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後編 「君の想いとバレンタイン」


 綾穂との楽しかった会話が終わり、次の二限目は全くもってやる気が出なかった。

 そんな純は、ただひたすらにあのシーンを頭の中でリピートしている。


 そしてやがて給食の時間になり、主作戦である給食当番作戦を開始した。


「……まぁ、渕瀬には敵わんぜ」


 どうせ早く行かれるなら先回りしてやろうと思い、純は教室にまだ綾穂がいるのを確認して給食室へと走った。

 けれども廊下で走ってしまったのが運の尽き。学年主任の蒲郡(がまごおり)にとことん説教を受けてしまう。

 それから数分、知らない間に綾穂は仕事を済ませていた事により結局今回も作戦は失敗に終わったのだった。


「──さて、今日も張り切って行きましょー!」


 そして今日は、主作戦が一度も成功せずに二週間程が経った1月28日。

 朝の恒例となりつつある話し合いの場で、純は気を引き締めるため声を上げていた。


「まだ続けるのかお前……」


「そりゃそうだろ。だってまだバレンタインまで二週間残ってるわけだし!」


 腕組みしていた拓哉が哀れみを込めたような瞳で見つめながら純にそう呟く。

 それを聞いた純は当たり前だ、と言わんばかりの返事をした。


 尚、あの日以来卓はこの話し合いに参加していない。

 理由は勿論、ストーカーじみた事をしようとしていた事に気付いたからだ。

 拓哉が説得を試みたものの、卓は「渕瀬綾穂にストーカーがバレたら、何をされるか分からん」と言って綾穂という人間を語ったと云う。


「それで拓哉、今日はどうだった?」


 毎日の恒例である戦果報告は欠かさない純に、拓哉は一つ溜め息を吐いてから口を開く。


「いつもながらずっと読書だった。……てかこれ、もう確認いらないだろ」


「一応だ一応。何か変化があるかもしれないからな」


「まぁ、いいんだけどな」


 そして会話が終わると、二人は普通の雑談に話を切り替えた。


 〜〜〜


「……ガイダンスだるいです」


 誰にとも言わずパイプ椅子に座っている純は、舞台の上に立つお馴染みの髭教師を見ながら呟く。


(ここ二週間、成功した作戦も何個かあったけどあんまり話は出来なかったな)

 純は考えが甘いところがあり、作戦自体は成功してもそこから会話が成り立たなければ意味が無い事をすっかり忘れていた。

 卓が仲間内から外れた事で何処と無く朝の話し合いも怠くなってきている。


(だからって、俺が渕瀬からチョコを貰いたいという気持ちは変わらないけどな)

 もし拓哉が仕事を放棄したとしても、純は一人で全ての仕事を熟すつもりでいた。

 それ程に本気なのである。


 やがて教師を見ているよりも渕瀬を眺めていた方が有意義であると思い、視線を女子側の席へと向けた。

 渕瀬は相変わらずの様子で、本に食い入るように目を通している。


「……ん?」


 だが、今日は何かが違う事を純は察するとその違和感の正体を目で探った。

 やがて綾穂の視線の先にある"それ"がげんいんである事が分かると同時に、純は絶句する。


「え、まさか……そんな……」


 綾穂が体を前のめりにして猫背状態になりながらも、教師の進路に関する大事な話よりも優先しているその本。

 そこの表紙に書かれている文字を見ただけで、恐らく綾穂の隣にいる女子は叫び声を上げてしまうだろう。


 綺麗な所作で捲られるページとは打って変わって、本の表紙には割りかし大きめな字でこう書いてあった。


『今年もこの季節がきた!バレンタイン特集!!〜あの人のこころをあま〜くとかしちゃおう♪〜』


(ふ、渕瀬に何があったぁぁぁぁあぁぁああ!!)

 受け入れ難い事実の前に、純はもはや叫び声を上げるしか無い。

 日頃を見ている限りだと綾穂がチョコを渡せるような相手がいないコトが分かる。しかし、その綾穂がバレンタイン特集と書かれた本を読んでいるのだ

 少なからず理由は、どう考えても一つしか無かった。


(チョコを渡す相手が出来た、ってことだろうな)


 当然、全然話も出来ていない上に最近何だか避けられている様な感覚を味わっている純の可能性は極めて低い。

 だから第三者へと贈る物だろう。純はそう考える。

 そしてそんな風に考えると、綾穂が自分では無い人間と幸せになるのが堪らなく辛かった。


「まぁ……渕瀬がいいなら、いいんだけど」


 そして力が抜けたかの様に頭を前に倒すと、そう呟いて口元を緩める。

 自然に浮かび上がったその笑顔に自分で気付くと、一つ盛大な溜め息を吐いく。

 やがて純は背もたれに気怠く腰を掛け直すと、手に持っていた進路ガイダンスの冊子を読み始めるのだった。


 * * *


 2月13日。

 バレンタインデー前日となったその日。八重樫純はいつも通りの時刻に起床すると、いつものように家を出る。

 信号待ちに何度か遭いながら学校に着くと、ノンアクションで教室に入り自分の席まで歩み寄った。


「よぉ純、あれから調子はどうだ?」


 椅子に座りやがて頬杖を突いて校舎の下に広がる誰もいないグラウンドを眺めていると、純の背中にそんな声が掛かる。


「んぁ? 別にどうもしてないけど」


「もう明日だろバレンタイン。渕瀬からは貰えそうなのか?」


「いや、正直無理そう。無理そうだからこそ、お前の仕事も辞めさせたんだし」


「……あぁ、そうだったな」


 1月28日の進路指導ガイダンスの時に純が見てしまったあの光景。

 そのせいで純は自分の行動が綾穂にとって迷惑なんだろう、と考えていた。

 だからその日を以って拓哉の朝作戦を終了させる。これ以上は純一人の問題だから、だ。

 勿論バレンタイン大作戦は続いていたが、やはり結果は伴っていない現状だった。


「まぁ、頑張ってくれや。お前なら渕瀬以外の女子からはチョコ貰えるだろうよ」


 そう言って拓哉は何をしに来たのかも告げずに、違う友人の元へ歩いていく。

 純は男女共に友達が多いと知っての呟きである。しかし純は、綾穂以外から受け取るチョコに何の意味も無いと心の何処かで思っていた。


 それから数分後、教室の前扉から入ってきた教師によってクラスの騒がしさは消えていく。

 やがて時間が来て、朝のHRが始まった。


「──であるから、しっかり授業受けるように。それじゃあ一限目の準備始めろ〜」


 特に意味の無い話を終えると教師はそう締めて教室を出ていく。

 純は机の横に掛けてある鞄から、一限目の用意を取り出し机上に放る。


「今日は、何やろうな作戦」


 そしてやる事の無い純は、校則では禁止されている携帯を机の陰で弄り始めた。

 それから数分が経つとまた別の教師が教室に入ってくる。

 クラスの生徒達は自分の席へと戻っていき、やがて時間が来ると授業は始まるのだった。


 〜〜〜


 今日の昼休みには、綾穂が図書室へと向かった。それを受けて1月14日に失敗で終わっている例の王道イベントを、何と無くリベンジしてみる。

 しかしそんな気持ちでは成功は勿論せず、純は静かに教室へと帰った。


 そして今は放課後となって帰りのHRも終わり、各人教室に留まったり下校を始めたりしている。

 あまり今日は作戦が行えなかったな、と落ち込んでいると純はふと視界の端に綾穂が教室から出ていく姿を捉えた。


「そいえば、俺はまだ綾穂をストーカーする気持ちを味わったことなかったな」


 拓哉と卓が味わったその気持ちを自分も知っておかなければいけない気がした純は、直ぐにその背中を追う。

 下校ラッシュで廊下が人で溢れ返っているのも関係無い様子で綾穂は廊下を直進する。何処と無く生徒の波が綾穂の道を作っている様だ。

 暫くして綾穂はある教室に入っていった。純はその様子を扉の陰で見守る。

 すると綾穂はある男子生徒と話していた。

 その様子を目の当たりにした純は、あの日のバレンタイン雑誌や最近自分を避けてきているコトを考慮して、頭を働かせ全てを繋げる。


「あぁ、あの男か。あいつにチョコを渡すために雑誌を読んで、あいつのためを思って俺からなるべく避けてたわけだな。14日に廊下に視線を向けた相手も、恐らくこいつなんだろう」


 一人扉を背にして考えを呟いている純。

 ここまで全部繋がると寧ろ清々しいな、と言わんばかりに声を噛み殺して笑った。


「……人のためにそこまで考えて行動出来るなんて、やっぱり渕瀬は凄いな」


 これ以上ここに留まっていると廊下を歩いている生徒達に迷惑が掛かるな。そう普通の判断をすると、純は帰路に就いた。



「──……それじゃあ、明日は放課後に?」


「う、うん……放課後に屋上でよろしく」


 純が去った後、綾穂は呼ばれて来た教室の中でとある男子生徒とそんな会話をしている。

 その男は、去年のバレンタインで綾穂からチョコが貰えなかった事を受けて一年越しのリベンジとして話を持ち掛けた。


 去年はあっさりと断られ、傷心のままバレンタインの日を越していたが、

『うん、いいよ。チョコ作ってくるね』

 今年に限っては一言二言で話が決着した。

 当然それに疑問を抱くも、憧れの渕瀬綾穂からチョコが貰えるならそれに越した事は無いぜ、と兎に角テンションを上げていた。


「それじゃあね」


「はい、ではまた明日……」


 綾穂は用事が済んだために話を切り上げ、目の前の男子生徒にそう声を掛ける。

 男がそれに返事をすると、いつもと何ら変わらない様子で教室を後にした。



「…………八重樫くん、さっきついてきてたよね?」


 扉の陰で自分と男の会話を見ていた筈の純がいなくなった。

 何処に行ったんだろうと思い視線を彷徨(さまよ)わせるが、やがてそこまで気に掛ける事でも無いねと判断すると綾穂は昇降口へと足を動かす。


「……今日は徹夜で頑張らなきゃ」


 もしかしたら今年一年で一番頑張る日かもしれない。

 心の中でそう思った綾穂は、靴を履き替えると他の生徒達を横目に下校を始めるのだった。


 * * *


 そして一日が経った2月14日──バレンタインデー当日。

 純は、特別良いコトがあったわけでは無いが寝不足だった。今日と云う日が、純の中では今年一番の思い出となるかもしれないからだ。


(綾穂はきっとあいつにチョコを渡すんだろうな。一ヶ月頑張った意味はなかった……な)


  いつもより少し遅い時間に目を覚ました純は、朝食を摂りながらそう頭の中で思っていた。

 歯を磨き顔を洗ってまだ何処と無く寝呆けている意識をハッキリさせる。

 そしていつもより早く学校に行く支度が出来た純は、いつも通りの時間に家を出た。


「到着」


 いつものペースで登校していた気がするも、中央校舎の一番上に設置されている時計を見てみるとまだ8時15分である事が分かる。

 何だか体内時計がおかしいなぁと感じながら純は昇降口へと向かう。


「……あれ、ここって渕瀬の下駄箱じゃなかったっけ」


 靴を履き替えながら、視界に入った彼女の下駄箱をチラッと見て純は思わず呟いた。

 綾穂の下駄箱には、上履きが置いてある。

 しかしこの時間だと云うのにまだ綾穂が登校して来ていないと云うのも変な話だ。純はそう思うと、気のせいと云う事にして教室へと向かう。


「……ホントにいないな」


 教室の扉を開けて、まず綾穂の席を視界の端でチェックする。

 しかしそこに綾穂の姿は無い。

 14日に拓哉も言っていたように、綾穂はたまにトイレ等の用事で教室を出る時がある。

 きっとそういう事だろうな、と考えて純は自分の席にそっと腰を下ろした。


 〜〜〜


 気付けば放課後だった。

 朝のHRから全くと言っていいほど記憶が無い純は、何でもうこんな時間なのかと一瞬焦る。

 けれど、胸の内を自分で考えると自ずとそんな風になっても不自然では無いと悟った。


「なんか、もう教室誰もいないや」


 辺りを見渡しても綾穂や拓哉、卓らの姿は見て取ることが出来ない。

 そしてそこで、今日はバレンタイン当日である事を思い出して純は席を立った。


「渕瀬は……。そういえば、昨日男と話し込んでたな」


 一ヶ月間『バレンタイン大作戦』のターゲットとして常に気に掛けてきた綾穂。

 その彼女を今日まだ一度も目にしてない事に気付いた純は、思わず涙目になっていた。


「……流石にこのままじゃら帰れない。一ヶ月、なんのために生きてたんだってなるし」


 綾穂からこの日チョコを貰うために頑張ってきた純は、その当日に当の本人を一度も目にしていない。

 それがどうも煮え切らない様子で、純は時間を確認すると教室を飛び出した。


 綾穂が何処にいるのか純は知らないが、まだ帰っていない事を願って廊下を走る。

 階段を駆け降りたり駆け昇ったり、廊下を曲がったり疾走したりとひたすらに綾穂を探し続けた。

 時刻が5時になると、街中で時間を知らせるために鳴り響くチャイムの音が聞こえる。


「もうそんな時間か……まぁ関係ないけどな」


 日が傾き始め橙色の陽光が差し込んでくる廊下。

 その廊下に立ち尽くしていた純は、自分から伸びている長い影を見つめる。

 やがて、走りっぱなしで荒いでいた息が整うと再び綾穂を探し出すために足を動かした。


 アアアァァァアァァアアァァアァアアア──ッ!!


 するとその時、誰もいない廊下へ男のものと思われる悲鳴が轟く。


「な、なんだ」


 窓が無い廊下の奥は既に暗闇へ堕ちている。

 誰一人の姿も足音も聞こえない無人の廊下で突然響いたその声は、今も尚悲痛な叫び声を上げていた。


 少しの間頭を働かせた純は、やがてその絶叫が上の階から聞こえてくるものだと知る。

 直ぐ様階段を昇ると、再び聞こえる生々しい程に(おぞ)ましい声が、まだ上の階から聞こえるものだと分かった。


「つっても……もう、上は屋上なんだがな」


 普段から生徒の交流場所として学校公認で解放されている屋上からその声が聞こえるのなら、まだ考えられないコトでは無い。


「……行っても、いいのか」


 けれどこれ以上足を踏み入れれば、何か大きなコトに巻き込まれてしまうかもしれない。

 だが、もし何万分の一かの確率でこの声と綾穂に関係があるとしたら、それはすぐにでも駆けつけなければならない事態だ。


 そう自分に動機を与えると、止めていた足を再び走らせて階段を駆け上がる。

 そして屋上の扉を開け放つ。


「……八重樫、くん?」


 綾穂が呆然と立ち尽くしている。

 今日初めて目にする綾穂に、つい嬉しくなりニヤけてしまう純はしかし今はそれどころで無い。

 視界にただ一人捉える綾穂元へ駆け寄ろうと足を前に出した時、その渕瀬綾穂の足元である男が(うずくま)っていた。


「ちょ、お前どうした!?」


 綾穂に駆け寄ると、そこにやがて動かなくなって伸びている男の肩を揺さぶる。

 だが、返答は無い。

 顔を見ると、その男は昨日綾穂と放課後の教室で喋っていた男である事が分かる。

 だが今は関係無い、と男の様子と先程の叫び声が同一の者であると考え、純はしゃがんだまま綾穂を見つめて口を開いた。


「なにが、あったんだ?」


「……私にもよく分からないの」


 綾穂は何故か俯きながらそう呟くと、微かに伺える目元に涙を溜めていた。

 いきなりのコトでどうすればいいのか分からない純は、口を薄っすらと開き始めている綾穂を見て黙る。


「本当に私にもよく分からないの。ただ、チョコを上げただけだから……」


「…………ん?」


「昨日約束したの、この人にチョコを屋上で上げるって。でも私のチョコを食べたらその人、いきなり倒れ込んで苦しそうにし始めたの」


「え……じゃあ、これってまさか……」


 ただチョコが不味くてぶっ倒れただけかよ!

 無駄に心配したコトを少しだけ後悔する純を、だが男をこのままにしておくのもあれだと思う。

 だから男の肩を担いで純は立ち上がらせる。


「まぁ、一応こいつ保健室連れてくよ」


「……う、うん。ありがとう」


 きっと綾穂は、自分のチョコがそれほどまでに不出来だった事に落ち込んでいる筈だ。

 そう思って純は綾穂を気遣うようにして、男と共に屋上を後にする。


 綾穂のチョコを食べたお返し、と云う事で腹に一撃拳をお見舞いした純は気分を少しだけ良くして保健室のベッドに男を置いていった。

 そして、未だ傷心中であろう綾穂の元へ純は戻る。


「……どうだ渕瀬、落ち着いたか?」


 再び足を運んだ屋上にやはり佇んでいた綾穂に、純はそういつもの様子で声を掛けた。


「うん……突然のことで驚いたけど」


「そっか。ならよかったよ」


 それっきり、二人の間には沈黙が流れる。

 そもそも純と綾穂との間には距離があり、そのせいでチョコが貰えないのだ。

 だと云うのに放課後の屋上で二人っきりと云うシチュエーションで、純が柔軟に対応出来るわけが無かった。


(そういえば、チョコは貰えないんだったな)

 半年前に惚れたっきりずっと思いを馳せていた純は、その相手である綾穂からチョコを貰うためにこの一ヶ月間張り切っていた。

 しかし誰とも仲を深めようとしない綾穂のその様子では当然距離は縮まらず、そして今日と云う日を迎えた。


 一ヶ月も前から毎日のように綾穂にアプローチを掛けてきた純。

 だがその純では無く、綾穂はあの男にチョコを渡したのだ。

 『バレンタイン大作戦』と嬉々として掲げていた名前も、今となっては恥ずかしいものでしか無い。


 そして純は、この一ヶ月間に区切りを付けるために綾穂へ、最後の言葉を告げた。


「あのさ渕瀬。出来れば……というかあったらでいいんだけど…………チョコ欲しいです」


 元々あの男子生徒用のチョコしか持ってきていなかっただろう、と分かってはいるものの可能性がゼロでは無いのなら欲しい気持ちが純には当然ある。

 頭を下げてまで懇願しているその姿は、(はた)から見れば滑稽以外の何物でも無い。

 しかし純からすれば、ここまでしてでも欲しい代物なのだ。


 やがて綾穂は、突然頭を下げてそう言ってきた純に暫く唖然とする。

 そして数秒が経ち返答が思いついたのか、綾穂は「八重樫くん」と口を開くと答えを告げた。


「……はい、チョコあげる」


「…………これは夢か妄想か」


「現実だよ?」


「……ですよね」


 純は、今の今まで自分が綾穂にしてきた作戦を頭の片隅で思い返していた。

 そして自分が綾穂の立場になってそれを考えてみて、初めてもの凄く鬱陶しかったコトが分かる。


 けれどそんな鬱陶しい存在である純へ、綾穂はまるで準備していたかのようにラッピングされた袋を渡してきた。


「えーと、これは元々俺用……だったり?」


「うん、そうだね」


「んな馬鹿な!」


 それは流石にあり得なさ過ぎでしょマジで!

 純は内心でそう叫んだ。


「八重樫くんって、一ヶ月前ぐらいから急に私に構ってくれだしたよね。それが私には結構嬉しかったの」


「あ……」


 綾穂は成績容姿、運動神経全てにおいて秀でていた。それ故、周りの普通な生徒達とは決して相容れない。

 普段の様子からはとても感じられないような、そんな綾穂の本音を今純は聞いていた。


「私だって、もっと色んな人と仲良くしたかったけど……でもそんな勇気もない。だから、八重樫くんみたいに積極的に相手してくれる人は……好きなの」


「まっ!」


 いきなり『好き』と言われて純は思わずわけの分からない声を上げてしまう。

 それを受けた綾穂は、迷惑だったかなと云う表情を浮かべる。

(いつもは無表情なのに、今は表情がある……。普段はただポーカーフェイスなだけだったのか)

 天才過ぎると人としての感情が無くなる、なんていう偏見を持っていた純はその綾穂の一面を見て思わず安堵した。


「それで、八重樫くん。私のチョコ今食べてくれないかな?」


「え、なんで?」


 家に保存しておこうと思っていただけに、純はその言葉には敏感に反応した。


「さっきの人は私のチョコを食べた時に倒れたから、ちょっと不安なんだけどね……。でも感想が欲しいから、食べて欲しい」


「ま、まぁ渕瀬がそう言うならいいけども……」


 袋を開けて中を見てみると、大小様々な大きさのチョコが入っていた。これなら一個食べても他を全部保存しておけば大丈夫だな。

 そう決めて純はチョコを一つ摘み出すと、綾穂の必死過ぎる視線を浴びながらそれを口に運んだ。


「……ふむ、チョコのはずなのに(から)い」


「多分、それは『レッドホットチョコ』かな」


「レッドホット!?」


 チョコは甘さが売りな筈なのに、何故綾穂のチョコはこんなにも辛いのだろうか。

 純は目尻に涙を溜めながらも、そのチョコを飲み下す。


「ふぅ。でも、絶叫するほど不味くは無かったぞ?」


「そっか……、それならよかった」


 素直に感想を述べた純に、綾穂は心底満足そうに笑みを浮かべる。

 純は、その綾穂の浮かべた魅力的過ぎる笑顔に心射抜かれた。


「ど、どうせだからもっと食べてみる!」


「ほんと? ありがとう八重樫くん」


 ズキューン、と云う効果音がこの時の純には聞こえた。

 そしそれがファクターとなり、純は「いただきまぁす!」と声を大にして告げるともう一つチョコを口に放る。


「…………ぐはあッ!」


 純の口からチョコが血の代わりとして吐かれた。それを見た綾穂は打って変わって絶望に顔を染め、今にも泣きそうな表情になる。

 そんな綾穂の顔は見ていたくない、と純は弁明するために口を開いた。


「い、いや違うんだ渕瀬……今のは間違って舌噛んじゃっ──あばばばばばばッ!!」


 しかしチョコを食べた程度では考えられないような痛みが、言い訳を述べようとした純の全身を貫いた。

(なんだこのチョコは……まさに殺人級だァ!)


「……八重樫くん……今殺人級って思ったでしょ?」


「お、おおお思ってない思ってない!」


 焦り過ぎと体に纏わりついた痛みによって舌が上手く回らなかった純。

 その次の瞬間、視界が歪むのを感じる。

 チョコを食べただけでなんでこうなるのか。純は泣きたくなった。


 でも純は、それと同時にとても嬉しい気持ちでいた。

 天才少女である渕瀬綾穂からチョコを貰うだなんて、心の何処かで無理だと思っていたからだ。

 だからその分、こうして一ヶ月の頑張りの甲斐あってチョコを貰うことが出来て純は満足だった。


「…………がは」


 そして、綾穂のくれたチョコの(にが)甘辛い味を舌で感じながら、純はその場で笑顔を浮かべて気を失うのだった。




「……ありがとう、純くん」


 ** ** **


 冷たい風が未だに肌寒いこの季節。

 彼女はマフラーを口元にまで上げて顔の寒さを凌ぐと、手袋を両手にハメながら学校の昇降口前で人を待っていた。


「ごめん遅れた!」


「ううん、別にいいよ」


 彼女の待ち人である男がダッシュで待ち合わせ場所である昇降口の扉付近へ駆けつけてくる。

 その気持ちだけでも嬉しい、と言わんばかりに彼女は笑って男を許した。


「それにしても、今日はバレンタインですなぁ」


 厚手のコートを羽織ったその男は、今日が2月14日である事を彼女に話す。

 この日は世間的には『バレンタインデー』と呼ばれる日であり、女性から男性に向けて十人十色な思いを込めてチョコを渡す日である。


 そして男はそれを心の何処かで期待してそんな事を言ったのだ。

 クラスでも当然のようにチョコの受け渡しが行われており、恨めしそうにそれを男は見ていた。


「ダメだよ、チョコはあげない」


 しかし男がチョコ下さいと云う目をしながら彼女を見つめていたが、当の彼女はその意思を無下にも断ち切る。

 言葉を聞いた男は心底ショックな様子で肩を落とす。

 けれどそれも一瞬で、すぐに俯いた顔を上げて彼女に口を開いた。


「よかったよそう言ってくれて。ちゃんと覚えてるんだな、記念日」


「もちろんだよ。忘れるわけがないじゃん、大切な日なんだから」


 男が微笑みながら言ったその言葉に、彼女は優しい笑みを浮かべながら返事をする。

 二人の記念日は今日では無く、そして二人がバレンタインデーのチョコの受け渡しをするのもその記念日で行われることだ。


「それじゃあちょっと自転車取ってくる」


「今日は二人乗りはしないからね。いってらっしゃい」


 男は中学の頃から今まで、ずっと自転車通学であり付き合い始めてからはよく二人乗りをしていた。

 成績優秀で才女と謳われていた彼女も、男と付き合い始めた事で多少なり校則を破った。

 だがそれも彼女にとっていい思い出である。つい昨日の事のようにさえ思えるほどに。


「それじゃあ帰るか」


 自転車を引きながら彼女の元へ戻ってきた男は、そう言って歩き始める。

 そして彼女は置いていかれそうになり、慌てて男の後を追うのだった。




 翌日2月15日。空には相変わらずの曇り空が一面を覆っている。

 二人はその日の放課後、思い出の場所である屋上へ訪れていた。


 雪は昨日同様パラパラと降っており、地面には雪が3ミリほど積もっている。

 そこにあるのは二つの足跡、男と彼女のものだ。


 二人は吐かれる白い息に笑いながら、やがて彼女の方が背中に隠していた丁寧にラッピングされた袋を男に渡しす。

 男は照れくさそうに頬を掻くと、結ばれたリボンを解き袋を開けた。


 中には、形が一定で色もチョコと一目で分かるような一口大のものが入っている。

 袋の中から取り出したそれを、男は彼女の前で口にした。


 数回味を噛み締めると男は口の中のチョコを飲み込む。

 彼女は何処か不安そうな表情で男を見つめていて、その目線と合った男の方は口元を緩めた。


「うん、やっぱり美味しい」


「……ありがとう」


 男の正直な感想に、彼女は顔の大半をマフラーで隠して恥ずかしそうに感謝の言葉だけを述べるのである。



 そして男──八重樫純は、彼女──渕瀬綾穂に来年のチョコを予約して今年のバレンタインデーは幕を下ろしたのだった。


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