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鳥居の島  作者: 青竹煤
潜竜島
30/81

ツガに話す

 「うわ、なんて格好で!」

 風呂上がりで洗面所に置かれた襦袢じゅばんと、赤い掛衿かけえりのついた白衣びゃくえに腕を通しただけの状態であれこれと弄ってはどうしようかと困っていたサナギを前に、ツガは思わず後ずさる。今まで洋服しか着たことがなく和服の着方がわからなかったサナギは、襦袢がシャツ代わりだとなんとなく理解した位でその後どうしていいかわからず、困った様子でツガを見上げた。


 サナギが着ていた物を洗濯機に突っ込んだツガは、まるで着の身着のままというその出で立ちから下着の替えもないだろうと覚悟はしていたが、やはり裸に上着をかけただけというのは見るにも抵抗がある。

 「この服、変です。どうやって着るんですか?」

 ツガは無心になってサナギに着方を教える。ツガとは違う真っ赤な差袴さしこも穿き方と紐の結び方を教えて、不格好ではあるが何とか様になった。

 ツガの部屋に案内されたサナギは、未だ床に転がっている千松に気がつくと、暢気に「何してるの?」などと訊いたため、千松から「この野郎…」と唸られた。


 座るように指示され、サナギはメモ帳とボールペンの置かれた卓袱台の前に座る。その向かいにはツガが重そうに腰を下ろし、千松にしたのと同じ質問をサナギにぶつけた。

 「千松の括名くくりなを知りたいんだけど、サナギは知らないか?」

 くくりな。それはこの島に来る前にも聞いた。時鐘ときがねという島で、そこの護役が千松に詰め寄って聞いた言葉だ。その時のサナギには、その言葉が千松を追い払う呪文のようなものに聞こえていて、ツガの前できゅっと口を結んだ。

 外は相変わらずセミの声が響くのだが、部屋の中は音が吸収されているように感じられ、ずっと遠くから聞こえる。

 「答えなさい。千松に訊いても、教えてくれないんだよ」

 千松に訊いた。答えない。それを聞いて、サナギはまだ転がっている千松に目を落とす。千松はツガに反抗的だが、ここに住もうという思いは同じだ。


 押し黙った空気に吸い取られていくセミの声。ややあって、サナギはやっと口を開いた。

 「くくりなって何ですか?」

 拍子抜けしてしまったが、ツガは千松にしたのと同じ説明をサナギにする。括名くくりなとは、守護霊が元々持っている名前と、呼び出された時に貰った名を足したものだと。

 「聞いていないのか?」

 サナギはどっこいしょと座り直した千松をじっと見、ツガを見た。

 「千松くんは、千松くんです。初めて会った時からずっと、千松くんですよ」

 つまり、両親から聞いていないということだろうか。いや、この二人は華表諸島かひょうしょとうの外から来た。特殊な事情でもあるのだろうか。

 「初めて会った時?」

 ツガはサナギの言葉を繰り返す。会ったという言葉が何を指すのかをはっきりさせないと、話が進みそうになかったのだ。

 「はい。千松くんは私が」

 「それ以上言うな。お前は黙っていろ」

 千松が鋭くサナギの言葉を遮る。不安そうに見上げるサナギを、横目で制した。

 「でも」

 「言うな」

 「これからお世話になるのに?」

 「……」

 千松が黙ったのを好機とみなし、サナギはたたみかける。

 「隠し事するの?千松くん、私に最初に言ってたよね。これから一緒にいるんだから、隠し事はするなって。言わないことがあったら、やりにくくなることがあるって」

 千松は鼻先をサナギに向ける。サナギも千松の目を直視したままだ。長い沈黙の後、サナギはツガに向き直り、千松と出会った頃のことを話し始めた。

 「私はある施設にいて、そこで千松くんと知り合いました」

 「千松は、誰かが呼び出したんじゃないのか?」

 「千松くんが言うには、呼び出したのは私なんだそうです」

 「君が?君の親御さんじゃないのか?」

 わけがわからないと言った様子のツガに、とうとう千松が口を挟んだ。

 「サナギ、向こうに行ってろ。あとは俺が話す」

 「でも私たちのことだし」

 「行ってろ!」

 千松の怒鳴り声にサナギの肩が竦む。サナギの話し方では、簡潔には終わらない。

 「……わかった。隣の部屋にいるから」



 サナギは自分にあてがわれた部屋の壁に背を預け、膝を畳んでツガの部屋の方向に目をやる。二人はまだ何か喋っているようで、時々千松の悲鳴のようなものが聞こえたのだが、サナギは素直にそのまま待っていた。

 ──ここにいていいんだ。もう、どこにも行かなくていいんだ。

 先程のツガの言葉を何度も頭の中で繰り返すたび、サナギの顔はほころんだ。


 サナギの一番古い記憶は、一面真っ白な部屋に無機質なタンスや本棚、ベッド。たった一人の部屋に入って来るのは、無表情な施設の職員たち。彼らは必ず二人で入ってきて、サナギの血圧を測ったり体温を測ったりしながら、職員同士で楽しそうに笑い合ったり話をしたりしていた。サナギが何かを言おうものならすぐに楽しそうな表情を隠し、すっと無表情に戻る。その疎外感が、言葉を喋ることができなかったサナギには堪らなく寂しくさせた。

 何も知らなかったサナギはしかし、記憶する能力だけはあった。初めて見たものに対して間違ったことをすれば、職員の叱咤が飛ぶ。自分で試行錯誤して学習しようものなら、「いつまでも言うことを聞かない」として手が飛んでくることもあった。泣くしか意思表示の方法がないその頃のサナギは、そうなるとしばらく放っておかれ、周りから人が離れていくのでまた寂しくて泣くという悪循環の中にいた。


 いつの間にか、施設で世話をしてくれる人が傍にいるようになった。その人が、自分の名前を教えてくれた。確か、ユウ、だっただろうか。それを周りの人も呼ぶようになって、次第に自分で立ち歩きができるようになり、話ができるようになり、その頃には職員たちも必要以上に怒ることがなくなった。やっと人間になったと思われたのだろうか。簡単な勉強を始めることになった。


 サナギが自分のしたいことを伝えられるようになると、一人で外に出ていいと許可が下りた。その辺りでのことだ、千松との出会いが記憶に刻まれたのは。

 後にそのことを千松と話す機会があったが、千松が言うにはそれより少し前に会っていたらしい。自由に喋ることができるようになる前、自由に歩けるようになれる前に例の世話をしてくれた人が、サナギを車椅子に載せて施設の外で会わせてくれたらしい。その時に、サナギはこの名を貰ったという。


 施設での生活は、楽しく遊ぶ時間はあったにしてもその他はやることを押し付けられている気がして退屈で、サナギには少し息苦しい場所だった。だから千松と会った時間は、サナギにとって宝物だった。そして千松は、そんな施設から連れ出してくれた。

 自分を助けてくれた千松とこれからも一緒にいられる。そう思うとサナギは嬉しくて、顔がほころんでしまうのだった。

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