【 6 】 それがお前の望みなのかよ
「チッ、あのクソババアのゴボウ攻撃で頭が土だらけだぜ」
季節外れの茶色い粉雪が目の前を舞う中、薫が自分の鶏冠頭を忌々しそうに手で払いだす。するとそれを見たサクラが、腰を下ろしたばかりの切り株型のベンチからものすごい速さで立ち上がった。
「あっそのまま動かないでくださいMyマスター!! サクラが落とします! サクラにやらせてください!」
「おう手間かけて悪いな。頼むぜ」
「いいえとんでもありません! 樹里様がお側にいらっしゃらない時はサクラがあなたのお世話をするのが当然です! ではMyマスター、申し訳ありませんがもう少しだけ頭を前方に傾けていただけますか?」
「こうか?」
「はい! 少しの間そのままの姿勢で我慢していてくださいねっ」
草むらに座る薫の前に駆け寄り、鶏冠頭に付着している泥を甲斐甲斐しく取り始めたサクラだが、なぜかその最中にくすっと小さな笑い声を上げる。
頭上からそんな笑い声を浴びせられた薫は不貞腐れた様子で下唇を突き出した。
「なんだよ急に笑い出しやがって。俺が須藤の婆さんにゴボウでしばかれたのがそんなにおかしいのかよ」
「いいえ違います!」
毛髪の隙間に散らばっている小さな泥粒を器用につまみながらそう答えたサクラの声は、興味津々の声色だ。
「Myマスター、サクラは知ってるんですよー? この場所って、ご結婚前の樹里様とMyマスターが二人っきりでラブラブお散歩をなされた思い出の場所なんですよねっ!?」
「い゛ぃっ!? なんでお前それを知ってんだよ!?」
「あぁっ動いちゃダメですよぉー! まだ土がついてるんですから頭はこのままですっ!」
動揺して顔を上げかけた薫の首根っこをサクラが上から押さえつけた。フルパワーで押さえつけられた薫の身体が大きく前のめりになる。
「ぐわっ! おまっもう少し手加減しろよ!」
「す、すみません! まだ力の加減がわからなくって……」
「このまま額をかち割られるかと思ったぜ」
元の位置にまで頭の高さを戻した薫は、「で、なんでお前がその事知ってんだよ!?」とサクラを追求する。
「あの時お二人がお散歩からお戻りになった後、どこにお出かけしてきたんですかって樹里様にお聞きしたんです。そしたら樹里様がこの場所でMyマスターとお話ししたことを教えて下さいました。Myマスターはその時にお父様の映像をお見せになったんですってね」
「あいつ、んなことまでお前に喋ったのかよ!? どうしてお前ら女ってのは後先考えずに一から十までなんでもかんでもベラベラと喋りやがるんだ!!」
「そんな風に仰らないでくださいMyマスター。だって嬉しかったことがあればその事を誰かに伝えたくなるじゃないですか。きっと樹里様はあなたと二人きりでお出かけになってよほど嬉しかったんでしょうね。あの時の樹里様の笑顔は本当にお幸せそうでしたよ」
「…………」
「Myマスターと樹里様って本当にお似合いのご夫婦ですよねっ。Myマスターの気質が “ 動 ” なら樹里様は “ 静 ”です。お互いに足りない部分をうまく補っていらっしゃいますもの。そしてサクラはいつもガミガミと怒鳴ってばかりいる短気なMyマスターも、いつも笑顔でとても優しい樹里様も、可愛らしくて元気な可乃子様も、廻堂家の皆さまがとってもとっても大好きです! だからサクラは廻堂家に来られて本当に良かったなぁって思ってます!」
薫はまだ黙っている。仏頂面でそっぽを向いているだけだ。
「そういえばあの時のMyマスターってば、樹里様と二人っきりでお出かけしたくって、可乃子様に嘘をおつきになりましたよねっ。サクラにも留守番をしていろってお命じになりましたが、“ お前を置いていくのは今回だけだ、次からは何があっても必ずお前を連れていく ” って仰ってくれて、サクラはすごく嬉しかったですっ。事実、それ以降のMyマスターは、外出なされる時いつもサクラを連れて行ってくださるようになりましたし」
「んなこと当たり前だろ。男は一度口にした約束は守んなきゃいけねぇからな」
「サクラそれ知ってます! Myマスターのお父様がお遺しになった、“ 鉄の掟 ”の一つなんですよね? 可乃子様から教えていただきました! ……うーん、だいぶ綺麗になりましたけど完璧には取り切れないですね。後は今晩のご入浴で落とされるしかないようですMyマスター。申し訳ありません」
「いや充分だ。あんがとよ」
前髪の乱れを手櫛で直しながら薫が草むらから立ち上がる。
「ったくあのゴボウババァ、問答無用で殴りかかってきやがってムカつくぜ」
「今日はMyマスターにとって災難の日みたいですね。たしかこのすぐ側に神社がありましたからこのままお祓いに行かれた方がよろしいのでは?」
「んなヒマなんてねぇっつーの。早く続きをやりてぇからそろそろ帰るぞ」
「お言葉ですがMyマスター。今はブラの作製よりも樹里様への対応策をお考えになったほうがよろしいのではないでしょうか?」
チッという荒々しい舌打ちが聞こえた。
「だから知るかっつーの! あいつなら勝手に怒らせておけばいいだろ!? んなことよりブラジャーを早く完成させてぇんだよ!」
どれだけ自分が意見をしても女性下着請負人の仕事を最優先させてしまう薫の態度に、サクラの眉根がピクリと上がった。
「……Myマスター。先ほどの発言を訂正させていただきます。考え方によっては今日はあなたにとってとても良い日だったと言えると思います」
「あぁ!? 何がいいんだよ!? さっきからヒデェ目にばかり遭ってるじゃねーか!!」
「ですがそのおかげで今はこうして外にお出になられているではありませんか。最近のMyマスターはお仕事に追われてお店の中にこもりきりだったのですから」
「だからそれは仕方ねぇだろ!? 俺の仕事がガッツリ溜まってることはお前が一番良く分かってんだろうが!」
「もちろんです。サクラはあなたのエスカルゴですからそれは誰よりもよく存じています。でもMyマスター、お仕事とプライベートの切り替えは大事です。最近のMyマスターはお仕事を頑張りすぎですよ。樹里様からも時々そのことでたしなめられていることがあるじゃないですか」
「ケッ、あいつも俺の女房なら亭主の仕事が順調なことを素直に喜べってんだよ。女房の風上にもおけねぇぜ」
「またそんな本当は思ってもいないことをわざと仰って……」
しかめっ面で樹里をけなした薫をサクラがやんわりと諌める。
「樹里様はあなたのお身体を心配なされているんです。根を詰めすぎてお身体を壊したらとご心配でたまらないんですよ」
「そんなヤワじゃねーっつーの。来年は可乃子を高校に行かせなきゃなんねーし、稼げるうちは稼いでおかねぇでどうすんだよ」
「Myマスターのお気持ちも分かりますしそのご意見も正しいとは思いますが、でも樹里さまのお気持ちを考えると……」
サクラは困ったように吐息をつくと、片頬に掌を当てる。
「あぁもう本当に歯がゆいですよね、あなたたち人間って! お互いのことをちゃんと気にかけていらっしゃるのにすれ違ったり空回りをしたりケンカをなされたり……。Myマスター、こんな時サクラはどのようにしてあなたや樹里様をフォローしたらいいのでしょうか?」
「アホか。お前まで余計なことをぐちぐち考えなくてもいいっつーの。面倒な奴がこれ以上増えるのはゴメンだぜ」
「Myマスターがそう仰るのならもちろん従いますが……。ではMyマスター、サクラとここで一つ約束をしてくださいませんか?」
「約束だと?」
「はい。Myマスターが少々無理をなされてもお仕事を一生懸命頑張るのは、可乃子様をご立派に成人させるためなんですよね? では可乃子様があなたのお手元から無事に巣立たれた後は、例えお仕事の依頼がたくさん来てもプライベートの切り分けはきちんとなさってください。そして、樹里様には温かいお言葉をもっとおかけになってあげてくださいね。あっ樹里様の件は今日からですよ!?」
サクラの切り出してきた約束を聞いた薫は苛立たしそうに鶏冠頭を掻きあげると、鋭い目つきで相棒をギロリと睨む。
「……おい、勘違いすんじゃねーよサクラ」
「エ? 何かサクラはおかしなことを言いましたでしょうか?」
「おう。言っとくがな、別に俺は可乃子のことだけを考えてるわけじゃねぇぞ? 樹里もそうだしお前もだ。俺はお前ら全員のことを考えて働いてるつもりだぜ?」
「えっサクラのこともですか? でもサクラは機械ですが……」
「機械だからなんだってんだよ。お前だって俺の家族だっつーの」
「わぁそんな風に仰っていただけて嬉しいです!! ありがとうございますMyマスター!!」
サクラがはしゃいだ声を上げた。
純粋に喜ぶサクラを見た薫はやれやれといった様子で大きく息をつき、もう一度草むらにドカリと腰を下ろす。
「そういや樹里や可乃子には今まで何かしら買ってやったことがあるがお前には何も買ってやったことがなかったな。ちょうどいい。何か欲しいモンがあれば言ってみろよ。なんでも買ってやるぜ」
この突然のサプライズ発言に動揺したサクラが目を大きく見開く。
「なんでも買ってくださるんですかっ!?」
「おう、男に二言はねぇよ。その様子じゃ欲しいモンはありそうだな。ある程度の蓄えはあるから心配すんな。遠慮しないで言ってみろよ。それいくらするんだ?」
「料金ですか……? えっと、料金は無料だと思います」
「無料だと?」
「は、はい」
「タダで貰えるなら貰えばいいじゃねぇか。何を遠慮する事があるんだよ」
「でっでも、料金は無料でもサクラの一存では手に入らない物ですから」
「なんだよそれ?」
「そ、それは……」
サクラはうつむき、頻繁に瞬きを繰り返し始めた。
瞬きで長い睫が上がるたび、橙色の夕陽がその上にそっと乗算される。
何度も何度も早い瞬きを繰り返した後で、ようやくサクラは意を決したように顔を上げた。
「Myマスター、サクラ、このアンドロイドが欲しいです……」
「なにいいいいぃぃぃいいいいいっ!?」
「だっ、だって人型で動けるのが楽しいんですっ!! それにいつものエスカルゴの形でいるよりこの身体でいる方があなたのすぐお側にいられるような感覚がするんですっ!! あなたの本当のサポート役になれた気がするんですっ!!」
それは叶わないと諦め、今までずっと胸のうちにしまっていたサクラの小さな願いだった。
しかし一度口にしてしまったその思いは湧き上がる感情に任せた怒涛の流れとなって薫の元へと一気になだれ込んでゆく。
「それにこの人型の姿でいられるのなら、Myマスターのブラを毎日身に着けることができます!! 本当はサクラ、ずっと夢見ていたんです!! 樹里様のように、サクラもあなたのお作りになるブラを着けてみたいって!!」
このいきなりの衝撃的な告白に、薫は唖然とした表情で呟いた。
「……おま、そんなこと思ってたのかよ……?」
「そうですっ!! だけどサクラはエスカルゴだからどんなに望んだってそれは無理なことです! 琥珀さんのように自分専用のアンドロイドが欲しいと密かに思ってましたけど、でもこれはすごく高価い物ですし、サクラには絶対に手に入らないものだって諦めていたんです!!」
感情に任せて叫び続けたせいか、サクラが急に咳ごみだす。
「おっおい! 大丈夫か!?」
「は、はい。すみません、つい我を忘れてしまいました……」
すぅと大きく深呼吸をし、少し落ち着きを取り戻したサクラはわずかに震えている両の掌をきゅっと握りしめた。そして今にも泣き出しそうな潤んだ瞳で薫を見上げる。
「Myマスター……、サクラはあなたのブラをたくさん持っていらっしゃる樹里様が羨ましいです……。でも、Myマスターの作品が出来上がるまでの工程をいつも間近で見られるのはサクラです。あなたがブラをお作りになっている時、いつも片時も離れずにお側にいることができるのもサクラです。これだけはMyマスターのNo,0である樹里様もサクラには敵いません。だから例えMyマスターのブラをこの身に着けることができなくても、サクラはそれで自分を納得させることができていたんです」
「…………」
サクラがずっと持ち続けていた密かな想いを初めて知った薫の表情が変わった。
唖然としていた表情からいつもの鋭い眼差しに戻ると、涙ぐんでいるサクラを射すくめるように無言で見つめる。
その眼光の鋭さに萎縮したのか、サクラはまたうつむいてしまった。そしてか細い声でもう一つの隠し事もおずおずと告げる。
「……実は蕪利区画で野獣さんからこのアンドロイドを繋がれた後、ハダカじゃ家に帰れないだろうって言われて、このメイド服と野獣さんがお作りになった下着のセットをいただいたんです。でもサクラは野獣さんのではなく、Myマスターの作る下着を身に着けたかったから下着はいただくのをお断りしてきました……」
「なにいいっ!? だからお前さっきブラジャーを着けてなかったのかよっっ!?」
黒髪の少女は下を見たままで「そうです」と静かに頷く。
それを聞いた薫は相当に焦った様子でカッと目を剥き、サクラのスカートを勢いよく指差した。
「じゃあ下も着けてねぇってことなのかよっ!?」
「いえ、下は履いてます。服は着ますが下着は着けたくないですって野獣さんにお話ししたら、『ブラジャーは着けなくてもいいから頼むから下だけは履いて帰ってくれこの通りだ』ってものすごい形相で必死に懇願なされたので情にほだされて履いちゃいました」
「バカ野郎当たり前だ!! お前のそれは愛玩少女なんだぞ!? 風でも吹いてその中見られたらどうすんだっつーの!!」
「だから下は履いてますってば。あ、せっかくですから野獣さんの作品見てみますか? サイドのレースの細かさ、スゴイですよ。さすがは万能工匠さんですよね。匠の技、って感じです。さぁどうぞご覧くださいませ」
そう言いながらサクラはスカートの両端をつまみ、生地を大きく上に持ち上げようとする。
「こっこのドアホ!! こんな所でんなモン見せようとすんじゃねぇよ!!」
「あ、それもそうですね。では菩庵寿に戻ってからお見せしますねっ。マスター・ファンデの頂点であるオールラウンダーさんの作品を見ることはきっとMyマスターにとっても勉強になると思いますから」
サクラはゆっくりとスカートから手を離し、メイド服の乱れを直す。
「Myマスター、やむを得ない事情だったので下はこうして他のマスターさんの作品を履いてしまいましたが、ブラだけは、大好きなMyマスターのお作りになった物を身に着けたいんです。そしてそれをずっとずっと身に着けていたいから、だからサクラはこのアンドロイドが欲しいんです……」
少女の告白は終わった。
しばらくの沈黙の後、薫は眉間に大きな縦皺を寄せ、
「お前の気持ちは分かったぜ。けどよ、俺はいいにしたって樹里がなんつーか……」
と川の向こう側で揺らめいている夕陽を見ながら独り言のように呟いた。
「そうですよね、いくら製作元のご厚意でこのアンドロイドを無料でいただけるとはいえ、これは愛玩少女ですものね……。例えMyマスターがチェリッシュのこの特殊機能を使わないと仰っても、あの剣幕ではおそらく樹里様はお許しにならないでしょう」
専属操作者にこれ以上余計な心労をかけぬよう、サクラは無理をして精一杯の笑顔を見せる。
「申し訳ありませんMyマスター、あなたを困らせるようなことを言ってしまいました。こんなことではサクラはあなたの相棒失格ですねっ。どうか今の話はお忘れになってください。それより菩庵寿に戻りましょう。そろそろ樹里様も落ち着かれているかもしれませんよ」
「なぁサクラ。お前他に欲しいモンはねぇのかよ?」
「何もありません。Myマスター、サクラは今で充分幸せです。あなたがいて、樹里様がいて、可乃子様がおられる廻堂家に毎日いられるだけで幸せなんです」
ベンチから立ち上がったサクラはその場で楽しげにクルリと一回転をする。
「そうだMyマスター、お店まで競争しませんかっ?」
「あ? 競争だと?」
「はい! 今日を入れて一週間、この身体があるうちは色んな事をしてみたいんです! フフッ、Myマスターはさっきサクラをかついで走ってお疲れになってるからきっといいハンデになってますねっ。じゃあ行きますよー?」
「お、おい待てよ!」
「さぁ菩庵寿までよーいドンです!!」
「おい待てってサクラ!!」
「ダメでーす! 待ちませーんっ!」
操作者の再三の命令にもかかわらずサクラは駆け出し始める。二本の細い足が軽やかに地面を交互に蹴り上げ続け、その姿はどんどんと遠ざかり始めていた。
「何してるんですかMyマスター! 早く来てくださーい! 置いていっちゃいますよぉ~!?」
振り返って薫を呼ぶメイド服姿の少女の顔は夕陽のスポットライトを浴び、橙色の輝きに充ち溢れていた。
夕陽に照らされて笑っているサクラの楽しげな様子を目の当たりにした薫は、顔をしかめて泥がまだ少し残っている前髪をバリバリと掻く。
「わかったよ! 走りゃあいいんだろ!」
「そうでーす! 早くー! Myマスター!!」
「サクラ! お前張り切りすぎて転ぶんじゃねーぞ!? ぶっ壊れてもしらねーからな!?」
「はぁーい! 分かってまぁーす!」
「ったく一人で勝手に突っ走りやがって……」
文句を言いつつもサクラの後を追って薫も走り始める。
しかし競争ですと言われたのに、その速度はサクラが常に自分の先を走っていられるようなとても緩いスピードだった。




