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鳥居の島  作者: 青竹煤
時鐘島
18/81

来訪者

 巣降すふりは本土の中でも端に位置し、都市からかなり離れている。これは大昔に盗賊が根城にしていたとも、追放された者たちの行き着く場所とも言われているが、どれも決定的な証拠がないため全て仮説となっている。

 なぜ辺境の不便な村で人々は細々と暮らしているのか。それは本人たちのみが知ることであり、彼らはその事に関しては一切口を開かず、時折数台のトラックで必要物資を買いに出かけては帰っていき、観光の目玉もないために訪れる者も学者や華表諸島かひょうしょとう護役もりやくくらいで、よそから来る住人と言えば本署からやって来た駐在のみ。排他的なこの村は全体的に薄暗いベールに覆われていた。


 巣降の村を語るには、華表諸島の話を外すことができない。

 華表諸島は元々、一柱ひとはしらの守り神様に護られた大きな島だった。それが大昔に沈み、山に逃げて生き残った人々がそれぞれの山に守り神様を呼んで現在まで続いている。巣降はそれの真似をした。大雑把に言えば、華表諸島が成立して百年ほど経ってから、華表諸島とは違う独自の儀式で神様を呼び出し今日に至っているのだ。

 ユウトは小学生の頃に一度、華表諸島本島の護役としてマサナリについて巣降の村に行ったことがある。

 村人は先輩護役たちが言う通りで感じがいいとは思えない。それは護役長であるマサナリだけにしかきちんとした料理を出さなかったからでも幼い自分を笑ったことでもなく、その横柄な態度のせいだ。護役は金銭のやり取りから外れた存在であることをわかっているくせにしつこく物を売りつけようとしてくる、護役がいないために自分たちの守り神の存在でさえ信じきれない。その態度が、ユウトにはまるで宇宙人を見ているかのような気持ち悪さを抱かせたのだ。

 しかし巣降の守り神である雪月夜ゆきづきよ幽香ゆうこうは、そんな不躾な村人たちでも慈しんだ。ユウトが二度目に巣降に行ったとき、幽香は既に村の外にいたが村人は誰も気付いた様子がなく、守り神が唯一目を貸した駐在だけが申し訳なさそうにしていただけだった。村の外で再会した幽香は、寂しそうに笑って話してくれた。昔の村人たちはこうではなかった、いつか目を覚ましてくれると信じていたと。その情が当時のユウトには懐かしく、自分の所の守り神様に対するものと同じ気持ちを抱かせた。この温かい神様が、いつか報われますようにと祈らずにはいられなかった。


 学校を休むと連絡をしてすぐに、ユウトは熊の爪痕のような四本線の入った護役の服をなびかせて海に向かった。

 ──もっと早くにこちらにいらしてくれればよかったのに。

 そう思ってすぐにユウトは頭に浮かんだ言葉を取り消す。それが簡単にできることではないと知っていたからだ。


 呼び出された守り神は人間と約束をしてその座に収まっている。つまり「この土地を護って欲しい」と頼まれ、それを引き受け守り神になると約束に囚われてしまうのだ。いや、囚われるというのは適当ではない。自分を信じ、信仰する人間を愛してしまうのである。愛してしまったから信じる。愛しているから待つ。愛が消えないから、離れられない。雪月夜幽香はそういう神様だったのだ。

 その巣降の村を見限って、あのお方は時鐘島にやって来る。会った時、自分は何と声をかければいいだろう。何を言えばいいだろう。ユウトの足は速まるが、反面騒ぎ立てるセミの声に誘われてそのままどこかに寄り道をして会うのを遅らせたいとも思ってしまい、神様のための船着き場へと続く道の途中でだんだんと重くなる足によって失速していった。



 曇った空の隙間から強く夏の陽が差す海の上では、赤黒い巨体に好き勝手な方向に跳ねている黒い髪の毛、簡単な着物をまとった人間のような骨格の狼と人間の女と、やはり人間のような骨格で着物姿のきじが乗る舟が、波に揺られることなく何かに引かれているかのように静かに進んでいく。遠くにはっきりと見える島を見て、人間の女はそれを指して狼を見上げ、嬉しそうな声を出した。

 「あれ? あの島に行くの?」

 はしゃぐ女に、雉はそうだと答えた。

 「そうだってよ」

 狼は雉の言葉を、その雉を見ることのできない女に伝える。

 「あれに見える時鐘島は、華表諸島の本島。そこからならば他八つの島に行く船も出ていると聞いている。華表諸島の神々は素晴らしい方ばかりだ。そなたたちを受け容れる島もあろう」

 雉は気のない声でするりと言葉を吐く。それを狼はそのまま女に伝えると、女は子供のようにはしゃいだ。

 「もう逃げなくていいんだよね。住むんなら、川の側! 段ボールあるかなぁ」

 わくわくしながら女は島を見つめ、すぐに雉がいるだろう後ろを振り向いてそのキラキラした顔を見せた。

 「妖怪さん、段ボールって知ってる? 人間が作った、えーっと、紙! 紙と紙の間に柔らかく曲げた紙をはさんでくっつけた物でね、水も弾くし寒い時はあると少し温かいんだよ!」

 一生懸命に説明する姿は子供のようで、雉はかつて自分を信仰していた子供を思い出し、微かに目を細めた。

 「私の姿は見えぬだろうに」

 その声に愛しさのようなものを聞きとり、狼は女の頭を押さえつけるようにしてぐりぐりと撫でながら雉に答える。

 「あんたに世話になったからな。こいつに買い物ができるように金もくれたし、俺に飯だって出してくれただろ。俺たちは何年もいろんな目に遭ってきたけど、こいつは誰かが何かをしてくれたことには素直に喜ぶし、されたことには怒る。あんたに喜ぶことをしてもらったから、こいつは見えないし声も聞こえないけどあんたがここにいることを忘れずに話しかけるんだ」

 雉はそれを聞いているのかいないのか、何も言わずただ狼の連れている女と、その横に立っている雉にしか見えないぼんやりした塊に視線を投げている。


 この塊は、狼と女が連れてきた。いや、ついてきた。元々妖怪の類が見えない女はまだしも妖怪である狼にも見えず、かつて神だった雉にだけがそれを見えた。昔のように神の力が使えればそれが何であるか探ることができたが、雉はもう六年も前にその力を手放したため、見ることしかできない。自分を信じ親しんでくれた者たちに何もできず、歯がゆい思いが雉の胸を締め付ける。

 「何かいるのか?」

 狼が訊く。

 「いいや」

 雉は答える。この二人は何年も彷徨っていたという。この狼など、能天気な女を連れてさぞや心休まらぬ思いをしただろうことは想像に難くない。その塊からは悪意を感じない。二人に大きな不幸がないところを見ると、無害だろうと予想はつく。余計な心労をかけさせずとよいだろう。


 「時鐘島の守り神禊月けいげつ殿は誰でも平等に見てくださる。案ずるな」

 波音に乗って消されたその言葉は、誰に向けられたのだろうか。舟は緩やかに波の上を滑っていく。

 「ウゲ、鳥居だ」

 狼が吐き出した苦々しい言葉を聞き、女は狼を見上げた。

 「鳥居? 海の上に? 見えないよ」

 もう少しで島の船着き場が見えるだろう海に、大仰な鳥居が建っている。よその島から来る神格ある者や、華表諸島に修行に来る者たちを迎えるためのものだと、雉は説明した。

 「そなたたちはここに落ち着くのだろう。鳥居を嫌がってはこの先暮らしていけぬぞ」

 雉が少し笑い声になると、狼はぐっと息を詰まらせて一言だけ口にする。

 「わかってら」

 「あの鳥居は、かつて何度か潜っていた」

 舟はぐんぐんと鳥居に近付き、そのまま真ん中を潜っていく。狼はその間ずっと女を抱きながらその方に顎を載せて船底に目を向け、鳥居を見ることができない女は狼とは逆に、目を凝らして、雲に覆われて微かに明るい部分が覗く何もない空を見上げた。

 「今日で最後となると、感慨深いものだ」

 その目に微かな笑みを浮かべ、雉の妖怪は静かに口を閉ざす。

 かつては自分も守り神として村に在った。華表諸島の真似ではあるが、呼び出された以上は村のため、そして次第に愛情を持って村人のためにできうる限りをした。華表諸島の神々は本当によくしてくださった。右も左もわからぬ自分のために、助言だけでなく背を押し、時折護役を村に寄越して村の様子を見に来て下さった。何度感謝したことか。何度禊月ヅナ殿を始めとした神々に負けぬよう、良い神になろうと思ったことか……!

 くちばしを閉じ、雪月夜ゆきづきよ幽香ゆうこうは心が引き裂かれる痛みを目から溢していく。

 ぐらり、と舟が揺れた。乗ってから一度も揺れたことがない舟が、波を受けて揺れたのだ。

 「うわぁ!」

 人間の女が驚きの声を上げて狼にしがみつく。

 「ちょっと揺れただけだろ、大袈裟に騒ぐな」

 何でもないというふうに狼は女を支えて軽く言う。それに雉は危機感を覚えた。

 ──早く到着させねば。もう、私は……。



 人間が使う漁船用の港と観光や各島への定期船用の港は同じ方角にあるが、神様などが使うのはそれとは逆の方向、立ち入り禁止になっている海岸に造られた立派な船着き場だ。マサナリが護役長に就任した際に地味だったこの場所を派手に造り変えてしまったという話は先輩護役たちから聞いていた。マサナリ自身もその話になると必ずその場から離れていたので、本人もやり過ぎたと思っているのだろう。

 ユウトが到着した時、目に飛び込んできたのは真っ赤な鳥居の下に大柄な狼のような妖怪と、まるで獲物のように担がれた雪月夜幽香だった。かつての凛とした姿ではなく、力なく妖怪にされるがままになっているのだ!

 「幽香様!」

 ユウトは一刻も早く妖怪から救い出さなくてはと駆け出し、雪月夜幽香を担いでいる妖怪に攻撃の札を叩きつける。狼はその衝撃でバランスを崩し、幽香を肩から落としそうになったが何とか耐えて担ぎ直し、ユウトを睨みつけた。

 「何しやがる!」

 「そのお方を放せ。そのお方は巣降の村の守り神様だ! 妖怪如きが易々と触れていい方じゃないんだぞ!」

 そこに、もう一つの声が割って入る。

 「やめて! 千松くんに酷いことしないで!」

 大声で自分を押しのけたのは女だった。茶色の髪を肩の少し下あたりまで垂らして、花柄のワンピースを着ていて、垂れた目をつり上げているように見えた。

 「おい、ガキ」

 女の向こうから狼の赤黒い腕が伸びてきて、ユウトの護役の服の胸ぐらを掴み上げる。つま先立ちになるユウトに、狼の妖怪は脅すように低い声を出した。

 「神社はどこだ」

 「えっ?」

 「神社はどこだって訊いてんだよ! さっさと教えろ!」

 すると妖怪の肩の上の幽香が呻いた。

 「どなたかは存じないが、教えていただけないだろうか……。この者は私を連れて行ってくれる方だ」

 守り神を担いで人間を連れた妖怪。それを信じていいのかどうかなど、幽香本人の口から聞いた言葉によって判断が下った。ユウトが案内すると答えるや、狼は空いている腕でユウトを抱え、しゃがみこんで連れている女を首にしがみつかせて勢いよく桟橋を蹴り、禊月神社へと風を切った。

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