ユウト帰宅
魍魎を背負ったまま、ユウトは学校を出て校庭に出、はたと両足を揃えて立ち止まると勢いよく振り返った。
「鞄と制服忘れた!」
場の雰囲気に呑まれてすっかり忘れていた。そもそも体育の授業中に病院に担ぎ込まれたので、ずっと体操着のままだった。胸には大きく「1-3 ユウト」と書き込まれているので、名札を付けて病院から学校まで歩いていたことになる。そして先程までのあのやり取りの中でもずっと「1-3 ユウト」を付けていたのだ。第三者の目で思い返してみると格好がつかない。
──教壇に置きっぱなしだ。今から取りに行くか? でもなんか、まだ怒鳴ってるのが微かに聞こえるし……。戻ってもなぁ、間抜けだよなぁ。
ユウトの頭の中には、怒鳴り散らしているマサナリの前に涙目で俯きながら正座しているニシガイ先生と、その横で同じようにしている自分が簡単にイメージできてしまう。更に、ニシガイ先生の頭の上にはイケニエ一号という矢印が先生を指し、自分には二号という矢印が付いていた。
──漫画の読み過ぎだ。
頭を振り払い、ユウトは背中の魍魎に訊く。
「お前は先に帰りたいよな」
寂しくて震えている魍魎は、ユウトの首に回していた腕をざわりと絞めるように意思表示をした。
「わかったよ。安心しろ、ちゃんと送ってやるから」
よいしょと背負い上げ、ユウトは学校に戻ることなく歩みを速めた。鞄も制服もなくなるわけじゃない。一日くらいどうということはないだろう。
商店街を抜けて河原に着いた頃にはもう空は真っ赤で、ユウトは適当な場所に魍魎を降ろして帰ろうとするのだが、その魍魎は今までいた場所と違うのかあちこちを見回してウロウロするばかり。やがて自分の知る匂いに安心したのか、小学校低学年くらいの大きさから次第に片手に乗るくらいにまで小さくなった。
「オレができるのはここまでだぞ」
不安そうに自分を見上げる魍魎に対して屈むことなく、ほんの少し情の籠る声でユウトは告げた。
「あとはお前が何とかしろよ」
魍魎に背を向け、ユウトはそっと歩き出す。背後で石がぶつかり合う音を聞き、そこでやっと河原の石を大きく踏みつけ音を立てながら大股で歩き、河原を出た。
魍魎はやがて妖怪となり、修行を積んで神になる。魍魎には人間が干渉してはいけない。ユウトはその教えをマサナリから受けた。それを護役としての礎としていたのだ。
禊月神社に到着する頃には、真っ赤だった空は随分落ち着き、紫に染まった空に星が瞬いていた。その下を、ユウトは足取り重く歩いていく。魍魎を河原に送った後に、やはり鞄も制服もないのは落ち着かず学校に戻ったが、用務員のおじさんから聞いた言葉がユウトを不思議な気分にさせたのだ。
「忘れ物はマサナリさんが持って帰ったよ」
忘れ物は己の責任。他の者が持つ義理はない。そう言い放つのがマサナリだと思っていた。集会室でのことといい、今まで抱いていたマサナリという人物像に揺らぎを感じているのは認めざるを得ない。
──でも、まぁアレだ。帰ったらお説教だな。
覚悟を決めて、禊月神社の鳥居を潜る。参道に沿って両脇に立つ灯篭にはぼんやりと明かりが灯っており、その周りだけをやんわりと照らしていた。拝殿の前まで歩くと誰かの「お帰り」という声が聞こえ、ユウトは拝殿に向かって一礼し、「ただいま」と心で呟く。
参道の途中で足首に何かがすり寄っているのを感じて、ユウトは足を止めた。にゃあごと聞こえる特徴のある小さな鳴き声に、ユウトはしゃがむことも見ることもせず、小さく「うん」とだけ返してそのまま参道を右に曲がる。猫は参道に敷かれた石畳から出ることができずにユウトを呼び止めようと鳴くが、ユウトはそれを無視して社務所に向かう。人のいない社務所の脇を通り過ぎて、灯りがこぼれる護役の宿舎の前に出た。ここがユウトの帰る家である。
三階建ての宿舎は護役の個室はあれど風呂トイレは共同で、女人禁制。人数は二十一人で、ユウトが一番年下だ。食事や洗濯は当番制なのでみんなそれなりに家事はこなせる。ユウトも護役になって六年の間に料理の腕が上がった。
引き戸を開けると、和やかな話し声が奥の食堂から聞こえた。
「ただいま戻りました」
声を上げると、食堂の暖簾を分けて護役の一人、四十代のおじさんが笑顔で迎えてくれたので、ユウトの気持ちはいくらか軽くなる。
「お帰り、ユウト。忘れ物ならお前の部屋の前に置いてあるから、先に着替えなさい。みんな待ってるよ」
はいと返事をして、ユウトは玄関を抜け二階へ上がる。そして廊下の両端に並ぶ引き戸を二つ通り過ぎ、自分の部屋の前に鞄と、きっちり畳まれた制服が置いてあるのを確認してまたも不思議な気分になった。
──これをあの護役長が?
マサナリが自分の……立場上部下に当たる者の荷物を持つことなど想像できないが、それは一旦考えるのを止めようと思い直した。ユウトは自分の荷物を持ち、部屋の戸を引く。寝て勉強するには困らない程度の広さの部屋に、ハンガーに掛かった護役の服が一式、存在感を放っている。
護役はその任に就いてからは一日を護役の服で過ごすことになっている。朝起きてから夜眠るまで、ずっとだ。だからユウトは「1-3ユウト」のまま食堂に出られない。ソックスを足袋に履き替え、体操着を脱いで襦袢を着、青い掛衿がついて袖に四本の太い線が入った白衣を着てから掛衿と同じく青い覆い(ここにも四本の太い線が入っている)のついた差袴を穿き、白衣の裾をしまって腰の紐を締める。
姿見に自分をさっと映して出来を見、「よし」と頷くとユウトは部屋を出た。
食堂では、既に二十人の護役たちが座って待っていた。暖簾が上がるのを見て、マサナリ以外の十九人が拍手でユウトを迎えるので、ユウトは何が何やらわからずにたじろいでしまう。
「なんですか……」
すると一人がユウトを席に手招きし、そこに座ったユウトの頭をぐりぐり撫でた。全員がユウトよりも年上なので、まるで子供の扱いである。
「ユウト、話は聞いたぞ!」
嬉しそうな様子の先輩護役に、ユウトはもう一度なんですかと訊くが、その声はどこか嬉しそうだった。いつものようにじゃれているような気がしたのだ。
「お前、護役長が」
別の先輩護役が言おうとしたが、それはユウトの二つ隣にいるマサナリに止められた。
「全員が揃ったんだ。先に夕飯にしなさい」
その声は落ち着いていて、ユウトには久しぶりに聞いた気がした。
配膳が終わると、全員でいただきますを言う。時鐘島の護役二十一人が、店の売れ残りの食材で作った夕食を食べる。時鐘島は元の人口に加えてよその島から働きに来ている人や、少ないが観光客もいる。それらに対して扱う商品が膨大である為に、護役が食材に困ることはない。食材は売れ残りを頂戴し、衣類は島民の善意に頼る。それが金銭のやり取りから外れた護役の生活する術である。無論、護役は善意に胡坐をかいているわけではなく、守り神様のお世話や神社の管理の他、人を襲う妖怪や魍魎の類を祓い、妖怪たちの住む場所、人間の住む場所の線引きをはっきりさせ、好くない場所を清めとやることはたくさんある。その見返りが食材の提供や善意であり、これで護役の生活は成り立っているのである。
和やかに時間が過ぎていく。ユウトも周りの先輩たちと喋って笑って、過ぎていく時間を楽しんでいる。そこにマサナリが咳払いをしてからみんなを静まらせた。
「ユウト」
名前を呼ばれてユウトは今日のことが一気に頭の中をよぎり、反抗的な態度もなく素直に返事をした。
「はい」
マサナリは一人を挟んで、まっすぐユウトの目を見る。
「お前は職務にまっすぐだ。それは素晴らしい。だが、信じない相手にはもう少し柔軟に……」
──は?今、この人オレを褒めた?
信じられなくて呆然としているユウトに、左に座っている先輩護役が大げさに肩に腕を回して揺らすので、ユウトもそれに従ってガックンガックン揺らされる。
「なぁにボーっとしてんだよ!」
「褒められたのが意外って顔してるぞ」
それを聞いて、ユウトとマサナリ以外の全員が食堂を震わすほどの大声で笑った。その中でユウトは、まるで年齢一桁の自分に分からない話で盛り上がられたような錯覚を起こす。小さな子供の無邪気な一言で大人をやり込めたかのような、自分が手柄を上げたのにわかっていない──そんな置いてけぼりの感覚。そこに突如大きな唸り声が外から聞こえたので、みんな口を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。ユウトはまだ錯覚の中におり、聞き慣れた唸り声に幼い自分が反応してしまった。咄嗟に立ち上がろうとするユウトの肩を、まだ回されていた腕が座れと押し止める。
「でも!」
外から聞こえるのは知っている声。自分を呼んでいる声にユウトは左にいた先輩護役を見上げるが、彼は厳しい顔で首を横に振り、ユウトを見下ろすのみ。
次第にユウトに感覚が戻ってきて、現状を理解した。
あれは、アマミだ。ユウトと一緒にここに来た、おばあちゃん猫のアマミだ。そして、ユウトとここで二年暮らして天寿を全うし……ユウトを連れて行こうと呼ぶ化け猫だ。
アマミの記憶はユウトが小学校五年生の頃で止まっている。それはユウトが護役になって一年経ち、学校と護役の仕事と覚えることが山積みで物事がうまくいかず、更にマサナリからの厳しい叱咤が加わって、毎日のようにアマミに弱音を吐いていた頃である。アマミは、ユウトを連れて行こうという思いを抱いたまま生涯の幕を閉じた。だから思いがそこから動かない。例え成長してもユウトを見つけて呼ぶ。それはさながら、子を残して他界した母親の子に対する愛情そのもの。
「死んだ母親が生んだ赤ん坊を飢えさせないように飴を与えたという昔話があるが、あの猫には側に置く愛情しかないんだよな」
誰かが呟く。
ユウトが反応すれば力をつけて呼び続ける。だからユウトは相手をしないことにした。それは、ここに縛られずに次に進んでほしいから。来世でもたくさん愛されてほしいからだ。しかしアマミの根性も凄まじいもので、ユウトが反応しなくなっても何年もユウトを呼んでいた。
「あれは、今どこまで動いているんだ」
一人がユウトに訊く。
「参道の石畳からは出なくなりました。大きさも……少し小さくなったと思います。直接見ないようにしているので、感覚を頼りに言っていますが」
今のユウトには、アマミくらいなら祓うことができる。しかしそれは──したくない。それがユウトにできる精一杯のことだ。
「よろしい。では、食事が終わった者はそれぞれ片付けるように」
マサナリが言うと、それぞれが食器の載ったお盆を持って台所に行く。食器洗いは当番に任せ、ユウトは歯磨きをしようと蛇口にのならぶ洗面台に行こうとして、マサナリに止められた。
「なんでしょうか」
「先程の話の続きだ。仕事にまっすぐなのはお前の好いところだ。信じない者にも救いの手を差し伸べられるのだからな。しかし、信じない者はお前の言うことに耳を貸さないだろう。そういう時はな、見えない者の見方で進めてみろ」
ユウトは目を剥いてマサナリを見るが、当のマサナリは言うだけ言うとくるりと踵を返して食堂に戻って行ってしまった。
──マジかー。アドバイスまでくれるとか……。あのおっさんのことよく見てなかった気がする。今までのことを踏まえて、もう少し寄ってみようか……一応上司だし。
今まで避けていた人物であるが、何を思ってそう言ったのか。今回のことでユウトはそこに気付いた。これから、相手に興味を持ってもう少し話をしてみよう。ユウトは歯を磨きながらそう思った。
お付き合いくださってありがとうございました!
ここで時鐘島の護役の話は終わりますが、まだ少しだけこの島で話は続きます。




