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鳥居の島  作者: 青竹煤
潜竜島
23/81

 島唯一の診療所のベッドに横たわる彼女は、自分でも起きているのか眠っているのかわからない感覚の中で、ゆるゆると息を吸っては吐いてを繰り返しながら、閉じられた瞼の向こうで浮遊感を味わうと共に、何かを見た。


 それは、横になっている自分を見下ろす男と女の顔。サナギは右にいる女の顔を見、次いで男の顔を見た。

 「見えたようだぞ」

 女が言う。変な人、とサナギは思った。確かに人にしては変な姿をしていた。しかし見たものを理解しようにもどうにも頭が働かず、どう変なのかをきっちり把握できずにいる。

 「ああ、ただの人間が我らを見るとは。素質を持っているやもしれぬ」

 男が女の顔を見て答えると、女の方はひんやりとした手でサナギの額に触れた。

 「単に死にかけているだけやもしれぬぞ。生き物は死ぬときに、守り神たる我らに顔を見せに来るからの」

 離れる手を、サナギは黙って見ていた。心地よい感触に離れてほしくはなかったが、熱のせいで何も言えない。

 「生物の生き死には、我らの力の及ばぬことだ」

 男は腕を組んで、サナギを見下ろした。見下ろしているのにその瞼は閉じられたままで、何をしているのだろうとサナギはぼんやりと思う。少しの間──熱に浮かされて頭の中がはっきりしないサナギにとっては、長い時間に思えた──を置いて、男は突き放すような声で言う。

 「娘、お前が生きようが次に進もうが、我らにはどうでもよい。だが、目を覚ましたらお前の犬ころと共に、我らに会いに来い。ツガに話をつけておこう。お前が生きると言うなら、悪いようにはせぬ」

 何を言っているのだろう。サナギには理解できなかった。次いで女の方がサナギに優しく声をかける。

 「それまでは、静かに休んでおれ」

 再び優しい手が下ろされる。それはサナギの両目を覆い、深い眠りへと落としていった……。


 木目の天井だった。目を開けて最初に目に入ったのは。見回すとどこかの建物だということはわかるのだが、知らない所だった。布の張った仕切りが自分が横になっているベッドを取り囲んでおり、心細くなる。仕切りと仕切りの隙間が少し開いていたのでそこに視線を投げれば、知らない男が目に入った。白い服を着て、水色の袴を穿いている。サナギはとっさに狼の名を呼ぼうとしたが、喉に痛みを感じてなかなか声が出ない。すると男がそれに気付き、こちらにやって来た。囲いの向こうには他にももう一人男がおり、二人が囲いの中に来た。何も言えず、ただ二人を見上げる。

 「怖がらなくていいよ。あんたはね、すごい熱出してるから、ここで治療してんの」

 微かに白髪が残る禿げた頭のお爺さんは、面倒臭そうに言葉を吐く。

 「それにしても、なんで無償で働かなきゃいけないのかね。薬もタダじゃないんだよ!」

 責めるような口調で言われても、そこまでの体力もなかったサナギは何も言い返せず、靄のかかる頭と水が入ったような耳は、その身に覚えのない叱責をするすると受け流す。

 「まぁまぁ。先生には常にお世話になっていますし、強力なまじないをかけておきますので、どうか……」

 先生と呼ばれたお爺さんは、白い服を着た男に向き直る。

 「あんたね、急患だと言うから来てみれば、よそもんじゃないか。何だって無一文のよそもんの面倒を見にゃならんのかね!」

 そう言って先生はサナギの頭の下の氷枕を抜き、持っていた新しい枕を入れてくれた。

 「うちが無償で診るのは、護役もりやくだけだっての。大体なんだい、あの妖怪は!俺は妖怪の類は見えないはずだが、島中の人間にあんなにはっきり見える妖怪と連れのよそもんなんて……」

 悪態をつきながらも、交換した氷枕を洗いに先生が囲いの外に出た。その間に白い服の男が、先生とは違って安心させるような声で話しかけてくる。

 「狼君は今、そこの壁にもたれかかって寝ているよ。さっきまでは君のそばを動こうとしなかったんだけどね。見えるようにしようか?」

 ぼんやりする頭でも大事な単語を聞き取ると、弱々しくもサナギの目の色が変わり、頷いた。男は先生に断りを入れてから、囲いを少しずらす。すると男の言う通り、壁にもたれかかって胡坐をかき、腕を組んで静かに眠る赤黒い体毛の狼の姿が見え、サナギは安堵の表情を浮かべた。

 「よっぽど大切なんだね」

 男の言葉に、サナギはゆっくりと四回頷いた。本当なら今すぐにでも駆け寄りたいが、熱に浮かされ倦怠感がまとわりつく体は動くことを嫌がり、狼に視線を送るだけしかできない。しかしそれでもよかった。無事が確認できただけでもありがたい。


 「サナギさん、でいいのかな」

 自分の名を呼ばれて狼に向けていた視線を男に戻し、サナギは頷く。

 「そうか。私はツガというんだ。この島の護役……わかるかな、神様のお社の手入れをし、守る仕事をしているんだよ」

 ──ツガ、どこかで聞いた。でも、どこだったかな。

 護役はわかる。この島に来る前にも何人かの護役に会っていた。その仕事については……あまり好ましくは思えなかったが。

 正直、護役の仕事というものをサナギは理解していない。それを示してくれる者はいなかったし、されたことといえば自分を守ってくれる狼の守護霊を追い詰めたことくらいだ。しかしこのおじさんは、自分と狼を引き裂くようなことはしなさそうだ。他人に対して警戒する守護霊が、見知らぬ人間の前で堂々と寝姿を晒しているということは、何よりも説得力があった。


 サナギは男の顔をぼんやりと見上げる。顔はなんだか角ばっていて、目はぼんやりしているように見えた。目尻に刻まれたたくさん笑ってできた皺のおかげで怖いという印象を抱かせない。白髪が混じった髪はオールバックにされており、額にも横に皺ができていた。もっとよく顔を見ようとしたのだが……。

 「実は神様から話を聞いていてね、君も聞いているんじゃないかな。元気になったら……おや」

 話しを聞き終わる前に、サナギは夢に落ちていた。


 夜、目を覚ました狼はサナギと自分を隔てる衝立がずらされているのに気付き、立ち上がってサナギのそばに座った。

 「サナギ」

 大きな手でサナギの頬を撫でる。皮膚の下から伝わっていた高い熱が少しだけ下がっているのを感じて、ほっと息を吐いた。

 「時間はかかるが、人間の治療も舐めたもんじゃないな」

 狼は少し考えた。この島に来てツガとしか話していないが、ツガは悪い奴ではなかった。いられるなら、サナギをここに置いてやりたい。しかしこの島の守り神とやらが首を縦に振らなければ、自分たちはこの島を出なくてはならない。神様を嫌う狼はその意向を無視することもできるが、サナギや恩のあるツガ、ここの先生に何かしらの危害が加わるかもしれないことを思えば、早いうちに神様とやらに会ってから後の行動を考える方がいいだろう。何しろ神というものは気紛れで、自分の決定を覆すことは決してない。サナギの病気を早く治さなくては。


 ここに置いてもらえるかなど、狼にとって問題ではなかった。今までの町では数の少なかった魍魎が、この島にはたくさんいる。認めたくはないが、寛容なのだろう。もし許してもらえなければ……その時はまた海に飛び込めばいい。

 狼はサナギの頬に当てる手に少しだけ力を込め、大きく口を開けた。

 「食うぞ」

 サナギの口の前で、狼はしばらくの間口を開けっぱなしにし、ぱくんと閉じた。まるで、何かを食べているようにごくんと飲み下した狼は、最後にサナギの頭をひと撫でし、また壁に向かった。

 「おやすみ」

 愛しさ籠る呟きを口にし、狼は再び壁に身を預けた。

 明日行動を起こす。この島の守り神に会うのだ。

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