禊月神社
「いつまでも子ども扱いかよ」
そう呟いて、ユウトは撫でられた頭に触れることなく校庭で繰り広げられるバスケットボールの試合に視線を移す。しかしいくらボールを目で追っても、自分が動いていないので面白くない。
やることがなくて暇だったので、ユウトは今住んでいる禊月神社に思いを馳せた。
ユウトがランドセルを背負い飼い猫のアマミを連れて禊月神社の鳥居を潜ったのは、小学校三年生の冬のことだ。
この神社は守り神様で有名な華表諸島の本島という売りがあったため、鳥居はどこよりも大きく、塗られた朱は定期的に塗り直しているのかいつ見ても剥げたところもなく綺麗で、境内も拝殿もそれに恥じることない広さを誇っている。ここは行事ともなれば人があふれかえるほどの盛況を見せたが、当時は冬ということもあって閑散としており、参拝客も少なくうら寂しい思いを抱かせたものだ。
ユウトは拝殿まで進んでいくがその足取りは重く、厚手のジャケットの内に入れていたおばあちゃん猫のアマミを時々きゅっと抱きしめて足を止め、前方の立派な拝殿と後方の大きな鳥居を交互に見、拝殿に向かって歩き出す。
人口の多い時鐘島の禊月神社は守り神様を祀るだけでなく、子供の遊び場としても、本土で働く親と一緒に帰る子供の預かり所としても、海の状態から船が出せない状況になった際の、よその島の子供たちのための緊急宿泊所としても機能しているため、無駄に広いわけではない。ユウトも学校帰りによく遊んでは夕飯の時間に遅れ、親に叱られていた。しかしこの時は状況が違った。一時的な預かりではなく、長期の預かりだったのだ。
ユウトには兄がいた。よく体調を崩して病院の世話になっている兄が。両親は兄が病気にならないよう気をつけていたが、どんなに気を配っても兄は調子を崩す。次第に親は一つの決断を下した。「引っ越して、いい医者に兄を診せる」と。ユウトは何度も親に訴えた。病気じゃないと。兄に夜な夜な黒い塊がのしかかっているから具合が悪くなるんだと。行くなら神社だと。
華表諸島の子供たちは特にそう教わる。ユウトは華表諸島の外から引っ越してきた両親や兄と違い、この島で生まれて育ったためにその教えはしっかり根付いていた。病院に行っても薬を飲んでも治らなかったら、神社に行きなさい。護役の人に見てもらえば助けてくれると、先生や護役のおじさんたちから言われたことをそのまま伝えたが、時鐘島の外からやってきた両親は、ユウトの話を鵜呑みにしなかった。
元々ここに引っ越してきたのだって、兄の具合が悪かったからだ。神社には、行った。しかし治ったと思ったらすぐにまた具合が悪くなった。だから神社は信じない。そう返ってきた。ユウトが「見える」目を持って生まれてきたことも、両親はこの島を離れたくないがための嘘だと思った。自分たちには、次男と同じ目が具わっていなかったから。結果、ユウトはこの神社に預けられることになり、来られそうなら連絡しなさいと渡された連絡先の紙を持って禊月神社に足を踏み入れたのだ。
にゃご、にゃぁごとアマミが少し鳴く。ユウトは「うん。わかったよ」と答えて境内脇の社務所の窓口に向かって声を上げた。
「こんにちは、ユウトです」
「でっ!?」
顔に衝撃を受け、ユウトはのけぞってそのまま地面に倒れる。遠くから「ユウトごめんー!」とクラスメイトの声がして、何人かが寄ってくる足音が聞こえた。
「悪い! ボール取り損ねてさ」
「おい鼻血噴いてんぞ」
「センセー、保健室連れて行きまーす!」
クラスメイトが声を張り上げる。ユウトは揺れる頭でぼんやりと、どうせほっとけとか言われるんだろうなと思ったが……。
「倒れた時に頭打っただろ、保健の先生連れて来い! みんな、試合は中断だ。先生は禊月神社に連絡してくるから、休憩してろ。いいか、ユウトは動かすなよ!」
鼻の付け根を押さえながら、ユウトの耳はセミの鳴き声よりも大きく、足を引きずる音を拾う。それも先に聞いた一旦引きずって止まり、また引きずるという間隔が短い音を。
「あのぅ」
ユウトは長椅子の上で、呆然と隣に座る丸い顔にへの字口のしかめっ面が、ユウトを睨みつける。
「なんだ」
苦手な人物であるマサナリを前に、体操着姿のままのユウトはおずおずと訊く。
「なんでオレ、ここにいるんですか」
「記憶が飛んだか、だらしのない奴め。体育の時間に飛んできたボールが、頭を直撃したのだそうだ!」
まったく、救急車の世話になるとは……と不機嫌を隠そうともしない様子のマサナリに、ユウトはただ、「そうですか」としか返さずに、ただ自分がいる総合病院の待合室の中で、さっさとMRIの結果が出ることだけを願い続けた。ちなみにここで言う救急車とは、学校という場所でもしものことがあった時の為に常駐してある白い横線の入った三輪自動車であり、ユウトが載せられたのはマットを敷いただけの荷台部分である。運ばれるとき、クラスメイトが持ってきてくれた鞄と制服も一緒に載せられて病院に搬送され、救急車が帰ってしまう時にマサナリに渡され、今はマサナリに睨まれながらユウトが膝の上に載せている。
マサナリは、ユウトが世話になっている禊月神社の護役長だ。生まれて六十余年、この時鐘島で生きてきた頑固おやじと評判の護役長だ。目上が絶対であり、口答えは許さない。伝統を重んじよという考えに凝り固まった頑固おやじ。本人だけがそうであるだけなら文句もないが、それを強要してくる迷惑さが目立つ人物である。
護役という役職は、主に島の守り神様のお世話を担う大役だ。この仕事は大昔から人間と異なる存在として見なされてきたため、ある程度の費用は免除されているのだが、いくつかのよその島の護役はそれを良しとせずに自ら働くなどして収入を得ている。マサナリはそれに噛み付いては周囲から失笑を買い、また煙たがられている。ユウトからすればただの嫌な奴である。
何故引退しないのか。ユウトは中学生の頃に禊月神社の仲間にそう溢したことがあるが、年上の仲間は「あの人の考え方は、まだお前にはわからないだろう」とその手をポンと頭に置かれただけだった。自らが認めて護役に命じた守り神様になど愚痴を言えるわけもなく、ユウトの不満は燻ぶるばかりだった。
そしてユウトは一つの答えに辿り着く。「相手にしなければいい」「諦めればいい」と。そうして必要以上に関わらないように教わったことはその通りに動き、学校では好きなように振る舞った。学校にいる間だけは、マサナリのことは忘れられていたのに、今回はドジを踏んでしまったとユウトは奥歯を噛み締め、視線をマサナリと逆の方向にずらして、会話のない中で時が過ぎるのを待った。
検査の結果は問題なし。それは良かったが、マサナリが何度も医師に「申し訳ない、申し訳ない」と頭を下げるのが気に入らなかった。今回は防ぎようもない負傷だったのに、なぜ謝るのだろうか。
病院の帰り道、ユウトは自分の前を歩くマサナリ──腕の関節辺りから袖に四本の黒く細い線が引かれた白衣、青地の袴の上に、同じ色に同じような四本の黒く太い線が引かれた覆いを着けたマサナリからすすっと離れようとしたが、背中に目でもついているのか離れようとすると「どこへ行く?」と響く声で止められたので、小さく舌打ちしてその後ろに戻った。
するとマサナリは立ち止まって、ゆっくりとユウトを振り返って、怒鳴った。
「舌打ちをするんじゃない!」
自分の言うことは受け容れてもらった記憶がない。それどころか、話を聞いてもらったこともない。
「ああ、すみません」
形だけの謝罪だったがマサナリはその事については何も言わずにずんずん進んでいく。そして商店街の中で、マサナリの後をついて行くだけのユウトは気付いて立ち止まった。
「護役長、神社はこっちです」
人が集まる賑やかな商店街は、島の中心だ。引っ越してきたばかりの慣れない人はまず、商店街の場所を把握してそこから地理を覚える。病院から神社への道は本屋左の出口からだが、マサナリはお構いなしに反対側、花屋側の出口に向かっていた。
「おいおい。そっちは学校だっつの。オレ、先に帰りますよ」
鞄と制服を担いでユウトは神社へ帰ろうとするが、それを呆れたように止める声が一つ。
「お前だけ帰るな」
聞き覚えのある声に、ユウトは辺りを見回さずに答える。
「異常ないですし」
丁度ユウトの横を通った通行人が、ユウトの声に気付いてそちらを見、自分に話しかけているのではないと結論付けて早足で去っていった。
「マサナリが何をしようとしているか、見て来い」
無視して帰りたかったが、この声にそう言われては行く外なく、橙色に染まり始めた空の下、ユウトは向きを変えて早足でマサナリの後を追った。
お付き合いありがとうございます。
まだ続きます。




