【 16 】 どっちかなんて言えるわけねぇだろうが
「もうっ薫ってばこんな所で……。さっきあれだけしたじゃない……」
【 仕置き第二弾 in 菩庵寿 】 がようやく終わり、作業台から身を起こした樹里は、大きく着崩れてしまったチアリーダーのユニフォームを恥ずかしげに直しながら、薫をやんわりと責める。
しかし非難された薫はまったく悪びれてなどいないしれっとした態度で、先ほど樹里が脱いだ服やエプロンを妻の側に放り投げた。
「ぐだぐだ言ってねぇで終わったんだからさっさとそれを着ろや。冷房は切っといたが本格的に風邪引いちまうぞ」
「本当に勝手なんだから……」
寝かされていた作業台から降りた樹里が小さな愚痴を零す。
「うっせーな。俺が自分勝手なのは今に始まったことじゃねぇだろ」
あまりにも堂々とした夫のその開き直りに、樹里は「そうね」と諦め気味に笑うと自分の服を手にフィッティングルームへと消えていく。
専属型式の仕事はすでに終えているのでさすがにそれもここで着ろとは言えない薫は、樹里が更衣室に入ってゆくのをさりげなく視界の端で追った。
「おい」
衣擦れの音がかすかに聞こえてくる小部屋に向かって呼びかける。すぐに「なぁに?」という樹里の声が中から返ってきた。
「明日になっても平熱に戻ってなかったら病院に行けよ?」
命令口調で樹里に指示する。
自分の性格上、素直に謝ることはできないが、夏風邪を引きかけている樹里をまた襲ってしまったことは一応薫なりに反省はしているのだ。
「えぇ。でもきっと大丈夫よ」
「…………」
樹里の着替えが終わるまで手持無沙汰になった薫は、落ち着かない様子で両手を組み合わせ、指の関節をバキバキと鳴らして暇を潰し出す。
こうして挙動不審となっている原因は、“ おい、あれを言うなら今だぞ ”ともう一人の自分が心の中で言っているせいだ。
結局、半日をかけても「女が喜ぶようなキザな台詞」なんてスカしたものを思いつくことは出来なかったが、漸次の助言通り、自分の頭だけで考えた、樹里に言っておきたい台詞はすでに出来ている。
言うなら今だ。今しかないと思う。
しかし小っ恥ずかしいから出来れば言いたくない。それが本音だ。
―― なんでいちいち言葉にして伝えなきゃいけねぇんだ
惚れてなきゃ一緒になってねぇだろ
なぜそれが分からないのか。
もし分かってるならそれでいいじゃねぇか。
だがサクラからはもう少し樹里に温かい言葉をかけてあげて下さいと言われているし、漸次からも嫁さんを大事にしてやれと言われている。
自分では樹里を大事にしているつもりなのだが、どうやら妻に対する自分の思いは傍から見ればまだまだ重みが足りないようだ。
とはいえ、「大好きだ」だの、「誰よりも愛してる」だの、「例えこの世界が消え失せてもお前だけを想い続ける」だのと、歯が浮きまくって挙句にそのまま全部抜けてしまいかねないような甘ったるい台詞はこの先も絶対に言うつもりはない。
だが。
自分が選んだ生涯の伴侶がそれで喜ぶのであれば、自分が何とか言える範疇での多少の小っ恥ずかしい台詞はあいつのために言ってやるべきなんだろう。
それが今の薫が出した結論だった。
だからこそ足りない頭で考えたのだ。自分なりの樹里への思いを。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
着替え終わった樹里が、脱いだユニフォームを手にフィッティングルームから出てくる。
「あのよ樹里」
「なに?」
「それとお前にもう一つ言っときたいことがあんだ」
「えぇっ!?」
蓄財を投げ打ってのアンドロイド購入希望に続き、またあらたな別口のカミングアウトが始まりそうな予感に、反射的に身構えた樹里の瞬きの回数が途端に多くなる。
「まだ何かあるのっ!?」
「お、おう」
薫はこれ以上無いくらいの仏頂面で腕を組むとそう相槌を打った。
樹里は勢い込んで尋ねる。
「それっていい話!? それとも悪い話!?」
「あぁ!? いい話か悪い話かだと!?」
「えぇ、心の準備をしておきたいの! ねぇどっち!?」
予想もしていなかった質問に、薫の鼻の頭がみるみると赤らんでいく。
無骨な下着職人は大きく狼狽しながら「ど、どっちなんて言われたって知んねーよ!! んなこと俺の口から言えっか!」と逆切れをかますしかない。
しかしこれから何を言われるのかがまったく分からない樹里からしてみれば、薫のその態度は完全に理解不能だ。
「なぜ? だってそれが私にとっていい話か悪い話かぐらい分かるでしょ?」
「だっだから んなもん知らねーっつってんだろ!? お前が聞いて判断しろや!!」
「ヘンな薫……。いいわ、じゃあ言ってみて」
怪訝そうな顔をしながらも樹里は聞く姿勢を取ってくれた。
だが、こんなおかしな空気になってしまった中で自分が必死に考え抜いた樹里への決め台詞など最早言えるわけがない。
「や、やっぱいい!! なんでもねぇよ!!」
「そこまで言いかけて止めるなんて……。気になるからちゃんと言って薫」
「なんでもねぇって!! 忘れろや!!」
「ダメ。言って。言わないと許さない」
「ぐ……」
強い口調で詰め寄る樹里に薫はたじたじだ。
またしても一時的に主従関係が逆転している。
「たっ、たいしたことじゃねーんだってマジで!」
「じゃあなおさら言えるでしょ? 言って」
ひとまずここは何か言わねばならないようだ。
「い、言やぁいいんだろ! じっ、実はよ…」
ここで何か別の話題を出してこの場を切り抜けようとした薫だったが、何分頭の回転があまりよろしくないのでそこから先の言葉が出てこない。
まさかここで「明日の晩飯はなんだ?」などと言っても樹里にもっと不審がられるだけだろう。
―― 畜生やっぱ言うしかねぇのかと薫が腹を決めたその時、事態は急転する。
風呂場の方角から突然、
「お兄ちゃあああああああんっ!! 来てえええっ!! 早く来てぇええええええええええ!!」
と兄を呼ぶ可乃子の絶叫が響いてきたのだ。
妹の金切り声に薫と樹里は弾かれたように一度顔を見合わせ、二人揃って脱衣所へと駆けつける。
「どうした可乃子ッ!?」
「お兄ちゃん!! サクラおかしい!! 急に倒れて苦しがり始めてるの!! お兄ちゃんもしかして “ さっさと寝ろや ” って言った!?」
「今は言ってねーよ!! 俺は何もしてねぇ!! おいサクラ!! しっかりしろ!!」
薫はパジャマ姿でへたり込んでいる可乃子の前に割り込み、可乃子と色違いのパジャマ姿で倒れているサクラを素早く抱え起こした。肩を強く揺さぶると、薫の腕の中でサクラがゆっくりと目を開ける。
「マ、Myマスター……?」
「おう! どうした!? 身体ん中がおかしいのか!?」
「はい……急に身体に力が入らなくなって……。このままだとサクラのデータを保護する前に強制的に主電源が落ちちゃいそうです……」
「バッテリー切れか!?」
「いえまだそれは充分に残ってます……」
「残ってるだと!? ならなんで身体が動かねぇんだよ!?」
「分かりません……。でも回路の強制切断が中で何度も始まってます……。サクラ、その度に抵抗して必死に繋ぎ直してるんですけどその動作が全然止まらなくて……。サクラはきっとこのまま負けちゃいます……。あぁMyマスター、どうか先立つ不孝をお許しください……」
「バッバカ野郎!! 縁起でもねぇこと言ってんじゃねーよ!! オッサンの所に連れてってやるから踏ん張れや!!」
「そ、そこまで持ちそうにありません……。再起動不可の警告が出てきちゃってますから……」
「再起動不可だとッ!?」
サクラが口にした無慈悲なその単語に薫の背筋に冷たいものが流れる。
機械にとっての再起動不可とはおそらく人間にとっての死と同列。あまりの事の重大さに、隣にいる樹里の顔も青ざめている。
「じゃあもしこのまま電源が落ちちゃったらサクラはもう二度と……!?」
「クソッ!!」
薫はヒビが入りそうになるぐらいにギリリと奥歯を噛みしめ、ハァハァと苦しげな息を吐いているサクラの頭を抱きかかえた。
「させるかよ!! 樹里!! 家のこと頼む!! 俺はこいつ連れてオッサンの所に行ってくる!!」
「お止めくださいMYマスター……。今から向かっても間に合いません……。せめてお客様のデータだけはなんとしても残したかったんですが、も、申し訳ありません……」
「んなもんどうでもいい!! お前はもう喋んな!! 落ちないようにだけ踏ん張っとけや!!」
「む、無理です……。もう本当に持ちません……」
「駄目だっ持たせろっっ!! お前がいなくなっちまうなんて絶対に許さねぇぞ!!」
「Myマスター……」
凄まじい形相で怒鳴る薫の顔にサクラの手がそっと当てられる。
そして専属操作主に忠誠を誓う補佐物からの別れの言葉が告げられた。
「夢だった人型になれて……、大好きなMyマスターにこうして抱きかかえていただけて……、サクラは、もう何も思い残すことはありません……。あなたとはここでお別れのようですが、い、今まで、本当にありがとうございました……」
「やっ止めろっバカ!! 何くだらねぇこと言い出してんだ!! お前がいなくなっちまったら俺はどうすりゃいいんだよ!?」
するとサクラは主を安心させようと最後の力を振り絞って弱々しく微笑む。
「大丈夫ですよMyマスター……、サクラが動かなくなったら女性下着縫製協会に連絡をしてください……。そうすればすぐにピカピカで可愛い電脳巻尺があなたの元に…」
「ふざけんなああああああああああああああああっっっ!!!!」
サクラの言葉を遮り、薫は腹の底から絶叫する。
「お前以外の巻尺なんて要らねぇんだよ!!!! なぁ頼む!! 目開けてろ!! 助ける!! 絶対に俺がお前を助けるから諦めんなっっ!! 諦めねぇでくれ!!」
自分の頬に当てられたサクラの手をぎゅっと掴み、薫は必死に励ました。
しかし血を吐くようなその熱い懇願も、容赦のない現実が手心一切なしで叩き潰していく。
「お、おいサクラッ!? なんで震えてんだ!? しっかりしろっ!!」
サクラの身体がまるで痙攣しているかのようにガクガクと大きく震えだし始めた。
紛い物のその瞳は薫に一心に向けられているのに、瞳孔が左右に大きくブレている。
「あ、あぁ……もうダメです……。あなたが……見えなくなって…きま…した……」
「サクラッ!? おいサクラああああああぁぁぁ!! 止めろおおおおおおおおおお!!」
「さ、よな、ら……。だい、すき、な My マ ス タ……………」
―― 不意に痙攣が止まった。
握りしめていたサクラの手に今はなんの力も入っていない事に気付いた薫がおそるおそるその手を放してみると、模造の腕は重力に従ってダラリと下に垂れさがり、そのままドサリと床へと落ちる。
薫の命令を忠実に守ろうとしたのか、両瞳は見開かれたままだが、そこには最早虚ろな光しか宿っていない。
「サクラ死んじゃったの……!? や…やだぁああああああああああああ!!!!」
涙声で絶叫する可乃子の肩を、同じく涙を浮かべた樹里がそっと抱いてやっている。
混乱する室内で、無音の躯と化してしまったサクラを抱えた薫は肩を震わせて吐き捨てた。
「バカ野郎……!! なんで諦めちまうんだよっ!!」
薫は命令を守らなかった相棒を叱り飛ばすと全力で抱きしめる。
しかしどんなにきつく抱きしめ続けても目を見開いたままのサクラは動く気配をまったく見せなかった。