海と三日月④
事実は真実だろうか。そんなことはない。例えば私と彼の間に起こった出来事は、私か彼のどちらかが否定してしまえば、なかったことにするのは実に容易い。さらに言えば、初めからなかったはずのものも思い出を通じては存在し得る。あったはずのない感情が芽生え、あるべき記憶は失せる。事実はますます時に埋もれていくばかりだ。
「親父さん。思い出は物ではないだろう。いくら思い出の品といったって、見ず知らずの人間の手に渡ってしまえばそれはただの物に過ぎないんじゃないかな」
生憎の雨のせいか、どこか寂しさの漂う薄暗い店内。陽のもとにあたることもなく、長らく眠っているものたちの影は、一層色濃いものとして映る。人伝いにひっそりと存在が広まるこの店に、一体どれだけの人間が訪れたのだろう。
始めを問いただせばきりがない。私がこの店を知ったのは蓮のおかげ。かくいう蓮は、人形を通じて祖母より話を聞いている。では、彼の祖母は一体どうやって? そもそもこの親父さんは全てを切り盛りしているのか。いつから? 何のために?
私の疑問を打ち消すかのように、親父さんが言葉を被せる。
「持ち主の思い出そのものが引き継がれるとは思っていないさ。ただの巡り合わせだよ」
「偶然っていうこと?」
「さぁな。偶然だと思うならそうなんだろう」
「意味のない必然だ。その方がしっくりくる」
意味があるものは大切で、意味のないものは大切でない。そんな教育を頭ごなしに受けてきた。意味なんて行動する言い訳に過ぎないと私は思う。漠然とした不安に苛まれるから、目に見える形を作り出さなければいけないのだろう。
「そういえばね。本、見つかったんだ」
「ほう?」
「本と一緒に見つかったものもあるんだけどさ」
「そうか。失くし物が見つかって良かったじゃないか」
「うん」
店の戸口の前に映る雨の雫。それを反射した光が、影にたゆたい同化していく。当て所なく流れるものも、いつかは在るべき場所にたどり着くのかもしれないと、瞼を閉じてそう思った。
『海と三日月』の最後のページを、私は頭の中でゆっくりと捲る。海のさざめきは今日も誰かの耳のもとへ。流れ着いた先を知るのは、欠けた月だけだ。




