娘さんは見えない人なのに千松のことははっきりと見えたので、腰を抜かしてしまうという一コマがあったが、千松が無害ということをなんとか理解してもらい、作業に移った。


 タゲさんとツガによって寸法が取られる。

 「妖怪を数多く見たけど、こんなにムッキムキの妖怪なんて初めてだよぉ。やー、アタシが六十くらい若かったらグイグイ押してたねぇ」

 タゲさんは皺だらけの顔を赤く染めてカラカラ笑い、千松の割れた腹をパーンと叩いた。

 「おもしれえ婆さんだな」

 「母がすみません」

 娘さんが申し訳なさそうに頭を下げるのを見て、千松は「あんた、娘、いや孫は?」と訊いた。自分より大きな体に威圧的に見下ろされて、齢七十程の仕立て屋の娘と言えど委縮してしまった。

 「い、いませんけど」

 「そうかぁ。孫娘でもいりゃ、今夜相手してもらうことで許そうと思ったんだけど、ぎゃあ!」

 腹に札を貼られ、千松はその場に崩れ落ちた。

 「気にしないでください。ちょっと品はないですが、悪い奴ではありませんので」

 のんびりとだが必死に頭を下げるツガを見て、タゲさんはカッカッカとすべてを笑い飛ばす。

 「なぁに、元気な子じゃないか!」

 そう言って未だうずくまっている千松の肩を、ぱしぱしと叩いた。

 元気な子と言われ、千松は信じられないと言った顔でタゲさんを見る。皺だらけで開いているのかいないのかわからない瞼の向こうに、きらりと光るものが見えた。

 「心配しなさんな、島のみんなにはうちから言っておくから。護役もりやくの守護霊ってことで派手なものは縫ってやれないけど、いい物を作ってやるよ。あ、アタシが死んだら、娘が引き継ぐからねぇ」


 そのやり取りから少し離れて、ツガはタゲさんの娘さんに耳打ちをした。

 「危ないんですか?」

 「この頃ちょっと」と娘さんは大笑いしている母親に目をやる。「歳のせいもあるけど、ここまで来るのに何度も休憩を挟んでいたし、歩くのに苦労しているみたいで。本当は目にも来てるんです。この頃は糸通しがないと針の穴も通せなくて」

 人前では気丈に振る舞っていますけど、と娘さんは微かに笑って答えた。


 そうか、もうそんな歳か。ツガは九十歳のおばあちゃんに強引に頭を撫でられている千松に、自分を重ねてしまった。

 自分が護役になる前、子供の頃。当時の大人たちも今と変わらず優しい人ばかりではなかったが、それぞれに自分に思い出を残していったものだ。タゲさんはその頃から夏限定で近所の子供に浴衣を仕立ててくれていた。浴衣の裾に緑の竜と白い竜を刺繍してくれたのに、それが格好悪いと駄々をこねた事を憶えている。すっぱーんと頭をはたかれたな。

 「わがままを言うんじゃないよ。どうせ萍水島へいすいじまの祭りにでも着ていくんだろ!裾の龍はこの島の人間だという証明だ。かっこいいも悪いもあるもんか」

 当時健在だったツガの両親も「そりゃそうだ」と頷き、「迷子になった時の特徴になるから」と宥められたっけ。案の定よその島で迷子になって、浴衣の特徴からすぐに見つかったな。


 いい思い出も悪い思い出も、人は周りに残して次へ進む。ツガの記憶にある「大人」は、人口三百人ほどの潜竜島せんりょうじまの中でタゲさんを含めて数十人しかいなくなっていた。

 自分を形成した人がまた一人いなくなる。その寂しさは何度経験していても慣れることがない。

 「本島の病院では、まだまだ先だけど、事故に気を付けるようにとのことで」

 娘さんの言葉にしんみりしていると、千松の明るい声が集会場いっぱいに広がってきて、ツガと娘さんは耳を塞いだ。


 「婆さん、なんか食いもん持ってんだろ!」

 「おや、新しい護役の子に食べさそうと思って、羊羹持って来たんだよぉ!清暉せいき島に住んでる親戚がたまに送ってきてくれるんだけど、これが美味くてねぇ」

 そう言いながら、足元に置いていた風呂敷をはらりと開けると、真っ白い紙の包みが顔を出した。

 「あんたも食べな。ここのは絶品だよぉ」

 嬉しそうに顔をくしゃくしゃにするタゲさんだったが、千松はすっと無表情になってタゲさんを見返す。

 「こっちじゃねえや。婆さんだ」

 まずい!ツガは札を取り出しながら一歩踏み出すが、遅かった。

 千松はタゲさんに向かって大きく口を開ける。娘さんの悲鳴を聞きながら、千松はパックンと口を閉じて「ごっそうさん!」と舌なめずりをし、げふっと腹から上って来た息を吐いた。

 「千松!お前今、何をしたんだ!」

 ツガの気迫に千松は怯むことなく、「食事」と短く答えた。

 「お母さん、大丈夫!?」

 娘さんが駆け寄る。しかしタゲさんの身体には怪我一つない。不思議そうな顔をしているタゲさんだったが、自分の顔を覗き込む娘の顔に、はっと目を見開いた。


 はっきりと見えるのだ。見えにくくなっていた娘の顔が。


 「お前、老けたねぇ!」

 「えっ?」

 何が起こったというのだろうか、娘さんは助けを求めるようにツガを見、次いで千松にも目をやった。

 「婆さん、目の病だったろ。俺が食ってやったから、安心して立派な着物作ってくれよ!」

 今度は千松が大きな手でタゲさんの頭をぐりぐり撫でる。人間三人は何が起こったのか訳が分からず、もういいよなと集会所を後にする千松の後ろ姿を、ただ見送って…。

 「着物を新調したいんだろ、他の採寸は!?」

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