人形生劇④
さっきまで瞳に景色が映るだなんて騒いでいたのが嘘のようだった。そもそも瞳に景色が映っていると気付いたのだってついさっき、もしこのまま瞳の中の景色が静止し続けるのなら、静止している方が当たり前だと思うようになるだろう。
「すみません。その人形......どうしたんですか」
さらにいきなりのことで僕と先輩の視線がすぐ後ろに立つ人物に集中する。僕たちとは違う制服を着た、他校の生徒だ。
「店で貰った。これはお前のものか?」
「先輩! 何を根拠にそんな......」
「はい。俺のです。正確には、俺の祖母のものですけど」
僕は運命だのなんだのというのは信じないけれど、世の中にはある種の必然性は存在すると思う。僕たちの知るところではない場所で、ひっそりと。だから、たとえ偶々来たこの場所で、先日初めて話で聞いた少年の、それも成長した姿を見たところでそこまでの驚きはなかった。
人形が僕の方に向かって笑いかける。お前、僕とも話せるんじゃないか......思わずそんなことを口走りそうになるのを堪える。
「その、つい今しがたのことなんだが......この人形に映っていた一連の景色の流れが、止まってしまったんだ」
「景色......。どこのですか」
少年は一向に動じる気配はない。
「ここから見下ろす風景のはずなんだ。さっきまで動いていたんだけど」
「あっ、ついでに僕からもいいですか? この景色って、人形の見た景色なんですか、それともーー......」
僕が言い終えるか終わらないかのうちに彼は先輩から人形を受け取り、高々と頭上へ持ち上げた。
「俺が、祖母に見せたかった景色です。祖母は俺が物心ついてからはもう、外へは出られない体でした。だから俺がこうして、代わりにこいつを連れ出していたんです。こいつは、祖母の分身のようなものだったから」
「分身であることは間違いないみたいだぜ。ただ......どうしていきなり景色が止まったんだろう」
暫しの沈黙。風は流れ、僕たちの髪がそれに続く。木々が呼応し、日差しは高らかに見守る。生かされているのだとどこかで声がする。僕はこの風に抗えないのか。
「祖母が亡くなった翌日、俺はいつものようにこの場所に来ました。祖母はいなくなっても、こいつがいるって。でも、ダメでした。いくら分身だからって、もう喜んでくれる祖母はいない。代わりをいくら喜ばせたって、代わりは代わりなんです」
亡くなった日の翌々日は雨だったと聞いた。代わりに泣いている、そう言った幼い彼の姿を僕は垣間見た気がした。
「それであの店に行ったっていうのか? でも、この人形は生きているんだぜ」
「生きて......いる......」
「あなたの代わりに生きていたんじゃないんですか? ずっと、あの場所で」
「......」
「お前がこうして何度もこの場所に来るものだから、それでこの場所の景色のまま止まっているのかもな」
「俺自身が、生きないといけないんですね」
「ああ。来るはずの明日も来なくなるぜ、少年」
早くも日は沈む気配をみせ、僕らの影が所々で交わる。名前のない風に明日の匂いを嗅ぎとり、辿ってきた道を再び歩み出す。僕らは互いに名前を名乗り、そうして別々の帰路に着いた。
生かされているのかもしれない。生きている役を演じている、人生という名の終わりの見えない舞台。シナリオは誰の手に委ねられているのかはわからないけれど、死んでもなお、巡り続ける想いもある。彼の手に抱かれて去っていった人形の笑顔には、無邪気さが抜けた静かな微笑がたたえられていた。