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海と三日月  作者: 桧山いちか
海と三日月
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海と三日月③

 忘れてしまうのに意味はない。覚えることにも意味はない。大切なことでも失くしてしまうし、時間を経るごとに見失うことも多い。一冊の本を前に、俺はそんな自答を繰り返していた。

「本当に覚えていないんだな、三咲。お前がくれた本だから、こんなに大切に持っているのに」

 青い月の下で白い海が広がる表紙絵。一人の少女が失くしたものを求めて彷徨う話だ。だけれど不思議なことに、少女自身何を失くしているのかは知らないのだ。終わりの見えない海岸沿いをただただ歩いていく。


✳︎  ✳︎  ✳︎


 束縛されるのが嫌いだ。干渉されるのが嫌いだ。住む環境ががらりと変わったことに、当初はかなりの抵抗を覚えた。何処にでもある風景。何処にでも流れる時間。それでも、自分の居るべき場所はここではないと頑なに思い続けていた。漠然と溢れる強くなりたいという気持ちに男の真似事を始めるようにもなった。

 限界のないものが好きだ。終わりのない夢が好きだ。それでも時間の一方通行には逆らえず、進むためには手放さなければいけないことも多かった。気が付けば失くなっていたものも多い。それでも、取り返しのつかないものではないのだ。


 あれから行動を起こすのに一週間ほどの時間を要し、私は再び萩原蓮と顔を合わせることにした。相手は何事もなかったかのように呼び出しに応じてくれたわけだが、いざ対面となるとやはり何処か落ち着かない。私が口を開くより先に、彼は一冊の本を差し出した。そうして私の言葉を封じ込めるかのようにすぐさま言葉を続けた。

「何も言わなくていい。これは、主人公の女の子が失くしたものを求めて探し歩く話の本。白い海の海岸線を、ひたすら歩いていくんだ。途中色々な人たちに会うんだけど、結局最後には失くし物のことをすっかり忘れているんだよ。おかしいだろ?」

「海と三日月......」

「そう。この本のタイトル。物語の最初は、月は線みたいに細くてさ、でも......終盤になるにつれて段々満月に近づいていく」

 それで......とふと言葉を区切って此方の様子を伺う彼に、続けるよう促す。紛れもなく、これが私が探している本だった。

「主人公が初めて月を認識するのは、三日月のときなんだ。あまりの美しさに、主人公はこれは一生忘れないなんて言うんだけどさ。物語の最後に満月に近い月を見ると、三日月がどんなものだったかは忘れているんだ」

「月は、満月にはならないんだね」

「ああ。最後まで欠けたままだ。でも、海のさざめきが途切れることはない。だから、あとは読者の想像に委ねるってところだろう」

 改めて両手で本を差し出されたので、私も両手でそれを受け取る。

「思い出の連鎖だ。人形のお礼」

「偶然だな......これは私が探していた本だ」

 正直、本を特定できたところで買いたいという気持ちはなかった。変な話だが、誰かから譲り受けたい。そんな気持ちだった。

「これは......大切なものなんじゃないのか。新品というわけではなさそうだが......」

「大切なものだよ?」

「えっ」

「でもこれ、人から貰ったものなんだ。倉科さんも知ってる人。だから、大丈夫」

「......三咲でいい」

 じっと私を見つめるのも束の間、口元を綻ばせる彼。この笑顔に見覚えがあることに私は薄々気が付いていた。失くし物。探せば探すほどどんな形状のものだったかわからなくなる失くし物。肝心な失せ物自身ではなく、どうして失くしたのか、何のために失くしたのか、理由ばかりに焦点を当ててしまう。それだから何を探していたかを忘れてしまうのだ。

「相変わらずだな、蓮くんは」

 驚きとも喜びともつかない表情を浮かべている彼は、どう応答したものか考えあぐねている様子だ。

「あのときの時間も、場所ももうないんだ。だけど、ただ......懐かしい気がした。本当に曖昧な感情だけれど」

「そんなものだよ。三咲があんなに大袈裟に言うものだから、俺の方が鮮明に覚えている羽目になった」

「正直、引っ越す前のことをあまり覚えていないんだ。でも、言ってくれれば思い出すかもしれない」

「捏造してやろうか」

「それは困る!」

 冗談だ、本気にするなと笑い飛ばす彼のいる光景。時間とともに進めば、変わらないものもあるのかもしれないと心の奥底で安堵する。

 白昼の月は青空に溶けて三日月のように見えた。随分と回り道をしてしまったものだ。さて、何から話してもらおうか。

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