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1.観測者

本日2話目更新です。0話目がありますので、そちらからお願いします。

「よぉ。内藤。どうよ記事の進み具合は」

「藤谷先輩、見ての通りですよ。結婚関連の雑誌のお手伝いで、年収300万円からできる妊活ってやつで書いてるところです」

 藤谷は、内藤知杖(ないとうちえ)が新入社員として、この出版社に入ったときにお世話になった相手だった。

 お、藤って名前が名字に入ってるじゃん、なんていいながらいろいろと仕事について教えてくれた先輩である。


 今は部署が変わってしまっているので直接的に交流はないけれど、それでもときどきこうやって声をかけてきてくれるし、面白いネタがあると持ってきてくれる先輩だった。


「うわ。年収300って、さすがに手取りだよな? 額面じゃねーよな?」

「なにいってんですか。額面ですよう。どんどん年収下がる時代なんですから」

 収入が少なくても子供ができるー、っていう風な展望をつくっていかないと、やばいんすよう、と知杖は頭を抱えた。

 彼女が書いている記事は、結婚関係の雑誌である。


 つまり、結婚して子供ができる、という数が多くないと、売れない雑誌なのだ。

 実際、今も発行部数は減って、売り上げもがんがん減っている最中。

 そこでどうすれば家庭を持って結婚して子供を持てるか、というのを編集部を上げて考えているところだ。

 根本的に、読者層が増えないと商売にならない。


「うげ。まじか……年収300だと手取りどれくらいになんの。月20万で家賃と食費と……」

 信じられない、という風の藤谷は出費をあたまに描きつつ、きっついわぁと頭を抱えた。

 そう。この編集部の人間も皆頭を抱えているのである。


「そういうのをトータルで試算してみて、生活が大丈夫って太鼓判を押しましょうって企画です」

「正社員だと年収300はさすがに行くだろ……」

「でも、ここ二十年で、圧倒的に年収300万以下の人が増えたんですよ。労働人口の四割がそうなんです」

 まじやべぇな、と知杖は身体を震わせた。

 いちおう、知杖はこれで正社員として働いているのでそれより収入は多少は多いが、年収300万未満の女性が65%にも上る現実に、調べた時にはちょっとショックを受けたものだった。

 パートタイマーが多い、などもあるのだろうけど、さすがに安すぎである。


「しかも、女性ではなく男性の年収がだだ下がりですよ。先輩はいっぱいもらってるんでしょうけど」

「って、俺に絡まれてもなぁ。つーか、俺もそんなに稼いでないぜ。それにその元データ、給与所得者の中で300万っつー話しだろ? 自営業や社長なんかは数字にはいってねぇの。さすがに四割って数字に踊らされすぎじゃね?」

「っていっても1800万人ですよ、先輩。二人に一人はサラリーマンですから。その数の全部が若者とはいいませんけど、その数の人達は結婚とか出産はもう無理って思っちゃうわけですよ。そうなるとうちの雑誌が売れないんですって」

 売れないのは困るし、さらには出版不況がー! と知杖は頭を抱える。


 電子書籍化もしているし、そちらの売り上げもあるにはあるけれど、それでも売り上げは芳しくはない。

 そして、芳しくなければ必然、従業員の給料にも影響する。特にボーナスは顕著だ。

 ここのところ、ベースアップもあれだし、ボーナスも下がっていて、なんだか年々給料が減ってるような錯覚すら覚えるほどだ。

 もちろん保険料や税金などの徴収(ぴんはね)分が年々雪だるま式に増えている、というのもあるけれど。


「でも夫婦で合わせて600万じゃね?」

 それなら全然いけるじゃん、という藤谷の言葉に、たはーと知杖はため息をついた。

 これだから結婚に縁の無い人間は困ると言わんばかりである。


「そうなったら、子供作れないじゃないですか。産休中はお給料止まります。そりゃ、出産手当金とかありますけど……育休中はどうするんです? いっときますけど保育園に預けるのだってめっちゃ高いですよ。年間で40万くらいが最低ラインです」

「でも300万稼いで、40万の出費なら、夫婦合わせて560万ってこったろ? 十分育てられるだろ」

「当座はなんとかなるかもしれません。でも、大学は? そこまで考えると躊躇しますよ。それに私なんて今、産休はいれって言われたらキャリアとか将来どうなるかとか怖いですもん。産休後に椅子がなくなってたー! なんて普通にありえるでしょう?」


 ああ、怖い怖い、と知杖は頭を抱えて首を振った。

 実際、結婚して戻ってきた同僚の姿を知杖はあまり知らない。

 というか、時短勤務にシフトする人が多く、その分給料も減るのが現実というものだ。

 保育園が見つからないというのも問題だが、保育園が預かってくれるのはせいぜい六時まで。

 迎えに行くのを考えれば定時まで仕事をすることはできない。

 ましてや残業をすることなど不可能だ。


 一気に企業としては使いにくい、条件の多い人材に変わってしまうのだ。


「でも、そのくせ女性の方が出産のタイムリミットはシビアだろ。キャリアを重ねたら手遅れだったみたいなのだって」

「はいはい、男はいいですよね、五十でも六十でも子供が作れて」

 うらやましゅーございますー、とアラサーな知杖は不機嫌そうに言った。


「で、先輩はそんな話をしにきたわけではないのでしょう?」

 あんまり自分の結婚の事は考えたくないと首を振りつつ、相手に話をせがむ。

 わざわざこの先輩がやってきたということは、それなりに話したい内容があるのだろう。


「おうよ。ちょっちきな臭い事件を耳に挟んでな。おまえの耳にも入れておこうと思って」

「きな臭いって、私はもう週刊誌のスクープ狙いとかそういうのはやってないですよ」

「でも、おまえにはセンスがあるからな。年収300万からの子育てってのも面白いと思っているし」

 本気で認めてるからおまえに話すんだ、と先輩は紙の束を取り出した。


「このリストは?」

「ここ数日で産婦人科にかかった年配男性のリストだ」

「は?」

 一瞬理解が追いつかなかった。

 何を言っているんだろう、この人はといった感じだ。

 紙には一枚あたり三十人ほどの名前と年齢、あとは特記事項が載せられていた。

 それが五枚。百五十人もの人がなぜか産婦人科にかかっている。


「ま、耳を疑うよな、どうして年配男性が産婦人科なのかって」

 ちなみに性転換したいから、ってわけじゃないからな、と先輩は先に可能性を潰した。

 唯一可能性があるとすれば、年配になって、実は自分の心は女性であると思い立って治療を開始するケースだ。

 実際、世の中にはそういう人はいるもので、その理由なら産婦人科に年配男性がかかっても不思議はない。


「ちょっ! それ、大スクープじゃ……」

 なにしれっとそんな大ネタぶちかましてるんですか!? というと、先輩は、おまえなら食いつくよなぁと満足げな顔を浮かべた。

 え。なに。他の人は食いつかないの? すっごいきな臭いのに。


「だろ? でもな、他のやつに話してもこのきな臭さがわっかんねーんだよ。病院になんて年配ならかかるだろとか、他の病院が閉まってていったんじゃね? とか言うんだ」

 しかもリストにあるのは150人だろうと言われて、藤谷はそこで相談を切り上げるしかなかった。

 彼らにはどうにもこの匂いを感じる力はないようだった。


 男が産婦人科だぞ? しかもいままではほぼいなかったのが、いきなり同時多発的にだ。

 これは氷山の一角では? と思っても不思議はない。


「で、先輩は私に何して欲しいんですか?」

 その話をしに来たこということは、なにかやって欲しいことがあるんでしょう? と聞くと先輩は嬉しそうにおまえならそう言うだろうと思ったよ、と笑った。

 今までもこうやって時々、手伝いはしているので、特別断る理由はない。


「産婦人科の客になってくれないか?」

 なんて思っていたら、あんまりなお願いが来てしまった。

 えと……この人は何を言っているのだろうか。


「……先輩。それ、俺の子を産んでくれとかいうセクハラですか?」

 さっきも、キャリアをここで止めるのは怖いと言ったはずですが、と知杖はジト目を向ける。

 プロポーズにしてはあんまりな場所での話だし、会社でやるのだったらそれはもう、訴えることができるレベルだと思う。


「ち、ちげー! つーか、産婦人科なら別に女子なおまえなら子供いようがいまいがかかれるだろうが。そんでリストにあった病院の潜入取材をしてきて欲しいんだよ」

 俺じゃ、さすがに無理があるし、と先輩は頭をかいた。

 先輩が、あたし心は女なんですぅ~とか言ってるところは見てみたい気はするけれど、さすがにいきなり手ぶらで婦人科に行ったところで門前払いをくらう可能性の方が高いだろう。

 まずは精神科にかかりなさい、といわれるのが一般的なことである。


「残業代に加えて必要経費はちゃんと出してくださいよ」

 ああ、保険通るといいですねぇ、といってやると彼はあんまり費用はかけないでくれよ、と情けない声を上げたのだった。 





「変な事に巻き込まれた……」

 うぅ、と指定された産婦人科に向かうと、ちょっと躊躇して病院の手続きを行った。

 そこは、割と大きめな病院で、産婦人科と小児科が併設されている施設だった。

 病院というともっとこう、無機質で殺風景のイメージが強かったのだけど、ここは子供や妊婦向けというのもあって、配色も柔らかだし、デザインも角張っていないおしゃれなところだ。将来的に知杖が通うことになるのだとしたらこういうところがいいな、と少し思ってしまう。

 まあ今のところその予定はまったくないのだけれど。相手もいないし。


「ちょっと恥ずかしいなぁ……」

 なんというか、知杖としては産婦人科という場所は、やっぱり出産の場所という認識の方が強い場所だ。

 もちろん、生理が重い友達だったり、不順だったりな知人がお世話になっていたりもするし、それだけではない場所だというのはわかっているつもりだ。


 つもりなのだけど……こうやって見ると、驚くほどに妊婦さんが多い。

 その隣には旦那さんが居て、お腹を見ては幸せそうにしている。

 これだけを切り取れば、少子化? なにそれ、という誤解を招いてしまいそうになるのは、単にここにそういう人が集まるだけの話である。

 実際は、ここにこれない人の数が相当数いるのである。


「内藤さん、内藤知杖さん。3番診察室にどうぞ」

 そんなことを考えていたら、名前を呼ばれた。

 そして診察室に入ると白衣を着た男性医師が待ち構えていた。

 年の頃は三十代といったくらいだろうか。若者という感じはしないけれど、老いているという感じもしない人だ。

 ちなみに左手の薬指にはしっかりと指輪がはまっていた。


「ちょっと貧血気味、といったところかな。生理は? 量が多いとかはある?」

 彼は事前にやっていた血液検査の結果を見ながら、いくつか質問をしてきた。

 せっかくなので、疲れやすいとか、そういうのは話しておくことにする。

 PMSも若干あるのもこの際一緒に相談しておいた。

 調査ではあるけれど、ここのところちょっと体調が芳しくないというのも確かなのだ。見てもらえるならきちんと見てもらおうかと思う。


「うーん、エコーとかやってみる? 不安なようならしっかり検査しておくのをおすすめするけど」

 デリケートな器官だからね、とその医師に言われて、はい、是非と答えておく。

 病気のあるなしにかかわらず、一回だけじゃなくて通院するようにしろというのが、先輩からの依頼だ。

 内情調査をするためには、きちんと通った方が都合がいいというものだ。


「それじゃ、予約とっちゃうね。来週のここらへんでいいかな」

 すぐどうこうはならないだろうけど、きちんと見て行きましょうね、と言われて診察が終わった。

 すっと、彼の視線がこちらを離れる。

 でも、ここで普通に終了するわけにはいかなかった。


「ありがとうございます。あ、でも、ここは男性の方も割といらっしゃるのですね」

 ちょっと不自然だっただろうか。待合室に男性がいたことを引き合いに出してみた。

 けれど、彼は、あぁーとナチュラルに切り返してくる。


「産科もやってるからね。パートナーと一緒にというケースもあるんだ」

 君もそのときがきたら、旦那さんと一緒に来た方が安心だよ、と彼はにこやかに言った。

 くっ。どうにも質問しにくい。


「かなりご年配の男性もいるようでしたけれど」

 さぁ、ここからはカマカケの時間だ。若年男性ならば旦那さんでOKだ。じゃあ、この質問にはどう答える?

 うまいことぼろを出してくれないだろうか。


「今日はそんな年配の方いたかな……でも、男性の場合は六十歳過ぎても子供できることはあるから」

 ぴくりと一瞬だけ頬をひくつかせながらも、彼はもっともなことを言った。

 ふむ。どうやらなんかありそうだな、と知杖はあたりをつける。

 けれども、これ以上踏み込むわけにもいかない。


「なるほど。女性と違って年齢制限はないですもんね」

 それでいらっしゃったのかな、と納得した振りをしながら、知杖は次の予約を取った。

出産が終わるまで、なので、10話以内に収まる予定です。

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