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鳥居の島  作者: 青竹煤
潜竜島
32/81

加わる者と受け入れる者

 やしろの外に出て、サナギは目を丸くして立ち止まる。何度か瞬きをし、目を擦り、よそを見てはそこに目を戻すという動作を繰り返しているので、サナギの守護霊千松せんまつは「何やってんだ」とサナギの顔を覗き込んだ。

 「千松くん、あれなんだろう?」

 サナギが指す茂みには、黒い塊が──どれもすぐに形を変えるので、塊としか表現できない──いくつか蠢いており、うち半分くらいは興味津々にこちらを覗いている。何言ってんだ、あれはと口を開けようとしたが、横からのツガの言葉に止められてしまった。

 「あれは魍魎もうりょうだよ」

 今まで見えなかった島のもう一つの顔に、サナギは驚いていた。

 「もうりょう?」

 近寄って触ってみようとしたが、ツガに止められた。

 「人間とも、その辺の野生の動物とも違うものだからね、必要以上に関わってはいけないものだよ。帰ったら少しずつ勉強しよう」

 鳴き始めたセミの声が遠くから聞こえる。護役というものになった時に感じた、自分が今までと違うものになったという実感が再び体を駆け巡り、脳に達していくのを感じながらサナギはツガについて家に戻って行った。


 護役の勉強はサナギの部屋で行われた。勉強と言ってもまだ初日で、元々魍魎の類が見えなかったため、それを知らないサナギに対して簡単なことを教えるだけにした。何しろ新人の護役は仕事が山積みなのだ。ツガの頃もそうだったが、護役として役目をこなしながらまるで世間話のように色々教えられ、他は自分で何とかしろという半ば放任に近い状態からここまできたので、サナギにもそうするつもりだ。

 「さて、先程見た魍魎についてだ」

 サナギの部屋で、ツガはサナギと向かい合って座る。

 「もうりょうって、なんですか?」

 不思議そうにするサナギに、ツガはやる気を削がないように答えた。

 「海や山や、自然界の精霊のようなものだよ。たまにイタズラはするが、悪いものではない。ああいう魍魎が……」

 自我を持つと、と言いそうになる口をツガは一旦閉じた。「じがってなんですか」などと訊かれて答えきれるほどの時間を使うのはできるだけ避けたいところだ。サナギのことを調べた守り神様たちの「サナギは幼子おさなごだ」という言葉も頭に引っかかる。つまり、サナギを子供だと思えばいいのだろうか。

 「そうだな、成長すると妖怪になるんだ」

 ツガはサナギに分かるような言葉を選んで教えると、それで理解したようだった。

 妖怪になると聞いて、サナギは自分の後ろでだらしなく横になっている千松を振り返る。あの塊からこんな姿になることが、どうしても信じられないらしい。

 「千松くんみたいな?千松くんも、ああいう塊だったの?」

 「知らね。憶えてねえ」

 畳の上に寝転がる身長二百センチメートル近くの二足歩行の狼に顔を向け、憶えていないと聞くとサナギはますます興奮して千松の体を触りに行った。横になって頭を支えている千松の左腕を両手で撫でて揉んで、くすくす笑っている。

 「だって千松くんの体、こんなにゴワゴワでガチガチだよ!あんなフニャフニャしたものがこんなふうになるの?」

 赤黒い毛の流れがサナギの手で逆立っていくが、千松は気にしていないようで、しかし質問には面倒くさそうに答える。

 「知らねって言ってんだろ。鍛えたんじゃねえのか」

 鍛えたと聞いて、サナギはあははと笑い声をあげた。

 「フニャフニャがどうやって鍛えるの!千松くんも鍛えたからムキムキなの?」


 サナギの何気ない言葉に千松の表情が強張るのを、ツガは見逃さなかった。何も答えが返ってこないので、サナギは千松の腕を触るのをやめて千松の方を向いたままポツリとこぼした。

 「私は二十二歳だけど、千松くんは何歳だろうね。誕生日は同じでも、千松くんの方がたくさん知ってるから、ずっと年上なんだろうなぁ」

 千松は右手でサナギの頭に手を置き、力を込めて撫でるので、サナギの頭も左右に動かされる。

 「そーそー。だから俺の言うことには従うように」

 「千松に任せるのも危険だから、サナギは私の言うことを聞きなさい。今日は新人護役としてやることがたくさんあるから、勉強はここまでだ。裁縫はできるかな?」

 意外なことに、サナギは頷いた。施設にいた頃に教わったと言う。しかし逃亡生活を経てもその腕が健在とは思えない。仕方がないとツガは寝転がっている千松に声をかけ、雪見障子ゆきみしょうじの向こうを指す。縁側の向こうには物干し台が立っていて、洗濯物を抱えても動きやすい広さの庭が広がっている。

 「この庭で千松の家を作ろう。サナギはわからないところがあったら言いなさい」

 これなら一度に二人の面倒が見られるだろう。何事もなければいいが。


 潜竜島せんりょうじまの守り神から正式に護役もりやくとしての力を授かったサナギには、やるべきことが山積みだ。ツガにまずすべき事として教えられたのは、今着ている白衣びゃくえ差袴さしこに刺繍を施すことである。それが済むまでは島の人間に姿を見られてはいけないらしい。

 「ここを、こうだよ」

 見本に自分の白衣びゃくえ差袴さしこをサナギの見える場所に置き、大まかなデザインを伝えるとツガは自分にたすきをかけて、どこからか木材と大工道具を持って庭に出た。


 「あれ何?」

 見本を見るふりをして、サナギはツガのしていることをちらと見ては作業に戻る。

 「俺の家を作るんだってよ」

 千松は気のない声で呟く。部屋の中で作業しているサナギに、同じく部屋の中で庭を向きながら横になっている千松の小さな声はのこぎりを引く音にかき消されて届かない。千松は今でも信じられない気持ちでいたのだ。


 千松にとってサナギは、守護霊として護るべき者だ。サナギのことは何より優先すべきものだ。だからサナギに関することなら全力で取り組む。閉じ込められているなら助けるし、その後の行き場を探す。自分はサナギのためだけに存在している。それだけでよかった。それだけが千松を千松たらしめる理由だった。


 それを、ツガは簡単に壊した。

 守護霊の中でも異質な存在である千松を守護霊と認め、どのように接すればいいかを訊き、ここの守護霊のようにして欲しいと言うと、それに応えて家を用意しようと今庭で作製してくれている。サナギ以外に、自分のために何かをしてくれる人間がいる。それは信じがたい事実で、同時に自覚した感情もなく頬が緩んでいくので、千松は起き上がって頭をボリボリと掻きながら縁側に座り、脚を組んでツガの手をじっと見始めた。サナギが指を刺して小さく悲鳴を上げても、千松の耳には鋸の音しか入ってこなかった。


 昼。

 セミの合唱を聴きながらツガとサナギの二人は素麺を啜り、千松は慣れない箸を握って蕎麦(そば)猪口ちょこから蕎麦をひっかけて狼の口に運んで何とか食べている。

 「千松くん食べにくそう」

 「食いづらい」

 「狼の突き出た口に素麺は難しかったか。でも今うちにはこれしかないからね」

 ツガは首に手拭いをかけたまま、涼しい顔でめんつゆにネギとミョウガを加えて麺を浸す。ずるずると啜っているのを見て千松は顔を顰め、隣に座るサナギの目をやればサナギも器用にちゅるちゅると麺を啜っている。

 ──できない俺への当てつけか!

 業を煮やして手掴みで食べようとすれば、ツガが「行儀が悪い」と札を貼りつける。

 「君たちがどんな生活をしてきたかは聞かないけれど、もうこの家の一員になったんだ。きちんときれいに食べなさい」

 「ツガさん、ちょっとひどいと思う」

 狼のあの口では、素麺は食べにくいのはすぐにわかるのに。

 「そうだそうだ……」

 サナギの呟きに、痺れる口で千松は同意の声を上げたが、ツガは淡々と素麺を啜り、蕎麦そば猪口ちょこと箸を置いて千松に向かう。

 「酷かろうが何だろうが、本当にうちには素麺と薬味しかないんだよ。冷蔵庫の中を見るか?」

 ツガが開けた冷蔵庫の中を見て、サナギがぽつりと「何もない」とこぼした。

 「ないだろう?なんでかというとね、護役はお金を貰わない、稼げない生活をするものなんだよ。護役は島の人々からの厚意で生活しているんだ。この家の水道やガス代も厚意によって使えているから、無駄遣いはいけない。話を戻してわかりやすく言うとね」

 ツガはテーブルに戻って、千松の黄色い目をじっと見た。

 「君たちに初めて会った時に、千松にあげただろう、野菜」

 両手いっぱいに。そうねっとりと低い声で言われ、千松に頬に冷や汗が伝う。


 この島に打ち上げられた二人のうちサナギを診療所に運び、先生に任せている間に千松に差し出し、食べきってしまった野菜は全部ツガの食料だったのだ。空腹の辛さを身に沁みてわかっている千松は、もう何も言わず不器用なりに素麺を口に運んだ。

 「ツガさん、野菜って何ですか?」

 「バカ、いいんだよ。お前は気にすんな!」

 「そうだね、サナギは知らない方がいいねえぇ」

 ツガの表情のない目はまだ千松を捉えていて、恐ろしくてそちらを見られない。

 「ふーん。なんで護役はお金を稼がないんですか?」

 サナギの質問にツガの目が千松から離れたので、千松は横を向いたままホッと息を吐き、苦労しながら素麺を口に入れる

 「私たち護役はね、神様のお世話をするのが仕事なんだよ。島によって細かい仕事の内容は違うけど、お社の掃除や守り神様のお言葉を島の人たちに伝えるのが役目だ。そして護役は守り神様から、神様と同じ目を授かる。神様が見ているものと同じものが見られるようになる。聞こえないものが聞こえるように、触れられないものに触れられるようになる。

 大昔の人は、神様と同じ感覚を持つ護役を人間ではないものとしたんだ。人間でなければ神様でもないけれど、神様に近いものとして見るようになった。そんな存在を人間の決まりに組み込んではいけないとして、護役はお金のやり取りからは外されているんだよ」

 例外はあるけど、とは言わず、ツガはそう説明した。


 「私たちも」とサナギは言いそうになったが、「わ」と言いかけたところで口を閉ざした。護役の役割に対する報酬と、生きる為に盗みを働き人を脅して巻き上げた金品で食いつないで来た自分たちを、同じにしてはいけないと瞬時に理解したのだ。

 サナギは蕎麦猪口を置いて、ツガの目を見た。

 「悪いことをしてきた人が、人のためになる仕事をしていていいんでしょうか」

 ここにいていいと言ってくれた人の言葉が欲しい。償いはできるのだろうかと訊きたかった。

 「護役は、守り神様がお決めになることだ。それにはその人がどんな人か、何をしてきたかは関係ないんだよ。ただ、守り神様を助け、島のために働く。それだけなんだ。君たちが何か悪いことをしたなら」

 ツガが言葉を切ったので、サナギは身が縮まる思いがする。怒られるだろうか。怒鳴られるだろうか。追い出されるだろうか……。

 しかし、ツガは怒ることなく静かに言った。

 「その事をいつまでも覚えていなさい」

 予想外の答えに、聞いていた二人の頭にはツガの答えがどういうことかわからずに、互いの顔を見合わせて同時に首をひねるのだった。

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