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海と三日月  作者: 桧山いちか
鏡越しの夜
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鏡越しの夜

見つけて欲しいから隠れているんじゃない。もう見つからないのを知っているから、隠れているんだよ。 そう告げる彼女の後を、僕は堪らなく追いかけたくなった。それでも鏡に突き当たる。追いかけていたのは――。

 隠れん坊をしようというので、私はいつも通り得意の場所へと駆け込んだ。私は隠れるのが得意だ。夏の日差しは高らかに、吸い寄せられる緑たちは歌う。さやそよさやそよ、僕たちはずっとここにいる。君も歓迎しよう、さやそよそよ。あれだけ散らばっていたはずの雲までもが陽に吸い込まれ、辺り一面は光の結晶と化した。光のもとでは都合が悪いと、私は影に同化する。

 私が見つけられることなくそのままその場所に留まることになったのは、いつだったろう、記憶に定かではない。見つけられなかったからといって心配はないのだ。ここに留まるは私の影、見つけられぬ方が性に合う。此処に飽きればまた随所、望むがままに移動もできよう。


✳︎  ✳︎  ✳︎


「なぁ、少年。生徒会の傘がなくなった」

 特に困った風でもなく呟く先輩。倉科三咲という、歴とした名前があるのを勿論知っているが、先輩も先輩で僕のことを「少年」としか呼ばない。そういうこともあって、僕が先輩を名前で呼ばないのは一種ささやかな抵抗であるのだが、先輩がそれに気付くことはないだろうと思われる。そうして、生徒会の傘が行方不明になるのは今に始まった事ではない。

「いつものことでしょう。僕はそれより、図書室の蔵書点検で足りない一冊の方が心配です」

「数は問題なかったと聞いたが?」

「はい。あるはずのない一冊があるということで、事態はさらにややこしいことになっています」

 納得のいかない顔をしてみせる先輩を前に、僕はさらに説明を続ける。あるはずのない一冊とは言ったものの、実は同じなのだ。何と同じか? 無くなったはずの本とだ。無くなったはずの本と、全く同じ本が紛れ込んでいた。違いといえば、もとある本には図書室の所有印たる貸し出しバーコードがついていたこと。そして、年季ものの本であったこと。新品が代わりに補填されたのだと思えばむしろ有難いことではないか。そう主張する意見のある一方で、僕のようにもとある本の居場所を気にかける者も少なくない。新しく来た本はというと、一見すれば同じなのだがどうにも違和感がある。尤も、その違和感を表すのに的確な表現が見当たらないのもまた事実である。

「じゃあ、その新しい方の本にバーコードを付け直せばいいじゃないか。そうしたら何も問題はないだろう」

「そういう意見もあります。実際、その方向でことは進んでいます。ただ......情が」

「どんな情なんだ」

「寂しい思いをしているんじゃないかって」

「本一つに大層な思い入れだなぁ。思い出の本なのか?」

「いえ、それほど関わりは」

 先の未来に期待をしないという考え方をしているうちに、僕は過去にとらわれつつある。正直自分でもわかっていることだ。そして。変わることが何よりも恐ろしい。在ったはずのものが、失くなってしまうことが。

 僕はこの気持ちを先輩にわかってもらうのにとても良い例えを思いついた。しかし恐らくは先輩の逆鱗に触れることになるだろうから、口に出すのはやめにした。それはすなわちこういうことだ。ある日先輩は見知らぬ誰かよりタイムカプセルがなくなってしまったという知らせを聞く。そうしてその誰かは言うのだ。代わりといってはなんだが、君のタイムカプセルと全く同じ仕様のものを用意したんだ。受け取ってくれるかい。

 ああ、あまり良い例えではなかったかもしれない。先輩なら躊躇なく手を伸ばしそうだ。却下。

「何を一人でがっかりしてるんだ」

「いいえ。ああ、それはそうと傘といえば。蓮さんも傘を探しに行くと言ってましたよ」

「それは面白そうだな。よし行こう」

「僕は遠慮しておきます。また図書室に戻らないといけないので」

 何か言いたげにしている先輩を無理やり押しやり、僕は僕で図書室へと向かう。実をいえば、今日のところはもう、これという用事はないのだけれど。


 放課後の陽が射す図書室に入ると、そこには逆光を浴びた一人の生徒が佇んでいた。まるで影が一人立ちしているかのような有様。その光景に、束の間言葉を失った。僕の存在に気付いた影はゆらりと揺れて、うっすら微笑んだかのようにみえた。

「その本、ここからは持ち出さないでくださいね。今騒ぎになっているんです」

「騒ぎ......」

「あなたはここの生徒ですか」

「生徒......」

 これでは埒があかないと、僕は影に近付いた。制服こそこの学校の女子生徒のものだが、どことなく違和感が拭えない。そういえば、ついさっきも同じようなことを思ったような......ああ、そうだ。新しい本にも同じような思いを抱いたのだっけ......そんなことを考えながら手を伸ばす。焦点の合わない、どこまでも続く瞳に見つめられ、僕の視界は黒に染まった。遥かに遠い場所で聞こえる一言。暗転。


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