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鳥居の島  作者: 青竹煤
時鐘島
17/81

禊月ヅナ

 静かな夜。拝殿の中で眠ることのないそれは、海の向こうの変化を感じ取り、獣の鼻をひくつかせてその変化を探り始めた。漂ってくる微かな鉄のような臭いと深い悲しみの匂いが混ざって鼻から心に突き刺さる。

 すぐに何があったのか予想を立てた。それが間違いであってほしいと願いながら、しかし疑いようのないことであると覚悟を固めて。

 受け止めなければならないのだ──何百年と親しんでいた大事な友人がいなくなることを。





 まだ朝も暗いうちから部屋の外で人が慌ただしく、しかし足音を立てないように歩き回る気配に、時鐘島ときがねじま護役もりやく最年少のユウトは布団の中で眉間に皺を寄せる。まだ鳴ってもいない目覚まし時計に手を伸ばして寝惚け眼で時刻を確認すれば、なんとまだセミも鳴き出さない朝の四時。ほぼ毎朝のことだが、ユウトは枕に顔を埋めて「くそぉ……」と吐き出してからそのままゆっくりとカウントダウンを始める。ゼロを口にするとやっと半身を起こして部屋の電気を点け、机の上のラジオのスイッチを捻ってニュースでも聞きながら頭を起こそうとした。


 「華表諸島かひょうしょとうの皆さん、おはようございます。暦は夏に入りましたね。今日は夏一月三十三日ですけれども、春三月の時点でもうセミが鳴き始めていましたね!」

 ラジオから透き通った声が流れてくる。ユウトははっきりしない頭でラジオのニュースを聞き流しながら、敷いていた布団を畳んで押し入れにしまおうとしたが、天気予報のことを思い出して持ち上げていた敷布団を畳の上に下ろした。

 総勢二十一人の護役が暮らす宿舎は、一人に割り当てられる部屋の広さは眠って起きるだけなら十分な広さで、個室には布団一枚分なら出して干すことができる窓と手すりがついている。今日も晴れだったら、干しておきたい。

 しかしユウトの天気予報を待つ気持ちを、ラジオは裏切った。まだ暗い朝の空気に同調するような柔らかなパーソナリティの声が、突然その調子を変えたのだ。

 「天気予報に入る前に、緊急ニュースです。昨晩、巣降すふりの村で事故が発生し、村の外れの林で怪我人が大勢出た模様です。巣降の村の村長は警察と華表諸島の各島の護役に調査を依頼して……」

 未だ完全に目が覚めないユウトはぼんやりと天井を仰ぎ、のそのそと立ち上がって窓を開けた。薄紫の空が目に、涼しい風が部屋に流れ込んでくる。

 「んー? 巣降の村、事件、事故? 巣降の村……」

 ラジオから聞いた情報をぼそぼそと口にすると、やっと頭が追いついてきた。


 巣降の村は華表諸島から離れた本土にある小さな村だ。自分が護役になってからその成り立ちを聞いたことがあるし、マサナリについて二度行ったことがある。印象は全くよくなく、頼まれても行きたくないと思った場所だ。だから事件があったと言われてもユウトは大してショックを受けなかったどころか神罰が当たったんだとしか思わず、慌てることもなくいつも通りの一日を迎えようと思っていたのだが……それは甘かった。

 「全員起きろ! すぐに拝殿前に集合! 起きろ起きろ!」

 大きく手を鳴らしながら、これまた大きなドラ声を響かせて先輩護役が廊下を早足で奥まで行って帰り、そのまま廊下の向こう側に声をかけに行くのが聞こえ、従うようにどやどやと足音が床を伝うって階段へと消えていった。声はそのまま三階に上がっていく。まるで嵐のような一瞬が去って、ラジオはやっと今日の天気を早口で伝えた。時鐘島は曇りのようだ。仕方なくユウトは布団をもう一度持ち上げて押し入れにしまった。


 「まったく、ラジオのニュースの直後に電話をかけてきおって!」

 朝から怒りで赤い顔をしたマサナリは、拝殿の前に立つとそこに向かって一礼をし、朝の空気を大きく吸い込んだ。マサナリの後ろには二十人の護役が集まっており、ユウト以外は全員神妙な面持ちでマサナリがこちらを向くのを待っている。

 「時鐘の守り神様、禊月けいげつヅナ様。このような時刻に拝殿前を賑わすことをお許しください」

 マサナリが頭を下げたままでいると、拝殿の奥から重々しい声が響いてきた。

 「構わぬ、始めよ」

 するとマサナリはすぐに頭を上げ、全員に向き直る。その顔はまだ怒りに赤く染まっていた。

 「先程ラジオから、巣降の村で事件があったと聞いた。その後であのろくでなしの村長から電話が来た!」

 ユウトがここまで怒ったマサナリを見るのは珍しい。先日のニシガイ先生の件と比べても、明らかに怒りの度合いが違っていた。前者は他人のための怒り、後者は……自分が迷惑に思ったからこその怒りだろう。

 ──まぁ、当日いきなり出動要請が来たらオレでもキレるよな。

 ユウトが一人で納得している間にもマサナリはこれからの行動について話し始めた。

 「本来なら私はここを動かんが、巣降の村ならば護役長が行かねばなるまい。ラジオで言っていた事件のことも気になるからな。何人か同行を頼みたい」

 マサナリは怒りを押し込め、前に立つ全員の顔を見回し、微かに眠そうな顔をしているユウトに目を付けた。ヤバいと思ったのだが、その時点では遅かった。

 「ユウト、同行しろ」

 ユウトは大慌てでそれを拒否した。拒否という行動自体あまりしたことがなかったが、あの村はごめんだと思うと力強く首が横に振ることができた。

 「オレ、僕は学校があります!」

 「巣降は今まで何度か行っているだろう!」

 嫌だ、来いのやり取りの最中に、拝殿の奥からまた声がした。

 「マサナリ、ユウトは置いて行け」

 今度はすぐそこで口を開いているような、はっきりした音声だ。全員がぎくりと肩を竦ませ、一斉に拝殿に目を走らせる。ほんの少し明るくなった空の下で姿を現したそれは、人間の形をしていなかった。

 異形。その言葉で十分に表せるほど、それの姿は人間から離れていた。ずんぐりした体型のそれは、腰から足までがヒトにあるまじき大きさで茶色の毛皮に覆われ、上半身はヒトのように細いがその両手には下半身と同じ茶色い毛が生えており人間のそれよりも二回りほど大きく、黒く鋭い爪がはっきり見える。大仰な着物を着ていて、厳しい目は人間のものだが鼻はヒトのものではないのが妙に決まらない。その人物はまるでクマのような足で護役全員の前に立つが、その姿を笑うものは一人もいなかった。これがこの時鐘島の守り神、禊月ヅナなのである。

 「皆も聞け。巣降の事は此度のことを以て、今後一切関わるな」

 「なんと……!」

 マサナリがその人物を驚きの目で見上げ、周囲はどよめいた。


 巣降は華表諸島と違う成り立ちでできた村で、それぞれ自分が護る土地を持つ島の守り神が気に掛ける理由などないはずだった。それでも、少なくともこのクマとヒトが混ざったような外見の、時鐘島の守り神である禊月ヅナは時折巣降の様子をマサナリや他の護役に見に行かせ、報告を聞いては安堵の表情を見せていたのに、なぜ今、このような時に?しかしそれを問うても、守り神は何も答えてはくれない。

 「マサナリ、巣降へは行け。同行はユウト以外なら何人連れて行ってもよい。ユウトには頼みたい仕事がある」


 「頼みたい仕事とは、何でしょうか」

 マサナリたちを送り出した後に、ユウトははっきりと明るくなってきた空を拝殿の中から確認して、向かいに座るこの島の守り神を見上げた。

 「お前が巣降を毛嫌いしているのは知っていたが、そのことで引き留めたのではない」

 禊月ヅナは先程ユウトがしたように、開け放された拝殿の扉の外に顔を向けて俯いた。

 「幽香ゆうこう殿が、その座を降りられた」

 ポロリ、とユウトの胸の中で何かがこぼれた。

 幽香というのは、巣降の村の守り神のことだ。雉の姿から人間に近い姿──時鐘の守り神である禊月ヅナのように、獣と人間が混ざったような姿──で、雪月夜ゆきづきよ幽香ゆうこうという名で知られていた。ユウトが本土で初めて、そして唯一目にした守り神様であり、その姿は女神ということもあり派手さはなかったが、それを補う程の威圧感が滲み出ていて……しかし所作がとても美しい神様だった。

 その幽香様が、神の座を降りられたという。

 自分が身を置く世界に、小さく一つのひびが生じた。時鐘島に大きく関係するわけでもないのに、ユウトの胸には冷たいものが通り過ぎていく。

 守り神は自分の護役に対して少々の間を与えた後、言葉を続けた。

 「幽香殿がこちらに向かっている。迎えに行ってやって欲しい」

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