【 20 】 起きろよ いつまで寝てやがんだ
次の日の早朝。
眠っている可乃子や樹里を起こさないよう、部屋から慎重にサクラを担ぎ出す薫の姿があった。
物音を立てないよう気を使いながら菩庵寿内に相棒を運び込み、朝には顔を出すと言った漸次を待たずに起動させてみる。
悠長に漸次を待ってなどいられなかった。
サクラを愛玩少女に繋げた漸次は “ 心配しなくて大丈夫だ ” と断言したが、実際に相棒が目覚めるところをこの目で見るまで、昨夜から持ち続けている薫の不安が消えることはない。
―― 頼む 起きてくれサクラ
朝日がまだ空全体に行き渡っていないため、店内には光が足りない状態だ。
しかし照明をつけるという単純な行為にすら気が回らないほど、サクラのことで脳内が満杯になっている薫は、やや薄暗い店内で必死に目を凝らし、息すらも殺して相棒を見守る。
すると数秒でサクラの人工睫毛がかすかに震えだした。そしてそろそろと半分だけ開いた瞼の影から見える虚ろな瞳に、少しずつではあるが除々に光が戻り始めてゆく。
それまでただ沈黙を保つだけだったサクラの身体に明らかな変化を見て取った薫は、ついに逸る気持ちを抑えきれなくなり少女の身体を軽くゆすった。
「サクラ起きろよ。いつまで寝てやがんだ」
それでも紛い物の瞳は完全に見開かれない。
しかしいつもは短気なはずの薫は決して切れることなく、ひたすら「起きろよサクラ」と根気よく声をかけ続ける。
―― もしサクラが自分の補佐物として本当に使い物にならなくなれば、FSSに連絡し所定の手続きを踏みさえすれば代わりの電脳巻尺はおそらくいとも簡単に手に入ることだろう。
しかしそれでは駄目なのだ。
この昔堅気な女性下着職人、廻堂 薫が必要としているのは、あくまでも目の前にいるこの巻尺少女だけ。
サクラ以外は欲していない。
「おいサクラ、俺の声聞こえてんだろ? とっとと起きろって」
薫は声をかけ続ける。
機体に大きな衝撃を与えないよう気をつけながらも諦めずに何度かゆすっている内に、とろんとした瞳のサクラの口からついに言葉が飛び出した。
「……あ、れ……? Myマスタァ……?」
「気が付きやがったかっ!!」
サクラが内蔵の視覚センサーで自分を認識した喜びで、薫の顔に一気に安堵の色が広がる。そしてまだ半開きのサクラの目を開けさせようと、半分ほど垂れさがっている右瞼を親指の腹で上にぐいと押し上げた。
「ったく心配させやがって!! んな眠そうな顔してねぇでさっさと目を開けろっつーの!! もう朝だぞ!!」
「ふやぁっ!? わわわっ、なにが一体どうなってるんですかっ!? なんで今はもう朝で、しかもお店の中でMyマスターと二人きりなんですかぁー!?」
驚きでやっと完全に目を見開けたサクラの鼻を薫がぎゅっとつまみ上げる。
「このドアホ!!」
「ふがっ!?」
「過負荷とやらで強制停止装置が働いたんだとよ! お前、昨日俺と店まで競争だとかぬかしてがむしゃらに走りまくったり、今ならなんでも手伝えるとか息巻いて家ん中のことを延々とやったり、しまいにゃ可乃子と風呂場で長時間バカ騒ぎなんかすっからだぞ!!」
「ふがふが……そーだったんでふか……。それでサクラが必死に何度繋ぎなおそうとしても内部で強引に切られちゃってたんでふね……」
「つーかよ、一応今はお前の身体なんだろ!? テメェの身体のことぐらいテメェ自身で分かんねぇのかよ!?」
つまみ上げていた手を放して当然とも言える問いを投げかけると、サクラは鼻の頭をこしこしとこすりながらすぐに答えた。
「それがですねー、“ できるだけ色んなデータを取りてぇからお前は何も気にせず自分のやりたいように好きなだけ動け ”って野獣さんが仰って、この機体の仕様について全然教えてくれなかったんですよ。機体のマニュアルもわざとこの中から抜いちゃってましたし……」
「チッ、結局は全部あのオッサンのせいってとこに話は戻るんじゃねーか!」
「いえサクラも悪いんです。いくら好きなように動いていいって言われたからって調子にのってはしゃぎ過ぎちゃいました。もっとク-ルダウンする時間を取るべきだったんです。色々ご心配をおかけして申し訳ありませんでしたMyマスター」
立ちあがってペコリと神妙に頭を下げたサクラに「昨日のあの騒ぎで寿命ががっつり減った気がしたっつーの」と薫が毒づく。
「本当に申し訳ありませんです」
「……ま、だがお前もお前できっと肝を冷やしたよな。なんたって再起動不可なんてもんがそん中で出てきやがったんだからよ」
「はいっそうなんですっ! サクラもあの時は “ あぁもうMyマスターと永遠にお別れなんだ…… ” って思ったので悲しくて寂しくて頭がおかしくなっちゃいそうでした! でも、サクラがいなくなったら新しいエスカルゴをもらってくださいねってMyマスターにお願いしたら、“ お前以外のエスカルゴなんて要らねぇ ” って、あんなにきっぱりと仰ってくださいましたよねっ! エヘヘっ、だからサクラ、最後はすっごく幸せな気持ちになって落ちることができたんですよっ!!」
「当たり前だろ。お前以外の巻尺なんて死んでも使わねーよ」
「あぁMyマスター……!! もう心の底から大好きですっっっ!!」
気絶前に体験したその感動と、再び専属操作者の元に戻れた喜びとが相まって、感極まったサクラが薫にぎゅうっと抱きつく。しかしその力が抱擁の範疇を完全に超えていたため、上半身をギリギリと締め上げられた薫は大きく顔をしかめた。
「おいサクラ! 抱きつくならもうちょいパワー落とせよ! 俺とプロレスでもおっぱじめるつもりかお前は!」
「あわわっ! 申し訳ありません!! つい嬉しさのあまり……。えっと、じゃあこれぐらいの力なら痛くないですか?」
サクラが抱きつく力の匙加減に四苦八苦している最中、目が覚めた樹里が店内に入ってきた。そして元気に動いているサクラを見て驚きと喜びの声を上げる。
「サクラ!? あなた動けるようになったのね!?」
「あわわっ樹里様っ!?」
慌てたサクラが物凄いスピードで薫から離れる。そんなサクラを見て樹里はくすっと笑った。
「いいのよサクラそんなに慌てなくても。どうぞ好きなだけ薫とくっついて」
「ええええええぇっっ!? それはどういう意味なのでしょうか!?」
「だってサクラは薫のかけがえのないパートナーだもの。これからも、ずっとね」
「ママママッMyマスター!! 樹里様のご様子がなんかヘンですっ!! サクラをあなたの伴侶だって仰ってます!! どうしましょうどうしましょう!?」
「何が変なんだよ。別におかしなことは言ってねぇだろ」
あたふたとしているサクラの鼻を薫がピンと指で弾く。
「ふがっ!?」
「樹里は俺の女房で、お前は俺の半身だ。可乃子は俺の妹で、そんで俺らは家族だろうが。なぁ樹里?」
「えぇその通りよ。薫、サクラを起動させてみるのなら私も起こしてくれればよかったのに」
「いや起こそうかと思ったんだけどよ、さっきお前の額触ったらまだ熱ありそうな気がしたから止めといた。どら、もう一度見せてみろ」
薫はその場にサクラを残し、樹里に近寄るとそのなめらかな額に手を当てて体温を探ってみる。
「……やっぱ少し熱あんな。今日朝一で病院に行ってこい。いいな?」
「うん。薫がそう言うなら行くわ。そういえば少し身体がだるいような気がするし、早めにお薬飲めば風邪をこじらせないですむものね」
「おう。お前になんかあったら大変だからな」
「薫も今日から早く寝てね」
「分かってるって。今日は約束通り可乃子より早く寝てやるよ」
「昨日約束してくれたものね。じゃあ私も一緒に寝ていい?」
「当たり前のことを言ってんじゃねーよ」
薫はニッと口の端を上げ、樹里の右頬にばらけてかかっていた数本の髪を指ですくって耳にかけてやる。
「女房が亭主と一緒に寝ないでどうすんだ。夕飯食い終わったら俺についてこい」
「うんっ」
二人が醸し出している雰囲気が自分がいままで見たことがないようなかなりのいい雰囲気になっているため、その甘ったるい空気に当てられたサクラは紛い物の瞳をキラキラと輝かせながら薫と樹里を食い入るように見ている。
「うわわわぁっ!! もしかして今のお二人って超ラブラブモードに入ってらっしゃいます!?」
樹里はクスリと笑うと「どうなの?」と薫を見上げた。
野次馬質問の回答役をさりげなく渡された薫は、仏頂面ながらもその与えられた役目をきっちりと果たす。
「くだらねぇことを聞くんじゃねーよサクラ。惚れた女を大事にして何が悪いんだっつーの」
そんな薫を見たサクラはさらに大興奮だ。
「わぁっっ!! 樹里様にそんな風に仰るMyマスター、サクラ初めて見ましたっ!! もうっ、やればちゃんとお出来になるんじゃありませんかー!! 素敵ですよMyマスター!! 見直しましたっ!!」
「うっせーな、茶化すんじゃねーっての。それよりサクラ、お前樹里と一緒に病院に行ってやれや。朝一で行けば店が開く前に戻って来られんだろ?」
「はぁーいっ!! 了解ですMyマスター!!」
「えっ」
薫の命令に驚いた樹里が急いで胸の前で手を振る。
「薫、大丈夫よ。病院ぐらい一人で行けるわ」
「いいから言うこと聞けよ。俺がついて行ってやりてぇが、店を開ける準備があるからな。いいなサクラ?」
「はぁーい! すべてはこのサクラにどーんとお任せくださいっ! 樹里様が診察を受けられる時も同席しまーす!」
「あぁ俺の代わりに頼むぞ。それとお前、病院でぎゃーぎゃー騒ぐような真似すんなよ?」
「もちろんですよ! 病院の付き添いなんですからそれぐらいのマナーはサクラだって分かってますって!」
「ならいいがよ。おい樹里、お前はもうちょい寝てろ。後で可乃子起こすついでに起こしてやっから」
「大丈夫よ微熱があるくらい。朝ごはんの支度するわ」
「今日は俺がやるからいい。お前は横になってろ」
「でもあなただってほとんど寝てないのに……」
「いいから無理すんなって。俺はそんなにヤワじゃねぇよ。それに昨日お前言ってただろ、俺に何かあればお前や可乃子が困るってよ。ってことはもしお前に何かあったら俺だって困っちまうんだぞ? 分かったらおとなしく寝てろって。な?」
「……うん」
目を伏せた樹里の頬が紅く染まったのは、微熱があるせいだけではなさそうだ。
「よし、じゃあ部屋に戻ってろ」
樹里はこくりと頷くと、去り際に薫の頬に軽くキスをしてから軽い足取りで戻って行った。
そんな二人のやり取りの一部始終を目を輝かせ、ワクワクした様子で見守っていたサクラだったが、樹里が店内からいなくなると急に肩と声を落とす。
「あぁMyマスター、申し訳ありません……」
「あ? なんだよ急に」
「きっと樹里さまが発熱なされたのは夏風邪をお引きになったせいだけじゃありません。きっとこの愛玩少女の件で昨日あんなに心をお乱しになったからです。多分サクラのせいです……」
「んなこと関係ねーよ。風邪引いたら熱が出んのは当たり前だろうが。お前が気にすることなんてねぇよ。それにあいつはもうそのアンドロイドのことは何も気にしてねぇさ」
「そうでしょうか……」
「あぁ。昨日あいつと腹を割ってじっくり話し合ったしな。そいつに関してはお互い納得済みだから安心しろ」
「樹里様がご納得済み?」
「おう。今回のような騒ぎは二度と経験したくねぇがよ、あいつが俺には過ぎた女房だってことが昨日は骨身にしみて分かったぜ」
「Myマスターがそこまで仰るなんて……。あっ! サクラ、今理解できたような気がします! そのじっくりと腹を割ったお話し合いと、Myマスターの樹里様への思いやりの意識改革の結果、今日のお二人はこんなにもラブラブになられているというわけなんですね!?」
「おいサクラ!! お前さっきからそのラブラブとかいう気色悪ィ言い方を止めろ!! 聞いてるだけで身体が痒くなってくるっつーの!!」
そうサクラを怒鳴りつけた直後、今度は可乃子が店内に姿を現す。
「サクラっっ!! ホントに直ったんだね!!」
「あっ可乃子様っ!!」
「サクラ――ッ!!」
「可乃子様ああぁー!!」
二人はお互いに駆け寄るとしっかりと抱き合ってきゃいきゃいと騒ぎだす。
「もうっ! 昨日はすごく心配したんだよサクラ!!」
「ご心配をおかけして申し訳ありません可乃子様!」
「でもサクラが無事に起きてくれてからもういいや!!」
「はい! サクラも可乃子様とまたお会いできて嬉しいです!!」
少女たちの大騒ぎな感動の再会を眺めていた薫が、「今日は随分と早いじゃねぇか可乃子」と妹に声をかける。
「あのね、樹里お姉ちゃんが可乃子を起こしに来てくれて、サクラが直ったことを教えてくれたの! それよりお姉ちゃん、ちょっと熱があるんだってね。大丈夫かな?」
「大した熱じゃねぇから大丈夫だろ。念のために病院には行かすがな」
「可乃子様っ、サクラが樹里様に付き添うんですよー!」
「ホント!? サクラが一緒に行くならお姉ちゃんも安心だね!!」
「はいっ!! サクラにお任せなのです!!」
「でもサクラが直って本当に良かったー!! ねぇサクラ、可乃子、今日学校が終わったらサクラとお買いものしたい! お店をちょっと抜けることって出来ないの?」
「そ、それは無理ですよ可乃子様! サクラはMyマスターがお仕事をなされている時は片時もそのお側を離れることはできないのです!」
「やっぱりそうだよねー。ごめん、一応聞いてみただけっ」
「申し訳ありません、せっかく誘っていただいたのに……」
「いやいいぜ。行ってこいよサクラ」
少女たちの話を聞いていた薫が唐突に許可を出す。
仕事中毒なはずの主の口から予想もしない台詞が出てきたことにサクラは戸惑いを隠せない。
「い、いいんですかMyマスター!? だって可乃子様が学校からお帰りになる時刻って、まだお仕事中のお時間ですよ!?」
「いや今日は早く店を閉める。樹里の塩梅も良くねぇし、俺も今日は完徹してっから疲れた」
「ええーっ!? 昨日から全然寝てらっしゃらないんですか!? あっもしかしてサクラが落ちてしまったせいで……!?」
「いやそうじゃねぇよ。お前が落ちた原因は昨日オッサンから聞いたから朝まで待つしかねぇのは知ってた。迅速生産でブラジャー作ってたから完徹しちまっただけだ」
「んんー? 今ラピッドで請けていたご注文ってありましたっけ……? サクラの記憶ではないのですけど……」
「お前が知らない時に請けた注文だからな。お前は分かんねぇさ」
「じゃあサクラが落ちていた時に入ったご注文なんですねっ。でもでも完徹なんてなさったらダメですよー! Myマスターの目の下のクマ、昨日よりひどくなってらっしゃいますもん! これ以上樹里様にご心配をかけてはいけませんです!」
「分かってるって。もう無茶はしねぇよ。これで終わりだ。おい可乃子、今日は五時に店を閉めっからその後ならサクラと出かけていいぞ」
「やったぁ! ありがとうお兄ちゃん!! サクラ、学校終わったら急いで帰ってくるから待っててね!!」
「ハイ!! サクラ、楽しみにしてますっ!!」
この人型の姿で可乃子とショッピングに行けることになったサクラの声が大きく弾んだ。期待の表れなのか、瞳の奥がかすかに点滅している。
薫はそんなサクラの姿を満足そうに横目で眺め、その場で大きく伸びをした。
「よしっ、そろそろ飯の支度でもすっか!」
「あっお兄ちゃん、可乃子も手伝うー!」
「サクラもですっっ!!」
「先に行こっサクラ!!」
「はぁいっ! 可乃子様っ!!」
しっかりと手を繋ぎ、仲良くキッチンへと駆け出して行った可乃子とサクラに、「おいお前ら!! 家ん中でドタドタ走んじゃねぇ!!」と薫が怒声を浴びせた。
怒鳴られた少女たちはすぐに走るのを止めたが、片方の少女がもう一人の少女に笑みを含んだ小声で耳打ちを始める。
「ねぇねぇサクラ、今お兄ちゃんが怒ったのってさ、可乃子たちの走る音で眠ってる樹里お姉ちゃんが起きちゃう、って焦ったからだよきっと!」
「ふふっ、サクラもそう思いますっ。なんたって今日のお二人は超ラブラブモードにお入りになられてますからねっ!」
「なになにそれ!? 聞きたい聞きたいっ!」
「かしこまりました! ではMyマスターのいらっしゃらない所でこっそりお教えいたしますですっ」
「うんっ! じゃあ可乃子も昨日お店の中で見ちゃったことをサクラに教えちゃうよ! お兄ちゃんたちってばホントにすごかったんだからっ!」
「わぁっ楽しみですっ!」
―― 恋バナに興味深々な年頃の少女たちはキッチンの片隅でこそこそと耳打ちを続け、薫に隠れてのセキララガールズト-ク祭りの近日開催を密かに決めたのだった。




