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鳥居の島  作者: 青竹煤
潜竜島
24/81

診療所

 朝、完治には数日かかるだろうと踏んでいた患者がすっかり治っていたことに、医師は驚きの声を上げた。

 「なんて回復力だ!もう平熱に戻ってる」

 「先生、お世話になりました」

 すっきりした顔でベッドに腰かけていたサナギが頭を下げると、ベッド脇に立っていた狼も医師を見下ろして「世話になったな」と短く言う。

 「ちょっと待ちなさい。念のため、もう少しここに……」

 引き留めようとする医師に、狼が対抗する。

 「俺ら金持ってねぇぞ。薬もタダじゃねえんだろ」

 狼は昨日この医師が言ったことを、眠ったふりをしていた時に聞いていて、ここにいる意味はもうないということをきっぱりと示した。

 医師の方は、この妖怪は暴れないと護役から言われはしたが、自分よりも大きな体の妖怪を前にしてそう簡単に慣れるものではなく、元々妖怪の類が見える人ではないために言葉がしりすぼみになっていく。

 「だからと言って……」

 「私、もう平気ですよ」

 サナギが立ち上がり、狼の腕を掴んだ。

 「千松せんまつくんが治してくれましたから。元気元気、です」

 元気であると示すように、サナギは両腕を上げてその場でジャンプした。千松と呼ばれた狼は慌てて、サナギの頬を抓って引っぱる。

 「なにしゅるのぉ!」

 「バカ、変な夢でも見たんじゃねぇのか!?この爺さんのおかげだろ!」

 不審がる老医師に、狼はサナギを抓る手を離し、その頭を下げさせる。

 「とにかく、こいつは治ったんだ。昨日のおっさんに会いたいんだけど、連絡とれるか?」


 

 戸を開け放され日の光が入って来るやしろ。ご神体の二つの木像と、神事用の太鼓といくつかの装飾品と細々と燃える蝋燭しかない広い部屋の中で、ツガは目と口をぽかんと開けて守り神二柱を見上げる。

 「あの二人を連れて来いと?しかし人間の方は酷い熱で」

 慌てるツガとは対照的に、玲瓏れいろうスイはそこにいながらも我関せずと言った様子で腕を組んでいる玲瓏ヒの横で護役もりやくであるツガを見下ろし、着物の袖を口に持っていきふふと小さく笑い声を立てた。

 「熱などもう下がっておろう。何とも丈夫な娘よ。のう、ヒ?」

 何やら心躍ると言った様子でスイはヒを振り返るが、ヒはその視線から逃げるように不機嫌そうに顔を逸らす。

 「まさか、何かなされたのでは……」

 「我らは生き物の生き死にに手は出さぬ」

 突き放すようにヒが声を出したきり口を閉ざす。少しの沈黙を、スイが弾んだような声で破った。

 「ツガ、後で考えるがよい。診療所に行ってまいれ。面白いことになっておる」

 急かす言葉に背を押され、ツガは深く頭を下げて拝殿を後にする。

 ──あの二人を連れて来いとは。どうなさるおつもりか。

 ツガの報告を受けたこの島の守り神たちの命に、ツガは面白くなってきたかな、と思ってしまった。

 潜竜島のみならずこの華表諸島の島々は人口も少なく、それなりに事件はあれど大きな変化はない。毎日が平和に暮らせることはこの上もない幸せだが、それでも退屈してしまう。五十年以上も生きてきて、ツガはそれでも小さな変化がやっと訪れることに、年甲斐もなく気持ちが跳ねてしまった。


 外はやはり、魍魎たちが落ち着かない様子であちこち動き回っている。足元に突っ込んできた魍魎をひょいと避け、ツガの足は参道に埋め込まれた石の階段を下りた。

 ──あの二人と言うより、守り神様が気にしておられるのは妖怪の方だろう。詳しく話を聞いたわけではないが、あの様子では海を泳いで来たとしか思えない。なんという無茶をと呆れるが、そこまでしないといけない理由があったのだろうか。人間をかどわかした妖怪という考え方もできるが、本当のところはどうなのか。

 いずれにせよ、守り神様に会わせないことには何もできない。神様たちは何かご存じなのだろうか。



 診療所は医師の自宅である。過去に華表かひょう諸島がパワースポットだと世間でもてはやされた時期に、医師の息子夫婦が改築費用を出して建て替えたもので、この島の中では新しい建物に入る。緊急の患者がすぐに搬入できるように家の戸は大きく開くよう引き戸になっており、容態によっては電話で本島の病院に連絡を取って搬送ということになっている。

 ツガが診療所に着いた頃、そこには人だかりができていた。よそから流れついてきた女性より、誰の目にも見ることができる妖怪を一目見ようと住民が押しかけてきていたのだ。

 人だかりの向こうから、いや診療所の中から怒ったというよりも困惑しきっているような男の声が上がってくる。昨日聞いた狼の声だ。正面の引き戸が細く開けられていて中の様子は見えないのだが、その声の調子から困って助けを求めていることはすぐに聞きとれた。

 「あっち行けよ!おっさんに用があるっつってんだろ!誰か護役もりやくのおっさん呼んで来い!」

 ツガは思わず吹き出してしまった。昨日はあんなに人を警戒していた狼が、まるで見知らぬ親戚に自分の小さい頃のことを聞かされて困っているという様子だ。

 ──スイ様の仰っていた面白いこととは、このことか。

 しばらくこのままで狼の困惑する声を聞いていたかったが、それでは用を済ませられない。ツガは人の壁を割って入ろうとした。ツガに気付いた島民の何人かが説明を求めたが、それは後でするからと診療所に近付いていく。


 ツガも患者の様子を聞いて、医師と同じように目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。

 「あの熱で?」

 「そうなんだよ、あの熱で!」

 「昨日は喉が真っ赤でほとんど喋れなかったのに、もうピンピンしてて」

 医師は診察室の簡易ベッドに狼と座る患者、サナギに目をやった。体格の違う二人が並んでいるのがなんだかおかしくて、ツガは大きく咳をする。

 「守り神様が連れて来いって言ったって、神様は何でも知ってるんじゃないの?」

 疑うような眼差しで医師が詰め寄るが、ツガは平然と答えた。

 「そうであっても、守り神様は人間ができることに手を出さないからね。あんただって病人を見られて腕が鈍ってないことを確認できたじゃないか。よかったよかった」

 「よかったって、あんたね、ものの言い方というもんが」

 「とにかく、患者は治ったんだ。連れて行くよ。そこのお二人さん、ついておいで」

 医師に次の言葉を言わせる間を与えず、ツガは二人を立たせて診療所の戸を大きく開けた。

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