表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「いいから黙って俺のブラジャーをつけやがれ」  作者: IKEDA RAO
◆ 後日譚 : 【 二年後の世界 】 ◆
89/89

【 22 】 【 二年後の世界・完結 】 「自分がやりたいことをやれ  それが後悔しない生き方だ」

 


「Myマスタァー!! サクラッ、只今戻りましたぁー!! 超気短なMyマスターに怒られないようにちゃーんとお店が開く前に戻ってきましたよぉー!! 見事にセーフでーすっ!!」


 はつらつとした様子で店内に飛び込み、引き戸を閉めようとしたサクラは中に漸次もいる事に気付く。


「あっ!? 野獣さんだぁっ!! 野獣さんっ、おはようございまぁーす!!」


「ようサクラ、おはようさん」


「朝早くからなぜ菩庵寿にいらしたんですか?」


「昨日お前さんが動かなくなったって聞いてよ、心配だから様子を見にきたのさ」


「わぁっ、わざわざサクラのためにありがとうございますっ!! でもサクラ、もう全然平気です!!」


「あぁ、その調子じゃ何も問題はなさそうだな。だが残り六日間は無茶すんなよ?」


「はいっ!! これからはクールダウンする時間をちゃんと取りまぁす!」


「そうしてくれ。その機体は俺のもんじゃねぇからぶっ壊しちまったらやべぇんだよ」


「了解でーす!」


 サクラと漸次がそんな会話をかわしている間、樹里がいつまでも姿を見せないことを不審に思った薫は入り口に向かう。そして半開きの引き戸をから首を出し、周囲をキョロキョロと見回してみた。

 しかし目につく往来に樹里の姿は見当たらない。薫は店内を振り返り、


「おいサクラ、樹里はどうした? なんでいねぇんだよ?」


「あ、えと、樹里様はまだ病院なのです。その、少し混んでまして」


「朝一で行ったのにか?」


「ハ、ハイッ」


「じゃああいつ、まだ診てもらってねぇのかよ?」


「いえ、診察は終わりましたです。えっとその、お薬の処方に少々お時間がかかってまして、でもそろそろ開店の時間だから先に戻るようにって樹里様がとても強く仰るので、それでサクラは一足お先に菩庵寿に戻って参りましたっ」


「…………」


 今のサクラの言動に不自然な箇所がある事を見抜いた薫の視線が鋭くなる。

 しかし薫はまだサクラを追及せず、「そうか、じゃあ仕方ねぇな」とひとまずは流した。


「で、医者の診断はどうだったんだ? 風邪だったんだろ?」


「はいっ! サクラも風邪だと思いますですっ!」


 次の瞬間、Goldfinger-Xから激しい音が鳴った。

 半ギレした薫が広げた手のひらで台面を派手にぶっ叩いたせいだ。そして間髪いれずに薫は怒鳴る。


「サクラあああああああああああああ!!」


「ひええええぇっ!? なななっなんでしょうかMyマスター!?」


「お前俺に何を隠してやがるっっ!?」


「にゃっ、にゃんにも隠してないですようううぅぅ!」


「ざけんな!! お前の態度が怪しすぎなんだよ!!」


「あわわわっ、そっそんなことないですうううう!!!! それはMyマスターの気のせいですよおおおお!!」


 あたふたとしながらも必死に言い返すサクラの姿に薫の疑惑の目はますます強くなるばかりだ。

 なぜなら廻堂家の女性陣は全員、薫に怒鳴られることに慣れている。

 怒鳴られている最中なのに、薫を無視して叱られている者同士でクスクスと笑いながら会話をしてしまうぐらいだ。なのにいつもは怒鳴られてもへっちゃらなサクラが今は明らかに動揺している。


「気のせいだとっ!? なら聞くがな!! 風邪だと思うってなんなんだよ!? お前、あいつの診察に付いてたんだろっ!?」


「あわわわわわ!! そっそれはあの……」


「さっさと言え!!」


「は、はいっ!! えっと、実はサクラは樹里様の診察には付いていかなかった……、のです……」


「何!? お前樹里を一人で行かせたのか!? じゃあお前は今まで一人でどこをほっつき歩いてたんだよ!?」


「えええっ!? ほっつき歩いてなんていませんよぉー!! だからそういうわけじゃなくてですね、なんと言いましょうか、そのぉ~」



「……言えサクラ」



 ―― ついに今まで右肩上がりを続けてきた声量が一気に落ちた。

 淡々とした口調はマジギレしている証拠。

 もちろん声量が落ちた代わりに凄みは一気に増している。


「あのMyマスター……、お顔が本気で怖いんですけど……?」


「お前がそうさせてんだろうが。なんで俺に隠すんだ。何を隠すようなことがあるんだよ。いいから言え。一体何を隠してやがるんだ」


「あの、その、……ん~……ん~……ん~~~……」


 ギュッと唇をすぼめ、ひたすら唸り続けるサクラに薫が問う。


「おいサクラ、お前の(あるじ)は誰だ?」


「Myマスター、です……」


「そうだこの俺だ。ならこの先お前に俺が言いたいことは分かるな?」


「ん~~……んん~~…………」


「いつまでも梅干しを噛んでるみてぇな面して唸ってんじゃねぇ。命令だサクラ。お前が隠している事を言え。今すぐにだ」


「ん~~……んん~~……んんんん~~………………!!」


「俺の命令が聞けないのか? お前がいつも偉そうによくのたまってる存在意義(レーゾンデートル)とやらはどこに行ったんだよ?」


「ん~~……んん~~……んんんん~~……………………………………あぁんっ!! もうっ!! 分かりましたっ!! 言いますっ!! ちゃんと言いますよぉっ!! Myマスター!! 樹里様は妊娠なされたんですっ!! あなたのお子さんができたんですよおおおおおおお!!」


「な、なに…………っ?」


 殺気を放ち、サクラから無理やり引きずり出した真実は予想以上の大きさだった。

 口を半開きにし白く固まってしまった薫のすぐ横で、己に課せられている電脳巻尺としての使命に従わざるを得なかったサクラがすでに半泣きだ。


「もうっひどいですよMyマスター!! サクラがあなたのご命令に逆らえない体質なのを知ってて無理やり言わせてーっ!! 樹里様はご自分の口からこの事をMyマスターに伝えたいから、先に帰っても黙っててね、ってサクラにお願いなされたんです!! でもMyマスターのせいでサクラは樹里様とのお約束を破ることになってしまったじゃないですかぁー!! もういいですっ!! こうなったらMyマスターにも協力してもらいますからね!! 後で樹里様からMyマスターにこのお話があったら、今のそのお顔です!! 今のそのポカーンとしたお顔で思いっきりビックリしてくださいよ!? いいですね!?」


 しかしこのサクラの懇願も、今の薫にはろくに聞こえていないようだ。


「そ、そうか、あいつ妊娠したのか……」


 と焦点の定まっていない目で独り言を呟いている。


「ハイ、微熱はそのせいだったみたいですっ。そういえば最近の樹里様はお食事の量も減ってましたし、疲れたようなお顔も時々なさってましたもんね。それも全て、お身体の中にあなたの赤ちゃんが出来ていたからだったんですねっ! でも」


「ほう、えらくめでてぇ話じゃねぇか。俺もいい所に居合わせたもんだな」


 その声で店内に自分たち以外の人物がいる事を思い出したサクラは、慌てて喋りかけていた言葉を止める。


「すっ済みません野獣さん! サクラを心配してわざわざいらしてくださったのにあなたを置いてきぼりにしちゃってました!」


「なぁに気にすんなって。こっちこそお前さんの話の腰を折っちまって悪かった。まだそこの鶏冠に言いたいことがあんだろ? ならドカンと言ってやれよ」


 白い歯を見せ、親指をグッと立ててみせた漸次は驚くほどの大きな手でサクラの頭を撫でた。

 慈しんでもらったサクラは頬を染めてエヘヘと照れ笑いし、「はぁいっ、ありがとうございます!」と礼を言うと茫然としている薫に再び向き直る。


「あのMyマスター? これはここだけのお話にしていただきたいんですが、樹里様はご結婚なさる前からずっとあなたの赤ちゃんを欲しがってらっしゃいましたよね。でも蕪利で長い月日をかけてご自身の果たすべき責務を終え、ようやくここに戻ってこられてあなたとご結婚できたのに、今までなかなかお子様がお出来にならないから密かに気になされてたこと、ご存知でしたか……?」


「…………」


「あの、これはサクラの勝手な推測なのですが、きっと樹里様は今までお一人で色々お悩みになっていたのではないかなって思います。でも今回診ていただいた医師(せんせい)に “ 赤ちゃんができてますよ ” って突然告げられて、驚かれた樹里様はきっと言葉に表せないぐらい嬉しかったんでしょうね、診察室で声を上げずに急にぽろぽろと涙だけをたくさんこぼされて……。そんな樹里様に、側にいたナースさん達も皆さん口ぐちに、おめでとうございます、おめでとうございます、って笑顔で何度も優しくお声をかけてくださいました。サクラ、その光景を見ていたら(AI)に不規則な揺れを感じて、その時ふとこう思ったんです。“ あぁ、きっとこれが人間で言う、感動っていう感情に近いものなんだなぁ ” って!」


 サクラはそう言うと、心から慕う自分の主に向かってニッコリと微笑む。


「コホンッ、ではではMyマスター! あなたの相棒であるサクラからもあらためて申し上げますねっ! 樹里様のご懐妊、本当におめでとうございまぁすっ!」


 頭を下げ、サクラが深々と立派な一礼をする。しかし薫は無言のままだ。

 礼から直っても未だに何も言ってくれない薫の顔をサクラが正面から覗きこむ。


「……あれれっ? さっきから黙りこくっちゃってどうなさったんですかMyマスター?」 


「ははっ! 残念だったなサクラ! お前さんの今の祝辞は最高だったがよ、肝心のこいつの耳には何も届いてないみてぇだぜ? 驚き過ぎてさっきからフリーズしっぱなしじゃねぇかよ!」


「ええええええええ~~~!! そんなああああああぁ~~!! ちょっとしっかりしてくださいよMyマスター~~!! サクラッ、診察室での樹里様のご様子を余すことなくいっぱいいっぱいお伝えしたのにいいいぃ~!!」


「いやいや、すげぇいい話だったぜサクラ? 人生の折り返しを過ぎたこの擦れたオッサンでもちょいと感動したぐらいだ。後でこいつが落ちついたらもう一度あらためて話してやれよ」


「はぁ~い……」


「どれ、じゃあ俺が正気に戻してやっか! おい息子四号!! お前さんもとうとう親父になるんだな!! おめでとさん!!」


 漸次は準備運動代わりに太い両腕を肩からグルグルと二回転させ、その勢いで薫の両肩を容赦のない力でグリグリと揉みしだく。

 肩揉み、とはとても呼べないほどの強烈な揉みほぐし攻撃をされた薫は「ぐわっ!?」を叫ぶと後ろを振り返り漸次を睨みつけた。


「い、痛ってーなオッサン!! いきなり何しやがんだよ!?」


「お前がボケた顔して極楽に勝手に行っちまってるからだろ! しかしそれにしてもめでてぇよなぁ! どうだ、まもなく親父になる感想は?」


「き、急に追われても実感湧かねぇよ……」


 父親予備軍となった感想をストレートに訊かれ、どもり気味に今の心境を答えた薫は面映ゆそうに漸次から顔を背ける。


「まぁそうだよなぁ……。そう言われたって俺ら男にはすぐにはピンと来ねぇよな。でもよ息子四号、子どもが出来たとなりゃあこれからますます物入りになるぜ? だから悪いことは言わねぇ。話は戻るがここはおとなしくこの苔むし親父のあのお節介を素直に受け取っておけ。樹里のためにもそうすべきだ。な?」


「…………」


「あらMyマスター、野獣さんから何かいただけるのですか?」


 何も知らないサクラが無邪気に尋ねる。

 薫はそれに答える前に椅子から立ち上がり漸次の前に歩み寄ると、鈍く輝くスキンヘッドの前で大きく鶏冠頭を下げた。


「……あんたの厚意、ありがたく受け取る。感謝するよ」


「そうだそれでいい! それでいいんだ!!」


 暖簾分けの話は拒んだが、アンドロイドの申し出は受け取った薫の姿に漸次はガハハと嬉しそうに笑う。


「うわぁ~! サクラ、Myマスターが他の方に頭を下げているところを初めて見ましたぁ! そんなことまでなさって野獣さんから一体どんな素晴らしい物をいただけるのですか?」


「お前さんの新しい身体だよサクラ。俺が来週届けてやるから待ってろな」


「ふぇっ!? それってどういう意味なんですか野獣さん!?」


「お前、そのアンドロイドが欲しいんだろ? だがそいつに余計な奉仕機能が付いているせいで樹里の手前、堂々と貰えねぇときた。しかも何かの拍子にその機体が愛玩少女(チェリッシュ)だと客に知られちまったら、この店のマイナスイメージにもなりかねん。それでお前は泣く泣くそのアンドロイドを諦めた」


「そ、そうですが、でもどうしてその事を野獣さんが!?」


「んなもんルーキーから聞いたに決まってんじゃねぇか。だが可愛いお前のその願いを何とか叶えてやりてぇとルーキーは色々と悩んでよ、別のアンドロイドを買うからツテを探してくれって俺に連絡して頭を下げてきたんだよ。サクラ、今ルーキーが頭を下げたところをお前は初めて見たのかもしれんが、もうこいつはすでに一度俺に頭を下げてんだぜ? お前のためにな」


「Myマスターが、サクラのために……?」


「おうよ。だからお前の父さんに感謝しろよサクラ。今回の迷惑料代わりにアンドロイドの代金は俺が持つが、ルーキーは今まで必死に働いて貯めた金をドンと惜しげなく使ってお前に新しい機体を買ってやる腹だったんだ。どうだ、すげぇ大盤振る舞いだとは思わんか?」


「マ、Myマスタァ……!!」


 自分のために薫が奔走していたことを知ったサクラは感動の面持ちで操作主に視線を向ける。アンドロイドなので涙こそ出せないが、その顔は今にも泣き出しそうだ。


「……なんつー顔してんだよお前」


「だ、だって!! Myマスターがサクラのためにそこまでしてくださってただなんて……!!」


 大きな感動に打ち震えているサクラを横目に、薫は作業台の隅に置いてあったアクリルケースからある物を取りだした。そして手にした物を少女型アンドロイドに向けてふわりと放ってやる。


「サクラ、アンドロイドは俺からはくれてやれねぇが、代わりにこれで勘弁しろ」


「ふぇっ……?」


 薫から放られた物を両手で受け取ったサクラは絶叫する。



「ふぁわあああああああああああ!! Myマスターのブラだああああああああああああああ!!!!」



 ―― それはアンドロイドなんかよりもずっと前から「欲しい」と密かに願い続けていた物。

 サクラが何よりも一番欲しかった念願のその品は、薄紅(うすべに)の柔らかい色で優しく覆われ、満開の桜の花びらが両カップ上に花吹雪のように舞っている。



「お前、こいつも欲しかったんだろ?」


「はいっ!! はいっ!! はいいいっっ!!!! 欲しかったんです!! サクラは、サクラはずっとずっとあなたの作るブラが欲しかっ……!? あああああああぁっ!! まさかっっ!?」



 桜の花びらが舞う見事な刺繍が施されたこのブラと、すぐ目の前にいる誰よりも大好きな主の顔――。

 視覚で得たその二つの情報を己のAIで巧みに組み合わせ、ある一つの推測に辿りついてしまったサクラは叫んだ後で息を呑んだ。そして震える小声で尋ねる。



「マ、Myマスター……、もっもしかしてあなたの目の下のクマが昨日よりもひどくなっているのは、迅速生産(ラピッド)でご無理をなさってこのブラを作ってくれたから、なのではないですか……?」


「お前はんなこと気にしなくていいんだっつーの」


 薫は睡眠不足で充血気味の目を何度か瞬かせ、眠気覚ましのつもりなのか、自分の鶏冠頭をガリガリと掻く。


「無茶すんのは今日で終わりだって樹里に言ったのをお前も聞いたろ? だからまずはとりあえず一枚だ。今度来るお前の身体は乳のサイズが違うかもしれねぇしな。溜まってる注文の目途があらかたついたらまた次のブラジャーを作ってやっから気長に待ってろ」


「は、はいっ!! ありがとうございますっMyマスター!! サクラ、本当に本当に本当に本当に嬉しいですっっ!!!!」


「後で着けてみろよ。直しが必要なら即行でやってやる」


「ええーっ!! 後でなんてイヤでーす!! サクラ、もういてもたってもいられないので早速着けさせていただきまぁす!!」


「うぉっ!? お前ここで脱ぐなっつーの!!」


「アハッ! だってどうせこの後フィットチェックをするんですから別にいいじゃないですかぁ! どーせここで脱いでもフィッティングルームで脱いでも大きな違いはないですよぉー!!」


「そうだな、俺も合理的だと思うぜサクラ。ズバンとそこで脱いじまえよ。俺も見ててやっから」


「ふわああああああああ! そういえば野獣さんがいたんでしたあああぁぁ!! やっぱりあっちで着替えてきまぁーす!!」


 薫のブラをしっかりと抱え、すでに半裸状態になっているサクラがどたばたと更衣室に駆け込んでいく。

 下町で暮らす若き女性下着職人とお茶目な電脳巻尺の心の絆劇場を、開幕から閉幕まできっちりと観終えた漸次が「俺ん家ほどじゃねぇが、お前さんの所も大変だな!」と豪快な笑い声を上げた。


「なに呑気なこと言って笑ってやがんだ!! 見ただろオッサン!? あんたのせいだぞ!? あんたんとこの琥珀のせいでうちのサクラにまでエロさが伝染ってきちまってるじゃねーか!!」


「バカ言え、ウィルスじゃあるまいしエロさが伝染るかよ。元々サクラにもエロい素質があっただけだろうが。大体な、俺の娘のエロさが伝染ってんならあんなもんじゃきかねーぞ?」


「マ、マジかよ……怖ぇ……」


 ドン引きしている薫に漸次は再び大笑いをし、「それでも可愛いぜー?」と最後まで親バカぶりをたっぷりと見せつけてから、“ じゃあまたな、息子四号 ” との言葉を残し、自分の居住エリアへと帰って行った。






* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *






 漸次が蕪利(カブリ)区画(ブロック)へと戻り、開店間近の菩庵寿内には薫とサクラだけとなった。

 開店準備も滞りなく終了し、営業開始の時刻まで三十分を切ったが、来店予約の客はまだ姿を見せない。その結果、必然的にやることがなくなった職人と巻尺の会話は多くなる。


「しかし樹里の奴、(おせ)ぇな……。なんかあったんじゃねぇのか?」


 なかなか戻って来ない樹里が気にかかる薫は、先ほどから落ちつかない。

 何度も戸口ばかりを見ている主にサクラは「大丈夫ですよ!」と笑いかけた。


「樹里様は少し落ち着かれてからお戻りになるそうです! これからは定期的に病院に行かなければなりませんし、その辺りのお話もお聞きになっているのでしょう。何かあれば樹里様からご連絡がありますのでご心配なさらないでください。それに間もなく開店時間ですから樹里様はご自宅の玄関からお家の中にお入りになると思いますよー? ですからそうやってお店の入り口を熱い視線でずっと見ておられてもおそらく意味はないかとっ。ぷぷっ」


 サクラにからかわれた薫は悔しそうにぐぅっと唸ると、「んなこと分かってるっつーの! 俺は予約客が来ないか見てただけだ!」と憎まれ口をきいた。


「またまたそんな嘘を仰って~っ! ほーんとMyマスターはカワイイですね~! そうだMyマスター! 突然ですがここで質問でーす!! お子さんは男の子がいいですか? 女の子がいいですか?」


「あ? そんなもんどっちでもいいぜ。元気に産まれてくれりゃあそれで充分だ」


「アハッ、それが一番ですよねっ!! じゃあMyマスター、もしお子さんが男の子だったとしまぁす! その後、大きく成長なされたご子息様があなたの跡を継ぎたい、って仰ったらどうなさいますぅー?」


「俺の跡……? 女性下着請負人(マスター・ファンデ)になるってことか?」


「ハイッ、そーです!!」


 その質問に薫はフッと口元を上げる。

 そしてそのかすかな笑みを浮かべたままで即答した。


「好きにしろって言うと思うぜ?」


「わぁやっぱりだぁ~!!」


 期待していた通りの返事が聞けたサクラは嬉しさのあまりその場でクルリとターンをする。黒メイド服の短いスカートが、今のサクラの気持ちと同じようにふわふわと楽しげに舞った。


「えへへっ、サクラの思っていた通りのお答えでしたよMyマスター!!」


「ただしこの店を潰したくねぇっていう妙な義務感だけでガキが言い出してんならもちろん止めさせるがな」


 ガリガリと鶏冠頭をかきながら薫は使い込んだアームピンを左手首に装着し、Goldfinger-Xに近寄る。そして台面を操作しながらまるで自分自身に言い聞かせているかのような口調で呟いた。


「……男が女の下着を作るなんて職業になりゃあやっぱ色々と面倒な事もあるけどよ、それでもブラジャーが好きで作りたいって言うなら止めはしねぇさ。周りがなんと言おうと自分のやりてぇことをやればいいんだ。それが後悔しない人生になるからな」


「わぁっ、それとっても素敵なお言葉ですねっ!!」


「ヘッただの受け売りだよ、俺の親父のな」


「あら、幸之進様のお言葉だったんですねっ!! ではではもう一つだけ質問させてくださいっ! 今度はお子さんが女の子だったとしまーす! その後、とっても美しく成長なされたお嬢様が、樹里様が以前おやりになろうとしていたあの職業に就きたいって仰ったら、さぁさぁどうしますぅー?」


 Goldfinger-Xのモードを営業モードに変更していた薫はその手を一旦止め、鋭い視線でサクラをギロリと睨みつける。


「……おい、お前まさかAV女優のことを言ってるわけじゃねーだろうな?」


「いえいえ、それでございますっ!」


「このバカ野郎ッ!! んなもん許すわけねーだろうがっっ!!!!」


「あれれぇー、怒鳴られちゃいましたっ! アハッ」


 先ほどとは違い今は何も隠しごとが無いせいで、薫に怒声を浴びせられてもサクラは涼しい顔だ。

 脅えなどまったく無しでこの危険な質問をまだ更に深く掘り下げる。


「でもでもMyマスター! あなたのお嬢様が、 “ でもどうしてもそれが私のやりたい道なの! だから後悔しないためにもさせてお願い! ” って真剣に仰ってきたら?」


「ふっざけんな!! そんでも絶対許さねーっつーの!! そんな職業(もん)をやらせられるわけねーだろうがっ!!」


「アハハッ、さすがのMyマスターもこの時だけはご自身の固いポリシーがブレブレになっちゃうんですね~っ!!」


「当たり前だろうが!! くだらねーこと聞いてんじゃねーよ!!」


「失礼しましたMyマスター!! でもこれからは樹里様を労わってあげてくださいね? しばらくは樹里様お一人のお身体ではないのですから!」


「あぁ分かってる」


 薫は欠伸を噛み殺し、作業台の時刻を見る。


「……まだ店開けるまで時間あんな。サクラ、お前ここに残っててくれ。すぐに戻ってくっからよ」


「わぁっ、もしかして樹里様がおられる病院に行かれるんですかぁ!? 樹里様、きっと驚かれますよ!!」


「アホ。んなとこまで行ってたら店開ける時間に戻って来れねぇじゃねぇか」


「あ、そっか。ではではどちらに?」


「すぐそこの店で口当たりいいもんでも適当に買ってくるぜ。食欲が無くても果物みてぇなもんならあいつもなんとか食えんだろ」


「あっそれはいいお考えですね!! どーぞ行ってらっしゃいませ!! もしMyマスターがお戻りになる前にお客様がいらっしゃったらサクラが応対しますから大丈夫です!!」


「あぁ頼む。すぐに戻ってくるからよ」


「はぁーい!!」


 そう返事をしたサクラは急に何かを思いついたような悪戯っぽい顔で「あ」と目を輝かす。そして急いで店を出て行こうとしている薫に大きな声で見送りの言葉をかけた。



「行ってらっしゃーい! お()ぉーさんっっ!!」



 漸次とのやり取りでパールピンクの電脳巻尺(エスカルゴ)を自分の娘として認識し始めたばかりの薫は、その張本人のサクラから “ お父さん ” と呼ばれ、ぎくっとした様子で足を止めた。


「……お、おう」


 店内を振り返った薫の鼻の頭がわずかに赤くなっていることにサクラは気付いたが、お父さん、と言われ慣れていないから照れているだけと判断し、さすがにそこはからかわなかった。










 小走りで出かけた薫を見送り、サクラも菩庵寿の外に出てみる。

 すでにかなりの熱を帯び始めた風が、待ちかねたようにサクラの黒髪を大きく波打たせた。

 その夏風に身を委ね、サクラは真上に広がる真っ青な空を見上げて嬉しそうに呟く。



「来年の桜の花が満開になる頃にはこのお家にご家族が増えているんですねぇ……。

あーあ、早く来年の春にならないかなぁ……」



 ―― 廻堂家に新しい家族が増える。

 きっと今以上にもっともっと楽しくて、もっともっと賑やかで、もっともっと幸せなことが起きるに違いない、とサクラは思った。



 この家に来ることが出来て良かった。



 Myマスターの巻尺(パートナー)になれて良かった。



 そんなことを考えながら最大限の幸せに浸っていたサクラの前に予約客が現れる。

 仕事モードに戻ったサクラは慌てて深々と丁寧なお辞儀をした。


「あっ本日十時にご予約なされていた方ですね? お待ちしておりました!! ようこそ菩庵寿へ!! さぁどうぞお入りください!」


 予約客を先導し、にこやかな笑みでサクラが店内へと消えてゆく。

 薫が戻ってくるまでの間、サクラは客と楽しそうに他愛の無い雑談をしていたが、その会話中に突然素っ頓狂な大声を出した。



「エッ!? いえいえ違います違いますっっ!! サクラはここのアルバイトでもメイドさんでもありませんよ!? 申し遅れました! 私の名前は廻堂サクラ! この菩庵寿店主、廻堂 薫の一部であり、しかも一生離れることのない、あの方の半身(はんみ)な存在です! ……あら、意味がよくお分かりになりませんでしたか? ええっと半身っていう言葉の意味はですねー、あっお客様!! ほらほらっ、あそこをご覧になってくださいっ!! お分かりになりますか!? あの方がサクラのMyマスターですっ!! あんなにたくさんのフルーツを抱えてたった今戻ってまいりました!! では半身の意味は後ほどさせていただきますので改めて本日はよろしくお願いいたしまぁーす!! さぁ張りきってフィッティングルームへどーぞー!!」



 と心から誇らしげに話す電脳巻尺の高揚した声が、真夏の日差しがギラギラと降り注ぐ菩庵寿の引き戸の奥から元気よく聞こえてきたのだった。









              ―― 後日譚:『 二年後の世界 』 END ――

              最後までお読みくださりありがとうございました





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


★ http://www.nicovideo.jp/watch/sm21777409

【 ★「いいから黙って俺のブラジャーをつけやがれ」作品の、歌入り動画UP場所です ↑: 4分44秒 】


― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ