潜竜島の守り神
潜竜島玲瓏神社。ここの守り神を模ったと思しき木像が蝋燭の灯りに照らされているだけの寂しいほどに何もない場所で、その広さは寂しさを何倍にも膨れ上げさせる。
「ここに立ちなさい」
この島に文字通り流れ着いたサナギと千松は、この島の護役ツガに指示され、その木像の前に立った。
二人の目の前の木像は上半身が人間、下半身が蛇のようになっており、全身をよく見れば頭に角のようなものも立っていること以外はそれが何なのか、どんな表情をしているのか全く分からない。何が起こるのかわからずに千松の手を握るサナギとは違い、千松はただ自分の身長よりも大きな木像を睨みつけている。
「サナギさん、神様が『よく来た』とおっしゃっています」
寂しく空気の張り詰める拝殿の中に、ツガの柔らかな声が響く。サナギは辺りを見回して守り神を見ようとしたのだが、何も見えない。それを伝えると千松が「こっちだ」とだけ言うので、千松の鼻が向く先を見上げた。木像の上だが、サナギにはただ壁と天井の間しか見えない。
その様子を、二人を案内せよと命じられたツガは何も言わずに見守る。木像の上に浮かぶ二柱の守り神は、やはり狼の妖怪を睨みつけていた。
「そこの犬ころ、お前は何者だ」
男神である玲瓏ヒが排除の感情を押し殺して千松を見下ろす。
「島の守り神としてまず我らが察知したのは、お前という奇妙な存在であった」
サナギの身長では見えないが、千松の目は怒っているようにギリリと引き締められている。
「俺は千松と言う。こいつの守護霊だ」
ヒはそれを考えることなく否定した。
「嘘を吐くな。守護霊はお前のような犬ころでは務まらぬ。お前はただの妖怪ではないか」
ヒと同じこの島の守り神であるスイもまた、ツガと同じようにヒと千松のやり取りを静かに見守っている。サナギだけが、何が起こっているかわからずに居心地悪そうにしていた。
「見たところ、守護霊に足る神格もない様子。そんなお前に、役目が務まると思うか」
千松はサナギの肩に手を置いて親指で撫で、少しして口を開く。
「わかってる。だが俺は、この島に何かしようなんて気はこれっぽっちもない。俺の目的は、どこかに落ち着くことだ。俺のためじゃねえ、サナギのためだ」
「ならば、娘だけこの潜竜島に住むことを許可しよう。お前は元いた場所に戻るがいい」
元いた場所に帰れと言われても、千松には当然その意思はない。
「何言ってんだ。俺はサナギの守護霊だっつってんだろ。サナギがここに住めるなら、俺もここに住む」
千松が先程の──鳥居を潜る前に駄々をこねていた時と何の変わりもなく同じ言い分を守り神の押し通そうとするのを見て、ツガは頭を抱えてしまう。そっとスイに目をやれば、微かに笑いそうになるのを堪えているように見えたし、ヒは眉間に皺を寄せている。
千松にとってサナギはただ自分が守護霊として守るべき相手だというだけではない。何百年もの空腹から救ってくれた恩人で、かつて記憶を全て消し去り、天涯孤独にしてしまったことに対して許しを乞う相手。そして最初から拒絶せず、大好きだと情を向けてくれる唯一の存在であった。だからこそ千松はいくらあり得ないと言われようが、妖怪という身であることを自覚しながらも守護霊を自称してサナギのために生きてきた。
サナギのためなら何でもした。全てはサナギに温かい住処を探してやるためだ。それが済めば今度こそ守護霊として彼女の傍にいてやれる。二人だけでいいから、ずっと一緒にのんびりと暮らすつもりだったのだ……もちろんそれは、今までもこれからも口に出すことはない。その理由を知らないヒは顔を顰めたまま千松に言い放つ。
「ならば許すことはできぬ。娘共々、島から出ていくがよい。今のお前は、その娘にとり憑いているだけではないか」
「とり憑いてるわけじゃねえ!オレは守護霊として呼び出されたんだ!」
社の中で千松の怒鳴り声が空気を震わせた。診療所からここに来るまでの間に、千松に好奇心を持って様子を見に来た島民や魍魎や小さな妖怪たちが我慢できずに社を覗き込む。
サナギは訳が分からず、千松を宥めようとするが千松はサナギをツガの方にやり、喧々と声を張り上げる。これから堂々と喧嘩をするから預かっていろとのことだろうか。
「ツガさん、千松くんはどうしたんですか?」
「最初はね、神様は君がここに住むことに関して話していたんだけど、千松くんの存在が……神様は良く思っておられないようだね」
「私だけがここに住むの?千松くんは住めないんですか?」
「うーん、そこからなんだか拗れているね」
千松がここに住めない。その言葉だけでサナギの心が痛む。
サナギにとって千松は、施設から外に連れ出してくれた恩人、いつも一緒にいる仲間、自分を護ってくれる大事な守護霊だ。離れることは考えられないし、いなくなってしまったらきっと自分一人では生きていけない。堪らなくなってサナギは千松に走り寄り、怒鳴り続ける自分の守護霊にしがみついた。
「千松くん、もういいよ!」
「もういい!?てめぇ、俺が誰のためにここまで来たと思ってんだよ!この蛇どもはな、お前だけならここに住んでいいとぬかしやがる!守護霊の俺はお払い箱だとよ!」
それを聞いて、サナギは千松の指す方を見上げた。相変わらずサナギの目には映らないがそこをきっと見据えて震える脚だがしっかと立ち、大きく声を出した。
「神様、千松くんは確かに妖怪です!それは千松くんがいつも言ってます。本物の守護霊は自由に姿を消したり現したりできるけど、自分はできないって。その代わり人間よりも力があるから、それでお前を守ってやるって言ってくれました!
妖怪でも、千松くんは私の守護霊なんです!千松くんと一緒でいるのがだめなら、ここに住めなくていいです!」
「バカ、何言ってんだお前は!」
「千松くんと一緒がいい!」
まるでただのわがまま合戦のようだとツガは眉を顰める横で、守り神たちは顔を見合わせてひそひそとやり取りを始める。
「我には、あの娘は取り憑かれているように思えぬ。どう思う、スイ?」
「我にもそのように見える。ツガの報告の通り、妖怪にしてはあの犬ころはどこかおかしい」
「致し方ないか」
「うむ。ここを追い出したところで、よその島に迷惑をかけるわけにもいかぬ」
二人の肚は決まった。強引だとも思われるが、自分たちの目の届かない所に行かれるよりはずっといい。
――あの妖怪を、我らの監視下に置こう。
「はい、ヒ様」
ふいにツガが声を出し、天井近くを見上げた。千松は何かを聞いたようで、ツガが見る方向に顔を向け、サナギはそのただならぬ雰囲気に口を閉ざす。
「犬、条件を飲むなら、ここに住まわせてやる」
ヒは瞼が下がったままの顔を千松に近づける。
「条件?」
「ツガ、お前も聞け。その娘を護役にする。神域の手入れをし、ツガを手伝い潜竜島の魔を除け……」
言いながら、ヒの閉じられたままの瞼の向こうの目を隣のスイに動かす。
「ツガは我の、その娘はスイの相手をすればよい」
険しい顔をするヒとは対照的にスイは柔らかい笑顔でサナギを見下ろしているのを、ツガははっきり見た。
「この娘をですか?」
思わず口を挟んでしまう。ここに来るまでにも子供っぽい言動を繰り返していた彼女に、護役が務まるわけがない。それを伝えてもこの潜竜島の守り神、玲瓏ヒは考えを撤回しない。玲瓏スイとの決定を覆さない。
「うむ。考えておったのだ。この潜竜島の守り神は我ら二柱、対して護役はお前ひとり。一人で二人に仕えるのも骨が折れよう。第一、お前の後を継ぐ護役はこの島におらぬ。その娘ならば適任であろう」
「この島の者ではありません。その上妖怪など!」
ツガとしても予想外のことだ。この島に住むなら好きにすればいいが、ほとんど何も知らない相手を守り神の世話役兼妖怪と人間との境界線を守る護役にするなど、不安しか感じない。しかしヒもスイも、ツガに言い含めた。
「ツガ、護役は我らが望んだ者がなるのだ。それまでの経歴も生まれも、我らにはどうでもよいことよ」
「お前の今住んでいる家は護役のためにある。娘一人分くらい、何とかなろう?自称守護霊の犬ころには、それなりのものを与えればよい」
ツガは心配そうな面持ちのサナギを見やる。確かに、自分一人では神様二人の相手をするのが時々辛くもあった。それに、この二人はここで止めなくては一生どこまでも進み続けていきそうで、そう思うと島から出すのも忍びない。
独り暮らしになって長いツガにとって同居人が来ることはあまり歓迎したくはないが、神様の仰せならば仕方がない。空いている部屋はツガの師とも言える護役が使っていた部屋も、長い間空きっぱなしの部屋もある。少し掃除をすればすぐにでも入れるだろう。護役にするなら、白衣と差袴を物置から出してこなければ。
「承知いたしました。では、そのようにいたします」
渋々返事をすると、二柱の守り神は表情を柔らかくし、ツガにサナギを家に連れて行けと命じたが、千松については置いて行けとのことだった。
「我らはこの犬に少し話がある」
犬と呼ばれて、狼は歯を食いしばって二匹の蛇を睨みつける。
「はい。サナギさん、おいで」
自分だけが状況についていけずに困っていたサナギは、ツガに呼ばれると心細そうにツガに寄っていき、慌てた声で訊いた。
「え、千松くんは?私たち、この島を……」
「いいんだ。神様は許して下さったよ。千松くんと一緒に、この島に住めるようになった」
この島に住める。その言葉がサナギの垂れた目を見開かせる。もう逃げ回らなくていい。もう、千松が悪いことをしなくていい!サナギの願いが叶ったのだ。
「本当ですか!?」
「ああ。神様にお礼を言いなさい」
「ありがとうございます!神様!」
木像に向かって、サナギは震える声で深く深く頭を下げた。
「今から君たちが住む所に案内するからね。千松くんは神様とお話があるから、後で来るよ」
ツガは様子を見に来た島民たちにサナギを紹介した。サナギも頭を下げる。その様子を見、千松の険しい目つきがやっと、柔らかくなった。これでやっと、サナギが安心して毎日を送れるようになるのだ。




