護役の子どもたち 1
千松がサナギを連れて巣降の村にたどり着く前の話。
華表諸島は千年程度の歴史があり、九つの島から成り立っている。
人口は本土に遠く及ばないが守り神がいるとメディアでも取り上げられたことがあり、辺境の島のちょっとしたパワースポットとして有名になった。観光客も人間、妖怪かかわりなく多かったことはシャッターの閉められた土産物店やレストラン街跡の閑散とした様子から見て取れる。
一時は爆発的に増えた人間の観光客たちはブームの落ち着きと共に足が遠のき、今では定年を迎えてゆっくりと島めぐりをしようと計画を立てた高齢の夫婦や、長期の休みを家族と楽しもうとやって来る家族連れ、またはるばる遠くからやって来る風俗学者などで、それらさえ一年を通して頻繁に来るわけではない。
しかし華表諸島の人々は──とりわけどこよりも観光客と接して生計を立てていた本島の時鐘島の人々は何人かが本土に出はしたが残った者は特に気にした風でもなく、表面上はブームの前のように生活している。
妖怪の類は元々この土地には多く存在しており、島々の外からやって来る妖怪たちの数はメディアで騒がれる前も、間も、後も変わらずに安定した足取りで訪れる。見える者はそれらをもてなしたし、見えない者もそれなりの敬意を払って生活していた。
この島々から一番近いのは巣降という本土の中でも孤立したような小さな村だが、そこからだけが唯一の道ではなく他の土地からも船で行くことができる。
本島である時鐘島は諸島のどの島よりも広くて人口も多く施設が充実しており、他の島から出稼ぎに来ている者も多い。
有名なのは島々の中で一番大きな拝殿だが、一般人には見えない神様よりもその守り神様のお世話役とされる役職の人物の方が名を知られていて、名物になっていた。
学校は保育園を含めて小学校から高校まで。ファミリーレストランもあるし旅館もほとんど休業だが五件あり、諸島の本島で人が集中するということもあって、ここから各島への定期船が出ている。
学校は保育、小中高合わせて生徒数が二百を超える程度で、それらは一つの校舎にまとめられているため、休み時間さえ合えば高校生と小学生の交流もできる。
これは、その交流する子供たちの話──。
元々は高校の校舎だった学校に小中学校が一本化され、最近では生徒数の減少だとかで教室三つほどが保育園に充てられた、その一階の一室でのこと。
外は日も高く、三時間目を迎えた教室の中に、校庭からのセミの声が喧しく響いてくる。小学校用になってしまった側の校舎では休み時間ということで小学生たちが騒いでいて、まだ授業をしている中高生には夏の暑さと羨ましさと騒がしいことへのいらつきが混在する。
校舎の一階、高校一年三組の教室では美術の授業を行っていた。記憶を頼りに身近な動物を描けという課題で、男子生徒ユウトは画用紙の上に鉛筆を走らせているところだ。
ユウトの鉛筆は紙の上を走り、大まかな輪郭を描いていく。頭は丸みを帯びており、耳は頭の上に小さく。体は下に行くに従い幅広く。そして少しずつ細かく描き入れていく。
記憶を掘り起こすというのは集中する。気がつけばユウトは自分が描いた熊が不思議な着物を着ているので、消そうか残して別の紙に描こうかと考えてしまった。
──ヤバいな。思いの外うまくね?これ、消すのもったいねーな。
消しゴムを持って握ってを繰り返していると画用紙に大きな影が落ち、ユウトの頭の上から降ってくる低く穏やかな声がそれを止めた。
「消してしまうのか?面白いからそのまま提出すればよいのに」
ユウトは表情を変えず、慣れた様子で画用紙の空白に鉛筆で文字を書く。
──これを提出したら、再提出くらいますって。
「再提出か?着物を着た熊、面白いのにのう」
その声を聞くと、目の前の絵の熊の表情も心なしかしょんぼりしたように見えて、ユウトは笑いたくなってしまう。声の主が面白がっていた着物を着た熊とは、この声の主そのものだからだ。
「それは、我だろう?」
声は嬉しそうだ。
──そうですよ。でも、実際はこんなに熊熊しくないですよね。
熊熊しいという言葉に、声の主は大きく笑ったが教室の空気を揺らすその声に気付く者はユウトしかおらず、皆一様に気を乱されることなく課題に集中している。
「確かに、今はこんなに熊熊しくはないな!お前が社で見る姿のままだからな!」
──他の教室覗いてきたんですか?
ユウトの鉛筆は再びお喋りを始める。
「おう、保育、小学校、中学校と見てきた。どの子供も元気にすくすく育っているようだ。嬉しい限りだな」
穏やかな音声に愛しい気持ちが混ざるのを、ユウトははっきり聞いた。声の主はたまに授業中のユウトの元を訪れてはこうして少し話をして帰っていく。小学生の頃から始まったこの習慣も、もう慣れたものだ。
声は言葉を噛み締めて自分に染み込ませるように、ユウトに聞かせるようにゆっくりと言う。
「どこの島の子も、よく育っておる。お前もな。……そろそろ次に行こう。邪魔をした」
声が頭よりも高い位置に上って消える。ユウトはそこでやっと頭を上げ、声が消えていった天井を見上げて……和やかに会話していた頭を現実に引き戻す鐘の音が響いた。三時間目の終わりのチャイムだ。
「はーい、途中でも描いたものを提出して!」
先生が立ちあがって声をかけると、クラスメイト達がぞろぞろと立ち上がる。周囲を見回してちらりと見えたクラスメイトの提出物に、ユウトは「あ!」と口を開けた。自分が描いた着物を着た熊の絵を前に、やり直しができず項垂れるほかなかった……。
「先生は好きだよ、こういうの」
職員室で美術の先生はユウトの提出した絵を立て、次いでユウトに笑いかける。夏の暑さのせいだけではない額の汗を拭って、ユウトは身のない笑みを浮かべる。
「でもきみは……ほら、僕に見えないものが見えるから。だからこういう描き方をするんだろ?」
責めている口調でもないが、美術教師の声は少し困っているようで、ユウトはただ「すみません」としか謝れなかった。
「私は記憶を頼りに、身近にいる動物を描けと言ったんだ。一般に見える、犬とか猫とか、そういう動物。君が見えている妖怪を描いても、私には見えないから採点のしようがないよ」
美術教師の言うことはもっともだ。教科は採点することを前提で成り立っている。妖怪の類が見えない教師に、自分が見えている物を描いても仕方ないのである。
「途中までは、普通に描いてたんですけど…気が付いたらこんなことに。いや、着物は悪ふざけで描いてしまいました。オレは熊として描いたんです」
「それは、一般に見える熊と同じものかい?」
「はい。図鑑で見た熊を憶えてて、それを描いてみたんです」
「なるほど。それなら問題はないよ。本土で見た、動物をまるで人間のように描いたアニメーションというもののようだ。きみは知っているのかな?絵本や漫画で見るような絵が、動いて見えるものなんだ」
ユウトはいいえと答えた。
時鐘島は──いやこの華表諸島は田舎に分類されるが、その中でも特に時代に取り残されたような土地だ。
本土ではエダホネットワーク、略してエダネットというこの国の中限定のネットワークによって多くの地域ではさまざまな情報を引き出せるというのに、華表諸島はそれができない。デバイスどころかテレビもない。情報源が新聞やラジオしかない時鐘島で生まれ育ったユウトに、アニメーションを始めとしたテレビの話など知る由もない。
こういう所さえなかったら、もっといい人なのにな。とユウトはさらりと見下されたのかもしれないという感想を頭の外に流した。
「授業でふざけ過ぎないようにね。後でしっかり採点するから」
「はい」
読んでいただき、ありがとうございます。
今回は実際に守り神様と接する役職のユウトと、次回からよその島の仲間たちも書いていく予定です。
次回は登場人物が多く、誰が誰やらわからなくなると思いますが、このくらいいるんだということを書くつもりなのでサラリと書いています。彼らにスポットが当たるときに詳しく書く予定なので、今回はあまり気にせずに読んでいただけると幸いです。
時鐘島の話はまだ少し続きますので、投稿したらよろしくお願いします。




