【 8 】 反省してんなら態度で示せ
「お帰りなさい薫」
たくさんの野菜を抱えた美しい妻が薫に向かって柔らかく微笑みかける。
しかし突然帰ってきた樹里を目にした薫は目を剥いた表情で固まるばかりだ。
考えてみれば無理もない。
下着職人としての純粋な好奇心と己の技術向上のため、破天荒な万能工匠、如月 漸次の作品を観察していたとはいえ、そのことを知らない樹里から見れば、邪な下心でサクラのスカートの中を熱心に覗いているだけにしか見えていないと思っているせいである。
「樹里様っ! どうか誤解なさらないでください! これは違うんです! Myマスターはヘンなお気持を抱いてサクラにこんなことをなさっていたんじゃないんです!! 実はサクラが今穿いているのはオールラウンダーさんの作品ですので、だからご覧になってらっしゃっただけなんです!! 決して今のサクラが愛玩少女だからとかホントにそーいう理由じゃないんですっっ!!」
敬愛するマスターの窮地を救おうと必死に釈明を始めたのはサクラだ。
何度も薫を庇った後、主の右肩から慌てて片膝を下ろし、「そうですよねっMyマスター!?」と薫に同意を促し出す。
しかし相棒のこの絶妙なフォローに対し、専属操作主である薫は不機嫌そうに下唇を突き出すだけで何も答えない。
「どうして何も仰らないんですかっ!? さぁMyマスターもきちんと樹里様にお話しになってください!! Myマスターはこの先お受けになるオールラウンダー試験に備えて野獣さんの作品をご覧になっていただけだって!!」
焦った少女の声のトーンが絶叫の一歩手前まで到達した。
だがそれでも薫は無言を貫いて立ち上がる。
「あぁっどこに行かれるんですかMyマスター!? いなくなられたらダメですよぅー!! ここで何も仰らなかったら樹里様に永遠に誤解されちゃうじゃないですかぁー!!」
「知るか。誤解したけりゃ勝手にしてろや」
そう言い捨て、薫が居間へと去ってゆく。
「樹里様っ! 本当なんです!! 本当にサクラが穿いているのはオールラウンダーさんがお作りになった物なんです!! 野獣さん…じゃなくって如月漸次様の作品なんです!!」
「そんなに必死にならなくても大丈夫よサクラ。ちゃんと分かってるから」
「ではサクラの話を信じてくださるんですかっ!?」
「えぇ、もちろんよ」
サクラはホッと安堵の吐息をつくと、捲れあがっているスカートの裾を両手で素早く直し始める。
「あぁ良かったぁ……。またサクラのせいでお二人が喧嘩なされたらサクラは耐えられませんでしたもんっ。でも樹里様、どうしてMyマスターは樹里様に何も仰らないであちらにお行きになられてしまったんでしょう?」
「きっと私に怒っているからでしょう。当然だわ」
樹里は静かに目を伏せる。
「さっきはごめんなさいサクラ。あなたは何も悪くないのに私が取り乱しちゃったから薫もあなたもここにいられなくなったんですものね」
「あんなに怒った樹里様、サクラ初めて見ましたよー!」
「えっそんなにすごかった!?」
「はいっ! とってもすごかったです!」
「そ、そう……」
いたたまれなくなった樹里はおそるおそる、と言った様子で「薫も驚いてた?」と尋ねた。
ここは樹里を気遣って「そんなことはない」と言うべきではあったが、空気を読むことが少々苦手なサクラはニッコリと笑い、無邪気に頷く。
「はいっ! Myマスターもあんなに怒った樹里様は初めて見たって仰ってましたよ!」
サクラの馬鹿正直な返答を聞いた樹里の整った顔に、ほんのわずかだけ悲しげな影が落ちる。
「私、薫に嫌われちゃったかしら……?」
「あっ、そんなご心配ならご無用ですよぅ!! えっとここだけのお話ですが実はさっきですねー…」
仮の身体を漸次に返却する前にこっそり使う気はないのかと薫に尋ねたいきさつを、サクラが樹里に話す。そして最後は薫に一蹴されたことまで伝え終わると、「ですからMyマスターは樹里様だけを愛しておられるのです! だから何もご心配なさることはありません!」との言葉で締めた。
それを聞いた樹里は胸の前で抱えている野菜を再び持ち直し、サンダルを脱いで急いで玄関先へと上がる。
「薫にも謝らなきゃ。薫のところに行きましょう」
「はぁーい!! あ、樹里様っ、今サクラが話したことはMyマスターには絶対にナイショにしておいてくださいねっ! “ なんでお前はそうなんでもかんでもベラベラ喋りやがるんだぁぁ!! ” ってサクラが怒られちゃいますから!」
するとその光景を想像した樹里がクスリと笑った。
「薫ならきっとそう言うでしょうね」
「はいっ、仰る確率は100%だと思います! ですからこれはサクラと樹里様だけの秘密にしてくださいね! ではではいざMyマスターの元へまいりましょう!」
樹里とサクラが居間に入ると、ソファに座っていたこの家の主はまだ不機嫌そうな表情をその顔面に張り付け、新聞を読んでいる。
「薫」
名を呼ばれた薫は新聞から手を離さずにその端から樹里をジロリと一瞥した。
「なんだよ」
「あの、さっきはごめんなさい。一人で取り乱しちゃって……」
「…………」
「裏の須藤さんに話があるから来なさいって呼ばれてたの。須藤さんにゴボウでお仕置きされたんですって? サクラのことをあなたの愛人だって勘違いなさっていたから、サクラが今だけアンドロイドになっていることをお話しして誤解を解いてきたわ。そしたら須藤さんが “ 勘違いして済まんかったね ” ってあなたに謝っておいてほしいって仰って、こんなにたくさんの野菜を下さったのよ」
「あぁ!? 今さら遅せーよ!!」
怒号が響いた。
薫は樹里が抱えている野菜に一瞬視線を向けた後わざとバサバサと大きく新聞紙をめくり、荒々しい口調で積りに積った怒りを吐き捨てる。
「見ろ!! こっちはあの勘違いババアの仕置きで頭が泥だらけになっちまったっつーの!! ったくお前といい、須藤のクソババアといい、女のヒステリーは始末に負えねぇな!! 少しは人の話を聞けってんだ!!」
「ごめんなさい……」
夫の逆鱗に触れ、落ち込む樹里をサクラが庇う。
「Myマスター! 今のその仰りかた、すごく嫌味っぽいですよぅ!」
「横から口を出すんじゃねぇサクラ!! 全部事実だろうが!!」
「いーえ! 例え奥様が少々取り乱されても、それを穏やかに受け止める雄大な心を常にお持ちになることがご立派な旦那様のお姿だとサクラは思いますっ!」
「ケッ、あいにくだが俺はできた亭主じゃないんでな!!」
憤然とする薫が紙面を複数枚つかんで一気にめくったため、また新聞がガサガサと派手な音を立てる。
「えぇー! ここでそういう開き直りをなされちゃうんですかー!? それってすごくカッコよくないですよぅMyマスター!!」
「いいのよサクラ、悪いのは私なんだから……」
「でもでも樹里様がちゃんと謝ってらっしゃるのにMyマスターの態度はどうかと思います! Myマスター! Myマスターはさっきあんなにカッコイイことをサクラに仰ったのに、これじゃサクラのさっきの感動が思いっきり半減しちゃうじゃないですかぁー!」
「うっせーな!! 勝手に人の側に寄ってきてピーピーギャーギャーとなんなんだお前らは!! いいから黙ってろ!! お前らのせいでおちおち新聞も読めねーじゃねーか!!」
苛立ちも頂点に達した薫がそう一喝して樹里とサクラを黙らせようとする。しかし空気の読めない相棒から即行でツッコミが入ったのはその時だ。
「あの~Myマスター? ここに入って来た時からいつお伝えしようかと迷っていましたが、お手にされているその新聞、思いっきり逆さまなんですけどぉー?」
「なにぃ!?」
浴びせられた無情なツッコミに慌てて目の前で広げている紙面を見ると、確かに上下の位置が見事に逆転している。
「うふふふっ、Myマスターってばそうやって新聞を読んでいるふりをなさって、実際は樹里様の動向をさりげなく気にかけてらっしゃったんですね! アハッ、すっごくかわいいですっ!」
「ぐっ……」
可愛いと言われてサクラにケラケラと笑われるも、自分の思惑を完全に見透かされてしまった薫は返す言葉がない。
手にしていた新聞をテーブルに叩きつけてソファから立ち上がろうとした時、樹里が抱えていた野菜を置いて薫の隣に座った。そして夫が居間を出ていかないよう、そっとその右腕に自分の腕を絡める。
「薫、私、チェリッシュなんて存在を今まで知らなくって、そんないやらしいものがうちに置かれるってことにさっきは思わず動揺しちゃったの……。でもこのアンドロイドを預かるのはたった一週間なんだし、薫もその機能は使わないってはっきり言ってくれたし、もう何も言わないわ。さっき取り乱したこと、本当に反省してます。だから機嫌直して……?」
「…………」
薫は隣に座る樹里に横目で鋭い視線を送る。
「お願い薫」
わずかに潤んだ瞳を揺らし、美しい妻の桜色の唇から再度の懇願が漏れた。
しかしすがりつくような視線で自分を見上げて許しを請う樹里に対し、その口から出てきたのは「分かった今回は許してやる」といった類の寛容な言葉ではない。
「さっさと寝ろや」
薫の口から出てきたのは完落ち単語。
そして薫が発するこの緊急停止用のキーワードに反応するのはこの家では一名だけだ。
「ひゃんっ!?」
少々素っ頓狂な声を上げ、メイド服姿の少女がビクンと身体を反らす。そしてそのままゆるゆるとした動作でその場にクタリと座り込んだ。
「サクラ!?」
強制的に電源を落とされてしまったサクラの紛い物の瞳から光が急速に消えていく。
確かに自分たちに落ち度があるとはいえ、このあまりの横暴さに樹里が非難の言葉を叫んだ。
「薫っ、なぜサクラを緊急停止させるの!? うるさいから!? 新聞のことを茶化されたから!? でもそれってあんまりだわっ!!」
「しゃーねぇだろ」
「なにがしょうがないの!? ひどいわ!」
「うっせーなぁ。だからぎゃーぎゃー喚くなっつーの」
連日深夜まで行っているブラ製作で溜まってしまった肩の凝りをほぐすため、首を左右に回しながら薫が立ち上がる。
「こうしないとこいつに全部聞かれちまうぞ? こいつは省電力モードの時でも周りの音をちゃっかりと拾って内部に溜めこんでやがるからな。お前だってこいつに聞かれるのは嫌だっていつも言ってんだろうが」
「な、なんのこと?」
「いいか樹里」
立ち上がった薫が上から樹里を指さす。
「反省した反省したってお前が何度繰り返し言ったってな、んなモンなんの意味もねぇんだよ。反省すんだけなら猿でもできるっつー言葉を知らねぇのか」
「で、でも本当に反省してるし……」
「うっせぇ口応えすんな。まだ可乃子が帰ってくるまで時間があっから今度は俺がお前にたっぷり仕置きしてやるよ。言っとくが嫌とは言わせねぇからな?」
「あっ……!」
ようやく薫の言っている意味が分かり、樹里の顔が見る見るうちに紅く染まっていく。
「おい、なにいつまでもそこにボケッと座ってんだ。反省してんならさっさとついて来いや」
寝室に行きかけていた薫が居間を振り返り、ついてこない樹里を戸口で急かす。
「え、えぇ……、分かったわ……」
熱を持った自分の頬に片手を当て、貞淑な妻は恥じらいながらもソファから立ち上がる。そして亭主関白で我がままで超気短な夫の指示にそのままおとなしく従ったのだった。




