3.三ヶ月生き延びて
「まさか、こうもあっさり映像を公開するとはね……」
いやぁ、参った参ったと昼食後に言ってきたのは、もちろん先輩だった。
参ったといいながら、ちょっとにこやかなのは、知杖がリークした情報を元に他者を出し抜いて先に記事を出したからだった。
産婦人科で、謎の溶解死。多数病院で発生!
センセーショナルな見出しは人を引きつけ、そして、恐怖させた。
疑うのはなにかの伝染病だろう。
しかも病院の中で起きた事態だ。
それも百や二百ではきかない数だった。患者の数がではなく、それが起きた病院の数が、だ。
正式な警察の発表によれば、1903件の同様の事件があったという話だ。
医療関係者からは感染症が原因でないことは大々的に発表されていたし、そもそもそのような疾患はあり得ない、とメディアの自称識者達は口々に言った。
細胞の壊死と破壊。しかも全身一気に「溶ける」という現象は、人智を越えていた。
膵液が漏れて溶けた、というのも現実的とは思えない。
けれどもその発表を信じるものはあまりおらず、すべての都道府県で同時発生したそれが、伝染するのかどうかを皆は怖がりながら過ごすしかなかった。
「感染の心配はない、っていうけど……そりゃ、心配ですよね」
「わかってないだけで、思いっきりパンデミックしてるとかな。んで、まだ潜伏期間……って、おい」
「あは。現場に行っちゃった私も感染してて、今頃先輩の身体の中にもああなっちゃう要因があるかも?」
なんてね、と冗談をいいつつ、そりゃねーわ、と二人で笑った。
いくらなんでも、アレだけの状態を引き起こすのが感染症だとしたら、すぐさまいろいろな対策を取らないとまずいところだ。
病院は隔離され、そこに居た者も経過観察しなければならない。
けれど、実際のところは隔離なんていうことはされてはいないし、そもそもが感染症なのだとしたら感染源や媒介動物が不明だった。
あまりにも東京に集中して多いのはあるにせよ、いろいろな都道府県で事件は起こったし、被害者の共通点といえるようなものはあまりない。
あるのはたった一つだけ。みんな妊娠した男性だった、という事実だけだ。
そして。
「今日の追加資料はこれだ。生き延びている男性妊婦……婦はねぇな。妊夫だな。結構な数がいる。自分から大丈夫なのかと相談に来たのが七千件。いやぁおったまげたよ。みんなでかい会社のお偉いさんだ。若いやつはいないし、勤勉に働いている貧乏人もいない。みんな大物ばっかりだ」
それもあって、今、この国の経済やら政治やらは大混乱に陥っている最中だ。
ちなみに、知杖たちの出版社の元締めのほうのお偉いさんも、なにやら当事者になってしまっているという話も聞く。
「当初想定してた数とは段違いですね……氷山の一角って言ってたけどほんと、一角どころか、欠片じゃないですか」
死亡した分もいれて九千件以上、という数字は正直かなり衝撃的だった。
最初はせいぜい数百と思われていたのに、優にその十倍以上だったのだから。
「お医者先生は今までの知識と経験の呪縛から離れられないが、俺たちは違う。さて、内藤。おまえはこの件をどう読み解く?」
「読み解くもなにも、あったことをありのままに言えば、今回溶けた被害者は、みんな男性妊夫だったってことですよね。それでみんな堕胎しようとして、ああなった」
実にシンプルだと思いますが、と答えると、やっぱおめぇはすげぇよなぁと、言われてしまった。
いやいや。これ誰でも知ってることですし?
もちろんね、感染症を疑わないっていうのは、おかしいとは思う。
少なくとも、数日は隔離をして、血液検査なりを受けるべきで。未知のものであればそれこそ、「誰かが発症するまで」様子を見るなんてことも起こりえる。
けれども、彼らは言ったのだった。
それがおきた各地の場所で、黒い影が降り立ったのだそうだ。
曰く、「福音……」という言葉と、あとは「主らは別にこうはならぬ」という言葉だったとか。
でも、手術の風景を撮影していたビデオにはそんな影は映ってはおらず。
現場にいない医師や専門家からは、隔離を! という強い要望がでていた。
それを突っぱねたのは、現場の医師たち。
念のため、手術室にいたメンバーの血液検査を行い、異常が無いことを確認している。
けれどもその安心よりやはり、あの「黒」の言葉に、心の底で納得してしまっているところがあった。
根拠のない事を嫌う医学の世界で、誰しもがすんなりそれを認めているのは異様としかいえなかった。
「黒い影と福音ねぇ……俺にはうさんくさいとしか思えないが」
「現場に潜入できてればよかったんですがねぇ」
「おっ、じゃあナースさん爆誕か!? いいねぇ。白衣の天使」
「あそこは手術室に入るナースはブルーのユニフォームです」
青い天使ですというと、それでも、いい! と先輩はぐっと親指を上げてきた。
ああ、この人はコスチュームプレーとかご所望なのだろうか。
「ま、医者は守秘義務とかあるしな。なっかなか口をわらんだろう。手術室に入るような看護師も同様だな。俺が今まで何度煮え湯を味わってきたのか」
「聞き込みしまくったんですね……」
病気の情報は個人情報の中では最高ランクに入るものだ。特に重いようなものであれば、関係者はそれを漏らすようなことはない。
そこまでに入る人間にはそれなりの教育というものがされているものだ。
うっかり情報をこぼすなんてことは、ほとんどない。
「なら、ここは患者の方にあたるっきゃねーって思うわけだ」
ほれ、こんなに患者はいるんだし、と、とんとんと彼は資料を指さした。
個人情報がどうのといったところで、ここまで流出しているのはどうなのか、と思いはしてしまう。
「ほとんどビックネームですよね? それ、私がいってすぐに会えると思ってます?」
先輩でも無理ですよね? というと、そうなんだよなぁと彼は頭をかいた。
それこそ、被害者に声をかけるよりも、収容された病院のスタッフの方が口を割りそうと思うくらいには、並んでいる名前がちょっとアレすぎる。
「この名前、見覚えある?」
ちょいちょいと先輩が資料の中の一つを指した。
ええと……名前は聞いたことないな。でも、その脇。えっ、これ、うちの親会社だよね。
「ちょっ。いくらなんでも親会社の重役にどうやって接触しろってんですか!?」
むり。マジ無理、ちょー無理っ、というと、先輩は安心しろとぽふぽふ肩をたたいた。
いやあなた、コレはあまりにも無茶ぶり案件ですよ。
色仕掛けでもしろと? そういうのはセクハラってんですよ? 知ってます?
「ああ、君の父君とさ、中学同級生なんだわ。同じ部活で汗を流して、同窓会でも、ほら、いえーい」
ちらっと同窓会の写真を見せてきた彼をみて、ちょっとなにその情報収集能力と、ぶすーとした顔を向けてしまう。
もう、あなたが調べればいいじゃん! という感じだ。
そもそも、今回の件を振ってきたのは、全部「これ」のせいだということならば、怒っていいはずだ。
記者としての能力を買われたのではなく、ただ、「縁」だけを狙われた。
自分は単なるつなぎでしかないと言われてしまえば、怒るしかない。
「って、ちょ、やめっ。おまえガチ怒りすると、目が怖いから! いいか? 違うぞ? 別にそれだけが目的でおまえに声をかけたわけじゃないぞ? おまえはちゃんときな臭さをちゃんとわかってただろ」
調べ物のパートナーとしていいって思ったんだってば、という彼にはぁと深いため息を漏らす。
「ボーナス。上手くいったらボーナスください」
もちろんポケットマネーで、というと、先輩は嫌そうに顔をゆがめた。
きちんと報酬はもらえるらしい。
「いよう! シゲー! 入院してるって聞いて驚いたぞー」
「ちっ……どうしてここがわかったんだ?」
とある病院の最上階の端にある病室。
そこに内藤は、父を伴ってやってきていた。
ちなみに、アポは取っていない。入院先を突き止めたのは先輩だし、受付で話をしたら割とあっさりこの部屋に通してくれた。
古い友人だ、という事実は割と強烈だったようで、話を聞いて見舞いに来たという話をしたらあっさりだった。
これで忍び込んだのが怪しい記者だったらどうするんだ、といった感じだ。
「そんなことどうでも良いだろう。それよりおまえの身体のことだ。いきなり入院とか驚いた」
そりゃ、持病が出てくる歳ではあるけどな、と父が不穏なことを言い始めた。
最近あまり一緒にいる時間はないのだけど、気がついたら父親ももう若くないんだなと知杖は実感してしまった。
「……ただの検査入院だよ。俺の身体の頑丈さはわかってるだろうが」
ぷぃと、シゲさんはそっぽを向きながらぼやいた。
確かに見るからに健康そうで、入院している理由がよくわからないようすにも見えた。
「おまえ、昔野球部で膝痛めてたろ。そこからじわじわ身体に来てるんじゃないかなって思ってるんだが」
「ああ? ずいぶんと前の話を持ち出すな。っていうか、そっちの若い子は?」
面倒くさいといいつつ、話題を変えるためなのか、彼は一緒についてきた知杖に視線を向けた。
「うちの娘だよ。おまえさんとこの会社の……まあ、子会社だな。そこで記者のまねごとをやってる」
「初めまして。内藤知杖と申します。父がいつもお世話になっています」
ぺこりと挨拶をすると、一気にシゲさんの顔色が変わる。
記者という単語に思い切り反応しているといった感じだ。
「わ、わたしは溶解病になどかかっておらんぞ」
と、溶けてなどたまるか! と彼は言った。
もはや、自白しているようなものだった。
「良かったら、お話、聞かせていただけませんか? 黒い影の話なんかも」
「黒い影? おまえ何を言って……」
一歩前にでてそう話をすると、父は怪訝そうな顔を浮かべた。
当然だ。取材だなんて話は一切していないのだから。
「知杖さんといったか。父親と似てずいぶんと強引なところがあるようだ……それで、君はどこまで知っている?」
ちらりと鋭い視線を向けられて、知杖は少したじろいだ。
さすがは本社のお偉いさんである。なかなかの迫力だった。
「数ヶ月前、黒い影が現れて多くの男性が妊娠させられたこと。それとその胎児を摘出しようとすると溶けて死ぬ、といったところでしょうか。感染性はないだろうとは聞いていますが、これは専門家の話が聞けたわけではないです」
おそらく、あれほどいろいろな地域で多数発生しているのであれば、感染症の類いではないのだと思います、というと、なるほどな、と彼はベッドの掛け布団を見つめながら言った。
「記事にするかどうかは任せるが、これから話すことはとても正気の沙汰ではない。まず信じるかどうか、それが私にはわからない」
君はそれでも聞きたいのかい? と聞いてくるので、はい、もちろんですと笑顔で答えた。
どんな荒唐無稽な話だってとりあえずは聞いて受け止めてみる。それが知杖のやり方だった。
「あの日、わたしはとある雑誌の出版数をチェックしていてね。君も記者ならわかるだろうが、現代の日本は出版不況の時代だ。電子書籍の登場なんかもあるだろうが、本当に、本が売れない」
大変な時代になった、と彼は言った。それに知杖も思い切りぶんぶん首を振って肯定した。
本当に、出版部数の低下が元で打ち切りになる雑誌なんてごまんとあるし、記事も目を引くようなセンセーショナルなものにしないと、なかなか人は手に取ってくれないのだ。
「君も苦労してるようだね。そしてその日は、我が社が手がけている教科書の数が見事に売り上げダウンしているグラフを見ていたんだ」
学校関連の仕事は安定していると思っていたんだがなぁ、とシゲさんは困ったように肩を落としていた。
どうやらそれくらい売り上げは目に見えて下がっているようだった。
「子供の数が減れば子供向けの本は売れない。まあ参考書に力を入れたり、他社よりもいい教材を作るなんてのもやってはいるが……マーケットが縮小してしまっては、もう圧倒的にどうしようもない」
毎年定期的に購入してくれる本。教科書の商いというのは確かに、有無を言わさずに売れる美味しい商売だったのだろう。
それが今は縮小傾向なのだ。
「それでな。そのときぼやいたんだよ。少子化なんとかならないとダメだってな」
子供が増えればもちろん教科書の売り上げも簡単に増える。
一番手っ取り早い方法が、少子化対策なのだった。
「それで黒い影ですか」
「そうだ。その願い、叶えてやろうと爪をこうやってな、ここらへんに」
すっと、指を指した先はまだあまりめだたない……いや、普通に内蔵脂肪は目立つけれど、特別変わった感じのしないお腹周りだった。
まだ三ヶ月といったところだから、その頃合いだとまだまだ、ベビたんは目に見えるサイズにはならないのである。
「それだけ聞くと、受胎告知かなんかみたいですが……例えば未知の試薬を打たれたとかそういう話はないんですか?」
たとえば、思いっきりぶっとい注射器でお腹のあたりに何かを注入されたとか、と聞くと、彼は首を横に振った。
「わたしが住んでいるのはセキュリティの高いマンションだ。一階にコンシェルジェもいるし、不審者が侵入することなどできるはずもない」
侵入もだが、外に出ることも難しいだろう、と彼は言った。
うわぁ、年収300万じゃ絶対住めないところだな、とちらりと知杖は心の中で思ってしまった。
「それに別段、爪を当てられたところはなんにもなってなかった。注射器なんてつかったら、痛みも跡も残るだろう?」
それが全くないんだよ、と彼は腹を見せながら言った。
確かに、傷跡のようなものはまったくない。まあ、腹毛は生えていたけれど。
どこに出しても恥ずかしくない、おっさんのお腹という感じである。
「となると超常現象の類いになるんですかね……あ、先輩好きそうかも」
オカルト系の記事も書いてるしなぁと言うと、シゲさんはむすっとしながら、当事者を目の前にノリが軽いと怒られてしまった。
すみませぬ。
「それで? わたしはどうすればいいと思う?」
「え? ああ。どうしようもないと思いますよ。摘出すれば溶けるってことは、つまり、産むしかないってことです」
ほら、お腹冷やさないようにしましょう、とはだけていた衣類を直してあげると、あ、ああ、と彼は狐につままれたような顔になった。
いや、でも、そんな当たり前な事、言うまでも無くわかると思うのだけど。
「黒い影が何者かはわかりませんが、意図は子供を産ませるってことにあると思います。政財界のお偉方中心に起きてることですから、なにかしらのテロ行為なんていうのも考えてしまいそうですが、犯人の行動を見る限りだと実にシンプルだと思いますよ」
「シンプル?」
「シゲさんがおっしゃっていたじゃないですか。少子化はやばいって。そしてそれを叶えると言っていたのでしょう?」
そして、少子化のまずさを考えなければならないのは、大手商社や政界の人間だ。
正直、庶民からしたら自分の婚期や子供のことは考えても、少子化対策が必要だ! なんて言う人は居ない。
危機感がないわけではないけれど、直接の問題として把握しにくいというわけだ。
「だったらきちんと産むしか道はないと思います。死産にならないように気をつけながら、あと六ヶ月は最低過ごさないと」
帝王切開になるんでしょうか? そうなるといつ切るんだろう……陣痛きてからなのかな、と首を傾げる。
「半年……半年だって? そんな……仕事は山のようにあるって言うのに」
とりあえず検査をして、現状を把握したところでの、先の話にシゲさんは顔面を蒼白にさせながら頭を抱えた。
あのプロジェクトも、こっちも指示をださなきゃならないと、うめきだした。
「一般的な女性は大抵出産二ヶ月前くらいからお休みしますね。六週間前だとぎりぎりって感じですが。それまでは働けるでしょうけど、あとは周りがどう思うのか、でしょうか」
「なぁ、シゲ。下手をするとおまえ、やばいんだろ。だったら仕事にこだわらず休職しておけばいいんじゃないか?」
「ナイトー。俺たちの歳の一年の大切さをわかってないわけはないよな? あと二年でどの部署になるのかは収入面でもかなりの差がでる」
俺は負け組にはなりたくない、とシゲさんは泣きそうな顔で、知杖の父の姿を見上げた。
「俺は、おまえの身体が一番心配だよ」
くそう……どうしてこんなことに、と声を震わせるシゲさんの背中を父は優しくなでてやっていた。
あぁ、きっと七千の場所でも似たような状況が発生しているのだろうなと、知杖はそのとき思った。
さあ被害者と接触ができました。
無事に生き延びた8000人はどうなってしまうのやらー。