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海と三日月  作者: 桧山いちか
人形生劇
2/28

人形生劇②

 この人形をこの場所へ持ち込んできたのは、持ち主本人ではないんだ。「親父さん」はそのように前置きをして、懐かしむような目で先を続けた。いつから鳴っているのだろう、オルゴールで奏でられる音が店内をたどたどしく巡る。


 その日の天気は生憎の雨だった。一人の幼い少年がこの店へ駆け込んできたのは、雨が降り出してしばらくしてからのことだった。左手には笑みを湛えた少女の人形。少年は肩を小刻みに揺らし、無言でそれを差し出した。

「どうしたんだ、そんなに慌てて」

「おじさん、何でも預かってくれるんでしょ。ばあちゃんが言ってた」

「何でもは預からない。だが......こうして君がここに来たのも、縁だろうなぁ。どれ」

 人形の頭が力なく垂れた。少年は思わずあっと声をあげる。

「頭が、今にも折れそうなんだ。本当は僕が持っていたいんだけど、捨てられちゃうから」

「どういうことだね」

「ばあちゃん、死んだんだ。つい一昨日。母さんは骨があればいいって。この人形は要らないから、捨ててしまえって」

「君は捨てたくないわけだ」

「うん。これは、ばあちゃんが一番大事にしていた人形だから。いつも可愛がってた」

「事情はわかった。引き取ろう。まぁ立ち話もなんだからそこに掛けなさい」


 椅子に腰掛け、少年はようやく息をつけたかのように見えた。聞こえるか聞こえないかの声で一人呟くその声を、聞き逃すわけにはいかなかった。

「おじさん、僕のことも預かってくれたらいいのに」

「そいつは聞き捨てならないな。どういう意味だね」

「僕も要らない子どもだから。ばあちゃんだけが僕を可愛がってくれた」

「流石に生きた人間は預かれないな。君は未来に生きる人間だ。ここにいる連中たちは皆、時間が止まっているのさ」

「時間が、止まっている......?」

「そうだ。忘れられる過去を必死で繋ぎとめようと、居座っているんだ。たまにこういう可愛いのもいるがな」

 人形の紅の頬は、灰色の光の下でも鮮やかに映えた。雨は止まない。それでもいつかはこの雨も上がる。そうして人々はこの日の雨の感触を忘れていく。

「......代りに泣いてくれるから」

「ん?」

「雨が、僕の代りに泣いてくれるから。僕は一人じゃない」

「ああ、そうだ。いつか君を必要とする奴に出会える。君が誰かを必要とする限りな。もうお帰り、お母さんも心配しているだろう」

「......。お母さんは、怒るだけだよ」

 照れ臭そうにそっぽを向く姿は、やはり年相応の子どもなのだという印象を受けた。

「ああ、そうそう。この傘を持っていくといい。君に使ってもらいたいみたいだ」

「僕に......?」

「大事にできるね?」

「勿論だよ! 有難う、おじさん!」


 少年の話はここで終わりだ。そう言って「親父さん」は眼鏡を外し、視線を落とす。

「どうしてその人形が生きているのか、僕はまだ腑に落ちません。その子が心配だったんじゃないですか? だったら、離れ離れになったことになる」

「それじゃあ、もう一度引き合わせてあげたらいいんじゃないか?」

 後悔先に立たずとはこのことだ。先輩の好奇心を煽ってしまった。

「私が話せるのはここまでだ。あとはその人形の声を聞いてやりな」

「さてと。行くぞ、少年!」

「はいはい。でも、今日は遅いからまた明日にしましょう」


 店を出る頃には赤い日差しが町を包み、燃える太陽は段々と小さくなっていくところだった。両手で大事そうに人形を抱える先輩を横目に、僕は思った。あの店の名前は何だったのかを聞くのを忘れた、と。

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